アイリス あいりす 

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核実験の数、南太平洋にて350回も 仏米英は謝罪すべし<>

2016-06-06 00:31:28 | 歴史

http://www.huffingtonpost.jp/satoshi-kamata/nuclear-test_b_7022316.html より一部転載しました

核実験の悲劇の地 南太平洋の体験

投稿日: 2015年04月08日

(前略)

南太平洋では、フランスがポリネシアで211回、アメリカがマーシャル諸島、キリバスで107回、イギリスがミクロネシアで38回など合計350回以上の核実験を行った(前田哲男著『棄民の群島』による)。

実験作業に従事したポリネシアやミクロネシアの住民が被曝し、緑豊かな美しい島々は、植民地支配の最後の負の遺産ともいうべき、核実験の悲劇の地にされた。

アイゼンハワー・アメリカ大統領が、「アトムズ・フォ・ピース」(原子力の平和利用)を宣言したのは、1953年だった。が、翌年3月1日、ビキニ環礁のナム島で、米軍の15メガトンの水爆実験がおこなわれ、「ブラボー実験」と名付けられた。


■「白い雪」が降った


核被害の記憶を刻む記念碑(ピースボート提供)

米軍は成功に拍手喝采だったかもしれない。しかし、この実験で爆心地から約200キロ離れたロンゲラップ環礁では、ヤシやパンやバナナの木の葉の上に、雪のような死の灰が降り続けた。被爆した86人の島民は、脱毛、嘔吐(おうと)に苦しみ、「ヒバク難民」となって故郷に帰り着いていない。

白い雪はおなじ時、おなじ環礁内で操業していた日本のマグロ漁船「第五福竜丸」にも降り注いだ。この乗組員23人のほか、900隻、推定2万人にもおよぶ日本漁船の乗組員の被害の実態は、闇に閉ざされたままだ。

3月1日は、第五福竜丸遭難の記念日であり、3月12日は、福島原発連続爆発事故の4周年であった。

パペーテにある、1966年7月2日広場は、昨年、ガストン・フロス仏領ポリネシア前大統領が、撤去することを閣議決定した。そのあと、世界的な反対運動が起きたが、大統領が不祥事によって失脚、破壊、撤去は免れた。

いまだ核兵器依存の悪癖は、除去されていない。人類は原発をふくむ、もっとも危険な核施設を捨てるほどに、賢明になっていない。

「原子力の事実を知った市民は、きっと死のためではなく生のために行動してくれるであろうと信じている」(アインシュタイン。1947年、雑誌アンケートに答えて)


AJWフォーラム英語版論文

(2015年4月2日「AJWフォーラム」より転載)

~~~~~~~~~~~~~~

♫ 私自身若いときに原水爆反対運動をしている人が、身近にいましたが、考えることすらできませんでした。原爆は嫌なものだと知りながら、運動に参加することには、躊躇するものがありました。

そして、今の私がいるのです。

きっと多くの日本人が、わたしのように知っていても、そのことについて、考える時間を持てなかったと思います。

人生は短くあっという間に過ぎてしまい、たどり着いたところが、少しも良いところではありませんでした。

日本は進歩していくものだと想像していただけでした、逆戻りすらできるのだと、知りました。

原爆のこの回数を聞いただけでも、ぞっとしますよね。植民地って、こういう事が簡単にできてしまうのです。住民は今でも病気をかかえているのです。

広島・長崎・福島と同じです。

オバマの訪問スピーチでもこの実験地については、何も言っていませんでしたね。

日本人はこの核実験に使われた、南太平洋の島々の事も、忘れないようにしましょう。

アメリカ本土の核実験では、実は人間が実権に使われていたことも、昔本で読み知っています。

恐ろしいことを、平気でするのは、戦争の為です。恐怖を乗り越える為に兵器を作り続ける必要が生まれるからです。それを、世界の支配者たちが奴隷に仕込んだのです。今もニホン政府は、中国や北朝鮮の脅威を国民に仕込み中です。

このような地球はもう沢山ですね。うんざりです。

地球人類の奴隷解放はもうすぐ!!!

私達はまけない!!!

宇宙人のともよありがとう!!!

 

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