アイリス あいりす 

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日本の陰謀・日本の企業はほとんど政府の管理下にある<2496>

2015-09-22 12:08:41 | 社会問題 日々雑感

◆日本の政府は田布施システムで、頂天は〇皇です。

彼らが日本でして来たことを、知ることは日本人の目覚めに直結します。

http://book.geocities.jp/japans_conspiracy/02/p001.html#page11より転載しました。

日本の陰謀 (11) 

日本の企業はほとんど政府の管理下にある。 


■ タクシーは大日本帝国 

太平洋戦争中、軍部は東京のタクシーを四社に統合した。それぞれの社名は「大日本帝国」を元にされた。 『和自動車』『日本交通』『都自動車』『際自動車』だ。 これを大手4社と呼んでおり、タクシー業界では東京だけでなく日本を代表する大会社で歴代の業界会長は4社の社長から選ばれることが慣例となっている。 赤坂、銀座等東京の一等地に広い不動産を所有し、ハイヤー、観光バスなど他の事業も行っている。 

民間企業を装うが、国営企業であることは明白。何故、東京だけか。それは、外国大使館などの要人の諜報活動に従事する特務機関員やその手下などを配置するからだ。東京の外国人は100パーセント日本公安の監視下だ。タクシーに乗らず東京で移動することは難しい。 

ビールやつまみは、官僚には出されない。官僚は、そんなはした金では喜ばない。これらの接待は、外国人要人などをビールなどで酔っ払わせ、情報を入手することにある。 

私は、かつて頻繁にタクシーを利用したことがある。もちろん自費だ。バスや電車で通勤途中集団ストーカーの嫌がらせを連日受けていた。この時も、常に専従の運転手が用意された。気味が悪いほど親切だった。今考えると、公安の手配だったことは間違いない。タクシーの後ろに常に四輪駆動ジープが張り付いた。運転手が何か言うだろうと様子を見たが、ついにこの運転手は、ストーカー・ジープについて一言も話題にしなかった。今日、私はタクシーを頻繁に利用しない。すると、そのタクシー会社はストーカー行為に及ぶ。自宅から100m離れた視界ぎりぎりの路上で、ほぼ24時間停車している。もちろん、駐車禁止地域だが、運転手が搭乗していれば合法という警察のご都合解釈だ。 
参考  (1) (2) (3) (4) (5) (6) 

米国のタクシーはイエローキャブと呼ばれ、黄色い車体が多い。特に米国人は、タクシーは黄色だと思っており、東京4社の黄色い車体は外国人を引き付けるのに都合がいい。霞ヶ関の官僚がイエローキャブを好むことは絶対にない。

大和自動車
日本交通
帝都自動車
国際自動車
米国のタクシー

■ 東京地検特捜部は総連本部売買で元公安庁長官宅を捜索 

日本の大企業は、個人の創業者がおり、伝説が作られ、そして相続され、名門家系が出来上がると思っている人も多いだろう。だが、多くの場合、それは政府によって上手に演出された「茶番」だ。相続においても表向きは遺産分割協議が行われ、相続税を支払ったり、役員会で重役の去就があったり、株主総会で物事が決まったりしているように見えるが、それでも国家管理だ。何故なら、国家管理にはむかったらどうなるかを誰しも知っているし、また、国家管理にはむかうような人間は近づけない。 

日本では国家の影響を受けずに会社の経営はできない。もし出来たとすれば、その人物の「自伝」や「自叙伝」が出版され、国民はそれを読むことが出来る。普通の常識をわきまえた人なら、その本を読めば、「正直な人生」か、「偽りの人生」かは簡単に見破れる。残念ながら、日本には企業家に関する客観的な自伝はあまりない。ほとんどが「のろけ話」の類だ。 

上述の事例は、朝鮮総連の資産がもともと日本政府のものなのだが、売買をすると政府の資金が流出するので、名義を政府に戻したいのだが、世間がうるさく面倒だ。それで信頼の置ける人間の名前を借りただけの話で、何れ折を見て適当に処理される。一種の官製マネーロンダリングだ。 

実例は数多いが、よく知られた人物を出してみる。 

(1) 正力 松太郎 

1921年6月:警視庁官房主事。7月:正六位 兄定吉方より分家して一家を創立する。 

1923年9月: 関東大震災において「朝鮮人暴動の噂」を流布させる(1944年、警視庁での講演で、この虚報を「失敗だった」と発言)。10月:警視庁警務部長。虎ノ門事件。 

1924年1月:虎ノ門事件を防げなかった責任を問われ懲戒免官。直後、摂政宮(のちの昭和天皇)婚礼により恩赦。読売新聞の経営権を買収、社長に就任。 

1945年10月:第1次読売争議。12月:A級戦犯に指定され、巣鴨拘置所に収容される。 

1946年1月:公職追放 

1947年9月:不起訴、釈放。 

1952年10月:日本テレビ初代社長に就任(1955年まで務める)。 

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※元警官が、新聞社の買収など出来るはずがない。驚いたのは、関東大震災との関連だ。やっぱりかという感じだ。 

(2) 堤 康次郎 

堤 康次郎(つつみ やすじろう)は、日本の実業家、政治家。西武グループの創業者。第44代衆議院議長。(堤が事業を始めたのは、政治資金を作るためであったが、それが日本有数の企業グループにまで発展した。)日米関係重視、道路建設の重要性にいち早く注目するなど、その後の戦後日本政治の主流思想の嚆矢こうしだということも出来る。滋賀県大津市名誉市民。正三位勲一等。 

選挙で実弾(現金)を打ちまくった、又は土地や企業を買収する際の非情なやり口からことから、「ピストル堤」と呼ばれたと考えられているが違う。事実は実際にピストルで撃たれたことがあるからである。駿豆鉄道買収騒動の際眼前で右翼にピストルを撃たれたが堤は微動だにせず相手を感服させ自分の側に引き込んでいる。 

1937年4月:衆議院議員当選(6回) 

1940年:浅野財閥系から武蔵野鉄道の株式を購入し、多摩湖鉄道をこれに合併させた。武蔵野鉄道は、戦時中の陸上交通事業調整法に基づき西武農業鉄道を経て西武鉄道となった。太平洋戦争中も、B29の空襲の中、自宅地下壕に電話線を何本も引いていた。その電話口で、常に土地を買いつづけていた。戦後も、皇籍剥奪で経済的に行き詰まった旧宮家の都心の土地を次々と買収。華族の生活の面倒を見たとも言われる。 また大戦中、大戦後にかけて、都内の糞尿処理対策や流木対策に西武グループを挙げて対処した。 

1942年4月:衆議院議員当選(7回) 

※戦時中に土地を買いあさったのは堤康次郎だけではない。多くの産業界の胡散臭うさんくさい大物は皆そうだ。第一次大戦後のドイツの超インフレを知っていただけではこのような芸当は出来ない。必ずそうさせる保証を得ていなければ出来ないバクチだ。当然、政府の資産隠しに一役買っていたと考えるべきだろう。 

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