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軍神と魔王の命運

2020-08-04 09:12:35 | 日記
戦国時代に軍神と呼ばれた上杉謙信、魔王と呼ばれた織田信長、戦上手だったこの二人の命運を分けた理由はこうだったらしい。
塾講師の神野正史(じんのまさふみ)氏の分析で、なるほどと思わされたものだ。

◆圧倒的勝率だった上杉謙信
 彼は15歳の初陣から49歳で亡くなるまで、生涯戦績は71戦中、61勝2敗8分け、勝率はなんと97%だったそうだ。
 この数字は数多の戦国大名の中でもナンバーワンで、当時遠く離れた京でも話題になるほどの軍神だった。
 北陸手取川の合戦で、織田軍(総大将柴田勝家)4万を上杉軍2万が蹴散らしたのは有名な史実だ。
 そしてこううそぶいたと言う、「魔王などと言うから如何ほどのものかと思ったら存外大したことはなかったのう・・」。
 しかし、こんな戦上手の上杉謙信には「戦略」がなかった。
 越後国内で5戦、北条と神奈川で43戦、武田と信濃で6戦、織田と北陸で17戦、バラバラにその場しのぎで戦ったような感じだ。

 対する織田信長は、68戦中、49勝15敗4分け、勝率は77%だったので、謙信よりは相当低かった。
 だが信長には「戦略」があった。
 若い頃から天下を見据え、岐阜城を押さえて「天下布武」を掲げ、常に京を睨み、背後の憂いを絶つため徳川家康と同盟を結び、
 上杉・武田とは可能な限りの友好を結んで、その力をできる限り京に集中させたのだ。

 こういったことは、普段の生活やビジネスにも応用が利くのかも知れませんね。
 「戦術」的な局地戦でいくら勝ち続けても、「戦略」のないままでは、目的を達することは困難という事なのでしょうか。
 なかなかに興味深い話でした。