アイリス あいりす 

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強欲=貧心 を持っている人のこと<1100>

2015-03-02 12:08:07 | 社会問題 日々雑感
お金がないと言うことは、昔から生活ができない事でした。

私は小学校6年生の時、父親の仕事で他県に越しました。
毎朝、「なっとうー。なっとなっとー」と言う声がして、
我が家ではよくその納豆売りから、納豆を買っていました。

母が言うには、近所のスーパーで買うよりもおいしいけれど、
高いのだということでした。しかも、子供が売りに来ていたことを
父に話すと、母は納豆ぐらいその子から買うように言われたと
いうことでした。

父が言うには、「その子は納豆が売り切れないと、家に帰りづらいだろう、
早く売り切れたら、早く帰れるから」とよく言っていました。

ある日、母が手が離せなくて朝、私に納豆を買うようにいいました。
それで、私は通りに面している勝手口から、出て「納豆くださーい」と
声をかけました。
驚いたことに、その男子は、クラスメートでした。
その子は私とは目をあわさないように、納豆を渡してくれて、
「ありがとう」と小さな声でいいました。

大人の大きな黒い荷台のついた配達用の自転車に乗っていた彼が
とても似つかわしくないほど、彼の後ろ姿は小さく見えました。

それから、学校で親しくしていた女子にその話をしたところ、
彼女の家の近くにある、八百屋が彼の家で、その子と兄は納豆を売っていると
話してくれました。

八百屋さんは、私も一度みたことがありますが、今ほとんどの人が
見たこともないような、すぐ建て替えないと、大変じゃあないの?と
思うような、古い古い家でした。


ですから、私も子供心にお金はある程度生活するのには必要なものだと
知ったのです。

また、お金持ちの友人の家に、誕生会で招待され、酷く緊張したことも
覚えています。

今多くの家にあるような洋風の家具が広い家に、置かれて、広い芝生の庭には
大きな初めてみた、洋犬(今は当たり前ですが)が飼われていました。
その子のお母さんは、参観日のような服を着ていて、とてもきれいな人でした。

ですから、世の中にはこんなにも色々な人がいて、そういう暮らしを、
垣間見てきました。
ですけれど、お金があるからって、幸せではないことは、人生の多くを過ぎて
実感もしています。

お金は必要ですが、
強欲なまでにお金を追い求めるのは、私は違うのではないかと思います。
本当に人間に必要なものは、「愛」です。

お金がなくて子供時代が不幸だったと言う人がいますが、親兄弟と仲がいい人は
本当は不幸ではないのです。
そこには愛があるからです。

本当の不幸は、お金がたっぷりあるのに、愛を感じることがない生活をしている人です。
また、お金も無く、愛もなくという生活をしている人です。

人間が強欲になってきていると、日本の社会をみるにつけ感じています。
支配者たちが「もっと、もっと」とお金を貯め込むのは、強欲以外の何物でもありません。

すなわち、愛を知らないから、満たされていないのが、その原因です。
満たされていない心をお金で埋めようとしているのです。
お金で、愛は買えません。肉体的な満足を買っても、それは愛ではありません。すぐに消え去ってしまう、幻のようなものです。


強欲な人は、ですから貧心の人です。

愛情を知るのは生まれてから、3年が特に大切です。
「三つ子の魂百まで。」と言いますが
これは、子育てをして実感しています。

赤ちゃんを本当に愛してください。子供を愛してください。
その愛は、必ず年をとってから、あなたに向けられますよ。

愛がない子育てをした人は、年をとってから、子供からは愛を
受け取ることは、できないでしょう。

年をとり、独り身になった時にわかるでしょう。
「本当の幸せは、一緒に夕餉を囲める家族と一緒」と
いうことを。

無くしてから、気が付いてみたら、では遅いのです。
自分は家族を大切にしているのか、それはお金で何かを買ってあげることで、良しと
していないか、本当に家族と向き合って楽しい会話をしているか、考えてみましょう。




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