http://ameblo.jp/cometoknow/entry-11440728058.html より転載しました。
2013年01月02日
米グランドキャニオン禁止区域に古代の秘宝とエジプト人の痕跡
テーマ:mystery
アメリカ・グランドキャニオンの立ち入り禁止区域内にある洞窟には
数千年前のお宝と、ヘルメットを被った宇宙人のような奇妙な壁画、そして無数の人骨が眠っており、
更に不思議なことにそれらのミイラは、アジア人か、エジプト人らしい! (マジか!)
Arizona Republic (米アリゾナ州のローカル紙を発行している新聞社のサイト)によれば
驚くべきことに、グランドキャニオンの中で現在立ち入り禁止になっているあるエリアは
1963年からまったく調査されておらず、それより前の1909年に探検に入った
G.E. Kinkaid氏とS.A. Jordanたちの発見に関しては、アメリカの考古学会でも無視されているという。。。
(これは・・・)
数千年前のお宝と、ヘルメットを被った宇宙人のような奇妙な壁画、そして無数の人骨が眠っており、
更に不思議なことにそれらのミイラは、アジア人か、エジプト人らしい! (マジか!)
Arizona Republic (米アリゾナ州のローカル紙を発行している新聞社のサイト)によれば
驚くべきことに、グランドキャニオンの中で現在立ち入り禁止になっているあるエリアは
1963年からまったく調査されておらず、それより前の1909年に探検に入った
G.E. Kinkaid氏とS.A. Jordanたちの発見に関しては、アメリカの考古学会でも無視されているという。。。
(これは・・・)
(♫画像のアドレスです)
アメリカの教科書では、アメリカ人の歴史(ルーツ)として、1万2000年前にアラスカから南下してきた
民族が、北アメリカの中央部に居住し始め、ネイティブ・インディアンを形成したと書かれているらしいが
それはアメリカのスミソニアン博物館(アメリカの国立博物館)が公式に認めている説に過ぎず
1909年と1963年の記録と分析では、その説に真っ向から対立しているとのこと。
グランドキャニオン国立公園サービス事務局にインタビューを行った同紙の記者によれば・・・
**
記者:なぜグランドキャニオン(以下G.C)の一部地域は許可無しに入ることが許されず、
禁止区域になっているんですか?
G.Cサービス 「技術的に大変困難であり、危険を伴うので、立ち入りが制限されているのです」
記者:どのくらいの数の洞窟が(G.Cには)ありますか?
G.Cサ 「不明です。なぜなら調査が行われていないからです。ただ少なくとも一つ以上はあります」
**
とはいえ、記事によれば、現地アリゾナ州のホピ族(ネイティブ・インディアンの民族の一つ)に
古くから伝わる伝説がこれに関して別の手がかりを与えてくれているという。
ホピ族の長老たちが記者に話してくれたホピ族の口承伝によれば、大昔、ホピ族とアングロ族の
混血にあった若い男性がグランドキャニオンの地下にある秘密の住居跡に迷い込んでしまった。
巨大な洞窟に入ると、そこには銅や金でできた壺や甕(骨壷)があり、それからユリの花を持ち
あぐらをかいた石像があったという。
そして壁には背の低い人々の姿や顔が彫られていて、中にはヘルメットを被った人々や、裸の人、
ドレスを着た人々の姿も描かれていたという。
しかしこれらは本当に空想上の話なのだろうか?
他に、1990年代には、グランドキャニオンの立ち入り禁止区域についてある噂が広まり
世界中からメディアやテレビの撮影、外国人旅行者たちが殺到する騒ぎがあったという。
その噂とは、巨大な洞窟の中にエジプトやアジア産の芸術品や高価な財宝が膨大に
眠っているのではないかというものだった。
彼らはどこかでグランドキャニオンにある多くの洞窟には、北アメリカの前時代的な人々によって
彫られたヒエログラフがあると聞いていたのだった。
とはいえ、グランドキャニオン国立公園の事務員たちは、1909年の探検で何が発見されたかについて
ほとんど何も知らない。
しかし1909年当時、探検隊はグランドキャニオンにある巨大な地下の砦には、車輪の輻のように
多くの地下通路があり、中にはフットボール・フィールドの長さにも匹敵するほどのものを
発見していた。
更に、彼らが通路を進むと、古代戦争の武器や、鋭く尖った銅の武器、そして数百体のミイラが
積み重なっていたのを発見したという。
その後の調査で、1909年に発見されたミイラのすべては男性だと分かった。従って
1909年の探検隊が見つけたその部屋は、戦死者たちの墓場だったのではないかと結論付けられた。
ちなみに(洞窟内の)別の部屋にはダイニング・ホールと見られる場所もあり、
彼らはそこで美しいデザインが施された水瓶や壺を発見した。
1909年のGazette紙のインタビューで探検隊を指揮したKinkaid氏は
グランドキャニオンで見つかったミイラの起源についていくつかの説を報告した。
1つ目は、彼ら(ミイラとなった人々)はアジアから来た人々であり、そこにあった民族的な揺りかごは
ナイル川の上流を起源とするのもので、また、彼らはインドを起源とするエジプト人だった
のではないかと仮定された。
(・・・要するに探検隊の隊長は、グランドキャニオンで見つかったミイラはエジプト人なのでは!?と
思ったということ)
アリゾナをベースに活動している人類学者Warren Cremer氏はこう話している
「スミソニアン博物館は、疑いようも無く、"1492年にコロンブスがアメリカを発見するまでは
いかなるヨーロッパ人もアメリカ大陸には上陸していない"とする信条を守っている。
つまり彼ら(博物館員たち)は、古代エジプトの芸術品が(グランドキャニオンで)見つかった
という話は真実ではないと純粋に信じてしまっているということだ」
ところで、『Lost Cities of North and Central America』(北中米の失われた都市/邦訳無し)
という本を書いたDavid Childress氏は、
見つかったミイラは、現在の中東に近いオセアニア系民族の接触の証拠であり、
今日の(アメリカにおける)民族の移動が
ベーリング海(ロシアとアラスカの間の海)から北アメリカの南西に下ってきたのではないことを
立証していると話したという。
ソース
http://www.azcentral.com/arizonarepublic/viewpoints/articles/20111108grand-canyon-mystery.html?nclick_check=1
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♫ アメリカ大陸も、謎がたくさんありそうですね。
コブラ情報の中のひとつです。
人類の歴史は、かなり複雑怪奇です。