『蜻蛉洲大和の国のサンライズタイム』ー外国人参政権反対、移民政策反対、背乗り工作反対!盗聴・盗撮は日本では犯罪です!ー

キラキラネームは日本の漢字文化を破壊するための、カルトの工作活動です!公務員の国籍条項と外国人土地法の復活求む!

日本の政治家の証明

2011年08月15日 18時01分31秒 | 日記
平沼先生のメール通信です。


「護国の英霊の眠る靖国神社に参拝し、

御霊に感謝の誠を捧げさせていただきます。


■六十六回目の終戦の日を迎えて


六十六回目の「戦没者を追悼し平和を祈念する日」を迎え、

あらためて全ての戦没者に哀悼の誠を捧げるとともに、

心よりご冥福をお祈り申し上げます。


今日私たちが享受している平和と繁栄は、

祖国と家族の未来を案じつつ戦場に散り、

戦禍に遭い、

或いは戦後遠い異国の地で故郷を思いながら亡くなられた

三百万余の同胞の尊い犠牲と、

大切な肉親や家族を喪いながらも焦土と化した国土の復興に努力された

ご遺族皆様のお陰であるということを

一時たりとも忘れてはなりません。


受けた恩に感謝し、

その恩に報いる努力を続けることが、

人として当たり前のことです。

世界のどこの国においても

国のために殉じた人々を国の責任において、顕彰し感謝の誠を捧げることは常識です。


しかしながら戦後六十六年を経た現在も、

国民の代表たる内閣総理大臣が堂々と靖国神社に参拝することもせず、

未だ異国の陸海に眠ったままの遺骨収集も遅々として進んでおらず、

国内での軍人墓地の管理は

地方公共団体にゆだねられたままで

忘却のかなたに押しやられようとしています。


厚生省にも防衛省にも戦歿者追悼を担当する専門部局すらなく、

国家としての追悼と顕彰は十分なものではありません。


戦歿者に心からの追悼と感謝の誠を捧げ顕彰する、

独立国家としてふさわしい追悼行政を実施しなければなりません。


先人たちが命を賭して守ってくださった、

この素晴らしい日本を次代に継承し、

我が国を取り巻くあらゆる脅威から国土と国民を守り抜くために

全力を尽してまいることをお誓い申し上げます。


平成二十三年八月十五日 たちあがれ日本代表 平沼 赳夫」


今、日本中でお盆の用意をして、

亡くなった先人を迎えながら、

戦地に赴いた人々の想いを穢してくれるなと、

外国が非難するのは分かるとしても、

日本の政治家が率先して

亡くなった者を侮辱するな、

と感じている人は多いと思います。


日本の政治家は、

軸足を日本に置いている人でないと困ります。


泣ける【静ちゃんへの手紙】~神風特攻隊員の兄と幼き妹~

御霊への誓い

2011年08月15日 17時41分28秒 | 日記
もう一つ、平沼先生のメール通信です。


「■原爆殉難者の御霊に誓う

今から六十六年前の昭和二十年、

原子爆弾が八月六日に広島、八月九日に長崎に投下され、

多くの無辜の人々の命を一瞬にして奪い、

その後も多くの人たちが後遺症より長く苦しんできました。


広島・長崎の原爆殉難者の御霊に衷心よりの哀悼の誠を捧げますとともに

永久のご冥福をお祈り申し上げます。


当時「被爆地にはもう草一本生えない」

「もはや人が住めない土地」などと悲観的な意見も多くありましたが、

歴史と伝統ある両市は

大きな痛みと共に

復興への懸命な努力をされ、

短期間で見事に復旧を果たしました。

そして核兵器使用がもたらす悲劇を

断じて繰り返してはならないという平和への強いメッセージを発信し続けています。


しかしながら我が国周辺は、

中国やロシア、北朝鮮など

核兵器を含めた軍備拡張を続ける国々に取り囲まれているという

厳然たる事実があります。

世界の全ての国々に

粘り強い核兵器廃絶への不断の努力を続けると同時に、

日本を取り巻く脅威から

日本人を守り抜くために

現実的で責任ある備えを整えなければなりません。


広島・長崎の原爆殉難者に

心からの追悼の思いをあらたにすると共に、

犠牲者の御霊に対し、

我が国の国土や国民を

二度と核兵器の惨禍に遭わさないために、

言葉だけではなく

実効ある安全保障政策を推進することをここにお誓い申し上げます。


平成二十三年八月六日     たちあがれ日本代表 平沼 赳夫」


もう一つ、メール通信で届けられた文章です。


「■「平和と安全を求める被爆者たちの会」 より

平成23年8月6日 広島 私たちの平和宣言 
http://www.realpas.com/

66年前の今日(きょう)、

非道なる原爆攻撃は夥(おびただ)しい無辜(むこ)の民(たみ)を一瞬にして殺傷し、

街は灰燼と化しました。


突然に絶たれた命、

苦痛の最期(さいご)を遂げた命、

これを思えば今なお滂沱(ぼうだ)の涙を拭(ぬぐ)うことも叶(かな)いません。


辛くも生き延び、

なおも心身の深い傷と、

明日知れぬ恐怖に慄(おのの)かれた方々・・・。


皆様はあの惨状(さんじょう)を、

悲嘆(ひたん)と憎悪を、

秩序整然たる態度で耐え忍び、

希望に向かって手を携え復興に邁進(まいしん)されたのです。


爾来(じらい)人々は渾身の努力を傾け、

我が国は世界屈指の技術力を誇る主要な経済大国の地位を占め、

私たちは平穏な日々を送れるようになりました。

ここに改めて深い鎮魂と感謝の心を捧げます。

しかし、平穏は破られました。


3月11日の大地震(おおじしん)と大津波(おおつなみ)は、

営々として築かれてきた東北地方の多くの街を、

故郷(ふるさと)を、

一瞬のうちに喪失(そうしつ)させ、

3万有余の犠牲者と50万人余(よ)の避難民を生みました。


名状(めいじょう)しがたい被災地の惨状は、

あの当時の広島の姿と重なります。


遺体収容に当たった自衛隊や警察官は、

「傷つき汚れた遺体を少しでもきれいにして家族に返したい」という想いを込めて、

自分の家族を扱うように一体一体手で洗いました。


波に消え、

離れ離れになった数多くの母と子、そして家族。

天国で再び絆が結ばれんことを・・・。


被曝の危険を身に受けたハイパーレスキュー隊の働きは、

放射能の放出を大きく抑制しました。


余震の中で避難に遅れた人の背中を押し、

急がせ、自らは波に呑(の)まれた警察官がいました。


避難を呼掛け続け、

マイクを持ったまま命を絶たれた若い女性の姿は、

中立条約を破った不法な軍事攻撃に晒(さら)されながら刻々と事態を知らせ、

最後に「日本(にっぽん)の皆様さようなら」と打電して絶命した

樺太(からふと)真岡(もおか)郵便局の女性を思い起こさせました。


避難した人々は、

乏しい物資を分かち合い、助け合い、老幼を労(いた)わり、

整然と列を作って物資の分配を受けました。


原爆の時、

非常呼集されて救助に当たった軍人や警察官、

医師と看護婦、公務員、

自らも被災しながらわが身を顧(かえり)みず、

力を振り絞って救援に参じた民間の人々と、

今年の災害で家族を失っても、

救助活動に挺身(ていしん)した

『自衛隊、警察、消防、海上保安庁、国や自治体や民間の人々』の献身的努力、

そして避難者たちの姿は、

時を隔(へだ)てても変わらない

日本人(にっぽんじん)の誇り高き不屈の精神の発露(はつろ)でした。


66年前のあの時の皆様が、

「秩序整然たる態度はわが国人(くにびと)の範(はん)とするに足る」と

隣国から賞賛されたのと同じように、

今の同胞達の冷静沈着、

凛(りん)とした行動は、

諸外国の人々を驚嘆(きょうたん)させました。


灼熱(しゃくねつ)の原爆が皆様の心にまでは届かなかったように、

凍える大波は同胞の心までは流せなかったのです。


皆様の高き心は、

時を経ても失われてはいませんでした。


あの当時を生きた皆様は、

どの国の力も借りずに惨禍(さんか)に立ち向かわれたのでしたね。

私たちはこの震災で、

百を超える諸国から救援を受けました。


原爆で全身に火傷(やけど)を負い、

白い薬で塗り固められた少年が

「アメリカの馬鹿(ばか)やろう」と言って死にました。


そのアメリカが、

今度は誰も真似のできない活動をしたのです。

瓦礫に覆われた仙台空港を瞬くうちに修復して大型輸送機を飛ばし、

各地に物資を届け、

自衛隊の車両を運搬して、

我が国の活動を根底から支えました。


取り残された島に物資を運んだ艦艇では、

艦長や将兵が、

持てる私物を下着まで供出して被災者を救いました。

彼ら無くして迅速な救援活動は危うかったのです。

「トモダチ」作戦は、『くやしいけれど立派』でした。


少年よ許し給え。

今、私たちはアメリカに「ありがとう」と言います。

そして、諸国の人々よ、心からありがとう。


しかし、一旦目を外に転じれば、

東の津波とは無関係に、

北の海にある我が大地に彼(か)の国の要人が踏み込み、

西の海では隣国の艦船の撃沈と

人々の暮らす島への突然の砲撃で緊張は高まりました。

南の海では我が艦艇に漁船が突撃し、

日本(にっぽん)の主権を犯(おか)す波がひたひたと迫っています。


三つの波は、

忌(い)まわしい核兵器を背景に、

武威(ぶい)を押し立てた人為の波です。

祖国は今、危機の中にあります。

私たちは

『四方(よも)の海に波風(なみかぜ)の立ち騒ぐ』ことを決して望みませんが、

迫り来る国の微笑に幻惑された「核廃絶」の呼掛けだけでは、

武威(ぶい)の波頭(はとう)を押し留めることはできません。


それは、さらに遠い南の海の現実をみれば明らかです。

同胞よ、厳しい現実から目を逸(そ)らす勿(なか)れ。


夢の言葉は今は要(い)らない。

祖国の平和と、自由と繁栄のために何をなすべきかを深く思考せよ。

三度目の核の惨禍を防ぐ手段を備えよ。


私たちは万国の法の認める

あらゆる実効的な努力と行動を続けることだけが、

それを可能にすると信じます。


現政府の要路(ようろ)にある方々に求めます。

南の海の真実を同胞に知らしめた人を

罪人(つみびと)にする愚かさを止(や)めて下さい。


『情(じょう)の激するままに事を捻(ね)じ曲げ、

時局を乱し、内輪で争い、為に大道(だいどう)を誤り、

信義を世界に失うことを自ら戒(いまし)め』て下さい。


被災者の苦難の日々を分かち合い、

雄々(おお)しく津波に立ち向かった者が希望を捨てることなく、

放射線から逃れた人々が一日も早く故郷に戻れるように、

遠い先の夢ではなく、

今の現実を基にした実効的な政策を出して下さい。

それが出来ないのなら、すみやかに身を引くべきです。


最後に、ここに眠る皆様方にお願いします。

災害で犠牲になった幾多(いくた)の魂を、

勇気ある者として皆様方の仲間に入れて下さい。


残った私たちは、

皆様方が命をもって与えて下さった教訓を糧(かて)に、

身をもって示された足跡(そくせき)を手本にして、

再び祖国を復興させることを誓います。

皆様方にまだ「安らかに」とは言えない我が身を恥じますが、

「どうか見守って下さい。

過ちは繰り返させませんから」」


【?國】英霊の言乃葉[桜H22/8/14]

首相の思考停止

2011年08月15日 16時58分17秒 | 日記
政府主催の全国戦没者追悼式が、

東京都千代田区の日本武道館で開かれた。

首相として2回目の参列となった菅直人首相は、

式辞で今年もアジア諸国への加害責任に言及した。


それにしても、何で、戦没者とその遺族の前で、

亜細亜諸国への加害責任に

言及しなければならないのでしょう?


「とにかく謝罪しなければ」

「日本を戦争犯罪国家にしなければ」

とだけ考えて、

それで、思考停止が起こり、

戦没者を冒涜している事に気がつかないのでしょうか?


こんな政府ができてしまって、

「過ちは二度とくりかえしません」

と謝罪したいのは、

日本国民の方です。


特別攻撃隊<最後の手紙>.Vol2