水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

小説二問目

2014年02月28日 | 国語のお勉強

 次の文章を読み、あとの問に答えよ。

「おまえたち、よくこんなややこしいことができるな」
 箕月監督が文字どおり目を丸くして、画面に見入っていたのを思い出した。目を丸くした顔つきや声が1〈 唐突に 〉よみがえる。
 部室でのことだった。練習の始まる数分前、微かに埃と汗が漂う部屋の中には、三人の他にマネジャー志望の一年生が二人いた。その二人にデータの説明をしていたのだ。新入部員より先に監督の方が感嘆の声をあげた。
「すげえな、天才だ」
「体連が主な大会で配布した資料を、単に見やすく整理しただけですけど」
「それがすごいじゃないかよ。うほっ、ボタン一つ押したら、学校ごとのデータが2〈 一目 〉瞭然ってかい。たいしたもんだ」
 信哉が肩を竦める。
「監督、ボタンてなんすか、ボタンて。うちの爺ちゃんでもキーボードって言葉知ってますから。そんでもって、この程度の操作できちゃいますから。このくらいで騒いでちゃ二十一世紀の高校教師なんて勤まりませんて」
「りっぱに勤まってるじゃないか。それは、おまえらが一番よーくわかってるだろうが」
「どうわかればいいんだか。まったく監督、幾つですか。まだ三十でしょう。パソコンぐらい使いこなしてくださいよ」
「二十九だ、馬鹿野郎。勝手に他人の歳を加算するな」
 一年生たちが顔を見合わせて笑う。
 信哉と箕月のある意味、3〈 軽妙なやりとり 〉を、杏子は一歩離れて見ていた。自分の指揮下にある部員を相手に素直に感嘆を表せる箕月を、杏子もまた感嘆の目で見ていたのだ。A〈 笑う気にはなれなかった 〉。
 なんでこんなに真っ直ぐなんだろう。
 この人は衒うことや装うこと、体裁をつくろうことを知らないのだろうか。そんなもの必要ないのだろうか。
 箕月が振り向いた。視線が絡む。
「お杏」
 呼ばれた。胸の奥に疼痛が走る。B〈 やめてくださいと言いたい 〉。
 やめてください。そんな呼び方しないでください。いつものように、マネジャーとあっさり呼んでください。そうでないと……わたしはまた、揺れてしまいます。
「いい後継者ができたな」
 箕月が信哉の背中を指差す。
「西野と桑山がやめてしまって、おまえ、悩んでただろう」
「ええ、それは……二人とも来年度のマネ候補でしたから。急でもあったし、正直、ちょっと堪(こた)えました」
「おれも同じだ。悩んだし、反省もした。おまえは正直、優秀すぎるぐらい優秀なマネだったからな。その優秀さに慣れちまって、西野たちに対して要求のハードルを上げすぎたってな」
「過去形にしないでください」
「うん?」
「優秀だったなんて、過去形にしないでください。あたし、五月の記録会が終わるまでは、東部第一の現役マネジャーですから」
 胸を張る。視線に力を込める。箕月からすれば睨(にら)まれたようにも感じただろう。
「いや、別に、そんな誤解だ、誤解。おまえを過去形にしてどうするよ。できるなら、ずっと傍にいてほしいぐらいなのに」
 ズットソバニイテホシイグライナノニ
 杏子は横を向いた。箕月の目には不貞腐れていると映ったかもしれない。
 睨んだ後に不貞腐れる? 最低じゃない。
 C〈 かまいはしない 〉。動揺した心のままに赤らんでしまった顔を直視されるより、不貞腐れていると思われた方がましだ。ずっとましだ。
「先輩?」
呼びかけられ、我に返る。
「え?」
「どうかしたんすか」
「え?」
「なんか、ぼーっとした感じですけど」
 信哉がいぶかしげに首を傾げた。
 ぼんやりしていた? わたしが?
 あぁそうか、また、4〈 あらぬ 〉思いに囚われていたか。
 まったく、杏子、あんたったらちっとも成長しないんだから。
 自分に苛立つ。
 信哉が呆れるほど、はすっぱに舌打ちの一つもしてみたい。
 杏子は舌打ちの代わりに、苦笑を浮かべた。
「ごめん。一瞬、白昼夢だった。疲れてんのかな」
「かもしれませんね。やっぱ、試合前って、きついのは選手もマネジャーも同じなんすよね。いや、きついって顔できないだけマネの方が大変かもって……今回、よく、理解できました」
 嘘や軽口でなく、信哉は支える者の苦労をちゃんと理解したのだろう。理解したうえでマネジャーの仕事と役割を楽しんでいる。少なくとも杏子にはそう感じられた。
 頼もしいことだ。
 箕月の言うように、確かな後継者を残して去ることができる。それはD〈 安堵であり解放であり、一抹の寂寥だった 〉。
「久遠くん」
「はい」
「加納くんね、去年の大会のこと、まだ、かなり引き摺ってる……かな」
「そうすね。そうかもしれないっす。まぁでも、引き摺ってても背負ってても、走らないとしょうがないでしょ。あいつ、帰ってきたんだんから」
 自分の意思で、トラックに帰ってきた。だとすれば、走るしかない。過去の栄光も挫折も、今走ることに何の意味ももたらさない。
 碧李は知っている。信哉も知っている。
 E〈 走ることは、いつだって、まっさらなシャツに袖を通すことだ 〉。見知らぬ道程を行くことだ。何が起こるのか、何が起こらないのか誰も予測できない。
 それは、どうしようもないほど苦しいことなのか。他の何にも替えがたいほどおもしろいものなのか。
 ふっと考え、杏子は胸の痞(つか)えを覚えた。息が苦しい。同時に背中に寒気が走った。
 わたしは見逃していたのだろうか。
 箕月への想いにばかり振り回され、走ることそのものに心を馳(は)せることを忘れていた。あのトラック、あのフィールドで繰り広げられるのは予測不能なドラマだ。それを楽しむことを忘れていた。
 わたしは見逃していた。
「あたしね、久遠くんと同じなのよ」
 呟いていた。信哉が問うように顎を上げる。
「最初は選手として陸上、やってたの。トラックじゃなくてフィールドの方だけど。高跳び」
「へぇ、それは初耳だ」
「すぐにやめちゃったから。というか、自分が競技者よりマネジャーに向いてるって、気づいちゃったの」
 座ったまま真剣な面持ちで見上げてくる信哉に向かって、しゃべり続ける。
「マネジャーの質って何かって訊かれたら、加納くんじゃないけどちゃんと説明できないんだけど、だけど、選手としてじゃなく選手を支える側……ううん、そこからも離れて見てるとね……」
「一観客として、競技を見てるってことですか」
「うーん、それとも違うかも。一般の観客にはなれないの。やっぱ、東部第一の選手に勝ってほしいし、この競技が終わったらすぐに飲み物の手配しなくちゃとか、コンディションをどう整えようかなんて考えてるんだから。けどね、そこがおもしろいの。マネジャーとして競技を見ているとね、選手には味わえないおもしろさがわかっちゃうんだ」
 抽象的だ。抽象的すぎる。言葉が想いに追いつかない。
「あたし、F〈 それ 〉を知ってたの。マネジャーになってすぐに気がついた。陸上っておもしろいなって……うん、あたし、確かに知ってたのにね……」
 いつの間に、忘れていたのだろう。過ぎていった日々がすいっと脳裡を撫でる。
 あの試合、あの練習風景、あのアクシデント、あの勝利と敗北。そして、夕暮れのグラウンドを一人、走っていた加納碧李。
 あいつはたぶん……走るってことがどういうことか、ちゃんとわかっているんだ。
 箕月は碧李についてそう語った。走るとは、肉体一つあれば事足りるもの。どのスポーツより根源的なものだとも言った。そして、
 おれにはわからん。
 吐息のように呟いた。
 わからんからおもしろいんだよ、前藤。
 そうだったんだ。監督はわたしにもちゃんと伝えてくれたんだ。フィールドには、走らない者にしか味わえない快感もまた、あるのだ、と。
 忘れていた、忘れていた。見失っていた、見逃していた。
 男に惹かれていく心が目を覆い、耳を塞いでいた。
 ため息が出てしまう。
「少し、わかる気がします」
 真剣な眼差しのまま、信哉が答えた、
「おれ、正直、ハードル諦めたとき、ちょっとはへこんでたんですけど……ほっとしたの半分、へこんだの半分、かな。けど今は、けっこう……うん、けっこういいかななんて思ってます。自分の立場っつーか、この位置、けっこういいっすよ。ハードルへの未練は、まだ、やっぱけっこうありますけど。まぁ、でも、だから、どっちにしてもけっこうなんですけど……同じようなこと、さっき加納にも言いました。おまえにはわかんない楽しみ方がおれ、できるんだぞって。何がわかんないのかわかるのか、上手く説明できないんすけど。つーか、する必要ないですよね。走るやつに説明したって無駄ってもんです。先輩……どうかしたんですか。おれ、なんか気に障ること言っちゃいました」
 G〈 信哉を凝視していた 〉。瞬きもしない眼に信哉が気(け)圧(お)されたように身を縮める。
「……すごいね」
「え?」
「すごいよ、久遠くん。最高だよ」
 思わず、信哉の背中を叩いていた。興奮が心臓を突き上げるようだ。
 久遠くんて、すごい。ちゃんと見えてる。わたしが、忘れていたものをちゃんと掴んでいる。
「いてっ。マジ痛いんですけど」
「あっ、ごめんごめん。つい……。ね、この一年、しっかり楽しんでよ、久遠くん」
 競技者ではない者として存分にフィールドを、トラックを楽しんでほしい。この後輩なら、それができるだろう。
                          (あさのあつこ『スパイクス』より)

問1 傍線部1と同じ意味の語を選べ。

 ア 不意に  イ 再び  ウ 鮮明に  エ 意外にも

問2 傍線部2の「一」と同じ意味で「一」が用いられている語を選べ。

 ア クラスの期待を〈 一身 〉に背負っている。
 イ 私の提案は〈 一顧 〉だにされなかった。
 ウ その案件の処理は議長に〈 一任 〉された。
 エ 事態を打開しようと〈 一策 〉を講じた。

問3 傍線部3の本文中の意味として最も適当なものを選べ。

 ア おべっかの言い合い
 イ 気の利いた受け答え
 ウ ちょっとしたいさかい
 エ 漫才のようなかけあい

問4 傍線部4と同じ意味で用いられているものを選べ。

 ア 〈 あらぬ 〉疑いをかけてはいけない。
 イ 〈 あらぬ 〉ことを口走ってしまった。
 ウ なぜか〈 あらぬ 〉方向に駆け出した。
 エ 友達に〈 あらぬ 〉噂を立てられてた。

問5 傍線部Aとあるが、なぜか。最も適当なものを選べ。

  ア 生徒と接する際にも、教師然としたふるまいを全く見せない監督の人柄に、驚きをおぼえ感心するばかりだったから。
 イ 親しげな生徒とのやりとりは、教師と生徒との境界を越えてしまう危険をはらんでいることに気付いてしまったから。
 ウ パソコンの取り扱いに疎いことは、顧問という立場から笑ってすませられない側面を持つのではないかと疑問を抱いたから。
 エ 生徒に対して自分の気持ちを素直にぶつけていく姿に、異性としての魅力を抱いてしまったから。

問6 傍線部Bとあるが、杏子はなぜこういう気持ちになったのか。最も適当なものを選べ。

 ア 自分の気持ちに嘘はつけないことは自覚していても、思わせぶりな態度をとられるくらいなら、あくまでも教師として距離をとって自分に接してほしいと考えていたから。
 イ 自分だけ特別扱いされていることが他の部員にわかってしまったならば、それまで通り部の一員として過ごしていくことは出来そうにないと思ったから。
 ウ 自分の名前を呼ばれることに、たんにマネジャーと呼ばれる以上の思いがこもっているのではないかと期待する気持ちが起こるのを押さえられなくなりそうだったから。
 エ 自分の気持ちをほのめかした時の記憶がよみがえり、一時は部をやめようとまで思い悩んでいた状態に再びおちいるのはあまりにも辛いと思ったから。

問7 傍線部Cとあるが、このときの心情を説明したものとして最も適当なものを選べ。

 ア 監督に対する自分の思いを悟られるくらいなら、いっそ不貞腐れていると思われた方がいいという投げやりな思い。
 イ どうせ自分の本当の気持ちは伝えられないと思うと、監督にどう思われようとかまわないという諦めの気持ち。
 ウ 新しいマネージャーが決まったからといって、すぐに自分をないがしろにしようとする監督に内心反発する気持ち。
 エ 睨むことと見つめることの違いさえわかってくれそうもない監督の無神経さをせめたいがそれもできないせつない思い。


問8 傍線部Dとあるが、このときの心情を説明したものとして最も適当なものを選べ。

 ア マネジャーという仕事を心から楽しんでいる信哉の姿をみて、一年間教えてきたかいがあったと満足感を感じながら、引退という形で部を去らねばならない不条理へのやりきれなさが生まれつつある。
 イ 信頼して仕事をまかせることのできるマネジャーを育成してほしいという監督の期待にやっとこたえられそうな目処(めど)がつき、大きな仕事をやりとげた充実感から少し気が抜けた状態になっている。
 ウ マネジャーの仕事を信哉に教えきったことへの満足感につつまれてはいるが、自分の本当の思いは引退を間近にひかえた今も形になっていないのではないかというわずかな後悔も抱いている。
 エ 信頼できる後輩マネジャーが育ちつつあることに心からの安心感を抱きながらも、それは同時に自分の存在感が減じていくことになるのも事実だという気持ちがかすかに生まれている。

問9 傍線部Eとはどういうことを表しているのか。最も適当なものを選べ。

 ア 新しい未来を生み出すためには、過去を一切捨てた今の走りが大切だということ。
 イ 走ることは、どんな過去からも予想できない新しい今を生み出しうるということ。
 ウ 走ることには、自分の意志とは異なって働く不思議な力がひそんでいるということ。
 エ 過去にも未来にも全くとらわれない今だからこそ、走る意味はあるということ。

問10 傍線部Fの指す内容として最も適当なものを選べ。

 ア 大変だからこそ充実感を得ることのできるマネジャーの仕事。
 イ 自分自身が選手よりもマネジャーに向いているということ。
 ウ マネジャーには簡単に言葉にならないおもしろさがあること。
 エ 実際に競技をしないマネジャーだからこそ味わえるおもしろさ。

問11 傍線部Gとあるが、このときの状態を説明したものとして最も適当なものを選べ。

 ア 杏子の話を誠実に受け止め理解しようとする信哉の口から発せられた言葉は、予想以上に本質をついた内容であることに驚き、思わず信哉の顔をじっと見つめている状態。
 イ 抽象的な杏子の言葉を自分なりに解釈しようとしている信哉の姿勢からは、何事にも力を抜くことなく取り組む人間性が感じられて、なかば見とれてしまっている状態。
 ウ 監督の陸上競技への思いや、加納の現時点での体調などを語る信哉の言葉を聞き、自分よりもはるかに部の現状を理解していることに驚き、目を見張っている状態。
 エ 信哉が気を遣いながら自分に話しかけてくる様子を見て、仕事にうわのそらだった自分の内面を見透かされているかもしれないと、さぐるように見返している状態。

問12 この文章における人物描写についての説明として最も適当なものを選べ。

 ア 加納碧李は、この場面には登場しないものの、すべての登場人物の心の中に大きな存在として位置していることが、効果的な比喩を用いた表現から伝わってくる。
 イ 久遠信哉は、杏子が自分と同じように競技をあきらめてマネージャーになったことを知りながらそれを口にしない心優しい人物として描かれ、それは彼のたどたどしい口ぶりをそのまま書き記す方法によっても描写されようとしている。
 ウ 箕月監督は、その内面にはあえてふみこまずに客観的に描写されていて、ユーモラスな面を持ちながらも、他人の気持ちを理解しようとする姿勢は持ち合わせていない人物として扱われている。
 エ 前藤杏子の視点に寄り添いながら物語は進行し、彼女の回想が描かれたり、心情がそのまま描写されたりし、さまざまな人間関係の中でゆれうごく様子が印象的に描かれている。

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