学年だより50
経験(3)
繰り返すが、高校時代に大切なのは、「何かをやること」だ。
そして「何か」と「やること」とでは、「やること」の方が大切だ。
「何か」は究極的には何でもいい。
経験こそが大事なのだから、極端なことを言えば「学校で」それを「やる」必要さえない。
自分で「何か」を見つけて一心に取り組むことができるなら、ひとかどの人間のなれるだろう。
ほどほどの努力で手にした学歴より、もっと貴重なものを手に入れられる可能性はある。
ただし、「何か」がはっきりしないままに、とりあえず学校から飛び出して、たとえばフリーターと言われる暮らしをしながら「何か」を探してても、なかなかいい結果にはつながらない。
そのへんは、みなさんも十分予想できると思う。
世の中というのはかなり広い。
80年の人生で、世の中のあらゆることを経験しつくしたという人はいない。
この世の森羅万象から、自分のやりたいことを見つけるというのは、冷静に考えてみればとんでもなく大変なことではないだろうか。
先日、「週刊ポスト」という雑誌で、「きっと見つかる! 夢の求人台帳」という16頁の企画が載っていて、「週刊こどもニュース」で有名な池上彰氏の監修というところに惹かれて買ってみた。
たしかに一般的な価値観とは異なる職種が紹介されてはいたものの(利き酒士とか、プラモデル制作者とか)、これらの仕事をピンポイントで自分の天職だと確信できる人も限られているのだろうなと感じた。
現実問題として、仮にそのような職業につきたいという人が何万人もいたなら、その人たちが食っていけるほどの市場はない。
ある職業が職業として成立するかどうかは、それで食っていけるかどうかにかかっているということは厳然たる事実だ。
「自分のやりたいこと」を見つけて、それで生きていこうとしても、その仕事が生み出すものを認め欲する人がいないなら、職業としては成り立たない。
このことから考えても、純粋に自分のやりたいことを仕事にすべきだという考えが夢物語であることがわかるだろう。
まして「自分のやりたいことを見つけよう」と言う人の頭に中にある仕事のイメージは、意外と狭かったりするのも現実だ。
社会において何が認められ、何が認められないかは、学んでいくしかない。
それを学ぶためには、実際に世の中に出てしまうのも一つの方法ではあるが、「学校」は遠回りなようで、実は効率のよいシステムである。
自分がどのような人間であるのかを、知ることができる。
どういう分野に秀で、どういう分野を得意とし、またその能力は同世代の人間の中でどのへんに位置するレベルのものなのかがわかる。与えられた課題に、どれくらいのめり込んでやれる人間かがわかる。コミュニケーション能力をじっくり作っていくこともできる。
幸いなことに、みなさんは大学にまで行っていいと言われている。
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