涼麻が行く ~白犬ウエスティの のんきな生活~

ウエストハイランドホワイトテリア(ウエス、ウエスティ、白犬)の涼麻(りょうま)のことを中心にいろいろと

大阪少彦名神社

2023年11月29日 22時21分40秒 | 神社仏閣

大阪道修町(どしょうまち)は薬種問屋が集まって形成された街です。

 

そのビル街に、「神農さん」として親しまれている少彦名神社が鎮座しています。

 

日本の医薬神である少彦名神と中国の薬草神である神農炎帝が習合しています。

 

今でも、周辺には多くの製薬会社が本社を構えています。

 

虎の張子がイメージキャラクターになっています。これは、1822年に大阪や京都でコレラ(虎狼痢:ころり)がパンデミックを発生させた際、「虎頭殺鬼雄黄圓」という丸薬で対抗したということに由来します。ちなみに、「虎頭」は虎の頭蓋骨で「雄黄」は三硫化二砒素。

 

昔は家庭常備薬というものがありましたね。

 

拝殿左手前の虎の張子の奥に神農像が祀られています。こちらの神農像はオーセンティックな像容で、左手で薬草をつかみ、葉を口に含んでいます。

神農さんと言えば、西の少彦名神社、東の湯島聖堂ということになりますね。

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瑞獣「騶虞」

2023年11月27日 21時24分00秒 | 神社仏閣

湯島聖堂の大成殿の屋根には、龍生九子の次男「螭吻(ちふん)」と思われる「鬼犾頭(きぎんとう)」とともに、鬼龍子(きりゅうし)あるいは騶虞(すうぐ)と呼ばれる霊獣がいます。

 

狛犬に似た感じですが、前肢を大きく開き、肉球は大きく、虎のような顔をしています。胴体は縞々模様。

 

ご近所の神田明神本殿には、狛犬を配するであろう位置に、よく似た霊獣がいます。胴体は筋骨隆々。

 

そして、築地本願寺には、本堂の前に虎か獅子のような霊獣が配されていて、こちらは有翼であることが特徴です。前肢を開くことなく揃えています。

「鬼龍子(きりゅうし)」は、獅子とは限らず、麒麟や鳳凰、龍などをベースとした魔除け一般を担う霊獣なので、ある意味、一般名詞であり、固有名詞としては虎に似ていて仁徳をもった君主が現れたときに姿を見せる瑞獣と言われる「騶虞(すうぐ)」と呼ぶことが適当なようにも思います。

龍生九子の四男「狴犴(へいかん、げいかん)」は、虎に似た姿で、罪を憎み、非常に正義感が強い。門上の装飾として用いられ、その勇ましい姿で悪いものが入ってこないよう見張ってくれるということなので、着想は近いと言えます。

どうやら、既存のイメージに当てはめることは難しいようです。いずれの建築物も関東大震災罹災後、昭和初期に設計されており伊東忠太が深く関与していることから、彼の想像力と創造力の賜物なのでしょう。中国やインドのみならず、場合によっては西欧のガーゴイルからも感化されているかも知れません。

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龍生九子の次男「螭吻」

2023年11月26日 08時00分52秒 | 道教

龍生九子の次男「螭吻」(ちふん)は、獣や魚の姿をしていて、高いところから四方を見渡すことができることから屋根の上の装飾(たとえば唐招提寺の鴟尾など)として用いられることもあり、特に日本では鯱鉾(しゃちほこ)の原型になったと言われています。

先日、訪れた湯島聖堂の大成殿の屋根を見上げると、

 

これぞ!という感じの螭吻に出会いました。

 

現地説明板では「鬼犾頭」(きぎんとう)と呼ばれており、「一種の鯱型で、龍頭魚尾、二脚双角、頭より潮を吹き上げ」、「もと鴟尾と言い、古く漢代に始まり、五代、宋の頃に魚型に変化」「想像上の神魚で、水の神として火を避け、火災を防ぎ、建物を守る」とあります。

長男「贔屓(びき)」はこちら

三男「蒲牢(ほろう)」はこちら

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神農廟

2023年11月25日 23時08分43秒 | 道教

湯島聖堂の敷地奥に神農廟が建立されています。神農さん(神農炎帝)は、薬草の神様です。

 

一年に一度、11月23日(旧暦11月は冬至を含む月)の限られた時間だけ、この柵が開いて、

 

神農廟を参拝することができます。

 

涼麻父が到着したとき、すでに6〜7人の方々が並んでいました。

 

軒丸瓦には「神」

 

お社は防火仕様の土蔵造りになっていて、内扉が鏝絵で装飾されています。

向かって右側の聯(れん)に「観天地類陰陽萬世被其化」

 

左側の聯(れん)には「嘗草木酸苦千秋仰其功」

拙訳:天地自然のあらゆるもの、その変化してゆく理を観察し、くる年もくる年も草木の酸っぱい、苦いを舐めて、それらの効能を知る。

神農さんは、ときには体に悪い草木を嘗めてしまい七転八倒しながらも、それを別の薬草で治していたともいわれています。文字通り、辛酸を嘗めたということになるでしょうか。

 

15分ほど待って、ようやくご対面。

涼麻父は、若い頃、重いアトピーになって西洋薬では手に負えず、漢方の煎じ薬で完治した経験があるので、以前からお礼を伝えたいと思っていました。

 

神農像は、一般的には薬草を喰む(はむ)姿ですが、和風にカスタマイズされたためか稲穂を掴んでいます。

右手の持物は、赭鞭(しゃべん)と呼ばれる赤色の鞭で、これを用いて草山に分け入り百草を鞭打って味を確かめていたと伝えられています。

 

扁額に「躋寿殿」(せいじゅでん)

こちらの神農像は、もともと徳川家光の発願によって寛永十四年(1637)に東光院薬園寺(雑司ヶ谷)に薬草園が造られたとき、寛永十七年(1640)に祀られています。その後、薬草園敷地に護国寺を建立する際に、湯島聖堂に遷座されました。ところが、その後、何度も遷座を繰り返していて、神田佐久間町の醫学館(官立医学校)に安置されていた時代があり、この醫学館の前身が「躋寿館」と呼ばれていたという繋がりがあるようです。

「躋」は「のぼらせる」という意味なので、「躋寿」とは(医学の力によって)寿命を伸ばすという意味でしょうか。

 

お社の裏手から、神田明神の青銅鳥居と随神門が垣間みえました。

毎年11月23日が近づくとそわそわしていましたが、ようやく20年来の願いが叶いました。

 

大阪道修町の神農さんはこちら

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大阪関帝廟

2023年11月23日 09時54分21秒 | 道教

四天王寺から東へ歩いて10分ほど

扁額に「関帝廟」とあります。正式名称は、黄檗宗白駒山清寿院、通称南京寺。

 

回廊の奥に廟が建立されていて、

 

関帝を中心に、向かって左側に天上聖母、右側に財神爺が祀られています。

関帝像は江戸末期から祀られていて、現在は内殿に鎮座。

明治18年(1885年)に本堂・拝所・表門等が中国風に改築され、そのとき関帝・天后・財神爺の三尊が寄進されたのだそうです。

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龍生九子の三男「蒲牢」

2023年11月22日 20時18分22秒 | 神社仏閣

群馬の水澤観世音(水澤寺)の梵鐘

 

釣鐘を吊るす部分に、龍生九子の三男「蒲牢(ほろう)」がいました。

さすが蒲牢、なかなか良い声をあげてくれました。

 

龍生九子の長男「贔屓(びき)」と次男「螭吻(ちふん)」は、こちら

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以字点

2023年11月21日 19時04分25秒 | 神社仏閣

「以字点」は、馬込の萬福寺「摩尼輪堂」で初めて遭遇して、そう言えばという感じで、京都「銀閣寺」のお札や沖縄の「フーフダ(符札)」にも配されていることに気がつきました。

 

四万温泉積善館の本館と慶雲橋は「千と千尋の神隠し」の「油屋」のデザインの参考にされたと言われています。

 

本館の玄関引き戸の上に厄除けのお札が掲げられていて、

 

「(観音菩薩の種字サ)厄除御守護」「家内安全」「商売繁昌」と記されている頂部を挟むように以字点が配されていました。

不思議なもので、自然と目が向くようになりました。

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庚申塔ドライブ#320

2023年11月20日 19時15分40秒 | 庚申塔

群馬県の四万温泉に温泉薬師神社が建立されています。

四万温泉は四万種類の病を治すと言われていることから、薬師如来が招来されたのだと思います。

扁額の前に双龍、水と関係の深い龍がモチーフとなっています。

薬師如来という仏教と神社が習合しているところが、魅惑的です。

 

拝殿に向かって、左側に石塔が集められていて、

 

その中、最も右側に自然石の素朴な庚申塔が祀られています。紀年や文字刻は見当たりませんでした。

 

とても綺麗な紅葉に出会うこともできました。

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那智山奥之院

2023年11月15日 21時48分54秒 | 道教

熊野那智大社へ向かう途中に那智の大瀧を遠望できる高台があります。

そこに、那智山奥之院「滝見寺」が建立されています。

寺号はまるで仏教寺院ですが、中国様式のお宮です。

 

3つの廟があり、中央が観音廟。

 

向かって右に徐福廟。徐福は、秦の始皇帝の命を受けて、「不老不死の薬」を探しに日本にやって来ました。はじめに不老不死の薬を探す航海に出た時、なかなか見つからなくて、一旦、本国に出戻り、もっと金と人がたくさん必要だと訴えて、再出発、そのまま日本に住み着いてしまったというなかなかの大物なのです。

 

八卦天井

 

向かって左に関帝廟。関羽が神格化されて、武神、財神に。

 

門神

維持費を捻出できないために建物の老朽化を食い止めることができず、現在は立ち入れない状態のようです。

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石敢當

2023年11月14日 23時43分36秒 | 道教

「石敢當(いしがんとう)」

福建省からの伝来文化ということで、厳密には道教というより民間信仰というべきかも知れませんが、道教の聖地五岳のひとつ泰山の頂上にも設置されています。

 

下界では、丁字路などに設置される石塔で「石敢當」と文字が刻まれています。

「邪」には直進性がある(曲がれない)という考えから、多くは突き当たりに設置されます。

「敢當」は強い武士、あるいは力持ちの名前だと言われています。

 

沖縄の家屋には石門があって入り口が広く開かれていますが、少しセットバックした位置に間口をふさぐように屏風(ひんぷん)と呼ばれるつい立てが建てられており、これも直進してくる邪を跳ね返すためのものです。

邪の直進性は、サメの直進性に類似しているという説を聞いたことがあります。

 

庚申塔では、「庚申塔」と文字刻されるほかに、青面金剛などの主尊が彫られたり、三猿や二鶏が付加されたり、神道系では「猿田彦神」と刻字されるなど、バリエーションが豊かなことに比べ、石敢當は文字刻の一択です。

 

それでは、石敢當の15連発です。

14枚の写真に15基の石敢當が写っています

国内における石敢當の設置数は圧倒的に沖縄に多いのですが、県外にもあり、涼麻父は百合ヶ丘で見かけたことがあります。

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護符

2023年11月13日 20時43分51秒 | 道教

那覇の街を歩いていると、シーサーにはよく出会いますが、たまに護符を見かけることがあります。

 

門に貼り付けるタイプのお札(フーフダ)です。木簡の上に「(以字点)妖怪消滅急々如律令モン」

以字点は以前の記事で説明したようにお札の冒頭に配する記号で、その意味はよく分かっていません。

「急々如律令」は呪符や護符の最後に配する決まり文句で、ただちに「律令」で命じられたのと同じく厳しく実行せよ、という意味。

つまり、このお札の本文は「妖怪消滅」ということになり、怪異除けのためのものということになるのでしょう。

末尾の「モン」は全くわかりませんが、以字点のような役割なのかな?

豊見城市にある道心寺が頒布しているものです。こちらのお寺さんは、金峯山修験本宗ということですから、奈良県吉野の金峯山寺を総本山とする修験道の流れを汲むものです。もともと、修験道は道教や仏教とアニミズム系の神道が習合しているので、福建省の影響が色濃く、また現代でも陰暦のカレンダーが流通している沖縄の地に根を張ることは、とても自然なことだと思います。

 

こちらのお札は宜野湾市の普天間宮が頒布しているもの。

「吐普加身依美多女(とおかみえみため)」とは陰陽道の呪文で、亀卜(亀の甲羅や鹿の骨を焼いて、そのひび割れパターンをみて占う方法。御岳神社奥宮の裏手でも亀卜が執り行われていました)のとき、「ト・ホ・カミ・エミ・タメ」と唱えるであるとか、独立系の神社で祝詞として用いられるなど、諸説あるようです。

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至聖廟

2023年11月12日 17時34分39秒 | 道教

那覇市波上宮のお隣にある「至聖廟」

 

孔子のほか、天尊や天妃が祀られています。

 

天妃宮

 

天妃、別名天后または媽祖。正式名称は天上聖母

航海の安全を守る神様。来歴は龍女との関連がありそうだったり、魚藍観音像や楊柳観音像との類似性が指摘されているようです。京都泉涌寺の楊貴妃観音は、中国から仏像を招来する際に航行に随行していることから、涼麻父は個人的に、実は媽祖像なのではないかと想像を巡らせています。

 

千里眼(向かって右)と順風耳(左)が侍ります。それぞれ、方角を定め風を読む役割を担っています。

 

天尊廟には、天尊を中心に、関帝と龍王が祀られています。

 

天尊廟

 

別名太上老君、正式名称は原始天尊、道教の最高神です。三清の一柱です。

 

関帝廟

 

ご存知、関羽が神格化された神さま。武神であり財神。

 

龍王殿

 

龍女のお父さん。インド仏教におけるナーガ(蛇)、中国に入り龍が人格化されたもの。は水の淵に住み、水、雲、雨を司る。「千と千尋の神隠し」のコハクなど、龍はモチーフとして存在し続けています。

仏教との習合や日本文化への影響など、とても興味深いものがあります。

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庚申塔ドライブ#319

2023年11月11日 19時18分11秒 | 庚申塔

藤沢市村岡東の庚申塔。ガスト藤沢弥勒寺店の駐車場に4基が祀られています。

向かって最も左側に庚申文字塔「□為帝釋天王」

 

その右側に三猿庚申塔(言わざる、聞かざる、見ざる)

 

刻字は「奉立願帝釋天王」「寛文四甲辰年」「十月下旬三」(1664年)

 

その右側も三猿庚申塔(見ざる、聞かざる、言わざる)

刻字は「帝釈講中現安所」「正徳五未天」(1715年)

 

最も右側も三猿庚申塔(見ざる、聞かざる、言わざる)

「庚申供養」「宝永二酉天」(1705年)

現地説明版によると、近隣の開発工事に伴って、こちらに遷座されたそうです。

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百段階段#7 頂上の間

2023年11月10日 20時51分13秒 | 社会科見学

清方の間」から六階にあがると、

 

「頂上の間」

 

文字通り、三号館の最上階に位置しています。

欄間や天井の絵を手がけた画家の名前を冠していない部屋は、「漁樵の間」と「頂上の間」のみです。

また、旧館の古い配置図には、この部屋の名前が記載されていないので、もしかしたら一般には公開されていなかった部屋なのかも知れません。あるいは、展望室であったか。

 

ガラス窓の四隅に配される飾り板の一枚が、綺麗に修復されています。

 

本間の天井画

 

違い棚。床柱は黒柿

 

組子障子

 

回り廊下から、かつての庭園を眺めることができます

 

すべての部屋を見学して、階段を降りてゆきます。

降りてゆく途中、「清方の間」と「漁樵の間」を再訪しました。

 

猫ちゃんが歩いていました

予想以上に見応え十分

贅を尽くした伝統的な日本建築って、いいものですね

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百段階段#6 清方の間

2023年11月08日 20時40分47秒 | 社会科見学

星光の間」から五階にあがると「清方の間」、鏑木清方にちなんで命名された部屋です。

脇窓に富士山

 

この部屋で特筆すべきは天井の装飾でしょう。こちらは本間の天井、杉皮の網代の上に杉の柾目板を貼っています。

 

力強さと優美さを兼ね備えています。

 

前室の天井は斜め45°に区切られて二枚の扇絵

 

組子障子

 

本間の欄間には「四季美人図」

「夏の蛍狩り」

 

「秋の風」

 

「冬景」

ちなみに、春は「娘道成寺」です。

 

前室の欄間は地元目黒にちなんだもの。悲恋の主人公「白井権八」

 

百段階段が隣接する「行人坂」

この二枚の絵を見たとき、なぜか「菅沼之助」と「権之助」を連想してしまいました。

 

軒下、だけど室内

 

バルコニーの手すり、だけど室内

 

桟の四隅の飾り材は、せん断補強(ひし形に変形することを防ぐ)のためと思います。この部材、何と呼ぶのだろう?

さあ、次はいよいよ「頂上の間」です。

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