goo blog サービス終了のお知らせ 

ザ・名も無きランナー

50才から始めたマラソン。こころと身体が一つになって燃焼している感じが好きです。楽しんで走っていきたいと思っています。

第13回マラソンを楽しむ会

2009年06月14日 | 完走記

 6時半起床。すぐに外を見る。曇りだがまだ雨は降っていない。このところずっと雨続きだったから、ひとまず安心。

 7時、町内花壇への花苗移植の集まりに出かけてくる。帰宅後朝食を済ませ、外気温を調べると9℃。下はロンタイ、上は長袖Tシャツに半袖Tシャツの重ね着と決める。いざ出発。今年は発走が9時半だからいつもより余裕がある。

 到着後ゆっくり準備し、排尿を済ませて後方に並ぶ。と、突然時間前にスタートになったらしい。いかにも手作りの大会で緊張感が全くない。こういうのが良いんだな~、きっと。

 ゆっくりと走り始める。最初の1kmはキロ6分ペース、その後次第にペースを上げていく。キロ5分半くらいで維持するつもりだったが、皆が速いのでキロ5分前後で進む。すぐ調子に乗ってしまう悪いクセが例によって出てしまう。レースの時は気をつけよう(と、いつも思っているのだけどな~)。

 河川敷は走りやすいのだが、橋を二つ越えるのはかなりしんどい。ハーフだと計8回橋を越えることになり、このアップダウンが後からジワジワ効いてくるのだ。後方からのスタートだと、最初のうちは少しずつ抜いていけるから気分的には楽だ。しかし終盤になると力の差が歴然と出てきて、結局4人に抜かれた。やはり抜かれると一気に頑張り度が低下するものだ。

心拍数(平均159bpm)高低差(約30m)ペース(給水2回:5'22"/km)

 後半はキロ5分30秒がようやくというところ。最近の練習不足、特に長い距離を走っていないことによる力不足から、どんなに頑張ってもスピードが上がらない。最後の坂を登り切ってゴール。<記録:1時間56分15秒>全力を出し切っての妥当な記録だった。走り終わったら雨が降り出した。危なかった~。

 今年は120人以上の参加人数であったという。手作りでこうした大会を運営するのって大変だと思う。帯広ランナーズの皆さん、ありがとうございました。


08別海パイロットマラソン

2008年10月05日 | 完走記

 今年初めてのフルマラソン。今年はこれまで最長で38kmしか走っていない。本来は自己記録の更新を目指したいところだが、4時間30分以内での完走を目標と定めた。

 いつものように完走記のために経過を記憶しようと思っていたが、途中でやめた。なぜなら性能が良いとは言えない身体の維持と操縦に神経を使っているうちに、経過の記憶が困難になってきたからである。記憶力が落ちてきたのは加齢によるせいだけなだろうか。

 コースは下図のようである。このコースかなり平坦であるが、それでも約30m程度の高低差があり、前半は上りで後半が下りとなる。ほとんどが酪農地帯。それでも沿道には地域の方々がたくさん集合して応援をしてくれる。

 

 

 帰宅後スポーツトラックのデータを見てみると、30km以降に明らかにペースが落ち、心拍数も減少している。やはり人間の身体はふつうにフルマラソンを走れるようにはできていないのだと確信する。フルマラソンを一定のスピードで走り切るには30km以降をペースを落とさずに走り切れるような日々の鍛錬が必要なのだ。私の元来の素質と現在の練習では、その域に全く達していない。残念だが今のところこれが限界だ。

 

 

 今年のレースはこれで終了。来年以降のレース計画はどうしようかな。

 レースのスタート直後の姿とゴール間近の姿を並べてみた。当たり前だが、元気度が全く違う。フルマラソンの後は本当に疲労困憊である。(記録:4時間10分02秒)

 

 

 


美瑛ヘルシーマラソン2008

2008年06月08日 | 完走記

 朝6時に家を出てから2時間で到着と踏んでいた予想が外れた。特に美瑛市街に入ってから駐車場までの長いこと。もっと早く出発しておけば良かった。受付時間が気になり、私だけクルマから降りて会場に向かう。女房が指示された第4駐車場は結構遠いところであった。そこから荷物一式を急いで持ってきてもらったのは、かなりの重労働だったようで、申し訳なかった。やはり、もっと早く出ておけば良かった。大会は昨年出ていないので、受付会場が変わったのに気がつかなかった。たいそう立派なスポーツセンターができていた。受付後、長蛇の列のトイレでも時間を喰ってしまう。外に出て荷物を受け取り、物陰に隠れて着替えを済ませ、バス乗り場に急行。とっても慌ただしい。だから、もっと早く出ておけば良かったのだ。バスを降りて残り20分。諸々の準備を済ませ、軽く柔軟体操をしていたらあと5分のコール。おそらくボランティアなのであろうトラック上の高校生の男子生徒に荷物を託し、スタート地点に向かう。そこで心配になりもう一度トイレへ。帰ってきてほとんど最後尾に近い後方に並ぶ。最後尾には仮装ランナーの姿が見える。ああ~、もっと早く家を出るべきだった。

 10時30分、スタートとなる。今年初めてのレースである。このところ全くの練習不足。先日の模擬練習でも途中から失速してしまったので、最初に調子に乗って飛ばさないことを第一に心がけることにした。で、スタートラインを超えるまでに1分25秒のロス。今日の目標は2時間を切ることとする。しかしいざ走り出すとこの高速コース、ついついスピードが出てしまう。後方からのスタートなので、大して労せずどんどん前に出て行ってしまう。必死で1キロ5分ペースに維持する。それ以上のスピードで走ったら撃沈間違いなしだ。セーブにセーブを重ね、5キロ地点を通過。<5キロ:25分49秒>

 まだ下っている。ついつい1キロ5分を切ってしまうが、ぐっとこらえる。今回は500mlのペットボトルを腰に付けてのランだ。中にはポカリスエット250mlに水250mlを加えて入れた。給水は自分の判断で行うことにした。幸い暑さもさほどで無かったから、ほとんどの給水所は通過した。10キロくらいまではいつも道なりになんとかなる。<10キロ:50分56秒(25分07秒)>

 中間地点を53分程度で通過。予想以上のペースだ。このままいけばひょっとしたら110分を切れるかもしれないと思うが、欲を出してはいけないと自戒する。それが証拠に、心拍数が160bpmを超えているではないか。危ない危ない。この調子でいったら撃沈だ。とにかく最後まで走り切れるペースを維持することだ。と突然、隣のランナーに声をかけられた、「あの先が坂ですよね」、おお~まさにその通りだ、そこにはなんじゃこりゃの坂が待ちかまえている筈。今年はあまり喧嘩しないで通過したいものだ。ペットボトルの水を口に含み、いよいよ坂に入る。<15キロ:1時間16分55秒(25分59秒)>

 今年は坂をなるべく刺激しない走りを心がけた。なぜなら練習不足でスタミナに自信が持てなかったからである。相当弱っているように見えたのか、いつものところで増田明美さんが、彼女の方からハイタッチの手をさしのべてきてくれた。タッチ!なんとか歩かず登り切れた。とうとうこれからが本番というところだ。しかしかなり足にきている。ペースが7分台に落ち、心拍数は150bpm台になっている。しばらく無理せず落ち着くまで待つことにした。携帯したペットボトルの水も底をつき、給水所の水とスポンジを使わせていただく。気持ちよい!有り難い!そのうちまたすこしずつペースを上げられるようになったが、もはや一定のペースを維持することはできず、走りは不安定なものになっていた。はやくゴールが見えないかと、視線を先に向けることが多くなっていた。<20キロ:1時間45分37秒(28分42秒)>

 ようやくあと1キロ少々。いつもはここでガクッと力が抜けるのだが、今日は少しでもがんばりを出してみようと踏ん張った。橋を渡る時も、スポーツセンターの敷地内に入ってからも、最後の競技場のトラックでも、力を抜いて投げ出したりすることなくなんとか力を出し切ることを心がけた。<フィニッシュ:1時間51分26秒(5分46秒)>

 

<ゴール地点:左が私>

 

 今日は、いたずらに無理することなく、また諦めて投げ出すこともせず、ほぼ冷静に自分のペースを守って走り切れたと思う。練習不足からくるスタミナ切れはあったが、2時間切りという目標は達成できたし、最初のロスタイムを考慮すれば、ほぼ110分という結果には自分としては大満足であった。これからのマラソンの楽しみ方に参考になるレース運びであったと言えるかもしれない。私にとってのマラソンの魅力とは「相手なしに自分で完結できるところ 自分で目標を立て努力し成果を確認するという、自己完結(自己満足)的なところ」なのだと思った。とは言うものの、大会には時間的余裕を持って到着することが最重要と肝に銘じておく必要はあるだろう。(追記:足爪が2枚やられた)


第19回フルマラソン挑戦会

2007年11月04日 | 完走記

 ビジネスホテルに前泊した。朝6時に起床。背中に背負って走る給水用のスペシャルドリンクを作りplatypusに詰める。おにぎり二個とパンを二つ、簡素な食事を摂る。入念にトイレを済ませ、部屋の床でいつものストレッチを実施。7時半、ホテルを出る。晴れだ、寒い。路線バスも通っていない初めての場所なのでタクシーを探すが、休日の朝は車通りが少ない。向かいの大層立派なホテルの前に待機中のタクシーが1台いた。ラッキー、これで荷物を背負って駅まで10分歩かずに済んだ。

 約10分で現地到着。地元の運転手さんも知らない大会だったが、会場の駐車場には自家用車が集合し、人もずいぶん集まっていた。運転手さんも驚いていた。受付でナンバーカードをもらった。見たことのあるナンバーだった。184、「いやよ」と読める、携帯の非通知設定の番号だ。縁起も何も考える必要はないと、クールに割り切る。ジンギスカン小屋に陣取り、ゼッケンをピンで留め、命綱のバックパックを準備し、靴を履き替え、周辺を7分ほど大股で散策。下草は露に濡れ、吐息が白かった。8時10分、予定通り説明会が始まる。最初に人工池を2周し2.195キロを走ってから、10キロの周回コースに出て行き、これを4周してゴールとのこと。周回コースでは5キロごとに本部前を通過することになるようだ。地図を見てもさっぱり分からなかったが、どのみち付いて行くだけだから心配は無用。注意事項等の説明が終わると、10分後にスタートとの案内、ひえ~っ。トイレに急行し、ウィンブレを脱いで、ガーミンセンサーを胸に着け、バックパックとウエストポーチを装着。ガーミンのスイッチを入れるが、初めての場所なので探知に時間がかかる。そのうちに8時30分の出発時刻となる。出走地点は池の対岸だ。まだそちらに走って向かっている人がたくさんいる。私もその後に続いた。申し訳なく後方横の外れに並んで遅まきながら屈伸を繰り返す。参加者は200人くらいだろうか、スタート時のタイムロスはほとんど無いと思われた。

 と突然なんの前ぶれもなく号砲、8時33分過ぎだった。いつものように暫くは団子状態が続くが、それほどペースが遅いわけではないので、少しずつ前に出ながら流れに沿っていく。しかし周回コースに出ると完全なる一本道となり、強制的に1列縦隊をとらされる。これには度肝を抜かれた。それでも前のランナーのペースが遅いと見るや抜きに出て、後ろの速いランナーには抜かされた。それを次から次と繰り返すのである。途中折り返し地点が2カ所ある。その後池の外周に戻って、本部前を通過した。ここが7キロ過ぎ地点と思われ、ラップを確認した。<7キロ:38分30秒、5分23秒/km、154bpm>

 時間の感覚がいつもと違うので分からないが、ペースも心拍数もまあまあと判断。次の5キロは公園内の歩道であった。こちらは前半よりもいくらか歩道の幅が広い。ここでも順位の入れ替わりはあったが、ランナーはだんだんとばらけていた。ここでも折り返し地点が2カ所あった。最後に土の路面のコースがあってゴール地点となる本部前にさしかかった。どうやらこれを繰り返すようだ。<12キロ:1時間04分02秒、25分32秒、5分18秒/km、157bpm>

 スタート時にはロンタイに長袖Tシャツに半袖Tシャツを重ね着していたが、朝の説明会で最高気温13℃の予報と聞いたとおり日向はかなり暑く、たまらず袖をまくった。よく見ると最初からランパン、ランシャツの強者もいる。朝には霜が降りて真っ白だった芝生のコースは踏みしめられてすっかり濡れていた。給水対策は万全であったが、レースとなるとなかなか補給のタイミングがつかめなかった。というか私のようなバックパックを背負って走っている人は他にいなかった(ので、多少気恥ずかしい思いもあったのかもしれない)。<17キロ:1時間30分42秒、26分39秒、5分23秒/km、156bpm>

 練習の時はこの位の距離の時が一番気持ちよく走れていた。しかし今日はそんな軽快な感じが無かった。なんか重い体を移動させている感じであった。ペースが速いのかもしれない…という気がした。でも洞爺湖の時ほどには飛ばしている実感はなかったし、心拍数もそれほど高くはないようだったので、そのまま行くことにした。途中、マウス部分を落下させ、ちょっと戻って拾うという失態を演じた。20キロすぎと思われるあたりで、アスリートソルトを1粒口に含んだ。<22キロ:1時間56分14秒、25分32秒、5分20秒/km、159bpm>

 約半分経過した。体は重く、いつまでもつのか不安になる。ここでパワージェルでエネルギーを補充した。今回は少しずつゆっくりと味わうように摂取した。だんだんと折り返し地点での折り返しが負担になってくる。ほとんど一直線でコーンの周りをUターンしてくるというのは、スピードをいったん緩め急なターンの後でまたすぐにスピードを上げるという作業の繰り返しになり、なかなかきついものである。<27キロ:2時間23分02秒、26分48秒、5分27秒/km、158bpm>

 いよいよ第一の壁、30キロがやってきた。ここまでくると流石に体は疲れていた。これからが勝負の時となる。前から落ちてくるランナーが次々と現れてきた。いつ私の番になるのか分からなかったが、重い体をなんとか引きずって走った。向かい風がだんだんときつく感じられた。思い出したようにアスリートソルトを1粒噛んでたっぷりと水を補給した。<32キロ:2時間49分39秒、26分36秒、5分35秒/km、159bpm>

 あと1周だ。時間的にはなんとかなりそうに思えたが、洞爺湖の時もそうだったから、結果については何も考えないようにした。第二の壁35キロがやってきた。きつかった。そろそろエンストだと気づいてパワージェルを1本摂った。股関節が軋んできていた。思うように足があがらない。本当に折り返しがきつく、ターンしたら前のランナーとの差が広がっていた。ペースが落ちてきているのが分かった。ただただ自動機械のように走るしかなかった。<37キロ:3時間19分49秒、30分09秒、6分10秒/km、156bpm>

 前のランナーとの差が開くだけでなく、後ろからのランナーにも抜かれるようになってきた。いよいよ私の番がやってきたのだ。ガーミンをチラッと見たとき、ペースが7分を示していた。「ああ~駄目だ」、と力を抜いてしまいたい衝動に駆られた。「力を抜いたら楽になる」。その瞬間「また辛い1年が始まる」との思いが頭の中を突っ切った。途端に私は必死になっていた。確かに足は十分に上がってはいなかったと思う。なぜならやはり何人かのランナーに抜かされたから。でも気持ちは前に向いていた。スピードが続かなくても何度も諦めずにスパート繰り返し、決して自らスピードを緩めようとはせずに走り続けた。最後の土のコースでは歯を食い縛り、くしゃくしゃの顔でスパートした。心不全で倒れそうだと頭が感じていた。後で確認したらこのレースで最速のスピード3分26秒/kmを記録していた。そのままゴールを通過。係員に「ここでゴールですからもう走らなくていいですよ~」と声をかけられた。<ネット記録:3時間50分14秒、30分25秒、6分21秒/km、154bpm>

 ジンギスカン小屋に戻ってしばらく休憩した。寒くて体がブルブルと震え、気持ちが悪かった。本当に必死でがんばるというのはこういうことだったのかと思った。これまではずいぶん簡単に諦めていたのかもしれない、とかちeRCで取り組んだオクトーバーランが効果的だったのかもしれない。主催者側が用意してくれた温かいココアを飲みパンをゆっくりと食べながら、呆然とあたりを眺めながら、とりとめなく考えていた。後でチェックしたらバックパックの水は半分しか減っていなかった。そのせいか案の上、レース後の排尿は赤みを帯びていた。飲水の要領は最後まで掴めなかったということだ。

 ネットで見る限りこのレースの距離はいくらか短いのではないかという噂がある。確かに私のガーミンのGPSによる計測では約1キロ少なかった。しかしこのコース、折り返し地点が4カ所ある(うち1カ所は信号機の真下)。だから完走までに16回の折り返しを行うのである。経験的にGPS計測は折り返しの距離測定に弱くて短く出る。そして信号機の近くで飛んで短縮する。ガーミンで距離が短く計測されのは仕方のないことだと思う。実際の距離に関して異議を唱えるのは、主催してくれた苫小牧トライアスロン協会に対して失礼に当たるので、私にはこれ以上のことは何ともコメントのしようがない。しかし距離に多少の誤差があったとしても、この時期にこうした大会を主催してくれた苫小牧トライアスロン協会の皆様方の努力にはこころから敬意と感謝の意を表したい。そしてこのフルマラソン挑戦会は、これからも私にとっては忘れられない大会となった。何故ならそれは私が初めてそして唯一サブ4を達成できた大会だから。苫小牧トライアスロン協会の皆様方、大会を主催してくださって本当にありがとう。


第29回別海町パイロットマラソン(フル)

2007年10月07日 | 完走記

 前夜は阿寒横断道路を通って弟子屈に前泊。今朝は、マネージャー1名、サポーター1名に伴われて車で会場に到着。朝は靄に包まれていたが、8時半を回って空はすっかり晴れ渡った。朝食に腹一杯ご飯を食べ、カルニチンを3粒、Q10を2粒服用、さらにアミノバリューW1本を途中で飲み、あまり信頼していないはずのアミノ酸補給は完璧だ。あとは走る前にヴァームを飲むだけ。ウエストポーチにはパワージェル4本、カーボショッツ2本、カロリーメイト1袋を携帯した。補食の準備も万全である。

 体育館には楽走の幟のもとに数名のランナーたちがすでに陣取っていた。カッチさんは元気そうだった。おやぢさんはいつものように穏やかな様子だ。前日の車中泊にもかかわらずたしろさんには闘志が漲っていた。到着の遅れた私は、一応皆さんにご挨拶したのもの、いかにも強そうな人たちを前にかなり気後れする。なんとも気弱な私であった。さらに荷物のチェックの際に大事なガーミンを車の屋根に置き忘れていることに気付き、早速マネージャーに連絡して届けてもらう。トイレにも行かねばならず忙しい。気持ちを落ち着けようとサブグラウンドでいつものストレッチをして気持ちをほぐす。かくてさんが走って通過したので合図を交わす。今日は今年3回目のサブ4挑戦だが、夏場から秋口にかけての練習不足は目を覆うほどだ。

 スタートラインに並んだが気持ちが消極的なせいかつい後方に位置取ってしまった。たまたまクリさんに声をかけられたので、その横に並ばせてもらった。同じとかちeRCのTシャツだ。

 10時にスタートとなる。遅れは21秒。狭いトラック内は仕方がないにしても公道に出てからもしばらく団子状態が続く。ラップが6分/kmを示し、千歳の状況が頭によぎる。もう少し前方からスタートすべきだったかと反省するが、それでも2、3キロほどで前が開けた。まっすぐなミルクロードに出るとラインは長く伸び、すでに先頭は見えなかった。街の人たちの声援を受けて進む。(5キロ:28分47秒、5分40秒/km、144bpm)

 今回はスポーツドリンクで5キロごとに水分補給することとする。広大な平野部のなだらかな一本道を少しずつ登っていく感じだ。ひっきりなしにガーミンでペースを確認し、1キロ5分30秒で進むことを心がけた。実はこのガーミン、数日前からトランスミッターが不調で、時々突然に心拍数が表示されなくなるという現象が起きていた。心配だったのでトランスミッターの電池を交換したばかりなのだが、今日もそういうことが起きていた。まあとにかくペースさえ分かればそれで良しとしよう。(10キロ:27分35秒、5分31秒/km、156bpm)

 中西別では地元の人たちからの熱烈な声援とバナナ・ドリンクのサービスが待っていた。声援にはできるだけ声と手で応え、私は氷砂糖を一つ口に含ませた。これがなかなか元気を出させてくれた。帰りにも氷砂糖が残っていることを期待する。(15キロ:27分51秒、5分34秒/km、157bpm)

 コースは言いようがなく単調だった。遮るものが何もないので日が差してくるとかなり暑い。徐々に風が出てきたのでキャップを前後逆にかぶりなおした。ひたすらペースを守って走り続ける。(20キロ:27分48秒、5分34秒/km、157bpm)

 半分を超えるとだんだんときつい感じがしてきた。ちょうど折り返しランナーとすれ違うようになる。みんな速い、そして辛そうな顔などしていない。すごいな~、と思う。おやぢさんが来て、かくてさんが来た。少し間をおいてカッチさんが来て、やがてたしろさんが通過していった。たしろさんの「ガンバ!」という大きな声が力を分けてくれた。折り返しのランナーとすれ違うのはペースや順位が確認でき、上位のランナーに力を分けてもらえる気がするのはとても有り難いのだが、そっちの方に気がとられると自分のペースが影響を受けて一定しなくなるのは、まだまだ修行の足りない証拠だ。(25キロ:28分12秒、5分38秒/km、157bpm)

 来るべきハンガーノックに備えてここで初めてパワージェルを1つ摂取した。開封に手間取り飲水時に立ち止まってしまった。その後袋への収納にも手間取りペースが乱れた。なかなか難しものだ。この操作の手間取りはその後も毎回続くことになってしまった。一度立ち止まると元のスピードに戻すのにエネルギーが必要なことは分かっていたのに情けない。並んでいたランナーはかなり前方に進んでいた。中西別にさしかかる手前で今度はカロリーメイトに挑戦してみた。これは走行中に袋を破くことはできたが、走りながら口に頬張るのは容易なことではなかった。その後右脇腹が痛み出し、ペースが落ちた。そんななか中西別での熱烈歓迎が待っていた。できるだけ一つ一つ応え、氷砂糖を1粒いただいた。(30キロ:29分38秒、5分56秒/km、155bpm)

 30キロでパワージェルを1つ摂取。ここではオレンジジュースとスポーツドリンクをやはり立ち止まって飲んでしまった。ここから一気に挽回したいところだったが、なかなかペースは上がらない。上がらないどころか、1キロ6分を超えるペースが続く。やばいな~と思いながら、パワーを得ようとカーボショッツに手を出してみることにする。これがさらに手間取ることは承知していたのに…。結局手がネバネバになり収納にもかなり手間取ってしまった。さらに胃の中から口の中まで甘ったるくなり、なんだかとても気持ち悪くなる。大失態だ。右脇腹の痛みに気持ち悪さを抱えながら、投げ出してしまいたい誘惑の中、必死でこらえて進む。途中、畑の隅に腰掛けて「頑張れー」と応援してくれるおばあさんがいた。手を挙げて応える。とても投げ出すわけにはいかないと思った。(35キロ:30分53秒、6分10秒/km、154bpm)

 だんだんと街中に入ってきた。沿道の人たちが「あと5キロ」「もう少しだよ」「頑張れ」などと声をかけてくれる。有り難いのだが…、大変申し訳ないのだが…、そっとしておいてほしかった。もう限界だった。残りを1キロ5分を切るペースで進めば4時間を切れるが、それは到底無理なことであった。右脇腹の痛みは消えていたが、両脇下部の肋骨のあたりが痛みを発していた。また1週間前の40キロ走で傷めた右第1趾の爪下血腫にはテーピングをしておいたが、それをかばって走り続けたせいか、右足の第一中足骨の内側がズンズンと痛くなっていた。さらにミルクロードを右に曲がるとなんと向かい風が待っていてくれた。(40キロ:33分15秒、6分36秒/km、149bpm)

 40キロを過ぎてさらに右に曲がり、さらに強い向かい風のなか競技場方面に向かう直線の道に入ってやや進んだところで、無情にもガーミンが4時間経過したことを知らせてきた。万事休す。我慢の糸が急速に緩み、疲労が全身を包んでいく…。やっとの事で競技場にたどり着き、ふらふらの状態で1周してゴール。(記録:4時間10分47秒、GOAL:16分26秒、7分24秒/km、143bpm)

 ゴールの後、私はしばらく座り込んで立ち上がれなかった。頼んでいたコーラをサポーターにもらって飲んだ。マネージャーには顔色が悪いようだとも言われた。確かにもうブドウ糖切れの状態だったのだろう。頭も働いていなかった。正直言って、私は全力を出し切り、完全に疲労困憊していた。これが私という人間の持って生まれた素質を持ってして、現在の生活でできる限りの練習をしての、フルマラソンにおける最大到達地点なのだと思う。サブ4はまたしても達成できなかったが、自己記録の更新はできた。次に繋げることができたという点を評価して、今はこれで満足しようと思う。今夜は3人でゆっくり一休みだ。本当に疲れた~。