ども。
毎日仕事の合間をぬって、何冊かの本を並行して読みすすめています。
今日読み終わったのが『南京事件論争史』。副題に日本人は史実をどう認識してきたか、とあります。著者:笠原十九司氏。平凡社新書。
学生時代に本多勝一さんの「中国の旅」を読み、ありとあらゆる本多さんの著書をそろえた私は、日本人が加害の歴史をどう認識していくのかをいつも考えさせられてきました。また、私の大学での専攻も日本経済史であり、特に1920年代から30年代が当時のゼミのテーマともなっていた関係でも、日本の戦争をどう捉えるかは大きなテーマでした。多少とも歴史学をかじった人間としては、近年、南京大虐殺をなかったことにしようとする本が書店に平積みされている状況に危機感を覚えざるを得ません。
「南京事件論争史」は丁寧に、「論争」をあとづけて論点を整理し、巻末に年表として関連書籍を時系列で紹介してくれています。
「一九三七年一二月、南京市を占領した日本軍は、敗残・投降した中国軍兵士と捕虜、一般市民を殺戮・暴行し、おびただしい数の犠牲者を出した。この『南京事件』は当時の資料からもわかる明白な事実であるにもかかわらず、日本では否定派の存在によって『論争』が続けられてきた。事件発生時から現在までの経過を丹念にたどることで否定派の論拠の問題点とトリックを衝き、『論争』を生む日本人の歴史意識を問う」(本書カバー扉より引用)
本書を読めばわかるとおり、歴史学は「論争」を通じて南京事件の全体的歴史像を解明を飛躍的にすすめてきました。
問題は、現在の私たちの歴史意識であり、歴史から何を学ぶかです。当たり前ですが、南京事件を含む日本の加害の歴史を日本人の共通認識にすることができるかどうかがその前提だと思います。
その際大事なことは、歴史学を科学として扱い、その学問的成果を国民が自らの認識とできるようにすることでしょう。そのことなしには、正しい政治意識を持つこともできません。また今後の様々な国際的問題や日本の進路について、自分で判断することもできません。
沖縄戦の記述をめぐる文部科学省の姿勢をみれば、なおのこと、科学としての歴史学が明らかにした成果が、国民の認識になることは決定的に重要だと思います。
古い本ですが、学生時代に読んだ「歴史を学ぶ人々のために」江口朴郎/遠山茂樹=監修 東京歴史科学研究会=編 三省堂 1970年を引っ張り出して読み返しました。大江志乃夫・田中正俊・家永三郎・遠山茂樹・大田秀通・江口朴郎・犬丸義一など著名な歴史学者の「いかに科学としての歴史学を学ぶか」の言葉は現在において、ますます重要な提起となっています。
危機感と共に、私は楽観もしています。学生時代からいままでの20数年の状況を見ても、逆行して見える政治状況はあるものの、日本の加害の歴史認識は深まっているからです。
マルクスの学問的成果が今や人々の常識になったように。
毎日仕事の合間をぬって、何冊かの本を並行して読みすすめています。
今日読み終わったのが『南京事件論争史』。副題に日本人は史実をどう認識してきたか、とあります。著者:笠原十九司氏。平凡社新書。
学生時代に本多勝一さんの「中国の旅」を読み、ありとあらゆる本多さんの著書をそろえた私は、日本人が加害の歴史をどう認識していくのかをいつも考えさせられてきました。また、私の大学での専攻も日本経済史であり、特に1920年代から30年代が当時のゼミのテーマともなっていた関係でも、日本の戦争をどう捉えるかは大きなテーマでした。多少とも歴史学をかじった人間としては、近年、南京大虐殺をなかったことにしようとする本が書店に平積みされている状況に危機感を覚えざるを得ません。
「南京事件論争史」は丁寧に、「論争」をあとづけて論点を整理し、巻末に年表として関連書籍を時系列で紹介してくれています。
「一九三七年一二月、南京市を占領した日本軍は、敗残・投降した中国軍兵士と捕虜、一般市民を殺戮・暴行し、おびただしい数の犠牲者を出した。この『南京事件』は当時の資料からもわかる明白な事実であるにもかかわらず、日本では否定派の存在によって『論争』が続けられてきた。事件発生時から現在までの経過を丹念にたどることで否定派の論拠の問題点とトリックを衝き、『論争』を生む日本人の歴史意識を問う」(本書カバー扉より引用)
本書を読めばわかるとおり、歴史学は「論争」を通じて南京事件の全体的歴史像を解明を飛躍的にすすめてきました。
問題は、現在の私たちの歴史意識であり、歴史から何を学ぶかです。当たり前ですが、南京事件を含む日本の加害の歴史を日本人の共通認識にすることができるかどうかがその前提だと思います。
その際大事なことは、歴史学を科学として扱い、その学問的成果を国民が自らの認識とできるようにすることでしょう。そのことなしには、正しい政治意識を持つこともできません。また今後の様々な国際的問題や日本の進路について、自分で判断することもできません。
沖縄戦の記述をめぐる文部科学省の姿勢をみれば、なおのこと、科学としての歴史学が明らかにした成果が、国民の認識になることは決定的に重要だと思います。
古い本ですが、学生時代に読んだ「歴史を学ぶ人々のために」江口朴郎/遠山茂樹=監修 東京歴史科学研究会=編 三省堂 1970年を引っ張り出して読み返しました。大江志乃夫・田中正俊・家永三郎・遠山茂樹・大田秀通・江口朴郎・犬丸義一など著名な歴史学者の「いかに科学としての歴史学を学ぶか」の言葉は現在において、ますます重要な提起となっています。
危機感と共に、私は楽観もしています。学生時代からいままでの20数年の状況を見ても、逆行して見える政治状況はあるものの、日本の加害の歴史認識は深まっているからです。
マルクスの学問的成果が今や人々の常識になったように。