「清澄庭園の庚申塔」
庭園入口から対角に位置し、最も遠い場所、池の回遊路から少し外れたところに、
石仏群があります。
向かって最も右側に三猿庚申塔。上半分が折損。「〜造立庚申供養」「〜寛文拾庚戌天」(1670年)「〜吉祥日」「願主」「敬白」
三猿の並びは、言わざる、見ざる、聞かざる。下方に蓮華
中央に阿弥陀仏立像。「延宝七未天十月七日」(1679年)
その左奥に庚申文字塔、「庚申塔」。基台に三猿(言わざる、聞かざる、見ざる)
江東区が設置している説明版によれば文化十二年(1815年)の造立
左手前に馬頭観音。馬頭観音は三面八臂の像容が多いですが、こちらは一面六臂。左上手の持物は宝輪、右上手は斧であることが多いのですが、はて、これは?
「安永三甲午歳」「二月十一日」(1774年)
現地説明版によると、これらの石塔は岩崎家が庭園を造営する際に出土したと記されています。岩崎家が関宿城主久世大和守の下屋敷を買い取り、庭園を改造したのが1874年。
久世家が庚申を信仰していたのか、それとも、1868年の明治維新を機に同地が荒廃し、近隣の庚申塔が集められていたのか。
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