「不忍池聖天島」から6〜7分で「五條天神社」
ここも上野の山の「へり」に位置し、鳥居の位置と社殿との標高差が大きいです。
桜の季節もよさそう
社殿に向かって右側に「一山霊神」の石碑。木曽御嶽山の修験者「一山(いっさん)行者」の祭神名が「一山霊神」です。大田区嶺町には、一山を祀る御嶽神社があります。
ここ五條天神社の御祭神は、大己貴命(おおなむち)と少彦名命(すくなひこな)で、この2柱は木曽御嶽神社や武蔵御嶽神社の相殿に祀られている祭神です。
大己貴命と少彦名命は、どちらも医薬祖神として位置づけられています。少彦名命は、医薬と農業を司っている中国の神農大帝と習合することもあり、大阪道修町(どしょうまち)の少彦名神社では、両方の神様が祀られています。
五條天神社の東側に隣接する花園稲荷神社は、五條天神社が引っ越してくるよりも古くから鎮座し、神社名の由来は、周囲が「花畑だったから」とされています。確かにお花もあったかも知れませんが、涼麻父は、ここで薬草を栽培していたのではないかと思います。江戸後期の地図に麹町の新宿通りの北側に「植物場」との記載が見つかりますし、この頃、和漢生薬が研究されていて、一部で普及していたのでしょう。
「御嶽山」の石碑は聖天島にもありました。
さて、「一山霊神」の石碑の奥へと通路が続いていますが、残念ながら立入禁止になっています。
そこには、7基の石塔や石像が祀られています。
最も手前は、額に白毫があり右手が施無畏印ですから仏像。釈迦如来でしょうか。
その奥は、六臂青面金剛。左上手に法輪、左本手にショケラ、左下手に弓、右上手と右下手の持物は不明、右本手に宝剣。右側面に「諸願〜庚〜」の文字が読めます。下方に三猿。
3基目は三猿文字塔。「奉納〜」
4基目も三猿文字塔。5基目は文字塔で、かろうじて「庚申」らしき文字。
最も奥の2像は、大己貴命と少彦名命の神像ではないかと思われます。手前の大己貴命は、袖の中で手を組み、奥の少彦名命は右手に薬草を持っているようにも見えます(ちょっと、希望的観測)。神農像も、しばしば薬草を手にしています。
仏像とは異なり、神像を目にする機会は非常に限られており、貴重な空間だといえます。
この場所は、御嶽講の方々にのみ公開されているという感じなのでしょうかね。