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『蜻蛉洲大和の国のサンライズタイム』ー外国人参政権反対、移民政策反対、背乗り工作反対!盗聴・盗撮は日本では犯罪です!ー

キラキラネームは日本の漢字文化を破壊するための、カルトの工作活動です!公務員の国籍条項と外国人土地法の復活求む!

漢字の話(キラキラネームの秘密、秘密五)

2017年10月02日 01時11分25秒 | 日記
*混血の勧め?
さて、以下に挙げるのは、2016年版「ベネッセ・ムック たまひよブックス たまひよ新百科シリーズ たまごクラブ特別編集」たまひよしあわせ名前研究所 顧問 栗原里央子[監修]『最新「最高の名前」が見つかる!赤ちゃんの名づけ新百科』から抜粋した名前です。例によって、インチキ読みをした物が多数を占めるのですが、ここで述べたいのは、これらが全て中国人の姓名であると言う事です。

「李」(音リ)
この字は『説文』には、「李は李果(りか)なり」、と。「すもも」の事です。「もも」は別に「桃」という文字があり、『説文』には同様に、「桃は桃果なり」と書かれています。「桃」は『詩経』にも登場する果物です。「李(すもも)」と「桃(もも)」は別の物で、李の字を「もも」と読む事はありませんし、「李果」を(ももか)と読む事はあり得ません。インチキです。

俗に「張三李四」と言うように、唐代の皇帝や道家の祖の老子(李耳)が「李姓」だった事もあり、現在、中国で上位三位に入る姓です。全人口の7%以上が李姓であると言われています。

いったい、どうして「李」の文字を一字目に使いたいのか分かりませんし、李を(もも)と読みたいのかも分かりません。更に、「李帆」「李音」などは漢字の熟語としても意味不明です。それは兎も角、以下の例は全て中国人の人名に見えます。

・李果(ももか)
・李音(ももね)
・李咲(りさ)
・李香(りか)
・李帆(りほ)
・李音(りおん)
・李都(りと)
・李緒(りお)


「朱」(漢音シュ)



この文字は指事文字で、松柏のように、中心のあかい木を言います。『説文解字』には「朱、赤心の木、松柏の属なり」木の中間に「一」を書き、中の心の赤い木を指します。松柏の如く木の心の赤い類を言います。そこから、あか・あけ・深赤色を言います。但し、朱色とは言いますが、この文字には「あかね」や「あかり」と言う意味はありません。「あや」などは、出所不明のインチキ読みです。「未」や「末」と区別するために、隷書から「朱」と書いています。

さて、「朱姓」と言うと、朱子学を大成させた「朱熹(しゅき)」が有名です。「李」ほどではないものの、胡耀邦や胡錦濤などの「胡」よりも、多い姓です。

ところで、この本の「生まれる季節から名前を選ぶ・季節に関する美しい日本語」の項に、「日本には古くから伝わる美しい言葉がたくさんああります。そのままでも名前に使えるもの、季節のイメージの参考になるものを集めました。

女の子におすすめ

朱夏(しゅか)、朱は昔から夏を象徴する色とされていて、夏の別名。情熱的で生命力にあふれたイメージがありながら、かわいい響き。」

と書かれているのですが、「朱夏」とは、「日本に古くから伝わる言葉」ではありません。これは、明らかに「漢語」であり、同時に、中国人の名です。

・朱夏(しゅか)とは「夏」の事です。春を「青春」、夏を「朱夏」と言います。「青春」の意味は春、春は草木が青くしげるのでこう言います。「朱夏」は夏です。あまり使われませんが、「青春」に対して「朱夏」です。

また、『大漢和辞典』に出典のある人名では、元代の学者 呉澄(ごちょう)の弟子に同姓同名の人物がいます。「朱理(しゅり)」は、清朝、乾隆の進士、至る所で善政をしき、亡くなった時、棺を送る者数十里に絶えず、という立派な人物です。ですので、これは人名です。

・朱夏(しゅか)
・朱理(あかり)

この他、以下の名前も中国人の人名に見えます。
・朱那(あやな)
・朱奈(あやな)
・朱音(あかね)
・朱莉(あかり)
・朱梨(あかり)


「夏」(漢音カ、呉音ゲ)


夏 小篆



夏 隷書


この文字は、『説文通訓定声』には「此の字は本誼しく当に大と訓むべし、万物寛仮(かんか、ゆったりと成長する)の時なり」、と。万物がゆったりと成長する季節なので「春夏秋冬」の「夏」の意。また、『説文解字』には「中国の人なり」と。この文字は本来、中国の人・都の人、という意味です。

「頁(ケツ、かしら・こうべの象形)」「𦥑(キョク、左右の手の向かい合う形で、手を組んで礼を行う様)」「夊(スイ、両足を引きずるようにしずしず歩き、礼容を失わぬ意)」とからなる合字で、中国人は厳かで礼儀正しく立派であるので、「頁」「𦥑」「夊」を合わせてその意を表している、と説明されています。古代の君子の礼とは、両手を胸の前で重ねて礼を行い、足が地を離れずすりあしで歩きます。少し話しが逸れますが、学校で上記の様な事を勉強したので、中国に行ったときには魂消ました。

「夏(カ)」は、また王朝の名でもあります。殷の前の王朝が「夏」です。日本では伝説時代と言われていますが、中国では実在の王朝として教えているようです。私は小学校で、神武天皇の時代から教えればよいのにと思っています。

さて、夏(カ)という姓は、江沢民の「江」などよりは多く、もともと中国人を指すので、日本人の名前としてはあまりお勧めできませんが、ここで問題にしたいのは、次の名です。

・夏姫(なつき)
・夏月(なつき)

この二つは、何れも『大漢和辞典』で調べる事ができます。「夏月(かげつ)」とは、夏の期間という意味で、要するに「夏」の事です。これは、熟語として存在する単語です。問題は「夏姫(かき)」です。

「夏姫(かき)」は、春秋時代に実在した、淫乱で有名な女性です。『大漢和辞典』には「春秋、陳の大夫の妻。夏徴舒(かちょうじょ)の母。鄭(てい)の出で、美人であった。淫奔の女」、と書かれています。陳の霊公・孔寧・儀行父が夏姫と通じたために、夏徴舒は霊公を弑殺し、その後、夏徴舒は楚の荘王に殺されました。

この様な下品で不吉な名が、どうして「名付け本」の中にあるのだろうと思います。偶然紛れ込んだのでしょうか?いいえ。同書には、「春姫」も「秋姫」も「冬姫」も無く、「夏姫」だけが出てきます。偶然とは思えません。


兎も角も、キラキラネームの二つ目の秘密は、日本人が、自分の子に名づけると「複合姓」、或いは、「冠夫姓」になってしまうと言う点です。例えば「田中」さんが娘に「李都(りと)」と言う名前を付けると、「田中李都」で、「李都」という中国人女性が、「田中」という日本人男性と結婚したような名前になります。同様に「佐藤」さんが娘に「朱莉」と言う名を付けると、「佐藤朱莉」で、「朱莉」という中国人女性が、「佐藤」と言う日本人男性と結婚したような名前になります。


中国人の「姓」は非常に多いので、この様な事を言っているときりがありませんが、同書にはこの他にも、男女の別なく「姫」「周」「陸」「龍」…などの名があります。

「姫」
・姫織(ひおり)・姫奈(ひな)・姫花(ひな)
「織姫」なら分かりますが、「姫織」(ひおり)では意味が通じませんし、「姫」という文字を名前の一文字目に置く事が既に奇妙です。

「周」
・周吾(しゅうご)・周助(しゅうすけ)・周太(しゅうた)・周斗(しゅうと)・周平(しゅうへい)
「周」は、周恩来・周永康の例もあるように、中国では上位十位に入る非常に多い姓です。

「陸」
・陸月(むつき)・陸斗(りくと)・陸音(りくと)・陸登(りくと)・陸翔(りくと)
「陸月」を(むつき)と読むのは誤りです。陰暦正月の(むつき)は「睦月」です。また「音(漢音イン・呉音オン、おと・ね)」「翔(漢音ショウ、かける・とぶ・とびめぐる)」の、「音(おと)」や「翔(とぶ)」の平仮名を分解して(と)とだけ読むのはインチキ読みです。


「龍」
・「龍冴」(りゅうが)・「龍來」(りゅうき)・龍玖(りゅうく)・龍空(りゅうく)…
「龍」もまた、中国人の姓です。「竜」と「龍」という文字がありますが、「龍」の古字が「竜」です。中国で一般的に使われるのは「龍」で、「竜」は日本ではよく使われますが、中国では殆ど使われていません。

この本には、非常に多くの「龍」から始まる名前が掲載されています。「読みから選ぶ男の子の名前リスト」によれば「龍」から始まる名前は65種類掲載されています。それを全て掲載することはしませんが、例えば、「龍冴」(りゅうが)「冴」は(呉音ゴ)で(ガ)と読むのは誤りですし、「龍來」(りゅうき)のように、「来」という文字の旧字体「來」を使っている物もあります。特に目に付くのは、(りゅうく)と言う例で、『デスノート』に登場する死に神の名を思わせます。


要するに、キラキラネームとは、幼稚で、愚劣で、下品で、インチキで、しかも、悪意を含んだ名前であると言えます。「最高の名前」などではなく「世界に羽ばたく」前に、「中国人から馬鹿にされる名前」です。とても、大切な子供達に付ける事はできません。また、日本の伝統文化の破壊を、日本の子供達の名前を使って行おうとしたとすると、非常に悪質であるとも言えます。

お宅のお嬢さんの名前、「田中青木」になっていませんか?


【驚愕】日本の納屋で発見された「フェラーリ365/4デイトナ」驚愕のオークション価格で落札される!

落札価格が発表されたようですね。

さて、次回は「漢字の話」の解決編です。

漢字の話(キラキラネームの秘密、秘密四)

2017年09月24日 01時10分04秒 | 日記

*冠夫姓(かんぷせい)
中国には「冠夫姓」という習慣があります。結婚後に主に女性の姓に男性の姓を冠する、というものです。

中国大陸・朝鮮・韓国・ベトナムの法律では、夫婦は結婚前に同姓である場合を除いて、結婚後に姓氏を変える事はできません。必ず夫婦別姓が保持されます。例えば、金正恩(きんせいおん)の妻李雪主(りせっしゅ)の姓は李、金正恩の母高英姫(こうえいき)の姓は高、姚明(ようめい、プロバスケットボール選手、中国バスケットボール協会主席、CBA公司代表取締役社長)の母方孝悌(ほうこうてい)の姓は方、姚明の妻葉莉の姓は葉、習近平の妻彭麗媛(ほうれいえん)の姓彭というようにです。

但し、既に嫁いだ女性は日常的に夫の姓を用いて呼ばれます。日本でも同様の呼び方がありますが、中国でも、「夫姓+奥様(中国語の、太太)」「夫の姓名+夫人」で、劉さんの奥様・李さんの奥様や金正恩夫人・習近平夫人等がこれですです。但し、中国では「太太(taitai 奥様)」という呼称は、もともと使用人が女主人に対して用いていたので、新中国誕生から文化大革命の終了までは、大陸では「資産階級太太(ブルジョアの奥様)」と言って、批判の対象とされました。但し、現在は普通に使われています。

さて、台湾・香港・マカオを始め海外の華人は、20世紀の初期から中期にかけて、割合多くの女性が、「夫姓+本姓」を用いて結婚後の姓としました。例えば、連戦(元中華民国副総統)の妻の場合、結婚前の方瑀(ほうう)に「連」を冠して、連方瑀(れんほうう)と言っています。

1929年5月、南京国民政府は《民法》を公布し、第四篇第三節第一千條に、始めて“夫妻の冠姓”についての法律を作り、“妻はその本姓に夫の姓を冠し、婿入りの場合はその本姓に妻の姓を冠す。但し当事者に他に制定する者がいる場合は、この限りではない。”と定めました。時代が移っても冠姓の習慣は残り、1998年6月17日には、《民法》第1000條を修正公布し、“夫婦は各自その本姓を保有する。但し書面による契約は本姓に配偶者の姓を冠し、並びに内政部戸政機関に登録しなければならない。”、“冠姓は随時その本姓を回復できる。但し、同一の婚姻関係の継続中において一回限りとする。”としました。要するに、冠姓の習慣は今でも続いているのです。
例えば、
・連方瑀
・蒋方良(蒋介石の長男、中華民国元総統、蒋経国の妻)
・蒋宋美齢(中華民国の指導者蒋介石の妻)
・蒋方智怡(蒋経国の三男蒋孝勇の妻)等々

香港では正式な場合、政府高官や名門の女性は夫姓を冠します。これは、英国の影響もあるかもしれませんし、外国の文化に直面し、却って自国の文化を守る意識が働いたのかもしれません。
例えば、
・曽鮑笑薇(そうほうしょうび)、香港特別行政区の前行政長官 曽蔭権(そういんけん)の妻。
・陳馮富珍(ちんふうふちん)、香港眼科医院行政総裁である医師 陳志雄の妻。医師であり、第七代WHO事務局長、香港衛生署長、WHO事務局長補を歴任しました。
・陳方安生(ちんほうあんせい)、元皇家香港輔助警察隊總監 陳棣栄(ちんていえい)の妻、香港の元政務司司長。
・范徐麗泰(はんじょれいたい)、公認会計士 范尚徳の妻。三度、立法会議長を務めました。
・葉劉淑儀(ようりゅうしゅくぎ)、正興建築有限公司の創業者 葉正平の子葉文浩の妻。葉の親族から結婚を反対され、婚礼の当日、葉家側は均しく欠席。葉文浩はエンジニアとなり、一女を授かりました。1989年、葉正平が亡くなると、3,000万香港ドルとも言われる資産は三人の娘が相続する事になりましたが、葉文浩はこれに不満を抱いて訴訟を起こし、世間の注目を集めました。訴訟期間中、葉劉淑儀は一貫して夫を支えましたが、1996年8月、葉文浩に肝癌が見つかり、1997年11月に病没しました。新民党主席、元香港政府保安局局長。
・羅范椒芬(らはんしょうふん)、羅延康の妻。第十二期全国人民代表大会代表、香港特別行政区行政会議非公式メンバー。
・周梁淑怡(しゅうりょうしゅくい)、元香港考試及び評核局(Hong Kong Examinations and Assessment Authority)主席であり、周明権工程顧問有限公司創業者 周明権の妻。香港貿易発展局理事会メンバー・香港旅遊発展局主席・自由党副主席・行政会議メンバー等々を歴任。
・梁劉柔芬(りょうりゅうじゅうふん)、香港サッカー総会主席、香港紡織業界の大物 梁孔徳の妻。服飾は香港にとって重要な産業ですが、梁孔徳は1970年代にジーンズ等を米国を始め海外に輸出して成功し、取引額は一億米ドルを越えました。梁劉柔芬は、香港立法会議員・経済動力政党メンバー・中華人民共和国香港特別行政区第十、十一、十二期全国人民代表大会代表でもあります。
・林鄭月蛾(りんていげつが)、ケンブリッジ大学で代数トポロジーで博士号を獲得した数学者 林兆波の妻。2017年3月26日に行われた行政長官選挙で、林鄭月蛾は1194人で組織された選挙委員会で777票を獲得し、第五期香港行政長官に当選。7月1日の就任以降、彼女は史上初の女性の行政長官に就任しました。彼女は夫の林兆波と英国ケンブリッジ大学で知り合い、1984年に結婚しました。二人の子供達と林兆波の三人は、既に英国国籍を取得していますが、林鄭月蛾は2007年に発展局局長に就任したために、英国籍を放棄しました。

香港では、自分の姓に夫の姓を冠した女性は、枚挙にいとま有りません。しかも、彼女達の英語の姓氏は英国の習俗にならい、夫姓を使用しもとの姓を放棄し、「夫の姓名」に、「夫人」の称を綴ります。

一方、中華人民共和国(大陸)の1950年の《婚姻法》第11條には、“夫婦は各自の姓名を用いる権利を有している。”とあり、夫婦は姓名権の上で完全に平等であると規定されています。《中華人民共和国民法通則》第99條第一款には、“公民は姓名権をもつ。決定し、使用し、規定に従い自己の姓名を変える権利を有し、他人が干渉し、盗用し、詐称する事を禁止する。”、と規定されています。

中共に因れば、夫婦別姓・冠夫姓・同姓(妻が夫の姓に従う)は、それぞれ順序があり、
"妻が夫の姓に従う"のは、封建社会の家族体制に基づき、「家にありては父に従い、嫁しては夫に従い、老いては子に従う」という"三従"の倫理観念に呼応しているので、最も封建的で男女不平等である。"妻が夫の姓を冠する"のは、"三従"の倫理観念を捨て去り、実践においても、夫人の人格解放に努力した部分的精華である。夫婦別姓に至っては、姓名権の上で完全に平等であり、家族制度の解体にともない、“冠夫姓”は、族譜と墓碑を除いて、大陸では既に消失しているが、但し、薄谷開来は例外で、谷開来の事件が薄煕来と関係が深い事を示唆する為に、或いは、香港か他の国に移住したので、「薄谷開来」と報じているのではないか、と考えられています。

*夫婦別姓は男女不平等
しかし、この論から分かるのは“冠夫姓”が、僅かに台湾・香港・マカオ地区と一部の海外華僑の中に存在しているのは、共産主義の洗礼を受けなかったからである、と言う事だけです。結論から言えば、夫婦別姓と男女同権とは無関係か、或いは、寧ろ夫婦間の差別を助長する物であると思います。


姓 小篆


姓 隷書

そもそも「姓」と言う文字は、女と生との合字です。「姓」とは、一つの祖から生まれ出たものを、他と区別するために用いた号です。『説文解字』によれば、「姓は人の生まるる所なり、古の神聖人の母、天に感じて子を生む、故に天子と称す、生に因って以て姓と為す。」、と書かれています。

少し補足しますと、例えば『呉越春秋・呉太伯伝』には、王朝の始まりについて、次の様に書かれています。

「呉国の開国の君主太伯(たいはく)は、后稷(こうしよく)の遠い子孫である。后稷の母は台(たい)氏の娘の姜嫄(きようげん)で、帝嚳(ていこく)の皇后となった。

 姜嫄(きょうげん)が、年若く、未だ妊娠しておらぬ時、野外に散策に出かけて、巨人の足跡を見つけた。この足跡に近づいて、鑑賞しているうちに、心中に喜びが湧きおこり、その形象を好もしいと思った。そこで、自分の足で巨人の足跡を踏んでみたが、その途端、体が震え、それは恰(あたか)も、熱い抱擁を受け感じた如くであった。その後、姜嫄は妊娠した。

 姜嫄は、人から不義密通の誹(そし)りを受けるのを恐れた。そこで、祭壇を設けて、神明を祭り、お告げを求めた。その答えに、
 「汝(なんじ)に子無し。しかれども、上帝の足跡を踏んだ事により、天なお汝に子あらしむ。」
と出た。

 [子を生んで後]姜嫄は、その子を不気味に思い、狭い路地裏に捨てた。すると、牛馬が通り過ぎるたびに、踏みつけないよう避けて通り、乳を与えては、また避けていった。次ぎに、山中に捨てに行ったが、たまたま木を伐りに人が多く出ていて[子を捨てることが出来なかった]。そこで今度は、沢中の寒氷の上に捨てたが、多くの鳥が飛んできて、翼を広げて子供を覆い温めた。かくて、后稷は死ぬことが無かったのである。姜嫄は神異な事と思い、抱いて連れ帰り、大切に育てた。この子が成長すると、棄(き)と名付けた。初め棄てようとしたからである。

 堯帝(ぎようてい)の時代に、洪水が起こった。人々は水の氾濫によって、住居を追われて高台に遷(うつ)り住んだ。堯帝は棄を招き、民を指導して山中に住まわせ、その地形に従って住まいを作り、農耕の技術を存分に発揮させた。三年あまりで、道行く者の顔から、飢餓・貧困の様相が消えた。そこで、堯帝は、棄を召して農師の官に任命し、台(たい)の地に封じて、号して后稷(こうしよく)とした。姓は姫氏である。」

『詩経・大雅・生民』に「厥(そ)の初(はじめ)て民を生ずるは、時(こ)れ維(こ)れ姜嫄」、と。毛萇(もうちょう)の『毛伝』に「姜は姓、嫄は名、有邰氏(ゆうたいし)の女(むすめ)、帝嚳(ていこく)の元妃、后稷の母なり」、と。また、鄭玄(じようげん)の『鄭箋(ていせん)』に「周の始祖、其れ之を生ずる者は姜嫄なり。姜姓は炎帝の後、女(むすめ)有り、嫄(げん)と名づく。堯の時に當(あた)り、高辛氏(こうしんし)の世紀と爲(な)る」、と。

台氏は炎帝(えんてい)神農氏の子孫です。出典によって台(たい)は邰(たい)とも書きます。黄帝(こうてい)は姫水(きすい)付近の豪族であり、炎帝は姜水(きょうすい)付近の豪族でした。そこで、黄帝の姓は姫と言い、炎帝の姓は姜と言います。姜嫄は炎帝の子孫です。周王室は姫姓。『説文解字』に「邰(たい)は炎帝の後、姜(きょう)姓の封ぜられし所、周の棄(き)の外家の國」、と。

帝嚳(ていこく)とは伝説時代の帝王の名です。号は高辛(こうしん)氏、姓は姫(き)、名は夋(しゅん)、字(あざな)は嚳(こく)。黄帝の曾孫です。四人の妻がおり、その妻の生んだ子供は、それぞれ天下を有しました。皇后には有邰氏(ゆうたいし)の娘、姜嫄(きょうげん)を娶(めと)り、后稷が生まれました。后稷は周の始祖です。次妃は有娀氏(ゆうじゅうし)の娘、簡狄(かんてき)を娶り、契(せつ)が生まれました。契(せつ)は商(殷)の始祖です。次妃は陳豊(ちんほう)(鋒)氏(し)の娘、慶都を娶り、放勛(ほうくん)(勳)が生まれました。これが帝堯(ていぎょう)です。次妃は娵訾氏(しゅしし)の娘、常儀(じょうぎ)を娶り、帝摯(し)が生まれました。帝嚳が崩じて後、立ったのが帝摯(し)であり、その後、帝堯が立ちました。

『史記・五帝本紀・正義』には、「帝王紀に云ふ、帝嚳(こく)に四妃有り。其の子を卜(うらな)へば、皆天下を有(たも)つ、と。元妃は有邰氏の女(むすめ)、姜嫄と曰ふ、后稷を生む。次妃は有娀氏の女、簡狄と曰ふ、卨(せつ)を生む。次妃は陳豊氏の女、慶都と曰ふ、放勛を生む。次妃は娵訾氏の女、常儀と曰ふ、帝摯を生む」、と。

姓は始祖の居住地に因んで、或いは、天子から賜り名づけられました。古の神聖人(人格の完全無欠な人、天子)である神農氏の母が、姜水のほとりに住んでいたので姜を姓とし、黄帝の母が姫水のほとりに住んでいたので姫を姓としました。それで、子を生む女の字と生の字とを合わせて「姓」としました。「生」は音符でもあるので、会意形声文字です。

中国では、結婚しても姓は変わらず、二人の間に生まれた子供は、父の姓を名乗ります。ですから、同じ家族の中で、母と祖母だけが姓が異なることになります。この様な習慣は、別に、新中国誕生以降にできたわけではなく、1950年の《婚姻法》などで規定するまでもなく、毛沢東を始めとする、第一代の元老達も、蒋介石も、或いは、孔子の時代、或いは、伝説時代から、既に夫婦別姓は行われていました。何故なら、結婚しようがしまいが、先祖は変わらないからです。

例えば、孔子(前551年頃~前479年没)の父母について、司馬遷(前145年頃~前86年頃)の『史記・孔子世家』は、父は「(孔)叔梁紇(しゅくりょうこつ)」、母は「顔氏の女(むすめ)」と書いています。唐の司馬貞の『史記索隠(さくいん)』には、魏の王粛(おうしゅく)の偽作と言われる『孔子家語(こうしけご)』を引用して、母の名を「顔徴在(がんちょうざい)」、と記しています。叔梁紇は、はじめ魯の施氏を娶り、九女を儲けました。妾が男児の孟皮を生んだものの、孟皮は足が悪く、そこで、顔氏徴在に求婚しました。唐の張守節の『史記正義』によれば、叔梁紇は六十四歳を過ぎての結婚でした。

『史記』の記述が正しければ、孔子が「女子と小人(しょうじん)とは養い難しと為す」と言う前から、ひょっとすると、夏・殷・周以前の伝説時代から、また、近くは、蒋介石の三人の妻が、最初の妻が毛福梅、二番目の妻が陳潔如、三番目の妻が宋美齢と言うように、或いは、毛沢東の妻が、それぞれ、羅一秀、楊開慧、賀子珍、江青というように、皆、夫婦別姓でした。

要するに、中共が制度として採用する以前から、中華圏では夫婦別姓でしたので、もし、夫婦別姓が男女平等に影響するのであれば、紀元前から男女平等であったはずですし、少なくとも、新中国建国以降、中共は「男女平等」を掲げているわけですから、現在、中国は、男女平等の社会になっていなければならないはずです。しかし、そうなっているでしょうか?

90年代の始め、中国では、祖父が四歳の女児を井戸に突き落として殺害する、という事件が起きました。家の断絶を恐れた祖父が、次に男の子が生まれる事を期待して、殺害してしまったのでした。その一方で、双子や三つ子の男児を出産した母が、英雄のように称えられ、媒体に取り上げられていました。ネット上では子供がオークションに掛けられ、世間からの非難を浴びて、直ぐに取り止めになりましたが、男児の方が高かったと話題になりました。

「姓」が先祖を示す物であり、子供は父の姓を名乗るからには、男の子の誕生は一族が増える事を意味します。当然、各家庭は男子を熱望します。その様な社会が、男女平等であるはずはありませんが、中華民族繁栄の秘密がここにあるとも言えます。人々が名乗る「姓」が、その人物の認証と同時に、一族に対する責任を求めるからです。

私は、家庭に入って家事に専念する女性が、外に出て働く女性よりも劣っているとは思えません。私的と公的とでは、公的な事が重要で優先される事は当然ですが、職業に貴賎が無く男女平等というのであれば、家庭を守る主婦も同様に称えられるべきです。外に出て働く女性が、ある種の便宜のために結婚前の姓のまま名乗りたいというのは、それぞれに理由のある事と思いますが、制度としての夫婦別姓は、男女平等には結びつきません。それは、はからずも、中共政府の行った一人っ子政策の過程において、大陸で生まれる男女比率の不均衡さにも如実に表れています。

結婚しても、先祖が違うからと夫婦別姓にする事と、一族として迎えられ姓が変わる事と、どちらが平等であるかを考えれば、優劣は自ずと明らかです。夫婦別姓は、寧ろ、家庭の中では男女差別に拍車が掛かる可能性が高くなるので、社会に普遍的に広めるべき制度とは思われません。気を付けなければならないのは、家族とは、国家の最小単位であると言う点です。家族がおかしくなると、めぐりめぐって国家がおかしくなります。

※あまり知られていませんが、私の専門は『呉越春秋』です。なので、上記の部分は、注も含めて私の翻訳になります。あの創価 林部に出版を邪魔されている原稿です。『文春』さん、良いネタありますぜ、と思いながら読んで下さい(テヘペロ)。

Ferrari Portofino - Official Video

カリフォルニアも良いけれど。。。ふふふ。

長くなりましたので、次回に続きます。

漢字の話(キラキラネームの秘密、秘密三)

2017年09月08日 16時59分13秒 | 日記
・混血の勧め?

*田中青木
ところで、私は某県警察の登録通訳人をしています。外国人の犯罪が起きたとき、警察での取り調べや、地方検察庁・地方裁判所での手続き等の通訳をする仕事です。事件が起きると警察から電話で呼び出され、仕事が始まります。

これからお話しするのは、今から十五年ほど前に某県で起きた、嘘のような本当の話です。その頃は今と違って、警察官が被疑者を平気で怒鳴りつけていましたし、お茶を出す他に、自分の煙草を吸わせたりもしていました。但し、取調室内に電気スタンドは置いてありませんし、カツ丼を食べている人も見た事はありません。また、往来で逮捕状を振り回して「逮捕する」と言っている警察官も見た事はありません。

さて、その日の晩、電話に出ると、知り合いの刑事さんがこんな事を言います、
「先生、たぶん中国人だと思うのですが、今から来て貰えますか?」
「はい、大丈夫です。たぶんというのは?」
「パスポート不携帯で、片言の日本語は話せるようです。最初は中国人だと言っていたのですが、今は韓国人だと言い出しまして。でも、中国人だと思うんですよね。」
と気まずそうに話すので、
「大丈夫です。違っていたら、他の通訳さんと交替してもらって結構ですよ。」
と言って、警察署に向かいました。

登録制で仕事をするところはファストフードのバイトと一緒ですが、捜査上の責任を負うので「通訳人」は「先生」と呼ばれます。面はゆいのですが、これも仕事のうちと割り切っています。

一般的な外国人の犯罪は、刑事課で扱われます。警察署の建物にもよりますし、当時と現在とでは組織も若干違っていますが、刑事課はたいてい二階にあって、学校の教室一つ分か、或いは、それ以上の広さを仕切り無く使っています。そこに盗犯(窃盗事件)・強行(殺人・恐喝・強盗・誘拐)・暴対(暴力団・組織犯罪対策)・鑑識さん等の担当課が入っています。意外なところでは、選挙違反などもここで扱われます。取調室は、入り口から一番奥に五・六室、新しい警察署であれば、刑事課の中にあるドアを通った先に十数室列んでいます。

この時も刑事課の扉を開いて直ぐのカウンターの所で、「中国語の通訳で参りました○○です。」と名乗ると、奥の取調室の一室に通されたのですが、扉は大きく開かれており、四・五人の警察官が中を覗いています。案内してくれた若い警察官が「通訳の先生がいらっしゃいました」と中に向かって声を掛けると、中を覗いていた四・五人が一斉に振り返って私を見てから、ドアの両側に分かれました。

中からは大声が聞こえてきます。

「だから、お前は何人なんだよ。中国人でも韓国人でもパスポートは必要なんだよ。お前のパスポートは、どこにあんだよ。」

取調室はだいたい六畳(?)ほどの縦長の部屋です。奥に事務机が一つ置かれていて、机の向こう側には、三十代半ばと思われる被疑者がパイプ椅子に座っています。被疑者の後ろには鉄格子のはまった大きな窓があります。こちら側には四十代と思われる取調官が座っています。取調官の座る椅子は警察署によって、パイプ椅子だったり事務用の回転椅子だったりしますが、この時はパイプ椅子だったように思います。入り口近くには、鞄や資料を置くための、会議などで使われる横長の机が一つ置かれています。通訳をする時には、取調官と被疑者の顔が見られるように、机の横に椅子を置いて貰います。机の上には、取調官の筆記用具とアルマイトの灰皿が一つ、それと、お茶だか水だかが入ったプラスチックのコップが二つ置かれていました。

私が取調室に入った時には会話が続いていたので、邪魔をしないように入り口付近で会話の途切れるのを待っていると、
「…ワタシ、ニホジン。」
「はぁ?お前は日本人か。日本人なんだな。」
まだ中国人犯罪が珍しかった時代、取調室に連れてこられてからずっと嘘をついていたと思われる人物は、抵抗を続けているようでした、
「ソウ、ワタシ、ニホジン。」
「あーそうかい、じゃ何て言うのか言ってみろよ。お前は名字は何て言うんだよ。」
「…タッ、タナカ…、タナカ。」
「田中って言うんだな、田中なんだな。そうかよ、じゃあ、下の名前は何て言うんだ。お前は田中なんなんだ。」
取調官の大きな声に対して、被疑者は小さく答えました、
「ア…アオキ」
「はぁ?」
「…アオキ」
私は緊張して声を掛けられず、四十代と思われる取調官は、一瞬絶句した後に、押し殺した声でゆっくりと、
「…お前の名前は、田中青木って言うんだな?」
「ソ、ソウ」
堪忍袋の緒が切れると言いますが、この時は本当に「ブチッ」と音がした気がしました。取調官はいきなり立ち上がり、真っ赤な顔をして雷のような声をあげました、
「てめー、ふざけんじゃねえぞ、そんな名前の日本人はいねぇよ!」

入り口の扉は開いたままでしたので、取調官の罵声に、刑事部屋全体が一瞬静まりかえりました。

相当気まずい状況ではありましたが、私は取調官が着席するのを待って挨拶をした後、被疑者に向かって「私の話が分かりますか?中国人ですか?」と尋ねました。すると、中国語を聞いて安心したのか、あっさり認めましたので、取調官に、「中国人です。話しが通じるようです。」と言って着席しました。肝心のパスポートについては、

「ヨーロッパではパスポートが無くても、各国を自由に行き来できるんだろう。別に、パスポートなんて無くてもいいだろう。俺は、ちゃんと金を払ったんだから。」

などと言っていましたが、話を聞くうちに、どうやら事業に失敗して借金を抱え、一攫千金を狙って親戚から費用をかき集め、蛇頭に頼んで密入国をしたのでパスポートが無いのでした。その後、この人物は中国から戸籍と身分証・写真を取り寄せ、身分が証明されて後、強制送還となりました。

*薄煕来事件
私は最近まで、苦し紛れの嘘にしても、日本に来て酷い事を言うものだ、と思っていたのですが、2012年に「薄煕来(はくきらい)事件」が起きて以降、中国には夫婦の姓を合わせる習慣がある事を知りました。薄煕来の妻谷開来の名を、中央電視台が「薄谷開来」と報じていたからです。


「薄煕来事件」とは、八大元老の一人である薄一波(はくいっぱ)の息子薄煕来に関する事件です。重慶党委員会書記を務め、「唱紅(紅は紅歌=革命の歌、歌をうたって革命を称える)打黒(黒は黒社会=マフィア、その撲滅)」運動で名を挙げ、第十八期全国代表大会(十八大)で常務委員会入りも囁かれた人物でした。

事の始まりは2012年2月6日、重慶市副市長であり公安局長でもあった王立軍が、米国駐成都総領事館に亡命目的で逃げ込む、という事件が発生しました。薄煕来を有名にした「唱紅打黑」政策で、王立軍は「打黒」運動の責任者であり、薄煕来とは近しい関係にありました。

この亡命は、当時の米国駐中国大使 ゲイリー・フェイ・ロック(中国名、駱家輝)によって拒否され、王立軍の身柄は北京に引き渡されました。王立軍は薄煕来の妻 谷開来が、英国人の殺害に関与した証拠を持っていたと言われており、2011年11月15日に英国人ニール・ヘイウッドが重慶で死亡した事件の再捜査が行われ、その結果、谷開来と張暁軍(薄家の使用人)は逮捕されました。更に、2012年4月には、薄煕来と周永康とで、次期国家主席と目される習近平を、2014年に失脚させるというクーデター計画があり、王立軍も計画を知っていた、と報じられました。「蘋果日報」『薄煕来・周永康 習近平に2014年退位を迫る大陰謀(薄熙來、周永康做習近平世界2014逼宮大陰謀)』2012年4月13日)

2012年3月13日、全国政治協商第十一期第五次会議が閉幕し、午後の会議上、九人の常務委員は全員一致で(一説には周永康だけは反対)、薄煕来の重慶党委書記解任を決定しました。14日午前、第十一期全国人民代表大会(全人代)第五次会議が閉幕。薄煕来はこの両会(全国人民代表大会と全国政治協商会議)の閉幕式に出席していました。温家宝は、閉幕後の記者会見で重慶市委市政府を非難し、この会見が終了すると、薄煕来、及び親類、随行者等38名が、中央警衛局に捕らえられ、河北省某地に拘束されました。15日、新華社は中共中央の決定として、薄煕来の重慶党委書記の解任と、張徳江の重慶党委書記就任を発表し、更に4月10日には、重大な規律違反があったとして、「中央政治局委員」の地位を剥奪し、中央紀律検査委員会が調査を行うとの発表がありました。(「蘋果日報」『薄煕来の処分で不一致出現 江胡争い 習胡温になびく(處理薄熙來現分歧 江胡決鬥 習倒向胡溫)』2012年03月21日、「人民網」『張徳江同志 重慶市委委員、常委、書記兼任』2012年3月15日10:01)

2012年8月20日、殺人罪で起訴された谷開来に、執行猶予つき死刑判決が言い渡されました。中国の場合、執行猶予期間が過ぎると、自動的に無期懲役に減刑されます。

2013年1月22日、十八期中央紀律委員会全体会議の席上、習近平主席は腐敗撲滅を宣言し、ゼロ容認で「虎も蠅も打つ」という腐敗一掃運動が始まりました。直接指揮を執ったのは、中紀委書記 王岐山です。これによって、2013年には18万の党員幹部が処分され、提訴・判決件数・処分人数ともに前年比二桁増となりました。

運動開始から八ヶ月後の2013年9月22日、山東省済南市中級人民法院は、薄煕来の収賄罪・横領罪・職権乱用罪・及び複数の罪状を判断し、無期懲役、政治的権利の終身剥奪、並びに、個人の全財産没収を宣告しました。これは中共の歴史上、陳希同(元北京市長)、陳良宇(元上海市長)に続いて、三人目の高級幹部の失脚を招く結果となりましたが、事件はこれで終わりではありませんでした。

2013年12月6日、「蘋果日報」は周永康に関して次の様に報じました、「博訊新聞網」「明鏡新聞網」及び「台湾の《聯合報》」「ロイター」「BBC」等の媒体が、周永康が拘留され調査されたと報じており、更に「博訊」「明鏡網」は、2013年12月1日(日曜)晩、中共中央弁公庁主任 栗戦書(りつせんしょ)率いる中央警衛局特別小隊が、中南海の周永康宅に踏み込み、周永康に対して、立件・調査され、自由が制限されると宣言しました。周は自己の前途にある種の予感があったとは言え、布告を聞き終えると、その衝撃に耐えきれず、倒れ込んでベッドに運ばれました、と。(「蘋果日報」『習近平殺害を計画し、又妻を殺害、三つの罪で周永康拘留(圖殺習近平又殺妻 三宗罪周永康被扣)』2013年12月6日)

2014年12月5日、共産党指導部は、前党政法委員会書記(前政治局常務委員)周永康の党籍剥奪処分を決め、2015年4月3日、天津市人民検察院は、審理が終了し公訴されると発表。2015年6月11日、天津中級法院は収賄・職権濫用と機密漏洩の罪によって、無期懲役(終身禁固)・政治的権利の終身剥奪、並びに、個人の財産没収を宣告しました。周永康は罪を認めて上訴しませんでしたが、司法関係者は、この判決は非常に軽いと述べています。

少し補足すると、判決の「国家機密漏洩の罪」とは、習近平 温家宝一族の巨額の財産に関する資料を、《中国離岸金融報告解密(中国离岸金融解密)》に提供したと言う物で、これは、2014年1月21日に国際調査報道ジャーナリスト連合(ICIJ)が発表した習近平・鄧小平・李鵬・温家宝等を始めとする、22,000名ぶんの中共指導者家族の財産に関する資料です。江沢民・曽慶紅・周永康の三名の家族の資料が抜けているところから、周永康系の勢力が提供した物ではないかとの疑が持たれています。

収賄と職権濫用については、周永康の家族構成は複雑に錯綜し、巨大な利益集団を形成しており、当局からは未だ正式な、周の家族の違法な財産に関する発表はありません。しかし、海外の媒体は嘗て消息筋の話しを引用し、周の財産が、預金・証券・現金・不動産・美術品等を含めて、最も少なく見積もっても900億人民元(1元=16.5円)ほどあり、富が国家に匹敵するのみならず、彼の家族は更に大量の兵器を隠していた、と報じました。ロイターは2014年3月、三名の北京の消息筋の話しを引用し、中規委・監察部が昨年末に周永康を押さえて以来、本人及び親友・腹心の名義の多くの口座、及び、現金370億元を没収。当局は、これらの預金が、中国国内の12の金融機関・133の支店に及び、合計647の人民元の口座及び117の海外の口座、更に930の口座が匿名・代理名・仮名・会社名義で開かれていた事を発見しました。また、当局は、石油・航空・銘酒・金融等を含む、市場価値513億元の大量の有価証券、及び、市場価値1.7億元相当の海外の証券・債券を発見しました。調査官は、その他、人民元・ドル・ユーロ・ポンド・スイスフランを含む大量の現金、及び、合計42キロを越える黄金・プラチナ・金貨等を発見しました。周永康の家族は、北京・瀋陽・大連・済南・煙台・成都・南京・無錫・蘇州・上海・広州及び深玔に、市場価格17.6億元相当の326の邸宅を所有し、各様式の車62台、名画55幅、油絵等を所有し、これら芸術品の見積もりだけでも10億元を超えています。財産以外にも、当局は複数の場所で周永康の家族の武器庫から、国産の76型・96型・99型の拳銃5丁、ドイツ製・ロシア製・英国製・ベルギー製の拳銃各3丁と共に、各種口径の弾丸1.1万発を発見した、と報じました。この他、《ニューヨークタイムス》の調査によって、周永康の三名の親族、姉の周玲英・長男の周浜、及び、その岳母詹敏利は国内に少なくとも37の企業の株式を所持、或いは、管理しており、10億元に及ぶ財産、並びに、その他の企業を支配している事が明らかになりました。(「蘋果日報 Apple Daily・要聞港聞」『私腹を肥やし900億 武器庫に万発の弾丸を所蔵(斂財900億 軍火庫藏萬發子彈)』2014年12月07日)忘れそうになりますが、中国は共産主義で、周永康は共産党の高級幹部です。

裁判では言及されませんでしたが、この他、「新四人組(薄煕来・徐才厚・令計画・周永康)」を組織し、党と軍部を押さえ、習近平・李克強を後継者とする事を決定しておきながら、習近平の暗殺を企て、薄煕来を習近平と交替させ、自身は陰の実力者として垂簾聴政(すいれんちょうせい)を行い、巨大な権力を握ろうとした、と報じられました。国家主席も楽ではありません。

周は「刑は大夫に上らず(士大夫階級には刑罰は適用されない『礼記』)」の慣例を破り、政治局常務委員として始めて汚職が原因で法廷で裁かれました。裁判では言及されませんでしたが、習近平の暗殺未遂や政権簒奪を計画・実行しない限り、十七期で政治局入りを果たした序列九位の人物が、刑事告発される事は無いだろうというのが、大方の見方です。また、薄煕来・周永康の二人は保守左派の代表的人物であり、これは改革派が保守派に勝利した事件である、とも伝えられました。


少し話しが逸れましたが、ニール・ヘイウッド殺害事件に関わったとされる「谷開来」について、CCTVは連日「薄谷開来」と報じていました。更に、今年7月1日に第四代香港行政長官に就任したのは、「林鄭月娥(りんていげつが)」氏です。「薄谷」の「薄」も「林鄭」の「林」も、ご主人の姓です。調べてみると、この二人以外にも、この様な複合姓を名乗る女性が存在していました。

Kimi Raikkonen at the wheel of the Ferrari GTC4Lusso T

「インターナショナル・エンジン・オブ・ザ・イヤー2016」の総合部門の1位のV8ターボエンジン。このドロドロのエンジン音がふふふです。

もう少し続きます。

漢字の話(キラキラネームの秘密、秘密二)

2017年08月31日 22時58分58秒 | 日記
(二)複合姓の秘密


・縁起の悪い名前 卑猥な名前

キラキラネームは、「世界に羽ばたく」と言いながら、家族や学校の友人、その人物を知っている人々にしか読めません。その意味で、公共性が無く、閉じられた世界の中で使われる名前と言えます。公共の場で使われる時には、漢字単独で使われることはなく、必ず振り仮名が必要になります。それは漢字の正しい使われ方ではありません。閉じられた世界から公共の世界に出て行く時、テレビ・新聞でルビ付の名前として報じられる時に、奇妙な名前は本格的に日本の漢字文化を破壊する事になります。

そもそも「世界に羽ばたく」と言うからには、海外での活動を考えているはずです。海外で注意しなければならないのは、自身の安全とパスポートの紛失です。もし、旅先で病気やけが、犯罪に巻き込まれたりパスポートを紛失した時、日本人にも外国人にも読めない・記載を間違え易い名前は、その人物にとって有益と言えるでしょうか。保険の手続きやパスポートの再発行を困難にする名前は、「世界に羽ばたく」名前と言えるのでしょうか。更に、同じ漢字文化圏の人間からは、意味の通らない奇妙な名前と笑われる物です。どこの「世界に羽ばたく」のだろうと思います。

また、キラキラネームを付けるもう一つの理由は、「個性的な名前を子供に付けたい」という物でした。自分の子供を特別視したいという気持は理解できなくもありませんが、世の中に通行する『名付け本』を見ると、大多数の本が、「人気名前ランキング」「人気読みランキング」「人気漢字ランキング」等々を載せています。「個性的な名前」が目的である筈なのに、何故、「人気ランキング」が必要なのでしょう。

表面的には「人気の名前を参考にする」と言う理由からなのですが、それらの名前には必ず「大翔(ひろと)」「結愛(ゆあ)」等のキラキラネームが含まれています。どの様にランキングを集計しているのかも疑問ですし、ランキングが上位であろうが無かろうが、インチキである事に変わりはありません。多少想像を膨らませるなら、ランキングに掲載される事によって、キラキラネームに意図的に市民権を与えるよう工夫がされている、とも言えます。

更に、「最高の名前が見つかる」と言いながら、縁起の良くない名前・卑猥な名前もあります。例えば、「読みから選ぶ女の子の名前リスト」の「なな」の項目を見ると、

・七々・なな・七南・奈々・菜七・七菜・七渚・菜々・奈那・那奈・那南・南那・奈南・南奈・菜那・那菜・菜南・菜愛

という名が列んでおり、小学生に集めさせても、もっと気の利いた物ができあがるのではないか、と思われるような程度の悪さです。だいたい「七」は一文字で「なな」と読みますから「菜七・七菜」は(ななな)ですし、「奈那・那奈」は疑問・反語の「いかんせん」で、どうしよう・どうでしょう等の意味になります。「七渚」の「渚」は、ひょっとしてもしかして、「なぎさ」を分解して「な」だけを取り出したのでしょうか、とんでもないインチキです。しかし、これらの中で最悪なのは、「七々」です。

・「七々」
「七」(漢音シツ、呉音シチ)
訓には、なな・ななつ・ななたび等の意味があります。部首は「一部」で、漢和辞典を開くと、「一」の次に出てくる数字が「七」です。『説文解字』によれは、易の陽の正数で、「一」は大地をあらわし、縦の線は地中の陰気が立ち上るさまをあらわします。


小篆 七



隷書 七


「々」は、「踊り字」です。同一の文字、或いは、言葉を重ねる場合の記号で、漢字ではありません。「送り字」「重ね字」「畳字(じょうじ)」「繰り返し符号」とも言います。日々・半々・我々・等々など、漢字を重ねる時に用いられます。

旧表記では他にもいろいろな記号が使われており、例えば、仮名一字の繰り返しに使われる「ゝ(一つ点)」は、ちゝ・はゝ・たゞ・ほゞ等に使われます。漢文の訓読によく用いられる「〻(二の字点)」は、字訓の繰り返しに用います。例えば、略〻(ほぼ)・稍〻(やや)・交〻(こもごも)・熟〻(つらつら)・愈〻(いよいよ)等です。この他、二字以上の仮名の繰り返しに用いられる「くの字点」などもあります。

少し話が逸れましたが、要するに「七々」とは「七七」の事です。「七七」は「なな」とは読みません。「しちしち」と読みます。「七七」「七七日(しちしちにち)」「七七忌(しちしちのき)」「七七期(しちしちき)」「七七齋(しちしちさい)」「七七之祭(しちしちのまつり)」は、みな同じ意味です。人が亡くなると、七日毎に供養をして冥福を祈りますが、その七回目の日、つまり四十九日目の祭を「七七之祭」と言います。子供の名付けの本に、この様な名前が出て来るのは異常です。普通の日本人なら絶対に付けませんし、まともな神経をしていたら、例文に取り入れる事はしません。この本の著者が、うっかり、何かの拍子に紛れ込ませた、単なる手違いだったのでしょうか。そんな筈はありません。

同書の「生まれる季節から名前を選ぶ・季節に関する美しい日本語」の項では、男の子に「土筆」という名を付けるよう勧めています。

「日本には古くから伝わる美しい言葉がたくさんああります。そのままでも名前に使えるもの、季節のイメージの参考になるものを集めました。

男の子におすすめ

・土筆(つくし)、早春に生える、筆の先のような形をした植物。空に向かってすくすくと伸びる様子から、健やかな成長や素直さのイメージ。」

「泡姫(アリエル)」「黄熊(ぷう)」の例からも分かるように、キラキラネームの根底にある物は、子供に良い名前を授けよう、という善意ではありません。「世界に羽ばたく」「個性的な名前」「最高の名前」と言うのも、看板に偽りありと言えそうです。


もう少し続きます。

漢字の話(キラキラネームの秘密、十七)

2017年08月25日 08時17分10秒 | 日記
さて、「えな」と「えま」の名前の「え」の部分に使われている漢字を抜き出し、音と訓を書き出すと次の様になります。

・永(漢音エイ・呉音ヨウ)
永は、水すじが長い、川がながい、という事を描いた象形文字です。そこから、事がながい、遠い、遥か、久しい、という意味があります。名乗り訓は、ナガ・ヒラ・トホ・ノリ・ヒサです。「エ」とは読みません。インチキです。



金文 永



篆書 永



・依(漢音イ・呉音エ)
よる・もたれる・たのむ・たよる・たもつ・たすける・いつくしむ等の意味があります)名乗り訓はありません。この文字は、仏教用語に使われる他、外国語の音訳によく使われる文字です。例えば、依報(えほう)・依利薩伯(エリザベス)・依士企摩(エスキモー)等です。

・英(漢音エイ・呉音ヨウ)
英は『詩経』は「華」と同義とし、『孟子』には、優れる・抜きんでる、という意味で「英才」という熟語が出てきます。誉れ、才徳の優れた人物等の意味で使われる文字です。名乗り訓には、ツネ・テル・ヒデ・ヒラ・フサ・ハナがあります。この文字は名前に使われる文字ですが「エ」と読むのはインチキです。

・絵(漢音カイ・呉音エ)
えがく・いろどる・あやなす・あやぎぬ・ぬいとり・え等の意味があります)名乗り訓はありませんが、絵師(えし)・絵合(えあわせ)・絵馬・絵巻物等々、「絵」から始まる単語は少なくありません。

・恵(漢音ケイ・呉音エ)
恵は『説文解字』には「惠仁也(恵は仁なり)」、『論語』には「其の民を養うや恵」と出て来ます。「仁」とは、儒教における最高の徳であり、人道の根本を言います。人に対する思いやり・情けが「仁」です。そこで、「恵」には、めぐむ、いつくしむ・愛する、おもいやり・よい・美しい等の意味があります。名乗り訓には、サト・シゲ・アヤ・ヤス・ヨシがあります。但し、一字目で「エ」と読む場合には、恵光(えこう)・恵能(えのう)等々の僧侶の名前か仏教用語、或いは、恵方(えほう)等の陰陽道に関係のある言葉に使われます。『往生要集(おうじょうようしゅう)』を著した源信も、恵心院(えしんいん)に隠棲していたところから、尊敬をこめて恵心僧都(えしんそうず)と称されました。

・笑(ショウ)
この文字は、『説文解字』では竹冠の下に「犬」が書かれており、犬が人にあまえるときの鳴き声が本義である、という説もあり、竹冠の下が「夭」の文字で、風で竹がまがる様子が、人の笑う姿に似ている意味を表している、という説もあります。どちらが本当の意味なのかは分かりませんが、本来は、口を開けて笑う、という意味のようです。その他、笑う・ほほえむ・喜ぶ、「夫子莞爾(かんじ)として笑う」というと、声を出さずに微笑む事ですし、花が咲くという風流な意味もありますが、例えば「五十歩を以て百歩を笑う」とは嘲笑うという意味ですので、人名としてはあまり好まれず、名乗り訓もありません。また、「ほほえむ」或いは「えむ」で一つの言葉で、一字で「エ」とは読みません。インチキです。



小篆 笑

・慧(漢音ケイ・呉音エ)
この文字には、さとい・かしこい・あきらか等の意味がありますが、仏教の「さとり」を意味する文字でもあります。仏教には呉音を用いることが多いのですが、この文字の場合は、仏教関係の場合には「エ」、それ以外では「ケイ」の音、とはっきりと分かれています。例えば、「慧眼」という熟語は「眼識の鋭いこと・さといまなこ」という意味で、一般的には(けいがん)と読みますが、仏教用語で「実在界の真理を識別する心のまなこ」の場合には(えげん)と読みます。その為、この文字を「エ」と読む場合、特に一文字目に「慧」の文字が来ると殆ど僧侶の名か、或いは、仏教に関係のある言葉です。例えば、慧海(えかい、智慧が深く広いことを海に例えた仏教用語)、慧因(えいん、唐の高僧)、慧南(えなん、宋の高僧)、慧琳(えりん、南朝宋の高僧)等々がこれです。名乗り訓は、サト・アキラです。それにしても、「世界に羽ばたく」って、僧侶になる事だったのでしょうか?

愛(漢音アイ)
めでる・おしむ、いつくしむ(親の慈愛)、あわれむ(憐れむ)、したしむ(親しむ)、したう(慕う)、恋する、おしむ(惜しむ)等の意味があります。名乗り訓には、チカ・ヨシ・ヤス・ナル・ツネがあります。仏教では、物を貪る意となり、良い意味も悪い意味もありますが、「エ」とは読みません。どこから出てきたのか想像もつきません。途方もないインチキです。

咲(音ショウ)
意味は、わらう・さく。この文字は、「笑」の古字です。日本では、花の蕾が開く意に用います。「咲」も「笑」同様に「エ」とは読みません。インチキです。

ここまでが、「エ」に使用されている文字です。

例えば、「兄」「江」「図」「画」「柄」「重」「柯」は、音も訓も合わせて全て「え」と読む文字ですが、それらは使われてはいません。

永・英は「エ」と読まないにもかかわらず、故意に「エ」と読ませています。また、笑は「えむ」と読みますが、「え」がある意味を持ち、「む」がある意味を持ち、「え」と「む」を組み合わせると、それを複合した「えむ」という言葉ができあがる、と言うわけではありません。「えむ」を構成する「え」と「む」には何ら意味はなく、「えむ」で初めて意味を持ちます。ですから、永・英・笑を「エ」と読ませようとするのは、日本の漢字文化に対する意図的な破壊にほかなりません。


続いて「ナ」に使用されている文字です。

・菜(音サイ)
菜は形声文字です。采が音符で草冠が意味を表しています。食用の植物の総称、な、あおもの、野菜、さい(野菜や肉でつくった副食物、おかず)、な(アブラナ)、飢えて顔色の悪いさま等の意味があります。「ナ」と読む場合には、野菜・アブラナという意味です。名乗り訓は、ありません。


・那(漢音ダ、呉音ナ)


大篆 那


小篆 那


隷書 那

「おおざと」は、もともと「邑」と書きます。漢音ユウ・呉音オウで、「諸侯の領地」の意です。『説文解字』によれば「国」の意、※『春秋左氏伝・荘・二十八年』には、宗廟(そうびょう、先祖のみたまや)のある所を都といい、ない所を邑と言う、と。『史記・五帝』では、舜(しゅん、古代の帝王)は、一年にして住む所は聚となり、二年で邑となり、三年で都となった、と。そこで、「邑」の付く文字は、国都、人の住む村・里等を表します。

因みに、「邑」を部首とする場合は「おおざと」と言いますが、「こざとへん」も「阜」と書きます。「阜」(漢音フ)は、石のない土山の形に象った象形文字です。そこから、おか、高大な土地、大陸。転じて、おおきい、さかん等の意で用いられます。


甲骨文 阜


小篆 阜


例えば、「陵」(音リョウ)は、『説文』によれば、意味を表す「阜」と、音を表す「夌」からなる形声文字で、大きい丘という意味を表す文字です。



小篆 陵


隷書 陵


さて、那は、『説文解字』によれば、四川省茂県にあった西夷の国です。その他、朝那は、漢代に甘粛省に置かれた県。那処は、春秋時代に湖北省にあった地名です。地名以外では、『詩経』の篇名にも使われており、おおい、うつくしい、やすらか等の意味があります。名乗り訓は、トモ。

また、漢文では助字(助辞)の、なんぞ、いかんぞ等々。例えば、那辺(なへん、どのあたり)、那何(いかに)、或いは、語勢を助ける助辞として、刹那・支那・旦那・任那(みまな)等に使われます。また、中国語では非常に良く使われる文字で、那箇(nage、あの、その、あれ、それ、あんなに、あれだ等)、那就(najiu、それなら、それでは)、那里(nali、あそこ、そこ、あちら、そちら)、那麼(name、あんなに、そんなに、のように、ほどに)、那麼点児(name dianr、たったそれくらい、それっぽっち、それしきの)、那児(nar、あそこ、そこ)、那天(na tian、あの日、その日)、那晩児(nawanr、当時、あの時)、那些(naxie、あれらの、それらの)、那様(nayang、あんな、そんな、ああいうふうにする、そういうふうにする)等々に使われます。

外国の音訳にも使われる文字で、特に仏教に関係のある言葉に良く用いられます。例えば、那由多(なゆた)と言うと、千億の意。那吒太子(なたたいし)は、仏法を擁護する毘沙門天の太子。那羅延(ならえん)は梵天王の別名。西洋人では那波烈翁(ナポレオン)。また、日本には那波(なは)という姓もあり、那須(なす)という地名もあります。姓に使われている文字ですし、中国語に多用されてもいます。更に、名の二文字目以降に使うと助字としての意味合いが強くなります。中国・朝鮮半島の地名にも見られますし、特別にそれらの地域に思い入れのある場合を除いて、人名に使うのは止めた方がよいと思います。



・奈(漢音ダイ、慣用音ナ)


大篆 柰



小篆 柰



隷書 柰


この文字は、『説文解字』によれば、果樹の名で、もともとは「柰」と書いていた物が、誤って「奈」となった、と。どうやら「柰」が正字のようです。

また、疑問反語の助字として、那・如と同様に使われます。奈何(いかん)・無奈(いかんともするなし)等々で、例えば、『史記・項羽紀』の「虞兮虞兮奈若何(虞や虞や若(なんじ)を奈何(いかん)せん)」でもお馴染みの文字です。

助字(助辞)は、助辞とも虚字とも言います。名詞・動詞・形容詞等の実質的な内容をもつ実字に対するもので、単独では実質的な意味を表さず、他の実字や文に結びついて、その語や文の意味を充実させる働きをする文字です。日本語の助詞・助動詞・接続詞、英語の前置詞のような働きをする文字です。例えば、雖・則・也・乎・者・矣・焉等々です。

一般的に言えば、男児の場合は二文字目に助字の「則」「也」「哉」等が使われても、意味の通る良い名前が多いのですが、女児に「奈」を使うのは、奈良県に特別な愛着のあるような場合は別にして、名前の作り方が難しくなるのではないかと思っています。


続いて「マ」に使用されている文字です。

・茉(漢音バツ、慣用マツ・マ)
この文字は「茉莉」以外には使われません。「茉莉(まつり)」は、常緑低木、香気高く、白い花が咲きます。いわゆる、茉莉花茶とは、花で茶葉に香りを付けた物です。森鴎外が長女に茉莉(まり)と付けたせいか、『大漢和辞典』には、「マ」の慣用音はありませんが、その後の『漢和辞典』には「マ」の慣用音が書かれています。こういう事はあまりよいこととは思われません。

・麻(漢音バ、慣用音マ)
この文字は麻冠(あさかんむり)と言う部首ですが、この文字を考える場合には、矢張り、「まだれ」(「がんだれ」)と中の「𣏟」の部分とに分けて考えます。


大篆 麻



小篆 麻



隷書 麻


先ず、「广」の部分ですが、これは(音ゲン)という漢字です。部首に使われる時には「まだれ」と言います。また「厂」(音カン)も漢字で、部首に使われると「がんだれ」と言います。


小篆 广



金文大篆 厂



金文・篆文 厂


先ず「厂」(音カン)ですが、これは象形文字です。『説文解字』によれば、下に人の住むことのできる崖に象っています。『説文解字注』によれば、崖が突き出て、下に人が住む事ができる所にで、崖の上に人が住むのが「广」(音ゲン)です。籀文(ちゅうぶん、大篆に同じ)では「厈」に作るので、「干」の音で「カン」です。一説に、家の中に武器の置かれている様子を表していると言います。

「广」は、指事文字です。厂は崖をあらわし、上の|は家屋を示します。そこで、广は崖の上に高くそびえた家をあらわします。音は儼然の儼(ゲン、いかめしい・おごそか)と同じです。そこから、家の意になります。

さて、「麻」です。この文字は会意文字です。「广」と「𣏟」と合わせた文字ですが、「𣏟」(音ハイ)は「林」とは別の文字です。「𣏟」の片仮名の「ホ」の様な文字は、麻の茎から剥ぎ取った皮です。それを二つ並べて、皮を細かくさいて整理する意を表すので、「𣏟」だけで麻の総称にもなります。麻をつむぐのは屋下でするところから、「广」を加えて「麻」の文字になりました。そこで、この文字は、あさを加工して得る「あさ皮」「あさ糸」「あさ布」を言います。また、「广」も「厂」も家屋に関係があるからか、大篆では「厂」を使い、小篆では「广」が使われています。

この文字は、中国では、地名や姓にも使われます。例えば、麻坪(まへい)は四川省や陝西省にある地名ですし、山東省には麻大湖(麻大泊)という湖もあります。麻士龍(ましりょう)と言うと宋の武人、麻永吉(まえいきつ)は、明の御史(ぎょし、官僚の不正を暴いて取り締まる官)で清廉を以て聞こえました。

・真(音シン)
「眞」は、『説文解字』によれば、「匕」「目」「」「‖」の合字で会意文字です。「匕」は「化」の古字、「」は隠れる、「‖」は乗り物。養生の道は耳目から、或いは、真理を悟るには耳目からなので、この文字は「目」偏(めへん)の文字です。これらを総合して、この文字は「仙人が形を変じて天に登る」という意を表します。転じて、自然・妙理・天性・本質・神気・誠実等の意、そこから、まこと・変わらない・ありのまま・みち・うまれつき等の意味で使われます。名乗り訓は、サネ・マサ・チカ・マタ・マス・ナホ・マ、です。名乗り訓には「マ」がありますが、この文字は、また、接頭語としても用いられています。例えば、真人間・真正面・真一文字、或いは、真新しい等がこれです。

因みに、「目」は象形文字です。

「目」が象形文字である事は小中学校でも習いますが、「め」の象形であるならば、何故、縦に列んでいるのでしょう。



実は、甲骨文・金文までは人の目に象っていました。籀文(『説文解字』には、古文(「古文奇字」とも言い、地方的、私的な異体字)と書かれています)の目玉親父のような文字は、『説文解字』によれば、この文字は古文であり、外側が顔の輪郭をあらわし、中の「へ」の字が眉毛、下の「○の中に点」が目で、眉毛の下に目のある事を表しています。篆書から現在の「目」の形になったようです。


・舞(漢音ブ、呉音ム)
この文字の意味は、まい・まう・まわす・はやい・もてあそぶ・あなどる等です。手足・身体を動かし種々の態をなす事。特に音楽・歌謡にあわせておどる、という意味を表します。また、もてあそぶ、あなどる、という意味もあります。

但し、舞は「まい」と読みますが、「ま」がある意味を持ち、「い」がある意味を持ち、「ま」と「い」を組み合わせると、それを複合した「まい」という言葉ができあがる、と言うわけではありません。「まい」を構成する「ま」と「い」には何ら意味はなく、「まい」で初めて意味を持ちます。ですから、「舞」を「マ」と読むのはインチキです。

・舞(漢音ブ、呉音ム)
この文字の意味は、まい・まう・まわす・はやい・もてあそぶ・あなどる等です。手足・身体を動かし種々の態をなす事。特に音楽・歌謡にあわせておどる、という意味を表します。また、もてあそぶ、あなどる、という意味もあります。

但し、舞は「まい」と読みますが、「ま」がある意味を持ち、「い」がある意味を持ち、「ま」と「い」を組み合わせると、それを複合した「まい」という言葉ができあがる、と言うわけではありません。「まい」を構成する「ま」と「い」には何ら意味はなく、「まい」で初めて意味を持ちます。ですから、「舞」を「マ」と読むのはインチキです。


「えな」「えま」に関する文字の説明は以上です。


最後に、「えな」「えま」に良い名前があったのかどうか検証してみましょう。

・永菜(永はエとは読みません、インチキです。)
・依那(依は呉音エ、那は呉音ナです。那にたよる?意味不明です。)
・英那(英にエの音はありません、インチキです。)
・依奈(依は呉音エ、奈は慣用音ナです。林檎の樹にもたれる、という意味です。)
・英奈(英にエの音はありません、インチキです)
・依菜(依は呉音エ、菜は訓なです。野菜に頼る、という意です。八百屋さんでしょうか?)
・絵菜(絵は呉音エ、菜は訓なです。野菜をえがく、という意味です。)
・恵菜(恵は呉音エ、菜は訓なです。まるで僧侶の名です。)
・笑菜(笑はエとは読みません。インチキです。)
・慧那(慧は呉音エ、那は呉音ナです。完全に僧侶の名です。)
・慧奈(慧は呉音エ、菜は訓なです。完全に僧侶の名です。)
・愛菜(愛はエとは読みません。途方もないインチキです。)

・永茉(永はエとは読みません、インチキです。)
・咲茉(咲はエとは読みません。途方もないインチキです。)
・恵茉(恵は呉音エ、茉は慣用音マです。僧侶のような名です。)
・笑茉(笑はエとは読みません。インチキです。)
・絵茉(絵は呉音エ、茉は慣用音マです。茉莉花(ジャスミン)をえがく、という意です。)
・愛茉(愛はエとは読みません。途方もないインチキです。)
・恵麻(恵は呉音エ、麻は慣用音マです。僧侶のような名です。)
・笑麻(笑はエとは読みません。インチキです。)
・絵真(絵は呉音エ、真は名乗り訓マです。真実をえがく、という意味です。)
・愛真(愛はエとは読みません。途方もないインチキです。)
・絵麻(絵は呉音エ、麻は慣用音マです。麻をえがく、という意味です。)
・愛麻(愛はエとは読みません。途方もないインチキです。)
・恵舞(舞をマと読むのはインチキです。)
・笑舞(愛はエとは読みません。舞はマとは読みません。二重にインチキです。)
・英真(英にエの音はありません、インチキです。)

上記の名前は、漢字のインチキ読みもさることながら、「呉音」が多い事に驚きます。

「呉音」と「漢音」とでは、「呉音」の方が古い時代に日本に入ってきたと言われています。日本に始めて漢字が伝来したのは、四世紀から五世紀にかけての事です。その頃、中国大陸では、政治や文化の中心が、長江下流域の江南地方にありました。この地方には昔「呉国」があり、この地方の言語なので「呉音」と言っています。但し、それは海を越えて直接日本に来たのではなく、朝鮮半島の百済(くだら)を通して入って来ました。その為、正確に「呉国」の発音が伝わっているのかは、疑問であると言われています。「呉音」は朝鮮から対馬を通して入って来たので「対馬音」とも言われています。

また、「最高の名前が見つかる」と言いながら、日本の子供に付ける名前であるのに、二つに一つは、インチキというのはどういう事なのでしょう。


キラキラネームの秘密(十八)に続きます。

九寨溝(おまけ)

2017年08月12日 19時51分44秒 | 日記
私は90年代の半ばに、九寨溝を旅しました。

寨(さい)は、この場合は「村」の意、溝(こう)は、この場合は「谷間」の意です。九つの(チベット族の)村のある谷間、という意味です。

以下は、「東遊記」という八人の仙人が出て来る連続ドラマで、内容はちょっと「西遊記」と「ドラゴンボール」に恋愛を足したような内容ですが、仙界の雰囲気を出すために、「九寨溝」でロケが行われました。背景の滝や湖は、震災前の九寨溝の名所です。特に滝がカーテンの様に流れている場面がありますが、たぶん「若日郎瀑布」だと思います。お楽しみ下さい。

The Legends Of The Eight Immortals东游记 theme


成都から、中国人用のバスツアーに潜り込んで、二泊三日のバスの旅。早朝の出発で、バスの中でうとうとしていたら、いきなりドーン・ドーン。驚いて周囲を見回すと、向かいの山から白い埃が舞い上がっています。爆薬を使って道路を切り開いているのです。私は始めてハッパの音を聞きましたが、物理的にずしりと腹に響く音でした。バスは険しい山並みを縫うように奥へ奥へと入って行きます。途中、土砂で半分埋まったようなガケの道をそろそろ通過して汶川に到着。

外国人がそれほど行かない時代の事とて、日本人が九寨溝に行くというので、成都を出る時に、パスポートをチェックされ、保険を掛けろ、と言われました。日本人だからだろうか、中国人にも掛けているのだろうか、と半ば苦々しく思いながら、掛け捨ての保険に入りましたが、途中、河原のような所には、どう考えても上から落ちてきたとしか思えない巨大な岩がゴロゴロしていたりして、汶川を通過する頃には、本当に危険なのだと実感していました。

今回の事故では、旅行客は4万人と報じられましたが、私達が行った時には、バスはせいぜい二台か三台。豪華なホテルもなく、道路も整備されておらず、途中の危険さも加味されて、九寨溝は美しい所だなと思いました。うーん、巨大な五色沼とパムッカレと小型のナイアガラの滝、と言った感じです。

因みに、この旅行は、教員をやっていたときの同僚(女性)一人と行きました。私はそれ程興味はなく、彼女が望んで実現した旅でしたが、私以外は全て中国人。しかも、バスの窓から見える風景は断崖絶壁、事故がいつでも起きそうな山道で、絶句していました。

私達以外のツアー客は、退職した教員の一団、新婚旅行のカップル、会社経営者の夏休み等々、けっこう文化水準の高い一団でした。全て中国人仕様の旅行ですから、費用はお小遣いも含めて一万円もかからなかったように思います。但し、一万円は、当時の中国では、30代の公務員の月給と同額です。彼等にとっては、豪華な旅行の筈でした。。。碌な土産物もなく、純粋に風景を楽しめる旅で、もう一度行ってみたいと思っていたのですが、ちょっと難しくなってしまいましたね。

次回は「漢字の話」に戻ります。ハルヒが巻きで行くわよ、と言うので、巻きで行きます!

四川九寨溝大地震(170808その二)

2017年08月12日 17時36分03秒 | 日記
中国四川九寨溝で、現地時間8月8日21時19分にマグニチュード7級の地震が発生しましたが、同じく四川省凉山では、同日、土石流が発生しており、翌9日早朝には、新疆ウイグル自治区で、震度6.6の地震が発生しました。これらの災害に関連があるのか否かは俄には分かりませんが、先ずは、24人の死者を出した四川省の土砂崩れから紹介したいと思います。

「聯合新聞網」

『四川凉山の土石流で 24人死亡1人行方不明(四川涼山泥石流 24死1失聯)』

2017-08-09 13:35世界日報 中國新聞組/北京9日電

「四川省凉山州 普格県で8日、暴雨のために土石流が発生し、既に24人死亡、1人行方不明、157戸577人が、程度の差はあれ被災している。

新華社の報道によれば、普格県(ふかくけん)蕎窩鎮(きょうかちん)耿底村(こうていそん)で、8日午前6時頃、暴雨のために山津波が発生し、土石流が家屋71棟を押し流し、公道を5Kmに渡って破壊し、更に、水道管・橋梁・水田等に被害が出た。

この災害によって、24人が死亡、1人が行方不明、4人軽傷、1人が救出され、157戸577人が、それぞれ異なる程度で被災している。

四川省政府新聞弁公室は、71棟の家屋が押し流され、道路が5Kmに渡って被害を受けた。今回の土石流による直接的な経済損失は1.6億人民元(約2380万ドル)になる見込みだ、と発表した。

中新社の報道では、7日の晩8時から8日の午前8時にかけて、普格県の雨水郷・吉楽郷団結村は豪雨に見舞われ、蕎窩鎮の吉楽俄木村・劉家坪郷・永安高家梁子村に大雨が降った。その中で雨水郷の降水量が最大で55.7ミリメートル、一時間当たりの最大降水量は38.9ミリメートルだった。

天府早報のミニブログ(微博)の情報によれば、8日午前11時に、蕎窩鎮を通過すると、いまだ道路の両側には多くの車輌が停まっており、公安・消防・医療等にたずさわる人々が救援活動を行っていた、と。」(「聯合新聞網」『四川凉山の土石流で 24人死亡1人行方不明(四川涼山泥石流 24死1失聯)』2017-08-09 13:35)


四川涼山普格泥石流24人死亡




一方、新疆ウイグル自治区では、9日に地震が発生しました。以下は新疆地震に関する「人民ネット」の記事です。

「人民ネット(人民網)」


『新疆精河で6.6級の地震 地震局は地震応急Ⅱ級の対応を発動
(新疆精河6.6級地震 地震局啟動地震應急Ⅱ級響應)』

2017年08月09日10:08 來源:人民網-新疆頻道

「人民網ウルムチ8月9日電、

新疆地震局の公式ミニブログ(微博)の情報によれば、2017年8月9日7時27分、新疆ボルタラ蒙古自治州精河県で6.6級の地震が発生、震源の深さは11Km、震源地は北緯44.27度、東経82.89度の地点。

震源は精河県の托裡鎮(たくりちん)に位置しており、精河県城(県城は県の人民政府が置かれている町)から37Kmの地点で、震源を含む地域は強烈な揺れを感じ、石河子市・昌吉市・ウルムチでも揺れを感じた。

地震発生後、新疆ウイグル自治区地震局は、すぐさま地震応急Ⅱ級の対応を発動し、同時に震源地域の自治区地震局副局長 鄭黎明(ていれいめい)と新疆地震局野外工作員を派遣し、直ぐさまその足で震災区域に行かせ、被害の状況を把握させた。

目下、死傷者が出たという報告は無い。自治区地震局は現在、人員を被災地域に派遣して調査を行っている。」(「人民網」『新疆精河で6.6級の地震 地震局は地震応急Ⅱ級の対応を発動(新疆精河6.6級地震 地震局啟動地震應急Ⅱ級響應)』2017年08月09日10:08)


新疆清晨6 6級地震 烏魯木齊有強烈震感



四川九寨溝晚上發生七級地震,另四川涼山發生泥石流,24人死亡!

最初から1分17秒までが九寨溝地震について、1分18秒からが凉山の土石流についてです。



また、一ヶ月前の6月24日午前6時頃には、今回と同じアバ州の茂県(もけん)で大規模な土砂崩れが起きていました。

6月24日現地時間午前6時ごろ、大規模な土砂崩れが発生し、住宅46棟を巻き込み、141人が生き埋めになりました。この土砂崩れは、現場付近で1か月ほど前から降り続いた雨が原因と見られています。

太悲慘!四川新磨村突發山體垮塌瞬間直擊及災區現場

6月24日に起きた土砂崩れの瞬間。

この事件について「BBC NEWS JAPAN」は次の様に報じています。

『中国・四川省の土砂崩れ 90人以上まだ行方不明』

2017年06月26日

「中国四川省アバ・チベット族チャン族自治州茂県で24日早朝に発生した大規模な土砂崩れで、26日朝の時点でもまだ90人以上が行方不明となっている。地元住民が「前代未聞」と呼ぶ災害に40戸以上の民家が飲み込まれ、これまでに10人以上の遺体が発見された。1000人態勢の捜索が続いているが、生存者発見の望みは薄いという。

土砂崩れは、24日午前6時(日本時間同7時)前に発生。山の一部が崩れ、川岸にある新磨村を襲った。大雨が原因とみられている。

土砂に巻き込まれた夫婦と赤ちゃんが救出され、病院に運ばれた。助かったシャオ・ダシュアイさんは国営テレビの中国中央電視台に対して、赤ちゃんの泣き声で自分たちは目が覚めて、玄関を開けた瞬間に水にさらわれてしまったと話した。シャオさんの両親や複数の親類が行方不明という。

隣村のウー・ユヘンさんはロイター通信に対し、土砂崩れの多い地域ではあるが、これほど大規模なものは前例がないと話した。

25日を通して救急隊とボランティア3000人以上が、救助犬と共に土砂を掘り続けた。

国営メディアは15人の遺体が発見されたと伝えたが、現場の当局者は25日、死亡が確認されたのは10人のみだと述べた。また行方不明と伝えられた複数の人が、現場から離れた場所で無事でいるのを発見されたという。

習近平国家主席は、救急隊に「手を緩めず」全力で救助作業にあたるよう求めた。

国営・新華社通信によると、土砂崩れで川が長さ2キロにわたり土砂で埋まった。地元警察は、植生が少ないせいで被害が拡大したと話している。

地元当局によると、約8立方メートル大の岩が落下。緊急車両を除き、道路は通行止めとなった。

中国の山間部では、特に雨季になると土砂崩れが頻繁に発生する。2008年の四川大地震では、8万7000人が死亡した。茂県では、地震による土砂崩れで観光バスが埋まり、観光客37人が死亡した。」(「BBC NEWS JAPAN」『中国・四川省の土砂崩れ 90人以上まだ行方不明』2017年06月26日)


四川九寨溝7.0級地震 已致19人死亡263人受傷




さて、最後に今回の地震による被害を取り上げた「BBC中文」の9日の記事を紹介したいと思います。記事では247人負傷と報じられていますが、台湾の「東森新聞」は、19人死亡、343人負傷、徹夜で6万人が避難、余震が100回以上で震度4を越える物も何度かあった、と伝えています。


『四川九寨溝地震:少なくとも19人死亡 247人負傷
(四川九寨溝地震:至少19死 247傷)』

2017年 8月 9日


「目下、風景区の道路は程度の差はあれ損傷を受け、多くの山は崩れている。8月9日、旅行客は、比較的安全なインターコンチネンタル九寨パラダイス(九寨天堂洲際大飯店)の駐車場に集められ、救援を待っていた。



8月9日、旅行客は、比較的安全なインターコンチネンタル九寨パラダイス(九寨天堂洲際大飯店)の駐車場に集められ、救援を待っていた。8月8日、四川省九寨溝県で7.0級の地震が発生し、インターコンチネンタル九寨パラダイスも被害を受けた。



九寨溝風景区内の「五花海風景区」に向かう道路の状況。四川省アバ州応急管理弁公室は、8月9日13時10分までに、九寨溝県漳扎鎮(しょうさつちん)での、M7.0級の地震による死亡者数は19人、負傷者数247人うち40人が重傷、と発表した。


 
中国国家主席習近平は、組織力で迅速に救済し、全力で負傷者を救助し、旅行客と被災した群衆を安全な場所に避難させ、死傷者を最小限にくい止めるよう要求した。図は地震後、現地の武装警官・官兵が旅行客を安全な場所に誘導し、群衆を救助する様子。



8月8日、甘粛省 定西市安定区 北景苑小区の住民は、室外に避難した。中国地震台網センター地震予報部は、8日晩22時30分までに、震源付近で107回の余震があり、そのうち3~3.9級の地震が2度、最大の余震は3.3級、と発表した。



8月8日、甘粛省 定西市安定区 瑞麗家園小区の住民は、室外に難を避けた。



8月8日晩、四川アバ州九寨溝県の301号省道の関門付近では、地震による地滑りで道路が消えた。中国地震局は、今回の地震は特別重大地震災害であり、震源地は四川省アバ州九寨溝県漳扎鎮、震源の深さは約20Kmである、と発表した



九寨溝風景区旅客センター付近の、被害を受けたブロック。



甘粛省隴南市(ろうなんし)消防隊は、揺れの激しかった文県(甘粛省隴南市の県)に、直ぐさま救援に向かった。



西部戦区空軍指揮制御センターは、災害救済緊急計画を発動させ、直ぐさま部隊に災害救援指令を下した。



九寨溝風景区付近で被害を受けたホテルのエントランス




目下、風景区の道路・多くの湖が程度の差はあれ被害を受けており、多くの山が崩れている。これは、8月9日に撮影された「五花海風景区」。」(「BBC中文」『四川九寨溝地震:少なくとも19人死亡 247人負傷(四川九寨溝地震:至少19死 247傷)』2017年 8月 9日)

記事はここまでです。


前回の2008年5月の四川大地震の時にも言われた事ですが、四川省で大地震が発生する原因として、プレートの移動や断層の影響の他に、「三峡ダム」を挙げる意見があります。巨大なダムの圧力で、地震が起きると言う物です。また、「巨大ダム」による環境の破壊についても、度々、議論されています。

天候不順は中国に限った事ではありませんが、確かにアバ州では地震が多く、四川省では山津波もたびたび起きています。

もし、本当にダム建設の影響があるとすれば、揚子江河イルカに続いて、九寨溝の風景も影響を受けた事になります。罪な事です。


地震前の「五花海」

それは兎も角、九寨溝の風景区も深刻な影響を受けてしまったようですし、四川省に長期の雨が降った後は、大量の雨水と土砂がダムに流れ込むはずなので、四川省及び、新疆ウイグル・青海省の付近の観光は控えた方が良さそうです。

今回は、日本人に被害が出なくて本当に良かったと思っています。それと同時に、九寨溝で一人でも多くの人が助かりますよう、お祈り申し上げます。

次回は、漢字の話に戻ります。

四川九寨溝大地震(170808その一)

2017年08月09日 17時27分24秒 | 日記
四川省九寨溝で、昨夜、震度7の地震が発生しました。それに関して、先ずは「紐約時報中文網(ニューヨークタイムズ中文ネット)」の報道です。

『NEWS Letter:四川九寨溝で地震が発生 死傷者多数(簡訊:四川九寨溝發生強震,多人死傷)』

ニューヨークタイムス 中文ネット(紐約時報中文網)

2017年8月8日

「四川九寨溝地区で火曜の晩9時19分に地震が発生した。中国地震局網の測定では震度7、米国地質調査局(USGS)は6.5を測定した。(九寨溝のある)アバ州の公式ミニブログ(微博)の情報によれば、9日朝8時までに、死者は12人、負傷者は175人にのぼった。

最初の大きな地震が発生した約20分後、現地では再び震度3.3の余震が発生した。今回の地震の震源は九寨溝県から約40Km、成都から約280Kmの距離。四川・陝西の多くの地域で揺れを感じたと報じられた。」(「紐約時報中文網」『簡訊:四川九寨溝發生強震,多人死傷
』2017年8月8日)


続いて「BBC中文」の報道です。

『四川九寨溝県で震度7の地震が発生 多くの地域で強烈な揺れを感じた(四川九寨溝縣發生7級地震多地震感強烈)』


2017年8月9日


「中国四川九寨溝で、現地時間8月8日21時19分にマグニチュード7級の地震が発生し、9人死亡、100を越える負傷者を出した(死者は皆、旅行客だった)。

中国地震局は、今回の地震を特別重大地震災害と発表した。震源は四川省アバ州九寨溝県漳扎鎮(しょうさつちん)、震源の深さは約20Km、と発表した。


四川省アバ州応急管理弁公室は、8月9日9時25分までに、九寨溝県漳扎鎮でのM7.0級の地震による死者数は、既に13人、負傷者175人に上り、その中で28人が重傷、と発表した。

四川省政府新聞弁公室は、九寨溝県漳扎鎮には3.5万人の旅行客が逗留しており、当局は積極的に旅行客を退避させており、ツアー客と個人の旅行客は現在、続々と甘粛省文県と綿陽市平武県から避難退避しているので、恐らく水曜の18時前には、避難は完了するだろう、と発表した。

中国地震局の発表では、今回の地震を「特別重大地震災害」と認定した。震源は、四川省アバ州九寨溝県漳扎鎮、震源の深さは約20Km、と。

四川・甘粛・青海・寧夏・陝西の多くの省で揺れを感じ、一部の地域では強烈な揺れを感じた。

中国地震局は既に※第Ⅰ級緊急対応(応急饗応)を発動させ、緊急に工作隊を派遣し、震災地区で救済活動を展開している。

水曜払暁、国務院抗震救災指揮部は、国家Ⅱ級地震緊急対応(応急饗応)を発動させた。

※2012年国務院発布の《国家地震応急予案》によれば、実際に発生した災害の程度によって、地震災害は「特別重大」「重大」「やや大」「一般」の四級に分けられ、並びに、地震災害の緊急対応は、Ⅰ級・Ⅱ級・Ⅲ級及びⅣ級に分けられます。「特別重大地震災害」の対応には、Ⅰ級の対応を発動させます。国務院抗震救済指導機構が責任を負い、指導・指揮・全国の救済活動の調整を行い、震災の起きた省級抗震災害援助指揮部の指導によって、震災地域の救済が行われます。「重大」「やや大」「一般」の震災には、Ⅱ級・Ⅲ級・Ⅳ級の救済活動が発動され、それぞれ、省級・市級・県級の抗震救済指揮部が救済活動を指導します。


地震発生後、九寨溝県全域が停電した。目撃者は、九寨溝風景区内に全壊・半壊の家屋のあるのを見た。

四川アバ州九寨溝県で発生した7.0級地震は、社会からの注目を集めている。専門家の分析では、今回の地震は、2008年に発生した汶川地震と直接の関係はないが、しかし、この二つの地震の原因は同一である、と称している。

地震局の専門家は、今回の地震は岷江(びんこう)断裂帯と東崑崙(こんろん)断裂帯東部の交差する地帯で発生している、と判断している

九寨溝シャングリラでビールの代理店を開いている阿麟(ありん)はBBC中文の記者に対して、地震の発生は非常に早く、だいたい数秒間の事だった。旅行客は路上にいて、基本的に負傷者はいないようだ。倒壊した建物は無いが、路上には山上からの落石がある、と語った。現地は現在停電している。

阿麟は、付近に数百人がいる、皆、道路に沿って座っている。皆は、不意のでき事に驚きあわてているが、車は公道を走り始めている。秩序は乱れていないし、状況の悪化も見られない。現地の住民が現場の秩序維持に努めている。多くの宿屋の経営者は宿泊客の安否を調べ始めている、と語った。

旅行で西安を出発し、甘南チベット族自治州(甘粛省の西南隅)に向かっていた趙さん一行は、震源から90Kmのゾルゲ県(アバ州最北部)に宿泊していたが、彼はBBC中文の記者に対して、晩の9時過ぎ、明らかな揺れを感じ、ホテルの人々は皆外にかけだした。ゾルゲ草原周囲では、家屋の倒壊は見られなかった。夜は、旅行客は皆車上で過ごした。余震は感じられなかった。旅行客は皆無事だ、と語った。

官報新華社は九寨溝風景区の作業員の話しを引用し、九寨溝風景区内第四條溝 扎如溝(さつにょこう、九寨溝入り口付近)で、家屋の倒壊と半壊が見られ、現地で現在、緊急避難が行われている、と報じた。

8日晩11時に開かれた、地震後初めての記者会見で、※九寨溝幹海子風景区付近で、100名以上の旅行客が閉じ込められている、という情報がもたらされた。

※九寨溝幹海子風景区付近で山が崩れ、100名以上の旅行客が閉じ込められている。目下、死傷者の情報は、上がってきていない。

震源から40Kmに位置する九寨黄龍飛行場は強烈な揺れを感じたが、死傷者もなく、地震後も飛行場は運行されている。

当夜には2便が運行する予定だった。1便は運行停止を余儀なくされたが、他の1便は予定通り無錫に向けて飛び立った。

九寨溝付近の蘭渝線(らんゆ線、甘粛省蘭州市と重慶市を結ぶ全長820kmの高速鉄道)と宝成線(四川省成都市と陝西省宝鶏市を結ぶ全長669kmの鉄道路線)上の多くの列車が成都鉄道局の命令で運行停止になった。

九寨溝管理局が発表した情報によれば、地震の影響を受け、九寨溝管理局は現在全力で風景区の危険防止作業を展開しており、8月9日から九寨溝は旅行客の受け入れを停止している。

九寨溝風景区の8月8日の来客数は38799人、昨年同期に比べ5483人の増加、16.46%の成長を示している。その中で団体客は18158人、個人の旅行客は20641人だった。

2008年5月12日午後2時27分、汶川(ぶんせん)で8.2級の大地震が発生した。震源は四川省アバ州汶川県映秀鎮で、震禍は、中国の大半、及びアジアの数ヵ国と地域に及んだ。北は遼寧、東は上海、南は香港・広東・澳門(マカオ)、タイ、ベトナム、西はパキスタンで均しく揺れを感じた。

地震は、四川・甘粛・陝西等の震災地域での直接の経済損失は、合計8451億人民元。被災地の衛生・住居・校舎・通信・交通・治安・地表面の形状・水利・生態・少数民族の文化等方面で深刻な被害が出た。」(「BBC中文」『四川九寨溝県で震度7の地震が発生 多くの地域で強烈な揺れを感じた(四川九寨溝縣發生7級地震多地震感強烈)』2017年8月9日)

乱文乱筆、申し訳ない。取り急ぎ掲載します。

漢字の話(キラキラネームの秘密、十六)

2017年08月08日 02時30分34秒 | 日記
漢字は、表音文字であると共に表意文字でもあります。これらの熟語は、意味の上から見た場合に、どうなるでしょう。

「ゆめ」の「由芽・由萌」ですが、芽は、「漢音ガ、呉音ゲ、意味は、め」発芽・麦芽。萌は「漢音ボウ、慣用音ホウ、意味は、め・めばえ・きざし」。ですので、「芽」も「萌」も「芽」の事で、ともに名詞です。由は、「漢音ユウ、呉音ユ、慣用音ユイ」です。「由」は、助詞の「より」や、副詞の「なほ~のごとし」のような用法の他に、「ひこばえ」という意味があります。すると、「由芽」「由萌」は、同義の字を合わせた形になり、それほどおかしな熟語ではないと言えそうです。但し、普通は「ゆうが」「ゆうぼう」と読むでしょうし、意味は「芽」や「萌芽」となります。



「げんき」

何故「元気」と書かないのか、という疑問は別にして、「元貴・元希・弦希・玄稀・弦輝」の意味は、次の様になります。

「元」は、『説文解字』によれば、一と兀(ゴツ)を合わせた文字で、一は万物の始め、兀は音声としています。しかし、『説文通訓定声』によれば、古文の「人」と、古文の「上(二)」を合わせた文字で、人体では首が一番上にあるので、かしら・こうべ、また「はじめ」の意とします。更に、上とは陽気・天・男性を表すので、男の始め(長男)を「元」と言います。元子というと世子・嫡子の意になります。名前よりも、字(あざな)として好まれる字です。名乗り訓には、マサ・モト・ユキ・チカ・ハルがあります。


甲骨文 元


小篆 元

古代の中国には、名前の他に「字(あざな)」を付ける習慣がありました。子供が生まれると、三ヶ月以内に父が名を付け、男子は成人すると冠をつけ「字」を付けます。字は敬意を込めた名ですので、相手が同輩以上の場合には、その人物の「字」を呼び、自分は名を名乗ります。例えば、諸葛亮、字は孔明の場合、主君の劉禅(りゅうぜん)に奉(たてまつ)った『出師表(すいしのひょう)』が有名ですが、この名文の誉れ高い文章は、「臣亮言(もう)す…」と書き始められます。他の人物から呼ばれるときには字の孔明が使われ、自らは亮を名乗ります。

「字」は名と関係のある文字を使う場合が多く、例えば、孔子は、名は「丘(きゅう)」、字は仲尼(ちゅうじ)ですが、これは、父の叔梁紇(しゅくりょうこつ)と母の顔氏が尼丘(じきゅう、山東省曲阜の南にある山)に祈って生まれた事によります。仲尼の「仲」とは兄弟順を表す文字で、上から伯・仲・叔・季の順番です。五十前では季(すえ)であるかどうか分からないので、これらの文字は、五十歳になってから「字」の上に加えたようです。

さて、「元貴」ですが、実はこれは北周の趙貴(ちょうき)の字です。名前が「貴」で長男だったので「元貴」なのでしょう。

北周は、南北朝の北朝の国です。439年、北魏が華北を統一すると、それ以降、漢民族の南朝と鮮卑族の北朝の対立が始まります。北朝の北魏の大都督であった宇文泰(うぶんたい)は、534年、孝武帝を毒殺して北魏を滅ぼし、文帝を擁立して西魏をたて、都を長安に定めました。その後、泰の第三子 宇文覚は、最初、西魏に使えて周公に封ぜられましたが、後に簒奪して自立し、国を北周(556年~581年)と号しました。宇文護は宇文泰の遺命を受けて、宇文覚を補佐し、西魏を滅ぼしました。覚が帝となると、護を大冢宰に任じましたが、専横に流れたために、覚は護を除こうとしました。趙貴は、もともと宇文泰によって大都督に任命され、楚国公に封ぜられていましたが、宇文護の専横が目にあまるようになると、護を謀殺しようとしました。しかし計画は漏れ、趙貴は殺され、宇文覚も在位二年で弑(しい)せられました。

こういう縁起のよくない人物の「字」を、何故、わざわざ紹介するのか理解に苦しみます。

さて、「元希」の「希」は、漢音キ、呉音ケ、まれ・めずらしい・ほとんどない・こいねがう・のぞむ等の意味があります。すると、元(はじめ、名詞)+希(まれだ、形容動詞)で、全く意味不明です。また、元(はじめ、名詞)+希(こいねがう、動詞)の意味でとると、「始めに願う」の意となり、やはり、意味不明です。名詞の下に動詞が来る熟語はありますが、「元希」は、熟語としては無理があるように思います。

「弦希」の「弦」は、音ゲン、つる・ゆづる・ゆみはりづき。本義は弓の弦のことです。弓と、黒い糸の意と音を示す「玄」とからなります。弓の弦は糸でつくって弓に張ります。そのため琴瑟に張るものも弦と言います。希は上記と同じですので、弦(ゆづる・ゆみはりづき、名詞)+希(まれだ、形容動詞)・弦(ゆづる・ゆみはりづき、名詞)+希(こいねがう、動詞)となり、「弦希」もまた、熟語としては成立していません。



大篆 弦


小篆 弦

「弦輝」は既にある熟語です。弓張り月の光、という意味です。下弦・上弦の月の光、という意ですので、風雅ではありますが、子供の名としてどうなのだろうと思います。

「玄稀」は、「玄」は、『説文解字』には、「幽遠(静かで奥深いの意)也」、と。古文は、糸の古字と・・との合字で、・・は糸の黒く染まった色を示します。漢音ケン、呉音ゲン、黒色、天の色、遠い、深い、静か、北方、北向き、陰暦九月の異称、かがやく、くらむ、の意味があります。


古文の玄

清代には、康煕帝(こうきてい)の諱(いみな)が「玄燁(げんよう)」であったので、「玄」の字を避けて「元」が代用されました。「稀」は、漢音キ、呉音ケ。もともとは、稲の苗をまばらに植えるという意味を持つ文字です。そこから、まばら、すくないの意で、「希」と同様に使われます。そのため、稀少・稀有・稀薄はまた、希少・希有・希薄とも書きます。すると、「玄稀」は、「玄(名詞・形容詞・形容動詞・動詞)+稀(形容動詞)」の意味は、「黒くてまばら」「静かでまばら」等の意味になり、熟語としては成立するかもしれませんが、碌な意味ではありません。子供の名として相応しいとは思われません。

こうして見ると、頑なに「元気」を使わずに、自作の名を列挙していますが、「元貴・元希・弦希・玄稀・弦輝」の中には、不吉な物・意味不明な物もあり、子供の名として賛成できそうな名は、一つもありません。


さて、最後に「えな」永菜・依那・英那・依奈・英奈・依菜・絵菜・恵菜・笑菜・慧那・絵菜・慧奈・愛菜。「えま」永茉・咲茉・恵茉・笑茉・絵茉・愛茉・恵麻・笑麻・絵真・愛真・絵麻・愛麻・恵舞・笑舞・英真、を見て行きましょう。

この「えな」「えま」は、2016年版『最新「最高の名前」が見つかる!赤ちゃんの名づけ新百科』の、「読みから選ぶ女の子の名前リスト」の中に掲載されている物で、「えな」に続けて「えま」の名が列挙されています。

一見して感じるのは、これらの名が、一つ一つ丁寧に考え、或いは、集めた名ではなく、「え・な・ま」と読めそうな漢字を適当に集めて繋げた名だと言う事です。しかも、「咲茉」を始めとして、漢字をきちんと読んでいない、インチキ読みをしている物が、異常に多いのに驚きます。

何を考えて、この様な名を子供に付けようと考えついたのかは不明ですが、私は、誰かが「えな」と言えば、「胞衣(えな)」を思い浮かべますし、「えま」と言えば、「絵馬」を思い浮かべます。

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長くなりそうなので、一度切ります。

漢字の話(キラキラネームの秘密、十五)

2017年07月25日 01時31分27秒 | 日記
・日本語を破壊するキラキラインチキ

ところで、「こはる」「ゆめ」「げんき」「えな」「えま」、と言われたら、皆さんはどの様な文字を連想されますか?

恐らく、「小春」「夢」「元気」「褜・胞衣・恵那」「絵馬」等を考えるのではないでしょうか。


「小春(こはる)」とは、陰暦十月の異称です。十月は気候が温暖で春に似ているので、小春と言います。これは、古くは北周(556~581年)の※宗懍(そうりん)が著した『荊楚歳時記(けいそさいじき)』にも出て来る言葉です。「荊楚」とは、春秋戦国時代(前770~前222)に、現在の湖南省と湖北省の一帯にあった「楚国」を指します。この本には、荊楚の地域の元旦から除夜に至るまでの風物・故事が記されていて、その中に「小春」もでてくるのです。現在、私達が使っている「小春日和(こはるびより)」とは、小春(陰暦十月)の頃の暖かな天気の事を言います。

次に、「夢(ゆめ)」とは会意文字です。「夕」と「瞢(ぼう、目の明らかでない意)の字の省略形」を合わせた文字で、本義は、夕方になり、視界がぼんやりして明らかに見えない事です。この字を「ゆめ」と訓ずるのは仮借的用法です。『説文解字』によれば、「夢」の本義は「くらい」「あきらかならず」で、「ゆめ」にはもともと別の字がありました。しかし「夢」の字を「ゆめ」として用いるようになったので、もとの「ゆめ」の字が廃れてしまいました。では「ゆめ」とは何かと言えば。寝ている時、うつつのように見る心の現象です。或いは、空想・まぼろしの事で、名付けに使われる文字として相応しいとは思われません。

「元気(げんき)」とは、万物の根本をなす気。天地の気。万物を生成する根源的精気、天地が分かれる以前の混沌とした気、或いは、最も原始的、最も本質的な要素の事です。後漢(25~220年)以降の書物に散見し、唐(618~907年)の詩人 李白(701~762年)の詩※『日出入行』(人元気にあらずんば、いづくんぞ之と久しく徘徊するを得ん)にも出てくる言葉です。日本では、威勢・勇気・健康の意で使われています。

「褜・胞衣(えな)」とは、胎児を包んでいる胎盤・卵膜・臍帯の総称で、後産として出て来るものです。また、「恵那(えな)市」は、岐阜県の南東部の市、中山道の旧宿場町で、ダンボール原紙生産量日本一、石材の切り出しも盛んで、恵那錆石(えなさびいし、赤茶色を帯びた花崗岩)の産地としても有名です。

「絵馬(えま)」とは、願い事や感謝のために、神社・仏閣に奉納する額です。馬を奉納する代わりに、馬の絵を捧げた事に始まります。※『今昔物語、十三』にも「前に板に書いたる絵馬有り」と登場する、歴史のある言葉です。


「こはる」「ゆめ」「げんき」は非常に古い言葉であり、「えな」は、或いは後産、或いは都市の名前。「絵馬」も平安時代にまで遡る事の出来る言葉です。古くからの伝統的な、過去から未来に至るまでの日本人が共に所有する言葉です。


ところが、2016年版『最新「最高の名前」が見つかる!赤ちゃんの名づけ新百科』には、上記の単語の読みに、例によって変ちくりんな当て字が使われています。

「こはる」来春・心陽・心暖・香春・香陽・湖晴
「ゆめ」由芽・由萌・侑芽・結芽・結萌・結愛・結夢・優芽
「げんき」元貴・元希・弦希・玄稀・弦輝
「えな」永菜・依那・英那・依奈・英奈・依菜・絵菜・恵菜・笑菜・慧那・絵菜・慧奈・愛菜
「えま」永茉・咲茉・恵茉・笑茉・絵茉・愛茉・恵麻・笑麻・絵真・愛真・絵麻・愛麻・恵舞・笑舞・英真

そこで、これらについて少し考えたいと思います。

先ず、「来春」この字は、「らいしゅん」とは読めますが、「こはる」とは読めません。「来る」は、口語でも文語でも「カ行変格活用」をする動詞です。「来(こ)」は未然形です。「春(名詞)」は体言です。未然形で体言に接続することは、あり得ません。これは、小学校でも習う文法の基礎です。「来春」を「こはる」と読むのは、インチキです。

「心陽」の「心」とは、心臓の形を表した象形文字です。音は「シン」、訓は「こころ」です。日本語の「こころ」が何かと言えば、一説に、体の中に凝っているものの意で、「こる→こごる→こころ」と転じたと言われています。「こころ」で一つの単語です。「心当て」「心有る」「心意気」「心祝い」「心得る」「心得顔」「心置きなく」「心おとり」「心覚え」「心掛かり」「心掛け」「心構え」「心柄」「心変わり」「心組み」「心苦しい」「心して」「心丈夫」「心添え」「心頼み」「心遣い」「心付く」「心づくし」「心付け」「心積もり」「心強い」「心無い」「心ならずも」「心憎い」「心根」「心残り」「心ばえ」「心ばかり」「心馳せ」「心細い」「心任せ」「心待ち」「心持ち」「心許ない」「心安い」「心安立て」「心遣り」「心ゆくまで」「心弱い」これらの単語は全て「心」を「こころ」と読みます。単独で「ここ」と読む事は、「心地(ここち)」以外には思いつきませんし、「心地」にしても、漢籍に出て来た場合には「しんち」と読みます。「心地(ここち)」の様な特異な例を以て、「心」に「ここ」という訓を付けるのは誤りです。「ここ」では何の意味も成しません。まして、「こ」とは読みません。また、「陽」に「はる」の訓はありません。そもそも、「陽」は中国人の「姓」ですので、伝統的に人名には好まれません。ですので「心陽」は「しんよう」としか読めません。心得違いも甚だしい。

次に「心暖」、「暖」の名乗り訓には、「アツ・ハル・ヤス」がありますが、「心」は上記の理由で「こ」と読むのはインチキです。

「香春」の「香」は、会意文字です。この字は、上はもともと「黍」、下は「甘」との合字で、「甘」は良い香りの意。





故に、「香」の本義は、麦・黍・五穀を調理をした食物を楽しむときの好いかおり。篆書から隷書に移行するときに「黍」の字が「禾」に、「甘」が「日」に変わりました。漢音キョウ・呉音コウ、か・におい・かおり等の訓があります。ですから「花の香(か)」などのように、「香(か)」と読む事はできますが「こ」がどこから出て来たのかは分かりません。「香春(こうしゅん)」とは読めても「こはる」とは読めません。同様に、「香陽」も、「香」に「こ」の音訓はありません。「陽」に「はる」の訓はありません。共にインチキです。

「湖晴」の音訓については、「湖」は音は「コ」訓は「みずうみ」、晴は音は「セイ」名乗りに「ハル」の訓もあります。しかしながら、この熟語は語順がおかしいと思います。ハルの湖にせよ、晴れた湖にせよ、修飾語は「湖」の上につきます。「春湖」「晴湖」が正しい語順です。

そもそも、「小春」という立派な熟語があるにも関わらず、どうして、インチキの熟語を作らねばならないのか理由が分かりません。これでは、単に、日本語、或いは、日本の熟語を破壊したかったとしか思われません。


「ゆめ」

「由芽・由萌・侑芽・結芽・結萌・結愛・結夢・優芽」ですが、この中で「侑芽」と「優芽」については、侑は(漢音ユウ、呉音ウ)・優は(漢音ユウ、呉音ウ)なので、どう読んでも「ゆめ」とは読めません。インチキです。

次に、「結芽・結萌・結愛・結夢」ですが、「結」の音訓には(漢音ケツ・ケイ、呉音ケチ、むすぶ、ゆう)があります。これらの名は、この中の「結う」を使ったものと思われますが、間違いです。

この、2016年版『最新「最高の名前」が見つかる!赤ちゃんの名づけ新百科』には、この「結(ゆ)」もそうですが、「潤(うる)」「爽(さわ)」等、一見、活用語尾を切り捨てて語幹だけを読む方法を採用したような名前が掲載されています。しかし、語幹だけでは日本語とは言えません。間違いです。


ここで少し漢字に関わる文法に触れたいと思います。

文法用語で活用語尾を除いた形の変わらない部分を、語幹と言います。例えば、動詞の「歌ふ(文語)」や、形容動詞の「清(さや)かなり(文語)」の場合

「歌ふ」は、四段活用をする動詞です。
歌は、歌ひ、歌ふ、歌ふ、歌へ、歌へ、
この場合、「歌」が語幹、「は(未然)・ひ(連用)・ふ(終止)・ふ(連体)・へ(已然)・へ(命令)」が活用語尾です。

「清(さや)かなり」は、ナリ活用をする形容動詞です。
清かなら・清かなり・清かなり・清かなる・清かなれ・清かなれ、
この場合は「清か」が語幹で、「なら(未然)・なり(連用)・なり(終止)・なる(連体)・なれ(已然)・なれ(命令)」が活用語尾です。

さて、この本の「潤(うる)」と「爽(さわ)」という名前ですが、

「潤す(文語)」はサ行四段活用をする動詞、「潤う(口語)」ならば五段活用をする動詞です。文語の活用ならば、
潤さ・潤し・潤す・潤す・潤せ・潤せ、
この場合は「潤(うるほ)」が語幹で、「さ(未然)・し(連用)・す(終止)・す(連体)・せ(已然)・せ(命令)」が活用語尾になります。

ですので、「潤」は口語でも文語でも、「潤(うるほ)・す」「潤(うるお)・い」が語幹と語尾で、「潤(うる)」とは読めません。語幹ですらありません、完全なインチキです。

では、「爽(さわ)やか」は、どうでしょう?

「爽やかなり(文語)」は、ナリ活用をする形容動詞、「爽やかだ(口語)」は、ダ活用をする形容動詞です。文語の活用ならば、
爽やかなら・爽やかなり・爽やかなり・爽やかなる・爽やかなれ・爽やかなれ
この場合は「爽やか」が語幹で、「なら(未然)・なり(連用)・なり(終止)・なる(連体)・なれ(已然)・なれ(命令)」が活用語尾です。

口語でも「爽やか」が語幹で、「だろ(未然)・だつ、で、に(連用)・だ(終止)・な(連体)・なら(仮定)が、活用語尾になります。終止形は「爽やかだ」です。

さて、ここで一つの疑問が生まれます。活用語尾を除いた、形の変わらない部分が「語幹」であるならば、なぜ「清」だけで「さやか」とは読まないのでしょう。「爽」一字で、なぜ「さわやか」とは読まないのでしょう?


そもそも、中国から伝来した漢字は、日本語と違って、一字一字が活用する事はありません。漢字を日本語として機能させるためには、日本語としての意味をはっきり分かるようにする必要があります。そこで、漢字に続けて書き添える「送りがな」が生まれました。同様に、漢文を訓読するときにも、活用語の語尾変化やテニヲハ等を示す片仮名を、漢字の右下に書き添えたり、或いは、「未・将・当」等の再読文字の場合は左右に書き分けたりして使われます。

しかし、どこまでを漢字で表し、どこからを仮名で書くかという「送りがな」の付け方は、従来、厳密な決まりはなく、相当、自由に使われていました。「さわやか」は「爽」でも「爽か」「爽やか」と書いても、特に決まりはありませんでしたので、雑誌や新聞は、社によって違いがありました。

昭和三四年七月、始めて「送りがなのつけ方」が告示されましたが、「誤読・難読の恐れのないようにする」事を目的とすると、「表わす・現われる・起こる・移り変わる・思い出す」等々のように送りがなが多くなります。その一方で、「慣用が固定している場合」には、送りがなの無い文字もあります。「送りがなのつけ方」は告示されましたが、日本中から異論百出、大喧嘩が始まり、国語審議会は世論の非難を浴びて退陣。「送りがなの付け方」は、頓挫してしまいます。

その後、昭和四七年六月二八日,社会の各方面からの意見や批判を考慮して、国語審議会会長から文部大臣に答申した「改定送り仮名の付け方」を政府が採択し、「法令・公用文書・新聞・雑誌・放送など,一般の社会生活で現代の国語を書き表す場合の送り仮名の付け方のよりどころを示すもの」として,翌四八年六月一八日に「送りがなの付け方」が改定されました。この「改定送り仮名の付け方」は、「当用漢字改定音訓表」の音訓を書き表す事を基準に作られています。

さて、「爽やかだ」は何故、「爽だ」とは書かないのか、なぜ「清」だけで「さやか」とは読まないのか?それは、この「送りがなの付け方」に次の様に書かれているからです。

送り仮名の付け方 単独の語 1 活用のある語 通則1

本則

活用のある語(通則2を適用する語を除く。)は,活用語尾を送る。

〔例〕 憤る 承る 書く 実る 催す
    生きる 陥れる 考える 助ける
    荒い 潔い 賢い 濃い
    主だ
例外

(1) 語幹が「し」で終わる形容詞は,「し」から送る。

〔例〕 著しい 惜しい 悔しい 恋しい 珍しい

(2) 活用語尾の前に「か」,「やか」,「らか」を含む形容動詞は,その音節から送る。

〔例〕 暖かだ 細かだ 静かだ
    穏やかだ 健やかだ 和やかだ
    明らかだ 平らかだ 滑らかだ 柔らかだ

形容動詞「爽やかだ」は「やか」が含まれているので、「穏やか」「健やか」「和やか」と同様に、「やか」から送りがなを付ける決まりになっています。同様に、「清かだ」も「か」から送ります。

要するに、「爽やかだ」とは、そもそも例外でもあるのですが、「送りがな」とは、理解しやすいことを目的に決められた表記上の決まり事であって、漢字の意味を決定する物ではありません。そもそも「爽」という字は「さわやか」という意があるのです。

それに、これは「結ふ(文語・四段活用)」・「結う(口語・五段)」語幹は「結(ゆ)」にも同様の事が言えるのですが、「さわ」・「ゆ」と読んだところで、聞く側は何の事なのか分かりません。日本語の破壊でしかありません。


そもそも、漢語を訓(くん)で読んだり、漢文を日本語の語順に従って読む事を「訓読」と言います。

「訓」とは、箇々の漢字の中国語の意味に対応する日本語が、その漢字と習慣的に結びついた物で、その漢字に特有の「訓(よみ)」の事です。ですから、「訓」は、よみと意味を兼ねています。漢字に広く「訓」を定着させたのは、漢字を取り入れた文化圏の中では、日本だけです。

また、漢文を日本語の語順にしたがって読む事を「訓読」と言います。登山を「山に登る」・開会を「会を開く」・乗馬を「馬に乗る」、学而時習之、不亦説乎を「学んで時に之を習う、亦説(またよろこ)ばしからずや」と読む様な類です。

「訓読」は、一つの翻訳の形ですが、他の翻訳と決定的に違う点は、「訓読」を学習した者であれば、例えば、障子の向こうで、誰かが訓読しているのを聞けば、原文が思い浮かぶ点にあります。

誰かが、「子曰(しいは)く」と言えば、障子のこちら側は「子曰」という漢字を思い浮かべます。誰かが「学んで時に之を習う、亦説ばしからずや」と読めば、それを聞いた誰かの頭の中には、「学而時習之、不亦説乎」の文字が浮かぶ、という具合です。原文が思い浮かぶ翻訳。これは、私達の先祖が、緻密な研究を積み重ねた精華であり、日本人の性格をよく表す物であると共に、この様な精密な言葉の文化は、社会の隅々にまで影響を及ぼしているのではないか、とも思います。

漢文を構成する漢字も同じです。漢字は本来、ルビと共に使われる物ではありません。誰かが「はとがとぶ」と言えば、誰かの頭には「鳩が飛ぶ」と思い浮かばなければ、漢字が正しく機能しているとは言えません。

では、誰かが「さわ」「ゆ」と話したときに、どの様な漢字を思い浮かべるでしょう。大多数の日本人は、「沢」「湯」を思い浮かべるのではないでしょうか。そもそも、「爽(ソウ)」には、「あきらか・さわやか・ほがらか」の意味があり、「あきら」と言う名乗り訓があります。また、「結」は、「むすぶ」と言う意味で、「カタ」という名乗り訓があります。第一、「ゆめ」という音に、何故、へんちくりんな文字を当てる必要があるのか、しかも、変な文字を当てて、しかも間違っているのか、いったい何がしたいのでしょう?


ところで、漢字は活用はしませんが、一字一字に意味があります。漢文でも中国語でも、漢字を並べて文章にしますが、漢語特有の発想に基づいて列んでいます。漢字を二字以上合わせて一つの意味を表した物を熟語と言いますが、その構成も例外ではありません。

熟語の構成は、だいたい次の様に分類されています。

・同一の漢字を重ねた重字(ちょうじ)
悠悠・年年・再再・堂堂・揚揚、等々

・同義の漢字を合わせたもの
道路・河川・金銭・迅速・仕事、等々

・似た意味を合わせたもの
君主・言論・富貴・公共・公共、等々

・反対の意味を合わせたもの
男女・天地・内外・大小・前後、等々

・動詞を重ねて用いたもの
移住・歓迎・照会・戒告・修飾、等々

・名詞の下に形容・限定する語を加えたもの
町中・門前・路上・年末・脳裏、等々

・名詞の上に、修飾語を加えたもの
早朝・上流・大雨・名医・真意、等々

・動詞・形容詞の上に、修飾語を加えたもの
大勝・満足・最新・至近・早熟、等々

・名詞の上に動詞を加えたもの
(述語=動詞「どうする」)+(目的語・補語「何を・に」)
成功・乗馬・開店・飲酒・休業、等々

・子、殺などを加えたもの
調子・椅子・菓子・悩殺・忙殺、等々

・然、乎、如、爾、焉(えん)などを加えて、形容詞や副詞としたもの
公然・偶然・判然・断乎・突如・卓爾・忽焉、等々

・下に否を加えて、上の漢字の意味の成立を問う
安否・成否・認否・賛否・存否、等々

・上に打ち消しの文字があるもの
有力・無罪・非道・未知・非常識・不可解、等々

・上に可、当の字のあるもの
可能・可憐・当然・当惑、等々

・上に所、被などの受身の字があるもの
所有・所蔵・被害・被災・被告、等々

・物の名前
孔雀・琵琶・葡萄・駱駝・麒麟、等々

・故事からの出典
蛇足・矛盾・推敲・杞憂・白眉、等々

以上です。

名前も漢字で書かれている以上、完全にとは言いませんが、上記の分類の中に含まれていることが望ましいと思います。何故なら、漢字が表音文字であり表意文字である以上、読む側は、熟語の語順に従って名前を考えるからです。漢字を使いながら上記の分類から、あまりにも逸脱しているのであれば、それは、矢張りデタラメと言わざるを得ません。

では、上記の分類を踏まえて、残りの、「ゆめ」「げんき」「えな」「えま」を見て行きたいと思います。


フェラーリ カリフォルニアT

素敵!

長くなりましたので、一度、切ります。次回は「キラキラネームの秘密、十六」です。

漢字の話(キラキラネームの秘密、十四)

2017年07月09日 17時03分14秒 | 日記
・音と意味の結びつき

漢字は、読み書き以外に、会話の時にも思索の時にも使われます。言語の本質が音と意味の結びつきにあるように、漢字もまた音と意味が深く結びついています。


既に述べましたが、漢字の造字の法則には六種類あり、これを六書(りくしょ)と言っています。後漢(25年~220年)の頃に生まれた説で、班固(はんこ)の『漢書芸文志(かんじょげいもんし)』や許慎(きょしん)の『説文解字(せつもんかいじ)』等の文献に出て来ます。

その項目や順序については各本に異同がありますが、例えば、許慎の『設文解字』では、指事・象形・形声・会意・転注・仮借を挙げています。指事・象形・形声・会意は漢字の成り立ちを示し、転注・仮借は、使用方法をしめすものです。ここでは、先ず、六書について触れておきたいと思います。


(1)象形文字。

象形とは「形に象(かたど)る」という意味で、物の形に似せて描いた文字です。現在使われている楷書からでは何の事なのか想像できませんが、篆書(てんしょ)にまで遡ると、何故、象形文字と言われているのかが分かります。

篆書とは、今をさること2200年以上前に、始めて統一された文字であり、また、現在、私達が使っている文字の基になった文字でもあります。


始皇帝の二十六年(前221年)、戦国の七雄(韓・魏・趙・燕・斉・楚・秦)の中で、陝西省の僻地にあった後進の秦が、天下を我が手に収めました。秦国が強力になる事ができたのは、孝公(在位、前361~338年)の時代に、商鞅(しょうおう)を登用して徹底した富国強兵政策を採用した事がその理由です。商鞅は、道端に灰を棄てただけでも死刑、それにともなう連座制をしき、農業を本務として、食料の蓄積と兵力の確保に努めました。

天下を統一すると、始皇帝は、度量衡・車の車輪の幅と共に、文字を統一します。秦で古くから使われていた籀文(ちゅうぶん=大篆)をもとに、丞相の李斯(りし)が簡略化して作った文字がこれで、それまで使われていた文字を大篆(だいてん)と言うのに対して、李斯が作った文字を小篆(しょうてん)と言います。『説文解字』に掲載されている文字は小篆です。

「篆(てん)」とは「引き書きする事」で、毛筆を上から下に引くようにして書く書体の事です。恐らくは、「ひら筆」のような物で書かれたのでしょう、一つの文字に太い細いの変化がありません。

中国では、何に刻まれているかによって、文字を分類しています。甲骨に刻まれていれば甲骨文字、殷・周時代の青銅器に鋳込まれた文字を金文、石刻に残された文字と青銅器の文字を合わせて金石文と言います。甲骨文字を含めて隷書以前の書体を総称して、篆書というのだ、という説もあります。


さて、文字が統一されたとは言え、政務繁多となり文字を書く機会が急増すると、金文の流れをくむ小篆は、曲線が多く実用には不便であると言う事になりました。※『漢書芸文志・注』によれば、その頃、罪を得て獄中にいた程邈(ていばく)という人物が、隷書(れいしょ)三千字を作って始皇帝に献上し、許されて御史の官に任命された、と言われています。

隷卒(れいそつ、下級役人)が書きやすいように、篆書(てんしょ)の筆画を省略し、実用に適するよう造られた文字なので隷書と言います。隷書は現在私達が使っている楷書につながる文字です。


『説文解字』に掲載されている「日」「月」「馬」「車」等が象形文字にあたります。









篆書は現在でも「篆刻(てんこく)」と言って、印章に使われています。

さて、『説文解字』に収められている文字は9353字、現代の『大漢和辞典』はおよそ五万字で、時代の流れと共に文字数は四万次以上も増えましたが、実は、象形文字は殆ど増えていません。最も基本的な文字であり古い時代の文字です。


(2)指事文字。

象形文字では表現のできない、抽象的な記号を含む物が指事文字です。例えば、横線一本で「ひとつ」。これは数の始めの意を表し、この字をもとに、二、三、百、千等の数を表す字ができました。他にも、一定の位置を示す横棒「一」に、その位置より高い場所を示す「|」を付けた文字が※「上」です。小篆では「⊥」と書きます。一定の位置を示す横棒「一」に、その位置より低い場所を示す「|」を付けた文字が「下」です。小篆では「T」と書きます。物をきるはものの形に象った「刀」に「、」を付けて、そこが刀のはの部分となる事を示した「刃」や、象形文字の「木」の根本にしるしを付けた「本」等々が、これにあたります。



「木」の下の「∩」の部分は、根を表しています。そこにしるしを付けて、「根本」を表します。




(3)会意文字。

会意とは「意を会する」という意味です。象形や指事の文字を二つ以上組み合わせて、一つの意味を表したものです。例えば「二」、指事文字の「一」を、二つ並べて「二」。一説に、上の一は天、下の一は地。万物の根本をなす天地の気が始めて分かれたとき、軽く清い物は天となり、重く濁った物は地となった。そこで、「一」は天の数、「二」は地の数、とも言います。「三」も会意文字です。「一」と「二」を合わせた文字で、『説文解字』には、「三」とは数の名、天地人の道、と説明されています。

では、「四」とは何でしょう。「四」は、会意文字でもあり指事文字でもあります。実は、大篆(だいてん)では、この字は、横棒四つで表現されており、「二」を二つ重ねた、会意文字でした。しかし、小篆で書かれた『説文解字』によれば、四方の形に象る「囗」と、これを分かつ意を表す「八」とからなり、四方や四隅をそれぞれ四つの部分に分けた形を表す指事文字である、と説明されています。

他にも、「鳥」と「口」を合わせて「鳴」く。この字の本義は鳥の声です。わかつという意味の「八」と「刀」で、刀で物を分別する意の「分」等々が、会意文字にあたります。


(4)形声文字

この文字は、諧声(かいせい)文字・象声(しょうせい)文字とも言います。二つを合わせて一文字とし、半分は形義(意味)を表し、半分は音声(音符)を表すので「形声」です。会意文字と同様に、二つの部分から成るのですが、音符のあるのが形声文字です。

※清の学者 朱駿声の『説文通訓定声』によれば、『説文解字』中に収められた9353文字中、7697字が形声文字です。同書によれば、象形文字は364文字、指事文字は125文字、会意文字は1167文字です。

※唐の学者 賈公彦(かこうげん)は『周礼疏(しゅらいそ)』の中で、形声文字を次の六つに分類しています。

①左形右声、江・河・銅・銀・狸 等々
②右形左声、鳩・鴎・歌・創 等々
③上形下声、草・藻・花・雲・羅・置 等々
④上声下形、娑・鷺・盛・怒 等々
⑤外形内声、圃・園・開・裏 等々
⑥外声内形、問・輿・聞 等々

要するに、氵(さんずい)・草冠(くさかんむり)・木偏(きへん)・虫偏(むしへん)等々の意味を表す部分と、音符によって作られた文字の事です。この方法によれば、幾らでも漢字を作る事ができるので、漢字の八・九割はこの方法で造られていると言えます。常用漢字では、約三分の二の1286文字が形声文字です。


(5)仮借文字

これは「かしゃもじ」と読みます。仮も借も「かりる」の意で、基本的には、他の字の音義を借りる用法です。例えば、「令」はもともと号令の意で、そこから号令するのは長官なので、長官の事を「令」と言うようになった。或いは、「北」。この文字は、『説文通訓定声』によれば、左を向いた人と右を向いた人が背中合わせに立っている指事文字で、もともとは「背く」の意。軍に背いて逃げる、という意もあります。二人が同じ方向を向いて前後に従う「从(従う)」に対して、背くのが「北」。人は座っている時も立っている時も、闇に背いて明るい方を向きます。そこで、明るい南側の反対側を「北」と言うようになりました。借用した「北側」が定着し「北」の「背く」という本義が失われると、「北」に「月(にくつき)」を加えて「背(く)」が造られました。








また、「其」は「箕」(音キ、訓み、穀物を乾かす道具)と同様の意味を表す象形文字でした。しかし「其」は、人又は物事の指示代名詞として「その」「それ」として借用されるようになったので、箕は竹で造るので「其」に「竹冠」が付いて「箕(み)」の字が生まれた等々。




「箕」の下にあるのは「机」の象形文字です。「其」とは箕が机の上に置いてあるという意味で、「其」・「箕」は同字とされています。

これらが仮借文字なのですが、「仮借」と「転注」は混同されていて、上記の「令」「北」の説明は、実は「転注」としての説明である、という研究もあります。

この他、「仮借」とは「当て字」の事でもあります。例えば、晉の陳寿(233~297年)の著した歴史書『三国志』に掲載される倭国のヒメコを「卑弥呼」、仏典の中の「南無阿弥陀仏」「菩薩」、国名の「埃及(エジプト)」「希臘(ギリシア)」、都市の「倫敦(ロンドン)」等々、枚挙にいとまありません。ほぼ音のみを写した物で、現在でも、中国では、漢字文化圏には含まれない地域の人名や地名・物事等々を表記するのに使われています。


(6)転注

転とは車輪の回転することであり、注とは水が器から器に注がれること。そこで、例えば、「駿」は、もともと「馬の良材」つまり「優れた馬」のことで、優れた馬は足が速いので「はやし」と訓じ、また優れた馬は大きいので「おおきい」と訓ずる様な、文字の意味が本義から転じて別な意味が生じる事を「転注」と言うらしいのですが、そもそも『説文解字』の著者 許慎の説明がはっきりしないので、古来定説がありません。

「駿」の他にも、蓮荷(れんか、蓮も荷もはすの意)の荷を負荷の荷(になう)に転用し、山がらすの意であった「雅」を風雅の「雅」に転用するように、「音」の関係での転用を説明する物や、意味の関係から解き明かす物もあます。

例えば、「樂(楽)」は、上部の白は鼓の形に象り、その両側は騎兵が馬上でならす攻めつづみに象り、下の木は、鍾磬(しょうけい、中国古代の打楽器)をつるす台の柱を表し、もともとは「楽器」の事で、音楽の意を表した文字です。音は音楽の時には「ガク」、そこから転じて「たのしむ」意となる場合は音は「ラク」となる。一文字で二つの語を表す同字異訓が転注であろうと言う物がこれです。




さて、漢字はよく表意文字であると言われますが、その根拠となる象形・指事・会意文字の、『説文』の中での文字数は1656文字で、それ以外は全て形声文字です。9353文字中、八割以上が形声文字であるからには、漢字は「表意文字」であり、また、「表音文字」であると言えます。そして、表音文字であるからには、デタラメの音を付ける事はできません。


更に、形声文字について少し説明を加えるならば、音符は無意味に選ばれているわけではなく、音の持つ意義が、その漢字の意味を決定づけています。つまり、言葉の本質は音と意味の結びつきにあり、漢字もまた音と意味が深く結びついています。

これは、※後漢の劉煕(りゅうき)の『釋名(しゃくみょう)』や北宋の王安石等が論じた説ですが、

例えば、
「戔(セン・サン)」には「小さい・少ない」の意があるので、この音符を含む文字は、すべて「小さい・少ない」というという意味を含んでいます。例えば、淺(浅、水が少ないので、浅い)・錢(銭、こぜに)・賤(賎、貝は財産、財産が少ないので、いやしい)・箋(小さな竹のふだ)・盞(小さな皿、小さな酒杯)等

或いは、「青(セイ・ショウ)」は、上の部分はもともとは「生」、下の部分は「丹」)です。「青」は、草木生成の色。草木始めて生じて、その色あおあおとするのを「青」と言います。「丹」とは丹砂(たんさ、硫黄と水銀の化合した朱色の鉱物)」で、赤の顔料のことです。一説に、青は丹の濃きより生ずるので、「生」と「丹」とで表した、と。しかし『説文通訓定声』には「丹」ではなく「井」であろうと書かれています。四角い井戸に清水のたまった姿です。そのため、「青(セイ・ショウ)」の音符を含む文字はすべて「きよくあきらか・汚れなく澄んでいる」という意味を含んでいます。清(澄んだ水)・晴(澄みきった空)・精(あら皮をはいで白くした米)・情(清く偽りない心)等です。





上記の説明は、全て日本語の音訓で紹介しました。音符が漢字の意味をも決定する要素であり、日本語として充分にこなれて使われているからには、音訓をいい加減に読む事など、してはいけない事なのです。


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かわゆす。

次回、「キラキラネームの秘密、十五」に続きます。

漢字の話(キラキラネームの秘密、十三)

2017年06月21日 16時47分47秒 | 日記
二、世界に羽ばたけないキラキラネーム

さて、これまで過去の書籍について見てきましたが、最新版はどうなっているのでしょう。

以下に挙げるのは、2016年版「ベネッセ・ムック たまひよブックス たまひよ新百科シリーズ たまごクラブ特別編集」たまひよしあわせ名前研究所 顧問 栗原里央子[監修]『最新「最高の名前」が見つかる!赤ちゃんの名づけ新百科』に掲載されている名前です。

これは誰のために、或いは、何の為に書かれたのかよく分からない本です。日本人の為に書かれたのかどうかも怪しいものです。何故なら、例文の中に、歴代の総理大臣の名前も、偉人・立志伝中の人物の名も殆どありません。皇后陛下を始めとする皇室の女性の方々のお名前もありません。

そのわりに、「あいと」「おうが」「はるく」「りゅうく」「わく」「えな」「ここな」「さゆき」「じゅな」「にこ」「ひおり」「みおん」「みゆう」「ゆあ」「ゆうあ」「ゆわ」「りおん」「りのん」等々、何の事なのかわからない名前の見出しが立てられています。

例として挙げられている名前も、キラキラネームによくあるインチキ読みの他に、縁起のよくない・恥ずかしい・日本語の破壊を目論んでいるのではないか、と思われる漢字が含まれています。漢字の知識もさることながら、言語感覚がおかしい上に、日本についての知識も乏しいのではないかと疑いたくなります。



例えば、インチキ読みの名前では、

男の子なら、

一颯(いぶき)・翔生(かける)・匠音(たくと)・遼馬(はるま)・斗蒼(とあ)・駿仁(はやと)・南飛(みなと)・大翔(やまと)・結叶(ゆいと)・悠利(ゆうと)・悠詩(ゆうた)等々。

女の子なら、

愛心(あみ)・有桜(ありさ)・杏音(あん)・栞愛(かんな)・虹羽(こはね)・紡希(つむぎ)・爽(さわ)・真秀(まほ)・心桜(みお)・心穏(みおん)・光紗(みさ)等々。

読み仮名がなければ、全く違う読み方をすると思います。そもそも、真秀(まほ)って何でしょう?「秀」の字に「ほ」などという音も訓もありません。どうしてこの読みがでてきたのか想像もつきません。途方もないインチキです。爽(さわ)に至っては、ふざけているとしか思われません。例えば、「泳ぐ」「早い」の活用語尾を除いて語幹だけ取って、「およ」「はや」などと読んで、意味が通じるとでも思っているのでしょうか?


漢字の読みだけが不思議なのではありません。到底、名前には使われない、不可解な、或いは、卑猥な漢字も含まれています。以下に挙げるのは、同書で使われている名前と読みの例です。


この書の「読みから選ぶ男の子の名前リスト」には、例えば、

逸樹(いつき)・逸冴(いっさ)・逸平(いっぺい)等の「逸」。
「逸」は、漢音イツ・呉音イチ。この字は、辶に兎で、兎が逃げる、という意味です。そこから、はしる、逃げる、失う、なくす、隠れる等々の意味になります。熟語としては、「隠逸(世間からのがれる)」「秀逸(すぐれる、ぬきんでる)」「逸材(すぐれた才能)」「放逸(きまま)」「淫逸(みだら)」「逸声(みだらな音楽)」等々、好い意味も悪い意味もあります。「逸」は名前に使われた事があるらしく、名乗り訓には、「トシ・ヤス・ハヤ」があります。

零(れい)・零斗(れいと)・零央(れお)等の「零」。
「零」は、漢音レイ。この字はもともと、しずかに降る雨、の意です。そこから、おちる、ふる、おちぶれる、草が枯れおちる、あまり、わずか、こまかい等の意味になります。日本では、れい・ゼロの意味でよく使われます。熟語としては「零雨(れいう、こさめ)」「零細(れいさい、こまかい・わずか)」「零丁(れいてい、志を失い、落ちぶれて、孤独)」「零落(れいらく、草木の葉が枯れ落ちること、草の枯れるのを零といい、木の枯れるのを落という。また、落ちぶれること)」「零涙(れいるい、涙を落とす)」等。この字は好い字ではありません。普通は、人名には使われない字です。

伶斗(れいと)・伶恩(れおん)等の「伶」。
「伶」は、漢音レイ・呉音リョウ。形声文字で、人偏に、令の音符。この字は「弄(ろう、もてあそぶ)」「使伶(しれい、使役される人)」と同じ意味です。そこで、仕える人、小臣、こもの、こづかい、ひとりぼっち、落ちぶれる、さまよう等の意味があります。熟語としては「伶人(れいじん=弄臣、人君のなぐさみものとなる臣。また、楽人、楽士の意)」「伶官(れいかん、楽官の意。伝説時代の帝王黄帝の時、伶倫(れいりん)が楽官となり、その後、伶氏が代々音楽を掌ったので、この名がある)」「伶優(役者、俳優)」「伶丁(志を失って、孤独なさま)」等。「伶俐(れいり、さかしい、かしこい)」という熟語がありますが、「俐」は俗字で「伶俐」は方言です。「伶」は好い字ではありません。普通は、人名には使われない字です。


「読みから選ぶ女の子の名前リスト」には、例えば、

一伽(いちか)・風伽(ふうか)・桃伽(ももか)等の「伽」。
「伽」は、漢音カ、呉音ガ、慣用音キャ。この字は、もともと梵語の翻訳に使われた文字です。そのため、仏教に関する言葉や翻訳語に使われます。「伽藍(がらん、寺)」「伽羅(きゃら、香木)」、或いは、「伽馬(がま、ヴァスコ・ダ・ガマ)」等がこれです。但し、日本語の場合には「とぎ」の意味で使われます。「とぎ」とは、人のつれづれを慰めること、又、その人。夜の退屈紛れの話し相手。病人のみとり、介抱、看病。「夜伽(よとぎ、寝所にはべること、又、その人)」の事なので、この字は人名には使いません。まして、女の子なら尚更です。一伽・風伽・桃伽、知っていて使っているとしたら、悪質であると思います。


雅姫(みやび)・姫織(ひおり)・姫花(ひな)等の「姫」。
同書には、非常に多くの「姫」の字を使った名前がありますが、日本では伝統的に名前には使いません。その理由は大きく分けて二つあります。姫は、音キ・イ。この字には、「基本」の「基(キ、もと)」や、「王后」や「妾」の意味があります。また、周王朝は「姫(き)」姓なので、辞典を引くと「姫○○」という人物がたくさん出てきます。「姫漢(きかん、周と漢)」と言う熟語もあります。訓は「ひめ」。日本で「姫」と言うと、①、貴人のむすめ。「お姫様」等。②、貴女の名に添えて呼ぶ敬称。③、小さく愛らしい物の名に冠して言う。「姫リンゴ」「姫鏡台」等。④、娼妓、の意味があります。日本で「姫」の字を名前に使わない理由は、第一に、「殿」「殿下」「様」と同じ敬称だからです。「千姫」や「篤姫」は、「千」「篤」という名の女性を尊んで、「姫」という敬称をつけたのです。「○○殿」や「○○殿下」・「○○様」を一つの名前にしないのと同様に、「姫」も使いません。また、この字には「妾(めかけ)」や「娼妓(しょうぎ)」の意味もあります。江戸時代には、京坂で遊女の通称として「姫」が使われていました。もともと王室の姓ですし、日本では伝統的に、名づけの場では嫌われる文字です。


例えば、「生まれる季節から名前を選ぶ・春」の、

虹晴(こうせい)・虹太郎(こうたろう)・虹輝(こうき)・虹帆(にじほ)・虹香(にじか)・虹湖(にこ)の「虹」。
「虹」は、漢音コウ。「虹(にじ)」は、古代には龍の一種と考えられていました。雄が「虹(こう)」で、雌が「蜺(げい)」です。「虹蜺(こうげい)」という熟語もあります。天気の具合で、虹が二重に出ることがあります。色彩の鮮明な方が雄の「虹」で、暗い方が雌の「蜺」と考えられました。天子の旗には虹が書かれていたので「虹旗(こうき)」と言うと天子の旗の事です。但し、「虹」には、みだす・みだれる・潰れる等の意味もありますし、第一、すぐに消えてしまいます。人名に用いる漢字としては、あまり相応しくはありません。名乗り訓もありません。


ここに挙げたのは一部ですが、漢字の選び方からして、ひどくいい加減であると言えます。



ぜんぜん終わりませんでした。あと二回。。。多分

漢字の話(キラキラネームの秘密、十二)

2017年06月10日 17時54分41秒 | 日記
・読めない名前の作り方

そもそも、妊娠が分かって子供が誕生してから百日目の「お食い初め」までには、次の様な儀式が行われます。

妊娠五ヶ月目の戌の日には、神社にお参りして安産を祈願し、岩田帯を巻きます。戌の日に行うのは、犬は多産で、家を守り、よく吠えて邪気を払うとされているからです。また岩田帯は胎児を保護し、霊魂を安定させる意味もあると言われています。

子供が誕生すると、生後三日目に産土(うぶすな)様の守る土地の水で、子供の体を清め発育を願います。これが産湯です。七日目のお七夜には、子供の命名をして、親類や隣近所を招いてお祝いの席が設けられます。この時に、名前を書いた紙を神棚や床の間に貼ります。これは、家の神様に家族の一員としてお守りいただくようお願いをするとともに、親類や隣近所に、家族の一員である事をお披露目するためです。

出生届けは14日以内に、市町村の役所に届け出なければなりません。

誕生してから、男の子ならば三十一日目、女の子ならば三十三日目前後の最良の日に、神社にお参りをします。これが、初宮参りです。氏神様に誕生の報告と御礼をし、健やかな成長を見守って貰うよう祈願します。生後百日を過ぎると「お食い初め」を行います。食べ物に一生困らないようにとの願いから、お膳を用意し食べる真似をする儀式です。お膳にはお赤飯や鯛などの他に、歯が丈夫であるようにと小石も載せます。(「神社本庁・出産と育児に関する神事について」より)

以上が、誕生してから「お食い初め」までの儀式です。「お七夜」や「お食い初め」のお膳は、取り立てて豪華にする必要はありません。「石」も代々伝わる佐渡の赤玉も良い物ですが、河原から拾ってきた石でも良いのです。大切な事は、生まれてきた子供のためにお祝いをし、親類縁者、隣近所、土地の神様に、子供を家族の一員としてお披露目をする事です。


さて、これらの儀式から、誕生した子供に名前を付ける行為は、神様や親戚・隣近所に、一族の成員として紹介する事を前提として行われる事が分かります。家族の中で誰が名前を決めるとしても、少なくとも皆で話し合い、親戚や隣近所、或いは、土地の神様が見て恥ずかしくない名である事を前提として良い名前が選ばれます。


しかし、核家族化に伴い伝統的な文化から切り離され、しかも、誰もがパソコン・スマホ・携帯・電子辞書を所有する時代、「名付け」の場は、企業や出版社が構築する情報に、より左右される様になりました。情報がデタラメであると、日本人の名前が徐々に破壊される事になります。

例えば、以下に紹介するのは、2004年12月20日「高橋書店」発行、田宮規雄(たみやのりお)著の、『世界にはばたく赤ちゃんの名前』です。


この人物は、漢字の人名を紹介しながら、不思議な事に何よりも「音感」を大切にしています。

同書の「音から考える 女の子」の名前の「の NO」の「のあ Noah」の項には、「なめらかな流れで、優しく響く。同音の英語名もある。フランス語で「胡桃」」という説明の後に、

「乃亜・乃娃・能亜・埜亜・野亜」

の五つの人名が紹介されています。「娃」は漢音が「アイ」慣用音が「ア」で、「うつくしい・美人」の意味で使われる文字です。中国人の人名では見掛けますが、私は、日本人でこの字を使う人物に会ったことはありません。また、「埜」は「野」の古字ですが、この文字を使った人にも会った事はありません。

また、この本の書かれた目的ですが、「国境を越えられる名前とは」という項目には次の様に紹介されています。

「・未来を見据えて海外で通用する名前に

名前は、親から赤ちゃんへの一番初めの最高のプレゼントです。パパとママの愛情が形にできる第一歩ともいえます。「名は体を表す」のことわざもあるように、赤ちゃんがどのような人間に育っていくかは、この一歩にかかっているといっても過言ではありません。だからこそ、これからの時代を熟慮し、名前をつける必要があるのです。

日本は、今や国際社会の一員として、さまざまな役割を担っています。今後はますます海外での活躍の場が増え、世界にはばたくチャンスが高まっていくことでしょう。身近なところで考えても、留学、ホームステイ、海外の出張…。

さらに、インターネットが普及したおかげで、世界をつなぐアイテムは、ぐっと増えました。技術革新は進み、衛星を通じてのTV電話など、ますます地球の距離は狭まるばかりでしょう。ですから、これからの時代は世界に通じる名前を考えていくことも大事なのです。

・赤ちゃんに大きな夢を託して

名前を容易に変えることができない日本では、名前は一生のものという考え方が当たり前です。一生ついてまわるものだからこそ、名づけるパパとママは、視野を広めて考えなければなりません。あなたの子どもが、不快な思いや悲しい思いをしないですむように、また世界中の人から愛されるように、すてきな名前をつけてあげましょう。

大リーグのグラウンドやワールドカップの舞台で、高らかに呼ばれる名前を想像してみてください。そこまではいかなくても、海外の大学に留学して世界中の友人と談笑している我が子を想像し、いい名前をつけてあげましょう。」


プレゼントと言えばバッグ・靴等々が思い浮かびますが、「名前」は、誰かからの贈り物と言うような軽い物ではありません。それに、「世界に通じる名前」「世界中の人から愛されるように、すてきな名前」と言っていますが、「漢字」は「漢字文化圏」でしか使われていません。昔はベトナム等も含まれていましたが、現在では朝鮮半島は絶滅寸前で、中国大陸・台湾と日本で使われているだけです。漢字を使う以上、世界中の人が理解するというのは無理があります。


「・意外なところに落とし穴が

小さな島国の日本も、経済成長とともに、世界中の人に知ってもらえるようになりました。同時に多くの日本人の名前も、覚えてもらえるようになりました。

ところが、実際に海外の人に取材して調べてみると、意外な事実が判明しました。日本人にとってはごく平凡な名前でも、外国人にとっては覚えにくいばかりでなく、発音さえすぐにできないものが多かったのです。

日本語に英語の「th」の発音がないように、日本語の音で外国語にはないというものも、意外に多いのです。しかもローマ字という日本独自の表記方法は、外国人にはかえって混乱を招き、より難しく感じさせているところがあるのです…。」


海外でも通用する名前と言いますが、日本人の名前は、海外で通用しないのでしょうか。世界的なスポーツ選手と言えば、誰でも、野球の「イチロー、鈴木一朗」選手やフィギュアスケートの「羽生弓弦」選手、体操の「白井健三」選手を思い浮かべるでしょう。学問ならば、iPS細胞でノーベル賞を受賞した「山中伸弥」教授が有名です。皆、日本人らしい名前で、世界で活躍しています。これだけ見ても、上記の内容は事実と異なります。

私は、親が自分の子供にどの様な名前をつけようと親の自由であると思っています。世の中には、諸葛孔明が好きで子供に「孔明」とつけたり、ロシアが人工衛星の打ち上げに成功した事を記念して「衛子」と名づける人もいます。但し、その名前に対して、世間がどの様に評価するかは世間の自由です。キラキラネームとは非常識・異常な名前の事ですが、言外に名前を付ける親を非難する意を含んでいます。

その一方で、故意におかしな方向に誘導するような情報を流した場合には、その情報を流した人々の責任は、当然の事ながらそれを付けた親よりも重いはずです。

さて、次の漢字は何と読むでしょう?

乃亜・乃杏・乃娃・乃彩・希亜・希杏・乃葵・希空・希歩・希明・乃愛・乃蒼・和杏・希海・乃綾・乃碧・乃綺・心愛・叶愛・希彩・埜亜・望亜・野亜・望歩・希愛・希綾・和愛・音愛・望彩・望愛・望蒼・野愛

これらは、「株式会社ベネッセコーポレーション」が2011年2月28日に発行した『たまひよ新・基本シリーズ 赤ちゃんのしあわせ名づけ』田宮規雄 編の中の「音から選ぶ女の子の名」の「のあ」の項目に列挙されている人名です。

この本によれば全て「のあ」と読みます。


しかし、「希杏・乃葵・希空・希歩」を、誰かに読ませようとしても、恐らく、全く読めないと思います。※「心・叶・希・望・和・音」は「の」とは読みませんし、「杏・彩・葵・空・歩・明・愛・蒼・海・綾・碧・綺」は「あ」とは読みません。もし小中学生が国語のテストで、「心」「叶」を「の」と書けば「×」をもらうでしょう。「希望」は「のの」とは読めません。これらは既に万葉仮名でもありません。(※は後に詳述)

小中学生が国語の時間に「×」をもらうような読み方ならば、企業から出版された書籍に書かれた物であっても、矢張り「×」です。


既に述べたように、漢字は「表意文字」であるとともに「表音文字」でもあります。しかし、これら「名付け本」は、最新の名付けの方法として、意味とは関係無く付けたい名前の音を思い浮かべ、音に合わせていい加減に漢字を当てはめます。

掲載されている「名前」の例は、そのランキングからも分かるように、雑誌社が収集した情報に基づきます。こうした情報を基にして商品である「名付け本」が生まれます。雑誌に採用される「名前」は、購買行動に影響を及ぼしますので、奇妙で話題性があればあるほど、売れ行きは良くなるかもしれません。

雑誌は最新の名付けの方法を提案し、欧米風の名を付けることが正義ででもあるかのように宣伝するものの、「世界に羽ばたく」と言いながら、日本的な名前を否定した後に出て来た名前は、アニメ・外来語、漢字のインチキ読みであり、名付けの本に頻繁に採用されている「ランキング」が示すように、却って幼稚・下品・奇妙であるにも関わらず没個性になりました。


次回はいよいよ「キラキラネームの秘密」です。

漢字の話(キラキラネームの秘密、十一)

2017年06月10日 00時14分27秒 | 日記
一、読めない名前は何故作られるのか

日本には千五百年近い漢字の伝統があり、漢字一字に対する音と訓は、丁寧に研究され、適当にいじる事などできない物であると述べてきました。

明治以降、漢字を廃止して仮名書きやローマ字表記にしようとする一部の人々がいました。これらの人々の称える漢字廃止論やローマ字論は、世間に広く受け入れられるという事もなく、終戦後の一時期に注目されはしたものの、あまりに奇異で文字として使用するのに不適当であったために、社会から必要とされることはありませんでした。漢字廃止論は、そもそも、漢字の専門家から出てきた意見ではありません。

明治以降の漢字廃止論の論点は、その学びにくさが科学や文明の発展に悪影響を及ぼすという物でしたが、戦後から現在に至るまでの中国を見れば、漢字が科学文明の発展に悪影響を及ぼす事など無い事は、既に証明されたと言えます。ですので、漢字廃止論やローマ字論の様な、極端で誤った意見は、日本では復活する事はないように思われました。

ところが、平成に入って子供達に付けられた名前に、通常の漢字の使用方法とは違う奇妙な使われ方や、故意に難読・誤読を目的として付けられたのではないか、と思われる物が目立つようになりました。


・読めない名前の製造元

何故、奇妙な名前が続出するのか。それには幾つかの理由があるのですが、最も根本的な原因としては、制度上の問題を挙げる事ができます。

現在、子供の名前に使うことのできる文字は、戸籍法によって、常用漢字と人名用漢字の範囲内と定められています。しかし、その読み方については制限が無いのです。これは、熟語や熟字訓、或いは、人名に限って、伝統的に名乗り訓(なのりくん)とか人名訓という、漢字の音訓とは別の特種な読み方が存在する事によります。

熟語とは熟字とも言います。漢字を二字以上集めて一つの意味を表したもので、牡丹や蜜柑等々です。熟字訓とは、熟語を訓読みした物です。日本語に対して同一、または類似の意味にあたる漢字をあてた物で、梅雨(つゆ)や海苔(のり)等々がこれにあたります。

漢字の読み方に制限がない以上、仮に、日本で出版されている全ての「名付け本」に書かれた漢字の読みがデタラメ・インチキであったとしても、法律上は問題はない事になります。

そのため、学者でもなく漢字の専門家でもない、しかし、名付けの現場に一番近い「占い師」やマタニティ産業から流れ出る情報によって、読めない名前が量産され、同時に日本の漢字の破壊が進んでいるのです。


例えば、『世界で通じる名付けBOOK 子どもにつけたい外国語由来の名前』栗原里央子著の「名前のつけ方のルール その2」には次の様に書かれています。

「名前の読み方と長さは自由

 名前の読み方は原則自由。どのように読んでも法律上は問題ありません。実際、「蒼空」と書いて「そら」と読ませるようなあて字の例や、「海(まりん)」といった英語の読みをさせる名前もあります。また、漢字には音読み、訓読みのほかに、名前だけに使われる「名のり」という読み方もあります。たとえば「大(ひろし、まさる)」などがそう。ただし、いずれにしろ読みづらい名前では子供が苦労する場合も。常識の範囲で考えるのがベターです。漢字の組み合わせによっては「海月(くらげ)」など、変わった読みをする熟語になることもあるので、事前に丁寧に調べておきましょう。

 読み方同様、名前の長さにも決まりはありません。極端なことをいえば、落語でおなじみの「寿限無寿限無……」という名前もOKとなりますが、あまりに長いと書くのも呼ぶのも面倒。子どもに負担がかかってしまいます。ちなみにミドルネームをつけたい場合、「佐藤エイミー花子」という名づけは可能ですが、「エイミー花子」が名前になるので、国際結婚など特別な理由がない限りは、あまりオススメできません。

あて字例
天使 ▶ あんじゅ
純粋 ▶ ぴゅあ
音夢 ▶ りずむ
騎士 ▶ ないと

名のり例
陽菜 ▶ はるな
大  ▶ ひろし
淳史 ▶ あつし
美紅 ▶ みく」

この部分を読んで気になるのは、作者が「当て字」や「名乗訓」をよく理解しておらず、デタラメ読みの根拠にしている点です。

「あて字」

あて字とは、「宛字」とか「当て字」と書きます。その漢字の意味に関係無く、その言葉と同じ音や訓の漢字を「あてて」表すので「当て字」です。『万葉集』に用いられた万葉仮名もこれに当たりますし、私達の周囲には非常に多くの当て字があります。

例えば、
・滅多・面倒・面白い・天晴れ(あっぱれ)・仰山(ぎょうさん)・間柄・可哀想・頑丈・仰々しい・頓珍漢(とんちんかん)・愚図愚図(ぐずぐず)・素敵等々…。

数え上げればきりがありませんが、先に音があって、それに漢字を当てるから「当て字」です。ですので、海(まりん)・天使(あんじゅ)・純粋(ぴゅあ)・音夢(りずむ)・騎士(ないと)は、漢字にデタラメに外国語のような物を訓に似せて付けただけで、漢字を音に当てているわけではないので当て字ではありません。当然、蒼空(そら)・黄熊(ぷう)・泡姫(ありえる)も当て字ではありません。・朴槿惠(パククネ)・尹炳世(ユンビョンセ)等もこれに含まれます。


「名のり」

名乗り訓・人名訓とは、名前として使われる特種な読みの事で、忠の「ただ」、孝の「たか」等がこれに当たります。『大漢和辞典』には、「名乗り訓」が採用されていますが、その説明には「名乘の項に於ては、我が國の人名に用ひられる特殊の訓を列擧した。」と書かれています。「名乗り訓」と雖も、伝統に基づいていている物なので、適当に読んで良いというわけではありません。

ここでは、『大漢和辞典』に従って・陽菜・大・淳史・美紅についての「名乗り訓」を、説明したいと思います。


陽菜

「陽」とは、山の南面、或いは川の北面の明るい土地、ひなた、を表します。陰に対する陽の意でもあります。ですので、この字に「はる」の訓はありません。昔の日本人には、「陽」の字は名前として適当と思われなかったらしく、「名乗り訓」もありません。ですから「陽菜」は「はるな」とは読めません。



「大」には、おほきい、ひろい、あまねし等々の訓があります。「名乗」には「オホ」「トモ」「モト」の訓が紹介されています。「ひろし」は名乗り訓ではなく、普通の訓であると思います。

淳史

「淳」には、あつい、きよい、おほきい等の訓があります、「名乗り」には「アツ」の訓が紹介されています。また、「史」の訓は、ふびと。音は、シ。「名乗り」には、「サカン」「チカ」「ヒト」「フノ」「フミ」の訓が紹介されています。ですから、淳史を「あつし」と読む事は可能ですが、普通は淳の一字で「あつし」です。

美紅

「美」には、うまい、うつくしい、よい等々、非常に多くの訓があります。この文字は、非常に好まれたのでしょうか、「名乗り」には「ハシ」「ハル」「ヨシ」「ミ」「ミツ」「トミ」「ヨシミ(姓)」の訓があります。また、「紅」の音はコウ、グ。慣用音は、ク。訓は、くれない、べに。「名乗り」には、「クレ」「イロ」の訓があります。美紅を「みく」と読む事は可能ですが、夕焼けのような名前です。

この他、この本には次の様な名前が掲載されています。括弧内は、この本の指定する読みですが、全て間違っています。

・想寿(ソンジュ)・穂風(ホープ)・杏波(アロハ)・凜琶琉太(リベルタ)・栞(ジョリ)・希羽(ノワ)・望依(ノイ)・心優瀬(ミュゼ)・乃李(ノイ)・冬聖(トーア)等々。

漢字だけでは、何と読むのか想像がつきません。


現在、様々な書店から「名付け」に関する辞書が出版されていますが、正確な物は殆どありません。大切な子供達の名前です。常用漢字と人名用漢字の音・訓以外に「名乗り訓」を使う場合には、やはり『大漢和辞典』に従うのが最も正確であると思います。


さて、何故、奇妙な名前が存在するのかと言えば、それは、社会全体の常識に変化が生じたからです。つまり、特別に守らなければならない法律や制度が無かったとしても、普通、日本人ならしないであろう、という常識というか暗黙の了解が社会から消えて、どう読んでも良いのだから誰も読めない名前を付けよう、或いは、付けるように宣伝しようという人々が出現しました。

特に名付けの場を誘導する人々の書いた本は、「最高の名前」と謳いながら、書かれている内容は間違いだらけであるのみならず、西洋かぶれ、日本否定の雰囲気すらあります。要するに、デタラメな知識と無責任さによって名付けが行われるので、世の中の子供の名前が変なのです。


もう少し続きます。