涼麻が行く ~白犬ウエスティの のんきな生活~

ウエストハイランドホワイトテリア(ウエス、ウエスティ、白犬)の涼麻(りょうま)のことを中心にいろいろと

前祭ウォーク#3

2023年09月24日 21時01分13秒 | 京都

日中に山鉾巡行を見届けた後、夕方に白川筋を訪れ、御神輿を待ちました。

山鉾が清めた市中を、八坂の神様が御神輿に乗って渡御するのが神幸祭です。

 

大和大路通を神宝奉持列が上がってきました。先頭は「勅板」、

 

続いて「幸鉾(さいのほこ)」

 

そして、中御座(素戔嗚尊=牛頭天王)が渡御

 

白川筋から四若神興会の提灯が見えてきて、

 

東御座(櫛稲田姫)の渡御

10年ほど前、涼麻父が担いでいた下町の富岡八幡祭では、「わっしょい、わっしょい」のかけ声で御神輿を揉みながら渡御して、交差点や御神酒所で差したりします。

ちなみに、「揉む」というのは肩に担いだ御神輿を上下動させることで、御神輿の上の鳳凰を揺らします。鳳凰には飾りがついていて、これが綺麗に揺れると美しいとされています(物理的には、固有振動数と一致するように担ぎ手が息を合わせて上下動させること)。

また「差す」とは、あらかじめ決められた場所で、肩に担いでいた御神輿を手のひらで持ち上げ、肘を伸ばして高く掲げることです。木頭さんの「させーっ」という威勢のいい号令とともに差し上げます。

そして、御神酒所を再出発するときや御神輿を納めた後は「よぉーおっ」で三本締めです。

 

一方、祇園祭では、かけ声が拡声器を通して、「ほいとぉ、ほいと」や「よいやっさぁ」(よぉーさぁ/よいやっさーの/よいやっさーじゃ)。

渡御では、あまり揉むことはなく御神輿を水平に保ったまましずしずと進みます。ただし、出立時の八坂神社前や御旅所に納まる前には、揉んだり差し回したりします。

「差し回す」というのは、御神輿を差し上げたまま、時計回りに回ることです。差すときは特に号令はなく「いまから差すよ」程度の声掛けで、差し上げられたことを確認すると「まぁわせっ、まぁわせっ」の号令とともに差し回します。

〆の手締めの合図は「よぉーさのっ」

ちなみに、ちなみに、「ほいと」は祝人、「よいやさ」は弥栄(≒八坂)に由来するという説があるようです。

江戸と京都の御神輿文化の違いを知る良い機会でした。

 

3基の御神輿はそれぞれのルートを3時間ほどかけて渡御し、四条寺町の御旅所に納まります。

 

神宝奉持列の幸鉾が進んできたので、まもなく中御座が到着するところでしたが、

このあたりで撤収〜

 

翌日(7月18日)の御旅所。無事、3基の御神輿が遷座していました。

祇園祭の、宵々山前祭をたっぷり満喫しました

この先、京都を訪れて四条通や新町通を歩くとき、これまでとは街の姿が違って見えることと思います。

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前祭ウォーク#2

2023年09月23日 11時40分33秒 | 京都

神泉苑」から御池通を東へ

堀川通にさしかかると道路封鎖!

といっても、湾岸署じゃなくて京都府警、これは平和な封鎖です

 

新町御池にたどり着くと、長刀鉾函谷鉾が待機していました。

実は、前祭の巡行は四条河原町で左折(=最も人気のある辻回しスポット)、続いて河原町御池で左折し、ここ新町御池のあたりで解散となります。

とはいえ、ここからそれぞれのお町内に帰還するため、多くの山鉾が新町御池で左折してゆくのですが、新町通は大変狭く追い越しができないため、ここで順序を整えて、遠くのお町内の山鉾から新町通に進入してゆくのです。

ところで、長刀鉾の鉾頭の長刀は四条通を出発する際に、刃先が八坂神社や御所を向かないよう南側を向くようにセッティングされていると聞いていましたが、ここ御池通りで北を向いているということは、どうやら固定式だったようですね。

まだ長刀鉾が動き出しそうになかったので、姉小路通まで下がってみました。

 

巡行順2番目の「山伏山」が先行して新町通に入り、ちょうど新町姉小路で辻回しして東進して帰ってゆくところでした。

 

御池通に戻って、しばらく待っていると、祇園囃子がアップテンポになり、音頭取の「えんやらやー」の掛け声とともに長刀鉾の辻回しが始まりました。

 

新町姉小路へ先回りして待っていると、

 

建物の際から、ぬっと鉾が現れます

 

新町通は道幅が狭いことに加え、この交差点は、若干クランク状になっているため、車方がテコを使い、鉾の向きを微調整しながら進みます。

鉾がテコを乗り越えるたびに、ズシンと重低音をたて、櫓がきしむので、振動と音が体に伝わってきます。これは、Youtubeなどの動画では味わうことのできない、ライブならではの体感迫力です

 

続いて、巡行順8番の「木賊山」が辻回し。木賊山は新町通より西側に会所があるので、遠回りのような

 

巡行順3番の「白楽天山」も辻回し、二本東の室町通に出て下がってゆくのかな。

前祭では、宵々山のときには拝見できなかった御神体が搭乗しています。また本番用の胴懸や見送りで飾られており、より一層見応えがあります。

 

巡行順5番の「函谷鉾」がやってきました。巨漢が新町通を進む勇姿を正面から拝見してみたいものです。

 

巡行順10番の「油天神山」。青色の水引が鮮やかです。

 

巡行順6番の「郭巨山」。唯一、屋根付きの山。郭巨に命を奪われそうになった息子が仲良く搭乗しています。

 

巡行順11番の「孟宗山」。孟宗が筍を掘るための鍬を手にしています。

真夏の祇園祭に「雪が積もる松」と「砂漠のラクダ商隊」、鮮烈なコントラストです。

 

巡行順12番の「霰天神山」。本物の神社の玉垣に代わり、美しい欄縁が巡らされています。舞台奥に天神(=菅原道真)が愛した紅梅。胴懸は花鳥綴織でしょうか。

 

巡行順7番の「四条傘鉾」。四条傘鉾には小学生を中心とした棒振り囃子が随行しています。

 

新町御池に戻ると、巡行順9番の「鶏鉾」が辻回し。音頭取の浴衣の水色が目印です。

 

稚児人形が搭乗。船鉾を除く6基の鉾には生稚児か稚児人形が乗っていて、それぞれの稚児人形には名前がついているのですが、鶏鉾の稚児人形のみ名前がありません。

 

巡行順14番の「保昌山」。胴懸は「巨霊人と白鳳図」。巨霊は黄河の河神で、岩山を砕いて太華山と少華山に分け、迂回していた黄河をまっすぐ流したとされる伝説上の人物。巨霊は、京都御所南側の建礼門にも彫刻されています。

前祭23基のうち12基の山鉾を見送り、そろそろ暑さも限界に達していたので、このあたりで切り上げることにしました。

 

ところで、今年の前祭の巡行順は、次の通りでした。

1 長刀鉾
2 山伏山
3 白楽天山
4 芦刈山
5 函谷鉾
6 郭巨山
7 四条傘鉾
8 木賊山
9 鶏鉾
10 油天神山
11 孟宗山
12 霰天神山
13 菊水鉾
14 保昌山
15 綾傘鉾
16 太子山
17 月鉾
18 伯牙山
19 蟷螂山
20 占出山
21 放下鉾
22 岩戸山
23 船鉾

山鉾の巡行順はくじ引きで決められますが、太字はくじ取らずで、毎年、巡行順が変わることがありません。

一方、くじを取る山鉾についても、まったくランダムに順番が入れ替わるわけではありません。23基の山鉾の種別を並べると、次のような配列になっています。

 山 山  山
 山 傘鉾 山
鉾 山 山  山
鉾 山 傘鉾 山
鉾 山 山  山
鉾 山 鉾

こうしてみると、まるで祇園囃子のように とてもリズミカルに構成されているということがわかります。

このリズムによれば、例えば傘鉾の場合、四条傘鉾と綾傘鉾は7番目か15番目(傘鉾第一番か第二番)に充てられます。

同じように、菊水鉾、月鉾、鶏鉾は9番目か13番目か17番目(鉾第一番〜第三番)ということになります。

 

この日の夕刻、神幸祭を拝見しました。

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前祭ウォーク#1

2023年09月21日 21時41分21秒 | 京都

7月17日、前祭は朝9時から巡行が始まりますが、おっとり刀でお昼前に二条駅を出発して、まずは「神泉苑」

 

八坂神社の祇園祭の原型である祇園御霊会が、この地で執り行われていました。

当時の日本の国の数66にちなんで、66本の鉾が建てられていたのだそうです。

平安時代の頃、天災や疫病が発生すると、それは非業の死を遂げた御霊の祟りであると考えられ、それを鎮めるために執り行われたのが御霊会です。

それほど策謀や讒言のために犠牲があったということであり、また同時に民衆を慰撫する必要があったのでしょう。

代表的な怨霊としては、菅原道真、早良親王が挙げられます。

 

神泉苑には水を司る龍の出入り口である龍穴(=池)があり、龍穴は貴船にもあります。もともと、京都の水脈は、船岡山(貴船)から洛中を経て伏見の巨椋池(1941年に干拓竣工)まで続いており、神泉苑はその象徴になっていたのだと考えられます。八坂神社の本殿の直下に深井戸があり、これも龍穴とされています。

池のほとりに「亀塚」が建てられています。この亀は、龍生九子の長男「贔屓(びき)」です。贔屓とは、姿が亀に似ていていて、石柱や石碑を背負っていることから、石柱・石碑の土台の装飾として用いられます。また「贔屓の引き倒し」の由来になっているようです。重いものを背負いながら一歩一歩前へ進む様子から前向きに進む力があると言われています。

隣には「鯉塚」があり、もしかしたら龍生九子の次男「螭吻(ちふん)」かも知れません。螭吻とは、姿が獣または魚に似ているとされ、高いところから四方を見渡すことができるところから屋根の上の装飾(唐招提寺の鴟尾など)として用いられることがあります。日本では「鯱鉾(しゃちほこ)」の原型とも言われています。

また、鯉は滝登りでも有名ですが、滝を登り切った鯉は龍になるとされています。

つまり、2つの石碑とも龍と関係が深く、水との深い関係を示しています。

 

さて、このあと、いよいよ山鉾巡行

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宵々山ウォーク#27

2023年09月17日 10時40分26秒 | 京都

八坂神社御旅所」から四条通を東進して、この日のゴール「八坂神社」

 

いつもは空っぽの舞殿ですが、

 

宵山期間中だけは3基の御神輿(中御座、東御座、西御座)が鎮座しています。

御神輿は、八坂神社の「正面」である南を向いていて、渡御の際も南楼門から出入りします。まあ、西楼門には階段がありますしね

 

本殿

この日の晩、本殿から舞殿の御神輿に神霊が遷座します。この儀式は、すべての境内の照明が落とされ、真っ暗闇の中で執り行われます。

 

南楼門を出ると、幸鉾(さいのほこ)が出番待ち。中御座渡御の際に、八坂神社のお膝元の「宮本組」が7種の宝(勅板、矛、楯、弓、矢、剣、琴)を奉持します(=神宝奉持列)。奉持列の先頭に立つ「勅板」(円融天皇(969〜989)が大政所御旅所に毎年神幸すべしと記した勅令)の直後をゆくのが幸鉾です。

祇園祭の原型とされている神泉苑の祇園御霊会では、当時の国の数と同じ66本の鉾が建てられた(現在でも、5月初の神泉苑祭で何本かの剣鉾が建てられるようです)ということで、この鉾が祇園祭では「山」の真松や「鉾」の真木に進化したようです。

鉾のように突出した構造には雷が落ちやすく、落雷は御霊の怨とみなされていたわけですから、鉾は邪を吸い取る役割を担っていて、御霊会の目的と合致しています。このように山鉾を巡行させて都を清めたあとに神輿渡御が執り行われるというわけです。

 

さて、祇園祭「宵々山ウォーク」は、約4km、2時間ほど歩いて、ここでお開きです

日中、酷暑の中のストロールになりますので、熱中症にならぬよう給水、休憩など気をつける必要があります。

このあと、大阪へ移動して、四天王寺庚申堂を訪れたり、串カツや焼肉を楽しみ、翌々日、京都に舞い戻り、少しだけ前祭の雰囲気を味わってきました。そのときの様子は、また後日

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宵々山ウォーク#26

2023年09月16日 09時10分23秒 | 京都

祇園祭斎竹」から、さらに四条通を東進して「八坂神社御旅所」

宵々山のこの日(7月15日)は、厄除けちまきの授与所なのですが、前祭(17日)の山鉾巡行の後、3基の御神輿が八坂神社を出立し、御神域を渡御し、こちらの御旅所に後祭まで一週間の間、遷座します。

3基の御神輿のうち中御座と西御座の2基は、1591年より前は「大政所御旅所」(烏丸仏光寺下ル)を御旅所にしていました。

この後、いよいよ、フィナーレの「八坂神社」へ向かって歩きます

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宵々山ウォーク#25

2023年09月15日 18時53分07秒 | 京都

長刀鉾」から四条通を東進、麩屋町通で「祇園祭斎竹」(祇園祭注連縄)

 

アーケードの屋根を支える柱の横に、斎竹(いみだけ)が建てられています。

 

斎竹建ては、「保昌山」近くの高橋町の役割とされていて、宵々山(7月15日)の早朝に執り行われます。

ちょうど、この日に建てられたばかり、ということになります。

 

斎竹は、四条通を挟んで南北に1本ずつ建てられ、

 

巡行当日、2本の斎竹の間に注連縄が張り渡されます。長刀鉾が、この注連縄を切って巡行が始まるという場所なわけです。

注連縄が切られたあとも、斎竹は後祭(7月24日)の早朝に撤収されるまで残されます。

この先、さらに四条通を東進して「八坂神社御旅所」へ向かいます

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宵々山ウォーク#24

2023年09月14日 19時52分27秒 | 京都

山伏山」から烏丸通に戻って、四条通で東進すると、いよいよ「長刀鉾」

 

函谷鉾と同様に、四条通に建てられる鉾は、(自分も含めて)人通りが多いため、ゆっくり鑑賞することは叶いません。

 

「長刀鉾」はくじ取らず、巡行1番目。唯一、生稚児(いきちご)を乗せていて、麩屋町通で八坂神社の結界を開いて進んでゆく役割を担っています。

鉾の名前の由来は鉾頭の長刀。この長刀は、巡行中に刃先が八坂神社や御所に向かないようにされているのだそうです。回転できるようになっているのかな?

屋根の内側には二十八宿が描かれています。「二十八宿」とは、星空を月の運行にあわせて28分割して、それぞれの星座を充てたものです。1年間を12分割する星座占いと似ていますね。「二十八宿」には、現代のおとめ座、てんびん座、さそり座、いて座、やぎ座、みずがめ座、ペガサス座、アンドロメダ座、おひつじ座、おうし座、オリオン座、ふたご座、かに座、うみへび座、コップ座、からす座などに含まれる恒星が登場します。

 

前懸、胴懸には、インド絨毯やペルシャ絨毯などが用いられていて、絢爛豪華です(現在は復元品)。

 

お会所の2階に上がらせてもらえば、ゆっくり拝めそうですね。

 

これで、前祭で巡行する山鉾全23基を巡りました。でも、宵々山ウォークはまだ続きます

このあと、もう少し四条通を東進して、八坂神社御神域の結界を示す注連縄を張るための「祇園祭斎竹」を訪ねます

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宵々山ウォーク#23

2023年09月13日 20時33分33秒 | 京都

霰天神山」から「山伏山」へ向かうには、錦小路通を東へ戻り、室町通を上がれば早いのですが、ちょっと遠回り

 

錦小路通を西進、新町通を上がり、蛸薬師通で東に入ったところに、休み山「布袋山」の会所があり御神体が安置されているようなのです。そのことを確認したかったのですが、残念ながらよくわかりませんでした。マンション入口横のショーウインドウ内に布袋尊が祀られているそうです。後祭の期間には開陳されるのでしょうね(=「居祭」)。

ちなみに、「休み山」とは火災などにより焼失してしまった山鉾のことです。同じく休み山であった「大船鉾」は150年ぶりに2014年に巡行復帰、「鷹山」が196年ぶりに2022年に巡行復帰を果たしたため、現時点における休み山は「布袋山」のみとなっています。

 

蛸薬師通を東進し、室町通を下がれば「山伏山」

 

京都のシンボルのひとつ、八坂の塔(法観寺)が傾いたとき、天台僧「浄蔵貴所」が法力によって直したのだそうです。この浄蔵貴所とは、葛城山や大峯山で修行していた山伏です。

 

会所の2階に御神体が祀られています。

 

御神体は、左手に刺高数珠(そらばん玉のような形状の珠を連ねた念珠)、右手に斧を持ち、腰には法螺貝を下げていて、峯入りの姿をあらわしている。

宵々山には(この日)、聖護院から本山修験宗の修験者が巡拝、護摩供が修法されます。ちなみに、後祭でも「役行者山」で聖護院修験者による護摩修法があり、どちらも、神仏習合の名残りを留めているものです。

 

今年の巡行順は2番目(山第一番)

この先、四条烏丸に戻って、いよいよ「長刀鉾」へ向かいます

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宵々山ウォーク#22

2023年09月12日 19時01分00秒 | 京都

占出山」から錦小路通を西進して「霰天神山」

 

室町時代後期の永正年間(1504~1521)に京都が大火に見舞われたとき、にわかに霰が降り猛火がたちまち治まった。その際、一寸二分(約3.6センチ)の天神像が降ってきたので、これを祀ったのが「霰天神山」とされています。

京都で火伏というと愛宕神社が有名ですが、こちらの霰天神も火除の神様。木造家屋が密集している都では火は常に大敵であったのでしょう。

 

今年の巡行順は12番目。

 

巡行時の胴懸は「白梅金鶏図」なのですが、こちらの宵懸も十分 立派です。

 

霰天神山の授与品というわけではありませんが、高級中華料理店「膳處漢ぽっちり」の「しみだれ豚饅」が定番のようです。祇園祭期間中限定のため、行列が絶えません。でも、手がベタベタになりそうで心配

この先、室町通まで戻って「山伏山」へ向かいます

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宵々山ウォーク#21

2023年09月10日 12時21分25秒 | 京都

孟宗山」から烏丸通を上がり、錦小路通で西に入ると「占出山」

 

「占出山」の題材は、

 

神功皇后が肥前国(≒岡山県)の松浦で鮎を釣り上げ、新羅との戦に勝てる兆だとしたという伝承によるもの。

 

この戦勝占いの際に、すでに身ごもっていたため、腹帯に月延石を入れてお腹を冷やすことで、お産を遅らせたのだとか。この月延石は3つあり、それぞれ、月讀神社(長崎県壱岐市)、月読神社(京都市西京区)、鎮懐石八幡宮(福岡県糸島市)に奉納されているとされています。

このとき産まれた子が、のちの応神天皇とされています。

現代となっては、戦の義も、占いも、お産を遅らせる行為も時代錯誤感満載ですが、これも単なる伝承に留まらせることなく歴史上の記憶として保存すべき事柄なのでしょう。

今年の巡行順は20番目で、くじ取らずを除くと一番最後です。巡行順が早いと、その年のお産は軽いとされています。

 

授与品の中に「鮎つり山ゆかりの 吉兆あゆ 大極殿本舗」

「鮎つり山」は、「占出山」の別名。

「吉兆あゆ」とは、鮎の形をしたカステラ生地の中に白い求肥を包んだもの。鮎の形をした和菓子は他にもありますが、これは別物なのだそう。

この先、錦小路通りを西進して「霰天神山」へ向かいます

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宵々山ウォーク#20

2023年09月09日 13時03分15秒 | 京都

函谷鉾」から四条通を東進、烏丸通で上がれば「孟宗山」

 

「孟宗山」の題材は二十四孝の「孟宗」から。

孟宗は中国の三国時代における呉の国の政治家。幼くして父親を亡くし、母親を養っていたところ、ある冬、病身の母親が筍を欲した。孟宗は竹林に入るけれど、冬なので筍があるはずもない。天を仰ぎながら雪をかき分けていると、一面の雪が融けてたくさんの筍がでてきて、これを母に食べさせてあげると病気が癒え天寿を全うしたというお話。

 

真夏の祇園祭にもかかわらず真松に雪が積もっているのは、孟宗の話をあらわしたもの。

 

孟宗山の今年の巡行順は11番目。

この先、烏丸通を上がり、錦小路通を西に入り「占出山」へ向かいます

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宵々山ウォーク#19

2023年09月08日 22時55分51秒 | 京都

菊水鉾」から四条通に戻り、東進して「函谷鉾」

 

日和神楽に登場する屋台車

 

函谷鉾の名前は中国戦国時代の「函谷関の鶏鳴」にちなんでいる。

函谷関は古くから交通の要衝で関所が設置されている場所。斉の国の孟嘗君が捕えられていた秦の国から脱出、函谷関に辿り着いたが関所は朝まで開かない。戦国時代の君主は食客という技能者を養っており、その中に、鶏の鳴き真似に長けた者がいた。そこで、その食客に鶏の鳴き真似をさせたところ、本物の鶏まで鳴き始め、函谷関の門が開いたという故事。

 

鉾頭の月と山型とは山中の闇を表現している。また「天王座」には孟嘗君、その下に雌雄の鶏が侍る。

 

函谷鉾は、くじ取らずで巡行順は5番目。

 

四条通に建てられる鉾は圧巻だけれど、(自分も含めて)人通りが多いので、なかなかゆっくり鑑賞というわけにはいきません

 

四条通を東進、烏丸通を上がり「孟宗山」へ向かいます

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宵々山ウォーク#18

2023年09月07日 21時05分57秒 | 京都

月鉾」から四条通を東進して、室町通を上がると「菊水鉾」

 

鉾頭には菊の透かし彫り。天王座に彭祖像を祀る。彭祖(ほうそ)は長寿の仙人で800歳まで生きた。りゅうこつ座のカノープスを神格化した道教の神様「南極老人」の化身でもある。

 

鉾の名前は、お町内にあった井戸「菊水井戸」にちなんでいる(現在は井戸跡のみが残る)。菊水の名水を飲むと長生きできるということで、話が繋がります。

重用の節句(9月9日)には、菊の花びらを浮かべた酒を飲み不老長寿を祈る風習があるので、「菊」=「長寿」の象徴なのでしょうね。そういえば、新潟には「菊水」という日本酒もあります。

 

前懸は飛鶴図

 

唐破風屋根は菊水鉾のみです。

 

見送りは昇鯉図、鯉の瀧のぼりです。巡行時には、上から大判の見送りで覆われてしまいます。

 

スポークに菊水鉾と箔入れされており、車軸には十六八重表菊紋

四条通に戻り、「函谷鉾」に向かいます

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宵々山ウォーク#17

2023年09月05日 21時29分00秒 | 京都

放下鉾」から四条通を東進して「月鉾」

 

四条通に立ち並ぶ山鉾のうち、月鉾だけは通りの南側に建てられています。

 

月鉾の今年の巡行順は17番目。

 

「月鉾」の名は、鉾の先端(鉾頭)に新月型(三日月で表現)が掲げられていることから。鉾の中間にある天王座には月読命(月夜見尊)が祀られています。

胴懸はインドやトルコの絨毯で、北面は「中東蓮花葉文様」。

 

四条通を東進、室町通を上がり、「菊水鉾」へ向かいます

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宵々山ウォーク#16

2023年09月04日 22時31分59秒 | 京都

郭巨山」から四条通を東進し、新町通で北へ上がると「放下鉾」

 

やはり、鉾は迫力があります。特に、新町通のようなところに建てられた鉾は視界を埋め尽くす感じがあって格別です。

 

放下鉾は、くじ取らずで、巡行順は最後から3番目(21番目)と決まっています。

 

放下鉾(ほうかほこ)の名前は、鉾の中程にある天王座に祀られている放下僧(ほうげそう、ほうかぞう)に由来します。放下僧とは、僧形で辻説法をしながら大道芸の一種である放下(手毬、曲芸や手品など)を演ずる遊芸人のことなのだそうです。

 

胴懸は、花文様のインドやペルシャの絨毯。屋根の内側は、下から見上げられることを意識して金箔が張られています。

 

水引は雲中龍

 

鉾頭には三光が下界を照らす意匠になっています(3つの円形と斜め下へ向いた2本の棒)。

以前は、長刀鉾と同様に生稚児(いきちご)を乗せていましたが、昭和4年以降、稚児人形に替えられており、この稚児人形は三光丸と名付けられています。生稚児と同じく、決められた場所で稚児舞を披露します(二人羽織のような感じ)。

 

この写真にあるように、山鉾は釘を使わず、縄がらみによって組み立てられています。縄がらみによる柔構造のおかげで、衝撃が加わってもゆらゆらと力をかわせる仕組みです。ただし、鉾に乗っていると、結構、揺れるのでしょうね。

四条通に戻って東進して「月鉾」へ向かいます

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