信じる事と信じ切ること
私がエンジェルナンバーに導かれてを投稿していた時、何度も目にしたのが、「信じ切ること」と言う言葉でした。
信じる事は信じていると自分で思っているのですが、ちょっとしたアクシデントが起こったり、或いはふと感じる事などからもわかるように、人は簡単にその信じることを変えることをしてしまいがちです。
「信じ切ること」とは、日本の四季などを日本人は信じ切っていると思います。四季があることを疑い、今年は四季がこないのではないか、と思う人は皆無でしょう。
生まれてからずっと四季の移り変わりの中で生きてきたのですから、この四季を疑うことはできません。それは信じ切っているからです。
でも天界のエンジェルナンバーでの導き、教え応えを通じて、人間はせっかちなので望んでいるものを早く手にしたいのです。ところが天界は、それは完璧なタイミングでやってきます。と言います。ですから私たちには、望んだことすら忘れて日常を楽しく過ごすように言われるのです。
素早く望みが叶えられるものもありますが、そうでない時間の経過が必要な、「神のご都合」があるのです。
その待っている間に、私たちには迷いがきます。そして「やはり・・・」と信じることから離れてしまう事もあるでしょう。
離れても、また戻ってくる場合もありますし、中には、本当に疲れて離れてしまう人もいるようです。
天界では、そのどちらの人も間違いではないといいます。それぞれの歩む速度が色々あるからです。紆余曲折がそれぞれの人の人生なのです。
エンジェルナンバーで、何度も「信じ切ってください。」と背中を押されてきた私ですから、迷いながらも、ここまでやってきました。
ですから信じること、という簡単な言葉、そして信じ切ることの難しさを私はとことん学びました。
心から信じることができるようになるまでは、それは何度もその道を行ったり来たりしたのです。そうして私の信じ切ることは動かない信じ切ることへとなってきました。
私たちの微妙な心のひだを、天界はとてもよくおわかりのようです。それはもう感服してしまいます。笑
5次元への道は楽しく、のんびりと構えてちょうどいい具合だと思います。
(アイリス)