看一看電影

アジア映画、ワン・リーホン、チャオ・ウェイ大好き! 近頃はPerfumeとグランパス、ベースにもどっぷり。

第9で年越し!

2007-12-31 21:34:53 | 日々のこと
 ども。
 2007年もあと3時間足らず。
 今まで、NHK教育テレビで「ベートーベンの第9交響曲 合唱つき」を観てました。
 すばらしい合唱で、年越しができます。
 ブルブル震える寒波襲来ですけれども、2008年こそ日本の政治と経済の変革で、国民に平和のうちに普通の生活がおくれる日常をつくり出しましょう。
 神には願いません。
 作るのは私たちです。

 では、ハッピー・ニューイヤー!!

寒波襲来!ふるえてます

2007-12-30 16:43:29 | 日々のこと
 ども。
 2007年も明日で終わりです。
 何とか年賀はがきも作り終えて、大掃除も終えました。
 今日は朝から奈良の実家に来てますが、ほんとに寒い。
 冷たい風、時折みぞれまじりの雨が降る。
 ふるえてます。

 上海行きに備えて今日買ってきた本。
 「もっと好きになっちゃった上海」双葉社
 「上海 歴史ガイドマップ」大修館書店

「いまそこにあるユニオン 労働組合は未来へのドアⅡ」

2007-12-29 12:53:00 | DVD
 ども。
 映画に行けない、DVDもなかなか観れない状況ですが、昨日観ておもしろかったのが「いまそこにあるユニオン 労働組合は未来へのドアⅡ」。
 全労連がつくったDVD。本編は26分。

 私たちの行動が、会社を動かした
 「契約だから」「請負業務だから」とあきらめていませんか?
 1本の電話から未来のドアが開く
 さぁ、君もいまそこにあるローカルユニオンに入ろう!
 ― DVDの紹介から引用

 彩は「業務請負」の非正規労働者として3年間株式会社ダルマシステム工業で働いている。「ボーナスもない。残業代もない。有給休暇もない」部長と交渉したら、「雇い止め」に。ポケットティッシュに入っているチラシを頼りに労働相談を申し込んでローカルユニオンと出合った。組合に加入した彼女は仲間と一緒に団体交渉を行なう・・・というあらすじのドラマと各地域のローカルユニオンに加盟している労働組合の皆さんへのインタビューで構成されています。

 高校生の娘と一緒に観ましたが、「ふーん」と感心してみてました。
 ドラマもリアリティがあって面白い。
 ダルマシステム工業の社長役で笹野高史さんが特別出演されています。
 映演労連が企画協力、制作プロダクションは日活撮影所。
 脚本:高橋邦夫(映演労連)、監督:田口仁(東映)。
 プロが作ったDVDで、観るだけで労働組合・ローカルユニオンへの理解が深まります。こうした映像を利用した宣伝が労組や民主団体の仲間をふやすために必要な時代です。

 こういうDVDはコンビニなんかで売れないんですかね?

「パブリック・ジャーナリスト宣言」

2007-12-28 17:07:01 | 
 ども。
 いよいよ今日で仕事納め。

 仕事の上でも、ブログの更新でもいろいろ考えさせてくれた本が上記の「パブリック・ジャーナリスト宣言」朝日新書・小田光康著。

 今、情報を発信していく上で求められていることは、個人の感性に基づいて、取材という行為を通じて事実をとらえ、それを情報発信していくことではないかと、仕事をしながら考えています。(私の場合は組織の機関紙としてですが・・・)。
 個人のブログも同様だと思います
 
 ジャーナリスティックな感性で、自分の個性を武器に、組織の情報発信を行い共感を広げることができないかと仕事の展開を考えました。
 ただ個人と組織の問題など、もう少し考えることが必要です。

中国への旅

2007-12-27 22:41:41 | 日々のこと
 ども。
 今日、娘といっしょに新しいパスポートを手に入れました。

 あっという間の5年でした。
 こんどは3月に母親といっしょに上海の旅です。

 今日、関口さんのNHKの中国のたびを見て、「あー同じ人間やなあ」と強く思いました。中国はいつも私にとって本当に魅力的です。

しゅあん牛肉とお茶漬け 丸太町十二段家

2007-12-26 17:34:27 | 京都
 ども。
 我が職場も昨晩は世間同様、忘年会。
 今年は、烏丸丸太町西入にある丸太町十二段家さん。
 しゃぶしゃぶとお茶漬けの有名なお店です。
 ここまでタクシーで移動しましたが、私の乗ったタクシーはヤサカグループの幸せを運ぶタクシー「四葉のクローバー号」。出会う確立は1400台のうちの4台です。乗車記念もいただきました。何かいいことあるかしらー。

 十二段家さんのしゃぶしゃぶコースは満足しました。
 表題はお店のお手拭に刷り込んであることば。
 本当はサンズイ偏に「刷」。中国語の発音は「shuan 4声」
 お肉がおいしいのはもちろんのこと、お茶漬けがなんとも言えません。
 落ち着いたお店の雰囲気の中楽しい時間を過ごしました。
 お茶漬けにのせるおいしいお漬物をパチリ。
 ご覧下さい。

「ネット未来地図」

2007-12-25 17:09:30 | 
 どーも。
 今日も私の読書覚書。
 毎日よく続いていると自分で思う。(映画を観ていない反動でもある)

 文芸春秋新書「ネット未来地図 ポスト・グーグル時代 20の論点」 佐々木俊尚。
 記者らしいストレートなレポートで、ネットビジネスの最前線がよくわかる。
 「ウェブ2.0」が劇的に私たちの暮らしを変え、テレビ・新聞・雑誌は存亡の危機に、との問題意識はよくわかる。

 特に、ブログが「パッケージは何でも構わない、その記事が信用できればよいという文化が生まれたのである」【本書136ページより引用】は私の実感ともかみ合う。それだけに既存の新聞などの「権威」が情報の受け手からは否定されている現実がすすんでいる。

 ブログやネット上での情報の受け手は、単なる情報の消費者という位置づけではなく、主体的な「情報の選択・消費者」として育っている。それは情報の真贋もふくめて自覚的に判断しようとする主体の成長である。

「ウェブ時代をゆく」続き

2007-12-24 10:48:51 | 
 メリー・クリスマス!
 京都は昨日のぽかぽか陽気から一転して冷たい風が吹いています。

 「ウェブ時代をゆく」の感想続き。
(1)ネットが「巨大な強者」(国家、大資本、大組織・・・・)よりも「小さな弱者」(個人、小資本、小組織・・・・)と親和性の高い技術であること。
(2)ネットが人々の「善」なるもの、人々の小さな努力を集積する可能性を秘めた技術であること。
(3)ネットがこれまでは「ほんの一部の人たち」にのみ可能だった行為(例:表現、社会貢献)を、すべての人々に開放する技術であること。
(4)ネットが「個」の固有性(個性、志向性)を発見し増幅することにおいて極めて有効な技術であること。
(5)ネットが社会に多様な選択肢を増やす方向の技術であること。
【本書14~15ページから引用】
 著者はこのようにネットという技術のもつ性格について5つの点で大きな希望を持つとまとめ、「ITの歴史とは『個』の可能性を押し広げ『個』を開放する方向での理想を掲げた人たちの主張が、長い目で見れば、必ず実現してきた歴史なのである」と主張します。

 この点は、より大きく見れば人類の歴史の方向が、個々の人間解放へ、人類の自由と平等獲得の方向へ大きく流れていることと一致するということでしょう。
 人間の歴史は大づかみに見れば、個々人の自由がなく、または制限する上で連帯することで集団として生産を担い徐々に生産力を発展させてきた時代から、現代の連帯なく個々人がバラバラにされている時代へ、そして、将来的には個々人の自由の上に立った連帯の時代へとすすむものと思います。ネットという技術はこの『個』の解放を大きく進め、連帯をつくり出すものと位置づけることができると思います。

 私のように職業的には「小さな弱者」に属するものには、先ほどの指摘は非常に納得のできるものです。
 ただし、個人の可能性を積極的に主張する著者の思いはわかりますが、本書の235ページにある「格差社会」などの意見には私は賛同しがたいところがあります。『個』の努力が及ばないところにまさに「社会問題」としての日本社会の矛盾・貧困問題が存在するからであり、それを私は自分の職業を通じて日々痛感しています。そして貧困・格差問題は、やはり個人の努力だけで解決できず、社会の仕組みを変えることでしか解決する方法がないと思うからです。
 個々人の開放としてのネット技術を大いに生かしながら、学習と職業を考える上で非常に、ヒントに富んだ有益な本として読みました。

「ウェブ時代をゆく」

2007-12-23 20:56:59 | 
 ども。
 昨日に引き続き、本の感想などを書き留めておきます。
 『ウェブ時代をゆく ―いかに働き、いかに学ぶか」梅田望夫 ちくま新書。
 今日の朝日新聞2面に下に大きコマーシャルが出ていました。よく売れているらしい。

 著者の『ウェブ進化論』2006年も読んで、著者の「オプティミズムに支えられたビジョン」(本書13ページより引用)について様々な批判・反響があったことが示されています。私もこの楽観的な姿勢にすこし「?」と感じました。現状のウェブの利用のされ方が「2ちゃんねる」にみられるように悪口雑言の場となり、建設的論議が少ないと感じているためです。

 その点で、本書で著者が詳しくなぜオプティミズムを貫くかでネットという技術が持つ性格を5つにまとめて示した点は説得力を感じました。その5点は次のものです。(以下本書14、15ページから引用)

 (続く)
 家族でクリスマスを祝って飲んでたら酔っ払ってしまったので続きは明日に。

「歴史学を科学として学ぶこと」

2007-12-22 18:56:03 | 
 ども。
 毎日仕事の合間をぬって、何冊かの本を並行して読みすすめています。
 今日読み終わったのが『南京事件論争史』。副題に日本人は史実をどう認識してきたか、とあります。著者:笠原十九司氏。平凡社新書。

 学生時代に本多勝一さんの「中国の旅」を読み、ありとあらゆる本多さんの著書をそろえた私は、日本人が加害の歴史をどう認識していくのかをいつも考えさせられてきました。また、私の大学での専攻も日本経済史であり、特に1920年代から30年代が当時のゼミのテーマともなっていた関係でも、日本の戦争をどう捉えるかは大きなテーマでした。多少とも歴史学をかじった人間としては、近年、南京大虐殺をなかったことにしようとする本が書店に平積みされている状況に危機感を覚えざるを得ません。

 「南京事件論争史」は丁寧に、「論争」をあとづけて論点を整理し、巻末に年表として関連書籍を時系列で紹介してくれています。

「一九三七年一二月、南京市を占領した日本軍は、敗残・投降した中国軍兵士と捕虜、一般市民を殺戮・暴行し、おびただしい数の犠牲者を出した。この『南京事件』は当時の資料からもわかる明白な事実であるにもかかわらず、日本では否定派の存在によって『論争』が続けられてきた。事件発生時から現在までの経過を丹念にたどることで否定派の論拠の問題点とトリックを衝き、『論争』を生む日本人の歴史意識を問う」(本書カバー扉より引用)

 本書を読めばわかるとおり、歴史学は「論争」を通じて南京事件の全体的歴史像を解明を飛躍的にすすめてきました。

 問題は、現在の私たちの歴史意識であり、歴史から何を学ぶかです。当たり前ですが、南京事件を含む日本の加害の歴史を日本人の共通認識にすることができるかどうかがその前提だと思います。
 その際大事なことは、歴史学を科学として扱い、その学問的成果を国民が自らの認識とできるようにすることでしょう。そのことなしには、正しい政治意識を持つこともできません。また今後の様々な国際的問題や日本の進路について、自分で判断することもできません。
 沖縄戦の記述をめぐる文部科学省の姿勢をみれば、なおのこと、科学としての歴史学が明らかにした成果が、国民の認識になることは決定的に重要だと思います。

 古い本ですが、学生時代に読んだ「歴史を学ぶ人々のために」江口朴郎/遠山茂樹=監修 東京歴史科学研究会=編 三省堂 1970年を引っ張り出して読み返しました。大江志乃夫・田中正俊・家永三郎・遠山茂樹・大田秀通・江口朴郎・犬丸義一など著名な歴史学者の「いかに科学としての歴史学を学ぶか」の言葉は現在において、ますます重要な提起となっています。

 危機感と共に、私は楽観もしています。学生時代からいままでの20数年の状況を見ても、逆行して見える政治状況はあるものの、日本の加害の歴史認識は深まっているからです。
 マルクスの学問的成果が今や人々の常識になったように。