漢字は、漢字文化圏ではその国の発音で読まれます。
中国では、日本の首相の名前も、中国語音で読みますし、
中国の首相の名前も、日本では日本語音で読みます。
それが、漢字の正しい使われ方だからです。
ですから、例えば、
姜尚中を(きょうしょうちゅう)と読んでも、
莫邦富を(ばくほうふ)と読んでも、
失礼にはあたりません。
以前、中国で大学生の日本語の授業を見学した時、
学生達は皆、互いの名前を日本語音で呼び合っていました。
私達も、中国語を最初に学ぶ時には、
先ず自分の名前の中国語音から学習します。
一つの漢字を中国語音で読めば、中国語
日本語音で読めば日本語です。
それが、正しい使われ方です。
ですから、日本で中国人や朝鮮人の名前に対して、
漢字に中国語音や朝鮮語音のルビをふるのは、
日本人の発想ではありませんし、
中国人の発想でもないと思います。
半島の漢字の使い方は特殊である上に、
現在、漢字は殆ど使われていませんので、
日本の漢字文化を大切に思うのであれば、
半島に倣うのは誤りです。
例えば、漢字に韓国語音で地名や人名にルビをふりますが、
文字であるからには、読めて書ける事が前提となります。
しかし、私達は、
韓国語を習ったことがありませんし、
韓国語圏に属しているわけでもないので、
正確な韓国語音が分かりません。
パククネなのかパククンヘなのか判らないのに、
漢字で書くことはできません。
後漢の許慎(きょしん)が著した中国最古の字典『説文解字』には、
漢字について、
象形・指事(しじ)・会意(かいい)・形声(けいせい)・転注・仮借の六つの分類方法が出てきます。
象形文字は「鳥」や「魚」「馬」など。
指事文字は、字形が目で見て分かる抽象的な意味を示す物で「上」「下」「一」「二」など。
会意文字は、二つ以上の文字や意味の組み合わせで作られた文字で「林」「炎」や「男」(田と力で、耕作する人=おとこ)「見」(人が目を大きくみひらいているさま)など。
形声文字は、意味と発音を現す部分からなる文字で「江」「河」など。
転注については、許慎の説明が簡単すぎて、諸説有ありますが不明です。
仮借文字は、本来その文字がないので、他の字を借りて代用することで、県の長官という意の「県令」の「令」など。一説に「亜米利加」などもこれに含まれると言います。
何が言いたいのかと言えば、これらの分類から、漢字は表意文字であると同時に、表音文字である事がわかります。
例えば、
「工事」の「工」はもとは握りの付いたのみの形の象形文字ですが、
形声文字の音符(こう)としても使われます。
それで、「江」「虹」「紅」はみな(こう)と読みます。
また、「可能」の「可」は、
形声文字の音符「可」にもなりますので、
「何」「河」は(か)と読みます。
「青雲」の「青」は、もとは染料の「丹」と草色の「生」からなる会意文字で、
染料の「あお」をあらわしますが、形声文字の音符の(せい)としても使われます。
ですから「清」「精」「靖」はみな(せい)と読みます。
漢字が表音文字であるからには、
適当な音を付けてしまうと、全体としておかしくなってしまいます。
音を適当に変えると言う事はできないのです。
日本には、千年以上の歴史を誇る漢字文化があるのですから、
大切に子孫に残すべきであると思いますし、
中国語は中国語として習い、
韓国語は韓国語として習い、
日本語は日本人同士で大切に共有すべきであると思います。
また、漢字に、朝鮮語音の表記を付けるというのは、
朝鮮語を強要されることです。
中国人は日本人に対して、
基本的に中国語音で読めとは言いませんし、
韓国人は中国人に対して、
決して自分の名前を韓国語音で読めとは言いません。
それは僭越、或いは、傲慢であるからです。
中国の朝鮮族は、同族同士では朝鮮語を使うものの、
公用としては、中国語音で自分の名前を読みます。
中国人だからです。
では、朝鮮語音で日本人が読まされていると言う事は、
どの様な事になるのでしょう?
いらないと言った人には仕返し!
中国では、日本の首相の名前も、中国語音で読みますし、
中国の首相の名前も、日本では日本語音で読みます。
それが、漢字の正しい使われ方だからです。
ですから、例えば、
姜尚中を(きょうしょうちゅう)と読んでも、
莫邦富を(ばくほうふ)と読んでも、
失礼にはあたりません。
以前、中国で大学生の日本語の授業を見学した時、
学生達は皆、互いの名前を日本語音で呼び合っていました。
私達も、中国語を最初に学ぶ時には、
先ず自分の名前の中国語音から学習します。
一つの漢字を中国語音で読めば、中国語
日本語音で読めば日本語です。
それが、正しい使われ方です。
ですから、日本で中国人や朝鮮人の名前に対して、
漢字に中国語音や朝鮮語音のルビをふるのは、
日本人の発想ではありませんし、
中国人の発想でもないと思います。
半島の漢字の使い方は特殊である上に、
現在、漢字は殆ど使われていませんので、
日本の漢字文化を大切に思うのであれば、
半島に倣うのは誤りです。
例えば、漢字に韓国語音で地名や人名にルビをふりますが、
文字であるからには、読めて書ける事が前提となります。
しかし、私達は、
韓国語を習ったことがありませんし、
韓国語圏に属しているわけでもないので、
正確な韓国語音が分かりません。
パククネなのかパククンヘなのか判らないのに、
漢字で書くことはできません。
後漢の許慎(きょしん)が著した中国最古の字典『説文解字』には、
漢字について、
象形・指事(しじ)・会意(かいい)・形声(けいせい)・転注・仮借の六つの分類方法が出てきます。
象形文字は「鳥」や「魚」「馬」など。
指事文字は、字形が目で見て分かる抽象的な意味を示す物で「上」「下」「一」「二」など。
会意文字は、二つ以上の文字や意味の組み合わせで作られた文字で「林」「炎」や「男」(田と力で、耕作する人=おとこ)「見」(人が目を大きくみひらいているさま)など。
形声文字は、意味と発音を現す部分からなる文字で「江」「河」など。
転注については、許慎の説明が簡単すぎて、諸説有ありますが不明です。
仮借文字は、本来その文字がないので、他の字を借りて代用することで、県の長官という意の「県令」の「令」など。一説に「亜米利加」などもこれに含まれると言います。
何が言いたいのかと言えば、これらの分類から、漢字は表意文字であると同時に、表音文字である事がわかります。
例えば、
「工事」の「工」はもとは握りの付いたのみの形の象形文字ですが、
形声文字の音符(こう)としても使われます。
それで、「江」「虹」「紅」はみな(こう)と読みます。
また、「可能」の「可」は、
形声文字の音符「可」にもなりますので、
「何」「河」は(か)と読みます。
「青雲」の「青」は、もとは染料の「丹」と草色の「生」からなる会意文字で、
染料の「あお」をあらわしますが、形声文字の音符の(せい)としても使われます。
ですから「清」「精」「靖」はみな(せい)と読みます。
漢字が表音文字であるからには、
適当な音を付けてしまうと、全体としておかしくなってしまいます。
音を適当に変えると言う事はできないのです。
日本には、千年以上の歴史を誇る漢字文化があるのですから、
大切に子孫に残すべきであると思いますし、
中国語は中国語として習い、
韓国語は韓国語として習い、
日本語は日本人同士で大切に共有すべきであると思います。
また、漢字に、朝鮮語音の表記を付けるというのは、
朝鮮語を強要されることです。
中国人は日本人に対して、
基本的に中国語音で読めとは言いませんし、
韓国人は中国人に対して、
決して自分の名前を韓国語音で読めとは言いません。
それは僭越、或いは、傲慢であるからです。
中国の朝鮮族は、同族同士では朝鮮語を使うものの、
公用としては、中国語音で自分の名前を読みます。
中国人だからです。
では、朝鮮語音で日本人が読まされていると言う事は、
どの様な事になるのでしょう?
いらないと言った人には仕返し!