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山井湧(やまのいゆう)先生

2011年10月30日 20時42分16秒 | 日記
今から三週間ほど前の事だ。

スポーツクラブのシャワー室で、

水着を脱水していると、

後ろに水着を持って並ぶ人がいるので、

「お先に失礼します、どうぞ」と言って譲った。


すると、五十代後半から六十代と思われるその女性が、

「ねえ、貴女、今、シェーシェーって言ったわよね、

貴女って、シェーシェーの国の人?

シェーシェーの国の人だったのね?」

と言われた。

因みに、この女性とは殆ど話しをした事がない。


錯乱している女性には、

関わらないのが一番だ。

しかし、

私の顔を見て返事を待っているようなので、

もう一度、相手の顔を見ながら、ゆっくりと

「お先に失礼します、どうぞ、と言ったんですよ。」と、

言った。


すると、尚も、

「あらぁ、私、耳が悪くなったのかしら、

シェーシェーって言わなかったかしら。」

幻が聞こえるのであれば、

来る場所を間違えている。

スポーツクラブではなくて、病院に行くべきだ。

仕方がないので、もう一度、

「言ってません、

お先に失礼します、どうぞ、と言ったんです。」

と繰り返した。

「あらぁ、御免なさい。きっと私の聞き違いね。」

相手はしぶしぶ納得した。


今までにも、

音痴で、

甘い物が好きで、

本を読まず、

中国語は出来ない…等、

流れた噂は、枚挙にいとまない。


だいたい、

普段は、「人種差別反対」と言う割に、

人を攻撃するのに「シェーシェーの国の人」と言うからには、

自分達が人種差別をするのは構わないらしい。

中国人もこんな物に馬鹿にされて気の毒な事だ。


ただ、今回の、

「シェーシェーの国の人」と言うのは、

一瞬、腹が立ったが、

少し笑えた。


もう、二十年以上昔の事だ。

大学を卒業して、院試を受けた。


当時、私の大学には、

○○藩の藩儒の家柄や、儒家の子孫と言った、

代々漢文を研究している、或いは、

当時の学会を牽引する先生方が集っていた。


先生方は、

例えば、何も肩書きが無かったとしても、

学識豊かで尊敬の出来る人物ばかりで

その様な研究機関ならば

進学する価値があると思われた。


そこで、教授に入試の対策を訊ねると、

恩師の原田教授は、

「普段の勉強が大切なんだ、頑張りなさい。」

猪口教授は

「はっはっ、君なら受かるよ。」

と言って、対策も傾向も教えてくれない。


根がひねくれているせいか

「受かる」と言われると却って不安になる。

その上、事務局に行って過去の院試問題を集めてみると、

「超」のつく難問ばかりで、

俄には答えられない。

いよいよ焦って、それからの一ヶ月半は、

どう過ごしたか分からないほど、

机にへばりついていた。


さて、試験当日

一次試験が終わり、二次面接になった。

面接試験場には、

七人の教授が並んで座っていたと思う。


私が名前を言って座ると、

何番目かに

山井教授が口を開いた。

私の答案用紙を持って、

足を組んで座っている。


「君は学科と訓読はいいが、

中国語はぜんぜんできてないなぁ…」

私は内心

(その通りです、先生。

私は、漢文を読みに院に行くんです。

中国語なんて、やろうと思ってません。

院試用の中国語も途中で捨てました)

「…院に入ったら、中国語をやらなければいかんぞ。」

(先生が、そう仰るのなら勉強しましょう)

私「はい。」


面接試験場の扉を閉めた後で、

あれ、合格したかな?と思った。


数日後、事務局から、

合格の通知と共に、

入学式総代に決まったと連絡があった。

その連絡を手にした途端、

中国語への情熱は冷めてしまった。


中国語を本気で勉強しようと思ったのは、

院を満期中退して、

高校で教員を始めてからだ。

高校生に、古典と漢文、現代文を教えながら、

「人もすなる留学といふものを、私もしてみむ」

と本気で考え始め、

中国語の夜間学校に通い、

どうせ留学するなら国費だ、と、

文部省の留学試験を受けた。


私が受けたのは、

「高級進修生」という部門で、

合格すれば、

中国の公務員と同等の待遇、

居住費・医療費・研究費免除の上に給料も出る(故に国費)。


それだけに、書類審査に合格すると、

二次面接で、

当時、中国語学の権威、東京外大の

輿水優(こしみず まさる)教授との

一対一の会話審査が待っていた。


さて、一次試験に合格し、

指定された面接会場に向かうと、

会場の外には、

受験者が並んで待っていて、

文部省の関係者と思われる人物が、

名前を呼び上げている。

その声にしたがって、

呼ばれた受験者が一人ずつ部屋に入っては出てくる。

見ているだけで緊張した。


私の番になり、

名前を呼ばれて部屋に入ると、

窓を背にして、長い机の向こうに、六人ほどが並んでいた。

その前に、椅子が一つ置かれていて、

名乗って着席する。

相手の顔は逆光でよく見えないのに、

こちらの様子は、はっきり見える配置だ。


提出した研究計画に関して

一通りの質問が終わると、

輿水教授との会話になった。


外国語の、特に会話の試験であれば、

粗探しされない為にも、

文法や発音に気遣いながら、

短く正確に答えるのが得策だ。

しかし、

目の前に本物が座って、私に質問していると思うと、

「はい」とか「いいえ」だけでは惜しい気がした。

それで、

輿水教授「…中国には行ったことがありますか?」

私「二度あります。一度目は、敦煌です。

私の大学の先生方と莫高窟に行きました。

先生方は調査でしたが、私の場合は観光でした…。」

と、しつこく答えた。

帰りの電車の中で、

失敗したかもしれないと青くなった。


一ヶ月後に、合格通知が届いた。


受け入れ先は重点大学で、

留学生業務は副学長の預かりだったと思う。

文部省の説明には、

「期間は一年、延長も可」、

と書かれていたが、

毎年末、大学に対して

延長の書類を提出すると快諾してくれるので、

私は結局、三年間在籍していた。


これは恐らく、

留学生の間では成績が良かったのと、

時々、地元の新聞に雑文を発表していた事に、

一定の評価を与えてくれた為と思う。


卒業の時には留学生総代に選ばれ、

その様子は、地元のテレビが取材に来て

夕方のニュースで流された。


文部省が窓口となって募集する留学制度は、

日中友好を目的とするので、

対象は、両国の国籍所有者に限定される。

日本では日本国籍、

中国から日本への場合は中国国籍が必要だ。

ご要望にお応えできなくて申し訳ないが、

私はシェーシェーの国の人ではない。


まあ、連中の噂話ときたら、

小学校ではピアノを習い、中学校では吹奏楽部、

ついでに、高校ではコーラス部だったが、

音痴と言われ、

甘い物は子供の時から好きではないが、

甘い物が好きで、

中学・高校を通して図書委員だったが、

本を読まない、と言う。

攻撃が目的なので、

事実などは邪魔、

本人に確認を取る必要もない。

その程度のシロモノだ。


さて、山井教授の家は、江戸から続く儒者の家柄で、

名門の子弟に相応しく、

人柄が良く、学識豊かで、

柔和な雰囲気の中にも厳しさを備えていた。


院の授業が始まって暫くすると、

山井教授の研究室に呼ばれた。

「東大の連中が読書会を開いているのですが、

君も参加しませんか?」

と言う。


私は

「やめておきます。」

と答えた。

東大と聞いて恐れをなしたわけではない。

折角認めてくれた山井教授の前で、

何か失態をさらしてしまいそうで

それが恐くて参加しなかった。


教授は暫くして、

病気でお亡くなりになった。

心筋梗塞かなにかではなかったかと思う。


スポーツクラブで

シェーシェーの国の人、と言われたとき、

ふいに山井教授の事が思い出された。

「先生、お聞きになりましたか?

中国人に間違えられましたよ。

私の中国語も、

ずいぶん上達したものではありませんか。」

そう、報告してみたいと思った。

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