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もっと綺麗に辞めればいいのに

2011年08月31日 17時57分50秒 | 日記
菅首相が辞任を表明しながら、

29日、

朝鮮学校高校無償化の審査再開を指示しました。

この報道が流れたとき、

実に菅直人らしいと思いました。

最後の最後に、

一番やりたかった事をしたのでしょう。


東北の復興でもなく、

原発の心配でもなく、

勿論、放射能に被曝してしまった子供達の心配でもなく、

朝鮮学校の心配でした。


何処までも、何処までも、

一貫して、

半島のための日本解体。

その政治姿勢には脱帽です。

凄い「達成感」だったと思います。


首尾一貫・初志貫徹

お陰さまで日本は大迷惑でした。


『政治部記者 菅首相との不毛な445日間』

「産経新聞」電子版2011/08/26 20:57


「異様なまでの執念で

政権に居座ってきた菅直人首相が

やっと正式に退陣表明した。

昨年6月8日の菅内閣発足から26日までの445日間は

「不毛な空騒ぎ」に終始したとしか思えない。

組織を知らず、

人の心を理解できず、

大局を把握できぬ

「市民派・首相」の歪(ゆが)んだ政治主導とそれを取り繕う嘘の数々…。

教訓を読み取るため、

あえて失政の軌跡をたどった。


 ■天災が人災に…


「与えられた厳しい環境の中でやるべきことはやった。

一定の達成感を感じている」


26日夕の記者会見で首相は、

衆参ねじれ下の政権運営を自賛した。

首相の辞書に反省という文字はない。

ねじれが生じたのは自らが率いる民主党が

参院選で大敗したからだということは、

すっかり忘れているようだ。


「政治家の家に生まれたわけでもなく、

市民運動家からスタートした私が首相という重責を担い…」


首相は会見でこうも強調したが、

結局、語ってきたのはいつも自分のことばかり。

6月2日の退陣表明後も長々と延命してきたのは

「とにかく実績が欲しい」

という自己都合だとしか思えない。

東日本大震災に間違いなく未曽有の天災だった。

東京電力福島第1原発の事故も歴史的惨事だといえる。

ただ、その前後に日本を襲った多くの不幸な事象は

首相が起こした人災ではなかったか。

信なき首相が

復旧・復興の妨げになっていることは、

政界では与野党問わず常識だった。


だからこそ私は震災1カ月後の4月12日の記者会見で

「与野党協議も震災対応も最大の障害は首相だ。

一体何のために地位にしがみついているのか」と質(ただ)したのだ。


ところが、首相は

「私とあなたとの見方はかなり違っている」とはぐらかし、

以後は26日に至るまで

一度も質問を受けようとはしなかった。


事故発生後、

首相は「1週間眠れなかった」という。

要はパニック状態に陥り、

周囲に当たり散らし、

物事の優先順位を理解しないまま

不的確な指示を飛ばしていたのだ。


第1原発への海水注入の中断問題もそうだ。

首相は「私が止めたことは全くない」

と自らの関与を全否定するが、

それはごまかしにすぎない。


確かに海水注入は

現地の吉田昌郎所長が独断で続行したため

中断してはいない。

とはいえ、首相が

「再臨界の可能性がゼロだと言えるのかっ」と怒鳴り散らしたことで

官邸から「作業中断指示」が出たのも事実だ。

首相による人災発生を

現場がかろうじて食い止めたというのが実情だ。


「首相は原発にばかりこだわり、

最初の10日間は

肝心の被災者支援は全く空白で動いていなかった」


震災で危機管理にあたった政府高官はこう断じる。

被災対策に携わった政務三役も

「私もそう思う」と同意する。

つまり被災者は電気も石油もない被災地に

人為的に置き去りにされたのだ。


 ■隠蔽と保身


首相だけではない。

枝野幸男官房長官は

記者会見での冷静な姿勢を評価されたが、

実は姑(こ)息(そく)な責任回避を図り続けた。

緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム(SPEEDI)の

観測結果を非公開とするよう指示したのも

枝野氏だった。


「SPEEDI情報はどこかで一元化して勝手に出さないように…」。

官邸筋によると、

枝野氏がこう指示したのは3月17日。

同日のデータでは

後に全村避難を強いられる福島県飯舘村で

高い数値が検出されていた。

「パニックを恐れ住民を犠牲にした」と

批判されても仕方あるまい。


昨年9月の尖閣諸島沖の中国漁船衝突事件で、

那覇地検が

中国人船長を超法規的に釈放した際、

首相や仙谷由人官房長官(当時)は

「地検独自の判断だ」と繰り返したが、

これも真っ赤な嘘だった。


「すべての元凶は首相だ。首相がベタ降りし、釈放の指示を出した」


複数の政府高官がこう証言する。

そして首相指示に従い、

船長の処分保留決定などを決めたのが仙谷氏だった。

2人は海上保安庁の

巡視船の正当性を明らかにする漁船衝突映像をも隠蔽し、

国民の知る権利もないがしろにした。

保身のため、

国民を欺き、

国家の権威を失墜させても

何の憂いも感じない。

それが「市民派」の正体だった。


 ■永遠の「逃げ菅」


思えば、

菅内閣発足時から嫌な予感はあった。

菅直人首相は昨年6月8日の就任記者会見で

自らの政治スタイルの本質を

図らずも漏らしたのだ。


自らの内閣を幕末の志士、

高杉晋作にちなんで

「奇兵隊内閣」と命名したのはいいが、

高杉を尊敬する理由が妙だった。


「高杉は逃げるときも速いし、攻めるときも速い」


「逃げる」を先に言及したことに当時は耳を疑ったが、

これこそ本音だった。

首相はかつてあるインタビューでこう述べているが、

これが指導者の言葉だろうか。


「高杉晋作を一番好きな理由は逃げ足が速いことなんだ。

やばいと思ったらさっと逃げて…」


実際、首相は内閣発足後、

衆参予算委員会も党首討論も避け、

わずか8日間で国会を閉じた。

7月の参院選に向けた与野党9党首による討論会からも

「1対8は下手をすればつるし上げだ」

などと難癖をつけて逃げようとした。


「ややもすれば取材を受けることによって

政権運営が行き詰まるという状況も感じている」


就任会見ではこうも述べ、

番記者のぶらさがり取材も1日2回から1回に減らした。

東日本大震災発生後は全く応じていない。


「責任放棄そのものの姿勢が象徴的に表れた」

平成20年9月、

政権末期の福田康夫首相が

ぶらさがり取材を拒否した際に

こう批判したのは一体誰だったか。

だが、そんな矛盾は一切気にしないのが首相だ。

鳩山由紀夫前首相は

今年7月の産経新聞のインタビューにこう明かした。


「菅さんは、

私が首相のときに副総理として何度も

『厳しい局面に立たされたら別の大きなテーマを示せば、

そちらに国民の目が向いて局面を打開できるんだ』と進言してきた」


野党時代から新左翼用語の

「一点突破、全面展開」を

好んで使ってきた首相らしいエピソードだ。


消費税増税、雇用対策、

TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)、

国会議員定数削減、

クリーンな政治の実現、

脱原発-。

場当たり的にテーマを打ち上げ、

すべて言いっ放しにした首相だが、

ある意味では首尾一貫している。


 ■マニフェスト詐欺


21年夏の衆院選で民主党が大勝し、

政権交代を果たした原動力がマニフェスト(政権公約)だった。

綱領を持たない民主党にとって

マニフェストは唯一明文化された「国民との契約」(鳩山氏)だといえるが、

これも国民をペテンにかけるものだった。


「マニフェストは相当程度実現した。

かなり見通しが甘かったことも率直なところあるが、

重要性は変わっていない」


26日の記者会見でも首相はこう強弁したが、

白(しら)々(じら)しいにもほどがある。

民主、自民、公明3党は8月9日、

民主党がマニフェストで掲げた子ども手当、

高速道路無料化、

農業者戸別所得補償制度など

主要政策の見直しで合意し、

確認書を交わしたはずだ。

首相は「震災復興優先のためだ」とごまかしたが、

それ以前からマニフェストは有名無実化していた。


月額2万6千円のはずの子ども手当は半額となり、

高速道路無料化はごく一部で「実験」しただけ。

廃止されるはずの揮発油税の暫定税率は現状維持となり、

国家公務員の総人件費2割削減-などは何のめども立たない。


確かに、財源が見つからないならば政策修正はやむをえない。

だが、大幅に修正するならば

修正案をマニフェストで示した上で

国民に信を問うのが正道だろう。


「マニフェストを大いに変えるとすれば、

選挙で訴えなければならない」

首相に政権を「禅譲」した鳩山氏もこう言っているではないか。


■政を為すのは人


実績・成果に乏しい菅政権を振り返り、

あえて功罪の「功」を求めるとしたら

何があるか。

それは「政(まつりごと)を為(な)すは人に在り」(中庸)という

普段は当たり前すぎて意識しない言葉の重みに、

国民が改めて気づくきっかけを

与えてくれたことではないか。


東電福島第1原発事故で、

東京消防庁ハイパーレスキュー隊は

3月19日から20日にかけ、

3号機の核燃料プールに向けて長時間の放水を実施した。


だが、実は首相官邸からの消防隊派遣要請を

石原慎太郎東京都知事はいったん断っている。

法令も常識も無視する首相に隊員を預けると

どんなに危険で無謀な任務に就かされるか分からないからだ。


このときは結局、

事務方の相談を受けた安倍晋三元首相が間に入り、

石原都知事も最終的に派遣を受け入れた。

トップに全く信用がなければ

人も組織も動かないという実例だといえる。


首相が「退陣3条件」に挙げた予算執行のための特例公債法にしても、

自民党ももともと推進していた再生エネルギー特別措置法にしても、

首相がもっと早期に辞任していれば

とっくの昔に成立していたに違いない。


首相の存在そのものが

すべての障害だったのだ。


首相が最後に執念を燃やした「脱原発」にしても

後に首相自らが言い換えたように

「原発低減」を意味するのであれば、

ほとんど誰も異存はなかったはずだ。

首相は「仮想敵」を相手に独り相撲をし、

周囲を振り回していたにすぎない。


「天下の大患は其(そ)の大患たる所以(ゆえん)を知らざるに在(あ)り」


高杉晋作の師である吉田松陰はこう述べた。

首相はついに自らが

日本の大患だったことに気づくことはなかった。」

野田氏の勝因

2011年08月31日 00時03分47秒 | 日記
盛り上がりに欠けるので、

注意しては見ていませんでした。

「たち日」とかせめて「自民」とかだったらもう少し。。。


今日の首班指名の内訳です。

「毎日新聞」電子版、8月30日19時2分の記事です。

『<野田新首相>組閣は9月2日以降になる見通し』


「民主党の野田佳彦新代表(54)は30日、

衆参両院本会議で行われた首相指名選挙で、

第95代、62人目の首相に選出された。

組閣は9月2日以降になる見通しで、

それまでは30日午前に総辞職した菅内閣が

「職務執行内閣」として存続する。


衆院では、

野田氏が投票総数476票の過半数を上回る308票を得て、

首相に指名された。

自民党の谷垣禎一総裁に118票、

公明党の山口那津男代表に21票--など

各党党首に所属議員の投票があったほか、

民主党の小沢一郎元代表と海江田万里経済産業相、

無所属の鳩山邦夫元総務相、

横粂勝仁衆院議員に1票が入った。


小沢元代表には

元秘書で民主党を離党した石川知裕衆院議員が投票。

6月の菅内閣不信任決議案に賛成して同党を除名された

松木謙公・前農水政務官は海江田氏に投票、

同じく除名された横粂氏は自身の名前を書いた。

民主党を離党した中島正純氏は無所属の鳩山氏に投票した。


野党が多数を占める参院では、

1回目の投票で、

野田氏110票

▽谷垣氏85票

▽山口氏19票

▽みんなの党の渡辺喜美代表11票--などで、

いずれも過半数に達せず、

野田、谷垣両氏による決選投票となった。

決選投票では、

野田氏は110票のままで、

公明党とたちあがれ日本からの支持も得た谷垣氏の107票をわずかに上回り、

正式に首相に指名された。

他の野党は無効扱いとなる白票を投じ、

白票は24票だった。」

なるほど、そう言う事でしたか。


世間が、

アイドルを取っ替え引っ替えするように、

小鳩勢力と、仙谷・前原路線には

もう飽きてしまって、

今度は、ちょっと落ち着いた野田氏。

だって、秋ですから。


殿、次は政権奪回を!