「岸田吟香(1833年~1905年 画家の岸田劉生の親)は、
慶応二年(1866年)、
上海にトラホームが流行しているのに目を付け、
帰国後、目薬を売り込むことを考えつく。
明治十年(1877年)、銀座に目薬本舗「楽善堂」を設立、
翌年、上海ついで漢口に支店を開設した。
そして、現地の「楽善堂」に日本から青年を呼び、
中国全土に行商に行かせるかたわら、
各地の事情を調べさせた。」
安藤彦太郎『中国語と近代日本』より
安藤彦太郎は好きではありませんが、
これは私の解釈ですが、
岸田吟香は、商売に役立てるため、
ひいては、日本の国の役に立てるために、
情報収集を行っていたはずです。
政治判断は、時の閣僚や官僚・政治家がするわけですが、
例えば、日本が、
法輪功修行者と一緒に、
ウイグルやチベットと一緒に、
中共を非難しないという判断だとしても、
或いは、当時の江沢民国家主席と、
親しく交流するという判断だったとしても、
少なくとも、
事実を把握した上での日本独自の判断であってほしいというのが、
一国民としての私の願いです。
江沢民に全く騙されていたとは、
考えたくはありません。
今のところ、日本は軍を持てないわけですから、
せめて、情報収集はしっかりとやって、
中国に限らず、
国際社会に侮られないようにするべきです。
日本が95年の段階で中共の言いなりになっていなかったら、
チベットもウイグルも、
法輪功でさえ、
虐殺が起きなかったとは言いませんが、
中共も、煩い隣国に対して少しは遠慮したかも知れませんし、
日本が余りにも従順だった事が、
却って、江沢民を暴走させる結果になったかも知れません。
ごく普通の国としても、
国際社会に対する責任と言う観点からしても、
このままでは、
百五十年前の岸田にも及びません。
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