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天皇まんざーい 長崎の原爆後「一億総ざんげ」の号令が出た<>

2016-06-08 12:14:01 | 天皇まんざーい

http://sci-tech.jugem.jp/?day=20090709 より転載しました

科学技術のアネクドート

 
新聞に原子爆弾の跡を見る――長崎とアトム(4)

 
1945年8月9日午前11時2分、長崎市松山町171番地(当時)に原子爆弾が落とされました。この場所は、その3日前に原子爆弾が落とされた広島市の相生橋東南(いまの原爆ドーム付近)とともに、世界史上ふたつしかない戦争における“爆心地”となりました。富豪の別荘地だったこの地は、その後、場所としての意味づけがまったく別のものになっていきます。
 
その変遷を追うための資料として有効なものが新聞です。
 
まずは、長崎に原子爆弾が投下されたことを戦時中の新聞がどのように伝えているか、その一報を見てみます。
 
朝日新聞は、戦前、戦中、戦後と、一貫して新聞の過去号が出版されており、大きな図書館などで閲覧することができます。1945年8月12日付の朝日新聞には、1面下段に「長崎にも新型爆彈」という記事が載っています。
 
―――
長崎にも新型爆彈
西部軍管區司令部発表(昭和二十年八月九日十四時四十五分)
一、八月九日午前十一時頃敵大型二機は長崎市に侵入し、新型爆彈らしきものを使用せり
二、詳細目下調査中なるも被害は比較的僅少なる見込
―――
 
長崎の原子爆弾投下の第一報は、わずかこれだけのものでした。この記事の左側には、広島への原子爆弾投下を受けて「新型爆彈への對策」や「一瞬に廣島變貌」といった記事が載っていますが、それらに比べるとごく小さな扱われ方でした。
 
いっぽう、原爆投下からまもないころの長崎の様子をつぶさに見ることができるのは、長崎県に配布されていた複数の地方紙です。
 
1945年から1949年の占領期に米国軍から検閲を受けた出版物が眠っているメリーランド大学のプランゲ文庫には、原爆投下後まもないころの長崎市民が読んでいた新聞が収蔵されています。「毎日新聞長崎版」「長崎民友」「長崎日日」「長崎日日炭坑版」の4種類です。
 
長崎県の地方紙史をひもとくと、1889年9月の「長崎新報」の創刊にさかのぼることができます。ロシア戦争が起きた1911年、同紙は「長崎日日新聞」に解題します。
 
他に長崎県内では、「長崎民友」、「佐世保時事新聞」、「島原新聞」などの地方紙が立ち上がりましたが、長崎日日新聞を含め、これらの新聞社は1942年、太平洋戦争の戦時体制下で、いったん「長崎日報」という新聞に合併統合されます。
 
そして、原爆投下と敗戦を迎え、1946年12月9日に、合併統合されていた4紙は「長崎民友」「長崎日日」「佐世保時事新聞」「新島原新聞」に分離されました。長崎民友と長崎日日は、その後1959年に合併し、「長崎新聞」となり、いままで続いています。
 
こうした地方紙の流れとは別に、全国紙だった毎日新聞の長崎版も、プランゲ文庫には収蔵されています。
 
原子爆弾が投下された直後の長崎市の様子がわかる新聞記事は、残念ながらプランゲ文庫にも収蔵されていません。検閲が開始されたのは、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)が「言論および新聞の自由に関する覚書」を出した1945年9月10日以降となります。
 
しかし、1946年以降の長崎市民に配布された新聞紙には、爆心地の変遷や復興する長崎市民の様子などが克明に描かれています。つづく。
 
「長崎市民に告ぐ」――長崎とアトム(5)


 
原子爆弾投下から満1年の1946(昭和21)年8月9日、プランゲ文庫所蔵の長崎県で配達された新聞記事には、原子爆弾投下に関する記事は見当たりません。
 
しかし、当時の長崎市内の雰囲気を連想させる広告欄の記事があります。毎日新聞長崎版の1面最下段には、「占領軍歩兵第三十四聯隊長」の名のもと、「長崎市民に告ぐ」という広告が掲載されています。この広告はおもに、当時の長崎市に存在していた“不良團”に対して発せられた警告です。内容を見てみます。
 
ーーー
長崎市内には互に対抗する二つの不良團があり、團員は各々短刀と木劍を所持して闘争して居る。(中略)不幸にして逮捕の際無辜の市民も不良の一味と交際をしをりたる為に検挙されたることに就ては気の毒に思ふ。然し不良者と交際し居る者は誰でも嫌疑の眼で見られるは當然なり。犯意を有する連中は又米國軍の兵隊と交際する少女達を脅迫せり。(中略)尚寶塚ダンスホールで働きをる少女達も脅迫せられ其の一人は若い男に殴られ負傷せり。
ーーー
 
広告からは、二つの“不良團”が活動していたこととともに、「米國軍の兵隊と交際する少女達」がいたことがわかります。おそらく「交際する少女達」とは日本人女性のことでしょう。また「寶塚ダンスホール」という“社交の場”が、原爆投下後1年後にはすでに存在していたこともわかります。
 
前年、1945(昭和20)年、占領軍が長崎に進駐してくる直前には、長崎県や長崎市から「米軍が上陸する時、婦女子は避難していること」との通達があったといいます。「鬼畜米英」のイメージが強くあったのでしょう。
 
しかし、広告の「米國軍の兵隊と交際する少女達」や「寶塚ダンスホールで働きをる少女達」という記述を見ると、たった一年で、街の雰囲気は進駐軍により別のものになっていたことがわかります。つづく

科学技術のアネクドート

 
1946年8月9日、小倉でも黙祷――長崎とアトム(6)


 
「長崎市民に告ぐ」の公告が掲載された1946年8月9日は、長崎で原子爆弾が投下されて満1年でした。8月9日に発行された毎日新聞には「原爆から1周年」といった記事は見あたりません。
 
しかし、翌8月10日の新聞には「原爆投下から1周年の催しものが行われた」という記事が載っています。
 
1946年8月9日、長崎市は1周忌を迎えた犠牲者を悼むための「慰霊祭」を執り行ないました。翌10日の毎日新聞長崎版は、2面トップに「長崎にめぐり來し“あの日” 四万の靈に祈る 小倉市代表も参列」という見出しの記事を掲げました。
 
この記事には、慰霊祭が行われた場所や式の様子などが書かれています。
 
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原子爆弾の一閃に奪はれた四万三千の靈を弔ふ市主催戰災死歿者慰靈祭は爆心地松山町の一角に設けられた斎場で午前十時から遺族、官公衞、町内會、各會社、諸團体代表など多数参列、佛式により施行された
―――
 
慰霊祭の斎場は、爆心の街である松山町に置かれたようです。しかし、爆心地が“公園”として認識されているような記述は見当たりません。また、「爆心地松山町の一角」と書かれてあることから、この斎場は、爆心地そのものに置かれたものでないと考えてよいでしょう。
 
記事には、もう一つ、当時の日本の様子が見てとれる記述があります。
 
福岡県小倉市(現在の北九州市小倉北区・小倉南区)は、1946年8月9日の原子爆弾投下の、最初の標的になった街です。リチャード・ローズの『原子爆弾の誕生』という本などによると、小倉は悪天候だったこともあり、米軍戦闘機B29による原子爆弾投下を免れました。
 
小倉市の市長代理と市議会議長代理が、長崎市の慰霊祭に弔問に訪れています。これは、見出しに「小倉市代表も参列」とあるとおり、記事にもつぎのように書かれています。
 
―――
あの日に爆弾が落される豫定だったのが長崎市に變更されて危く被害を免れた小倉市から市長代理宮田収入役と市會議長代理の関谷副團長がわざわざ弔問して、懇な焼香を捧げた
―――
 
しかし、さらに注目すべきは、「小倉発」の「小倉で祈祷」という記事です。
 
―――
小倉でも默祷【小倉】
市民たちもこの日“反省の日”として原爆投下時刻の午前十一時には一斉にそれぞれの職場や各家庭で自分たちにかはつて散華した長崎市民の霊に黙祷をささげ冥福を祈った。
―――
 
記事は、小倉市民にとっての「この日」つまり8月9日は、「反省の日」でした。
 
終戦直後、8月17日に発足した東久邇宮内閣のもと発せられた「一億総懺悔」ということばがあります。国民すべてが、太平洋戦争で敗戦の責任をとるという国民統制のための合言葉のひとつです。「反省の日」「なには、この合言葉が色濃く反映されています。
 
翌1947年、原爆投下から2周年を報じる記事には、爆心地の様子がわかる写真が掲載されます。つづく。
 
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♫ この記事を書いてくださった方は、とても丹念に新聞から読み取って考察をしてくれています。
このことで、この記事が、いかに原爆だけではなく、戦争により国民の置かれている状況がわかってきます。まるで、昨日のことのようです。
小倉市では、なぜ「反省の日」なんでしょうね?
「一億総ざんげ」という言葉は、あべの言う「一億総活躍」にも通じますね。
 
このようにして、敗戦は国民が罪をしょい、支配者はのうのうとして、安泰に暮らすのです。
この策略がわかりますか?
 
私は、読むのが正直つらくなりました。
本当に日本人をこれほどまでにと、怒りと、涙が止まりません。
 
過去に、「人間の条件」などの残虐な日本兵を書いた本も読んできました。それでも、今回程ではありませんでした。私が目覚めたからです。
この記事を書いてくださった方は、真実を表に出して、広げてくれています。日本人はこの戦争のむごさを、もっと知るべきでしょう。
 
真実のニホンの国は、当時からして、このような操作が、当然のようにあったのです。 実にぬけめのない、支配者たちですね。
 
 
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