ザ・名も無きランナー

50才から始めたマラソン。こころと身体が一つになって燃焼している感じが好きです。楽しんで走っていきたいと思っています。

2010(8.29)北海道マラソン

2010年09月01日 | 完走記

 記録:5時間00分27秒。タイムは自慢できるものではなかったけれど、スタート時点の天候曇り、気温27℃、湿度70%、無風、その後場所によっては30℃を超えた地点もある、という気象条件の中で、なんとか歩かず完走できたことは、自分でも意外だったし、また十分に満足できる結果でもあった。なお完走率は71%。

 前夜は眠剤を服用して、たっぷりと睡眠をとった。朝7時半起床。まず、こむら返り予防に芍薬甘草湯を湯に溶かして飲む。朝食は炭水化物を中心に少し多めに摂取した。9時半、ホテルを出て得意の本屋に向かう。探していた本を見つけて即購入。その後地下鉄で会場に向かった。中島公園駅の出口が以前と変わり、会場へのアクセスが超便利になっていた。Fブロックの傍に陣取る。更衣室で着替え、ガーミンを装着し、荷物を預けた。この間にペットボトル1本のスポーツドリンクをほぼ飲み干し、最後に小用を済ませた。今回は女房と一緒なのであらゆる面で余裕があった。20分ほど前に整列し、スタート時間を待った。

 知事の挨拶の後、スタート。大きな拍手の中でゆっくりと動き出す。スタートラインを超えるまで2分45秒経過。8000人を超えるランナーの人波がうねり出した。

(高低差約60m)

 最初は先が詰まってスローな展開。進路が開くとついつい前に出てしまいそうになるが、極力ペースを守ることとする。今回の目標は1kmを6分20秒のペース、平均心拍数は148bpm前後を維持すること。流れの中で右側から左端へと徐々に位置を移動させた。最初の5kmはアップダウンがあるが、上りはゆっくり、下りは小走りを心がけた。<5km:32分06秒、6分25秒/km>

  今回はかなりの高温多湿なので、すべてのポイントで給水することに決めた。スポーツドリンクはpH4位らしいので水の摂取を主とし、その際忘れずにアスリートソルトを一粒かじることにした。平岸では先回りしていた女房と声を交わす。豊平川を渡り創成トンネルに入ると、大勢の人間の駆ける音が鳴り続き、気が遠くなるような快感に襲われる。<10km:1時間03分33秒、31分27秒、6分18秒/km>

 創成川沿いを北上。女房が待機している北24条へと入り、観客の中にその姿を発見。給水地点だけでなく、スポンジエイドでも首すじ、大腿に水をかけて身体冷却を続けることにした。<15km:1時間35分28秒、31分54秒、6分23秒/km>

 折り返してきたトップランナーとすれ違う。黒人選手が3人相次いで通過していった。昨年よりすれ違うポイントが早い。自分のペースが昨年よりも遅いことを確認させられた。さすがトップアスリートは高温多湿もものともしないようだ。新川通の直線に入る。<20km:2時間08分10秒、32分41秒、6分32秒/km>

 左上方から強い陽光が射してくる。少年たちの勢いのある太鼓の演奏に勇気づけられた。冷却を怠らないようにした。直線コースが延々と続く。折り返しランナーがどんどん数を増してくるが、観察している余裕はない。ペースが落ちてきているのを感じる。<25km:2時間43分20秒、35分10秒、7分02秒/km>

 塩羊羹を1つ取り出し食べた。実にうまい。折り返し地点を過ぎると、再び前方に長い直線距離が広がった。沿道に私設エイドが点在して並ぶ。これは競技規則に抵触しないのだろうか?応援の垂れ幕に時々目をやりながら進む。折れない心、って言うか、折れない足だよな~と思う。走路脇にダウンして寝そべり介抱されているランナーがいた。熱中症だろうか?給食地点にたどり着いたが、もはや何も残ってはいなかった。<30km:3時間22分25秒、39分05秒、7分49秒/km>

 ザバスピットインリキッドを1本飲んだ。すぐにエネルギーに利用出来るのはよいのだが、甘ったるさはどうにも受け入れがたいものがある。水で口中を潤す。30km以降がマラソンの本番だ。気合いを入れ直すが、自重を続ける。新琴似1番通りではなおも沿道からの声援が続く。人々の長時間にわたる応援に頭が下がる。給水地点で立ち止まると、次に走り出すの時に足全体にきしみを感じる。<35km:4時間01分50秒、39分24秒、7分53秒/km>

 かなりペースが落ちた。心拍数は150/分台から140/分台に落ちていた。しかし昨年よりはまだ余力があった。塩羊羹をゆっくりと味わい、しっかりと給水した。その後尿意があり途中でガソリンスタンドのトイレで小用を足した。透明尿であった。前のランナーに歩道から伴走していた男性がしきりに「凄い、凄い、感動するわ」と声を掛けている。ランナーにとっては労に報いる嬉しい言葉だと感心した。いよいよ北大構内に入る。どこかに女房の姿があるはずなので必死にそれを探す。右にカーブしているところで姿を発見。声を掛けられたが手を挙げるだけで精一杯だった。昨年はここを情けなく歩いていたことを思い出す。だが今年はちゃんと走っていた。40kmの打ち切りポイントがあと数分と迫っていた。<40km:4時間39分06秒、37分15秒、7分27秒/km>

 危ういところで打ち切りを免れた。最後のザバスリキッドを吸い尽くし、道庁の前を通過して大通りを目指した。沿道に「お帰りなさ~い」という声をみんなに掛けてくれている女性がいた。長い距離を走ってきた選手の労をねぎらう温かい言葉であった。時刻は制限時間を若干超えていたが、今年は満足した気分でゴールラインを超えることが出来た。途中で水をたっぷりとかけまくったので、帽子のてっぺんから靴のつま先まで全身ビショ濡れであった。<記録:5時間00分27秒、21分20秒、7分04秒/km>

 (日除け帽子とサングラス)

 私にとってのマラソンは決して誰かとの戦いではない。あくまでも自己との対話である。今回もいろんな面で得ることがあった。それらを思いつくままにここで整理しておく。

①<直前練習>練習不足ではあったが、炎天下における、10日前の30km走、1週間前の4時間走、3日前の20kmペース走が、超回復に効果的だったのではないだろうか。

②<食事>1週間前からタンパク質を多めにし、3日前からは炭水化物を多めにする食事の工夫を女房に頼んでいたことが、カーボローディング効果を生んだかもしれない。

③<睡眠>前日に眠剤を使用してたっぷり眠ったことが疲労回復に役立ったと思われる。

④<サポート>当日一人ではなく女房に付き添ってもらったことで、レース前にかなりの精神的な余裕がもたらされた。

⑤<給水>すべてのエイドで給水に努め、スポーツドリンクではなく主に水を補給したこと、そしてこれにアスリートソルトを追加したことが、体液のバランス維持に役だったかもしれない。また、終盤に尿意があり透明尿が出たことは、レース中に十分に水分を補給することが身体機能を維持するのに必要なことを意味しているのだろう。レース後の血尿は決してストイックさを示す勲章ではなく、単に水分不足を示す危険信号と考えたほうが良さそうだ。

⑥<身体冷却>すべてのエイドで水をとり、首、大腿を十分に冷却したことが、身体機能を低下を最低限に食い止めた可能性が高いだろう。おかげでフィニッシュ時には全身ビショ濡れ状態であった。

⑦<給食>エネルギー補給には、妙に甘ったるいジェル系のスポーツ飲料よりも塩羊羹の方が味覚的にも食感的にも勝ることが分かった。カロリー的にも大して差はないようだ。

⑧<ペース配分>途中で身体負荷を上げたり下げたりせずに、ほぼ一定のペース・心拍数を維持することが、エネルギーの温存に有効であることを再確認した。今回はペースが終盤に若干だが上がっていたのは、先行逃げ切り(後半バテバテ)型の私にとっては驚くべき出来事であった。

(平均心拍数149bpm)

(平均ペース7分03秒/km)

⑨<帽子とサングラス>暑さ対策に女房の勧めで日除け付きのキャップを着用。レース途中から日差しが強くなったが、ほとんど気にならなかったのは、この帽子とサングラスが効果を発揮した証拠だろう。これらは必需品だと心得た。

⑩<こむら返り>対策としては、当日朝起床後の空腹時に芍薬甘草湯を飲んだこと、出走前にサロメチール軟膏を膝から足底まで全体に塗りこんだこと、レース中の水分補給の際に必ずアスリートソルトを1粒かじったこと、が挙げられる。結果的に筋肉のつりは全く生じなかった。

⑪<意識集中>レース中は余計なことは考えず、常に冷静に自分の体調を監視し、事前に決めたレース計画を忠実に実行することが重要だ。

⑫<声援>相変わらず「頑張れ」の声援が圧倒的に多かった。昨年の終盤は限界に達していたのでこの言葉がとてもキツク感じられたが、今年は余裕があったせいかほとんど気にならなかった。それよりも、「凄い、凄い」という感嘆、「お帰りなさい」という声が、心に沁み入るように有難く感じられた。みなさん応援ありがとう!


第38回釧路湿原マラソン

2010年07月29日 | 完走記

 7月25日、今年初めての競技大会。5時45分に起床し朝食を済ませる。レース前は炭水化物に限った方が良かった。なぜなら終盤ガス欠したようだから。昨年は最後に足底筋が攣ってしまったので、今回は朝食前に芍薬甘草湯を飲んでおく。結果、攣りそうだったけど攣らなかった。う~ん効いたのかな~。


 釧路までは国道を進む。高速で浦幌まで行き、釧勝峠を超えて白糠に至る経路もあるが、先日通った時の印象では距離的にも時間的にもメリットは無さそうで、むしろ峠の下りが曲がりくねっており運転がストレスフルであったため、今回は回避した。(帰宅後MapFanでルート検索してみたら、やはり高速利用の方が距離的に長いことが判明。)釧路市内に入ってからの道はよく分からないので、今回は国道38号→道道53号→道道113号→柳月から左折のコースを採用した。途中恋問道の駅でトイレタイムをとったが、大体2時間半で到着。これで競技場に近い駐車場に入れると思ったのもつかの間、流れの速い2車線の左側に並んでいたら、またまた一番遠いグランドに回されてしまった。我慢して右側に並ぶべきだった。でももう出場はこれが最後かもしれない。

 9時、受付を済ませてクルマに戻り、着替えを終え、荷物を持って会場に向かう。今年は本当に走れていないので、1キロ6分のイーブンペースで走り、3時間でゴールすることを目標とし、同伴の女房に3時間後にゴールで待ち合わせることとする。天候は霧雨、風はほとんど無し。ジャージ上下を脱いでバッグに突っ込み、荷物預かりに預かってもらう。半袖ポロと短パンだ。今回は音楽をお供に走ることに決めていたので、ビートルズ全集の曲をセットした。ガーミンが作動していることを確認して列に並ぼうとするが、これが意外に長くて最後尾に着くや否や号砲。

(イアホンはSONY製MDR-AS20J:外部の音も聞こえるので戸外ランでは安全で有用。)

 33秒後にスタートラインを超える。後方の人たちは慌てることなく走っていくので良い感じだ。ペースを守って市内を進む。今回の水分補給はすべての飲料エイドでスポドリをいただくことにした。5キロ地点、30分34秒、ラップ30分01秒、145bpm。できればエイド地点を10m程後方に離してくれると、ランニングウオッチを押して画面を確認する時間がとれるので有り難い。

 新釧路川に沿って川上に向かう。ウォーキングで帰ってくる人たちとすれ違うようになる。川を渡って湿原道路に入る。ガーミンでペースと心拍数を確認しながら進む。ペースは1キロ6分を少々超えるスピード、心拍数は145bpmから150bpm程度である。10キロ地点、1時間00分03秒、ラップ29分31秒、149bpm。このあたりまでは正しいランニングフォームに留意し、余裕綽々というところ。

 12キロ地点あたりで先頭とすれ違う。当たり前だが全然スピードが違う。思わず拍手。凄いッス。折り返しランナーがどんどんやってくる。ヒラオカのゲンさんが通過していく。速い。かくてさんと声を掛け合う。速い。二人とも同い年だが、私とは切れが違う。人の流ればかり見ていると、だんだん目が疲れてくる。ようやく折り返し地点が見えてきた。15キロ地点、1時間29分52秒、ラップ29分47秒、149bpm。ペース配分は良い感じ。

 折り返しランナーばかり見ていて気がつかなかったが、中間点までの湿原道路はどうやら下り勾配だったようだ。自分が折り返してみて初めて分かった。なぜなら右カーブのコースが登っていくように見えるのだ。手を振って頑張って登った。でも後で考えたらこれが良くなかった。登りの時は気張らずに、心拍数が上がらないようなペース配分にすべきであった。無駄なブドウ糖消費をしてしまった。出来るだけ心拍数を一定にして脂肪を燃焼しながら走ることが重要!おかげで20キロ地点が遠く感じられた。20キロ地点、2時間01分15秒、ラップ31分22秒、153bpm。

 ここでスイカとバナナをいただく。行儀良く立ち止まっていただく。むせてはいけないから。元気を取り戻し先を急ぐ。後で気づいたが、この辺りから徐々にハイな気分になり、自分を見失っていったようだ。橋を渡り堤防上のコースに入る。風が向かい風となった。風圧が結構強い。下克上の世界となり前方から下がってくるランナー、後方から上がってくるランナーが入り乱れる。後方から背の高いランナーが追い越していった。これはラッキーとその後ろについた。やはりこれが良くなかっただろう。前方からミスト状の霧が吹き付けてくる中を必死でついて行こうとしているうちに恍惚の状態に陥ってきた。さらに聞いていたビートルズの曲がリンゴの歌う Good Night に変わると、すっかり異様な気分となってしまった。これがランニングハイなのだろう。私の脳裏に浮かんだ言葉はあろうことか「昇天」。人はこんな気分で天に召されるのではないかと悟った。結局ここで無駄なエネルギーをかなり使ってしまったようだ。25キロ地点、2時間27分28秒、ラップ26分13秒、157bpm。私にしてはハイペースであった。

 もう一度スイカとバナナをいただく。正気に戻ったらすっかり疲れていた。力がわいてこない、これがガス欠か。なんとか気を取り直して先に進む。残り3キロ、昨年は足が攣っていたところだ。今年も足の筋肉が硬直してくるのを感じる。堤防で調子に乗りすぎたツケがきた。お笑いだ。現実は厳しい。苦痛に顔を歪めながら頑張る。なんとか女房に約束した時間にたどり着くために最後の力を振り絞って頑張る。沿道の声援に手を挙げて応えながら気力で走る。その中に女房と娘がいたらしいが、もう誰だか分からずに無意識に手を挙げて応えていた。トラックに入り、最後の直線、電光掲示板が3時間の近いことを知らせていた。フィニッシュ、3時間00分07秒、ラップ32分38秒、152bpm。

(トラックに入る前のランニングフォーム:ヘッドアップして口が大きく開いている。腰が落ち歩幅が狭く、腕の振りも小さい。てんでバラバラなフォームになっている。)

 結果的には予定時間でのゴールだったが、内容は以上の通りで、後半はドタバタであった。大事なことはイーブンペースではなく、心拍数をできるだけ一定に保ち、無駄なブドウ糖消費を抑え、上手に脂肪を燃焼させて走るということ。調子に乗るとランニングハイに陥って自分を見失う。現実に集中することだ。次への戒めとしよう。

 ゴールにたどり着いてまもなくヒラオカのゲンさんと初めてお会いできた。思っていた以上に筋肉質の立派な身体で、いかにも鍛えられているな~という感じ。がっしりと握手をさせていただいた。

 これまでのレースではいつも予定時間をオーバーして女房を長いこと待たせていたが、今回は初めてほぼ予定時刻に到着することができた。レース後のお楽しみ抽選会はすでに番号が決定しており、残念ながら私は当選していなかった。帰りには山花リフレで汗を流して一休み。途中浦幌道の駅で休憩して帰宅した。いや~疲れた。ラン後の温泉が良かったのか、その後筋肉痛は生じていない。


第1回北見ハーフマラソン

2009年10月12日 | 完走記

 10月11日、朝は6時半起床。前夜の天気予報どおり、外は台風17号通過後の余韻漂う冷たい雨が降っていた。大会は雨天決行。ちょっとビビルが、いざという場合にはDNSという手があるさ。女房の運転でとりあえず会場に出撃。香りゃんせ公園の奥の方の駐車場に回される。8時過ぎに受付を済ませた。この時むらまーちゃんに偶然お会いし、何を着て走ろうかと悩む。その後10時のスタートをクルマの中で待つ。丁度斜め向かいにカッチ&トモさんの車も待機中で、久しぶりのご挨拶。雨脚は衰えず、次第に風が強さを増してくる。何度もトイレにゆき、そのたびに体が冷えて、またトイレに行きたくなる。結局ランスタイルは、上はアンダーアーマーのコンプレッション半袖シャツに長袖のランシャツを重ね着し、さらにウインブレを被ることに決定。下はロンタイ。クルマの外気温計は7℃を示し、風雨は時折激しくなる。薄手の手袋は持ってきたが、心配になりパイル地の暖かそうなグローブを購入。20分前までクルマで待機し、トイレを済ませてスタートを待つが、寒くてじっとしてはいられない。かといってアップで余計なエネルギーも使いたくないので、ひたすらその場飛びを繰り返す。ここまできたらもうDNSはない。走るしかない!


 多分10時スタート。たいした人数じゃないのに何故かスタートラインをこえるまで36秒を要した。最後尾の方からゆっくりとついて行く。コース上に水溜まりがいくつもあり、先が詰まって何度か立ち往生となる。靴は端からもうビショビショである。最初はアップのつもりで走っていたら、あっという間に先頭は見えなくなってしまった。3kmほど走ってようやく河川敷から土手上のコースへと上った。スタート前は寒くて震えていたが、若松大橋を渡る頃には体も温まってきたので、少しずつ前に移動することにした。<5km:27分36秒、155bpm>

 今回はガーミンのカスタムページを心拍数、ペース、ラップペースの3つが表示できるように設定していた。そして心拍数160bpm以上を目安に走ることを目標に考えていた。最初の5kmはアップということもあって心拍数は150bpm台で推移した。対岸に渡ってからは意識してペースを上げた。しかしこちら側は向かい風となっていて、キャップが飛ばされそうな気配であったので、前後を逆に被ると、今度は激しい雨が直接顔に当たってきた。公道に入るとコースは歩道である。これは正直言って厳しい。狭くて思うように走れないのだ。そしてそのうちに道は登り坂となってきた。雨、風、寒さ、水溜まり、狭い歩道、登り坂、これは完全に体力勝負のレースだ。自分は一体どこまで耐えられるのか…そう考えると何故か妙にウキウキしてきたのは私だけだったのだろうか。<10km:25分33秒、162bpm>

 折り返しのランナーが増えてきた。しなそばさんが通過した。ゼッケン1番のtakeさんを探したが残念ながら見つけられなかった(スタート前に会えず申し訳ありませんでした。息子さんと奥さんが走り抜けた時は応援できたのですが…)。一回大きく下ってまた登る。心拍数を頼りにスピードを調整した。登りは心拍数が上がりすぎないようにスピードを落とし頑張って腕を振って登った。下りは思い切ってスピードを上げても心拍数は大して上がらなかった。ビショビショ感が気持ちよかった。それにしても指定されている道幅が狭すぎる。<15km:26分38秒、161bpm>

 帰りはどうやら追い風のようだった。徐々に風雨が治まり、空は明るさを増していた。しかしこれだけの悪条件の中で、心拍数160bpm以上を維持するのは私の体力では、それほど簡単なことではなかった。端野橋を渡って市街地に入って来ると、さすがに疲れがたまり、ちょっと力を抜きたい気のゆるみが生じてきた。それでも前をゆくランナーから離されないように必死に追走を続けた。市街地の歩道は道幅が広くなり随分走りやすくなった。やがてまた河川敷のコースへと戻ってきた。前方にゴールが見えたと思ったら、コースが逆方向へと向かった。<20km:25分43秒、159bpm>

 折り返し地点を過ぎるとあとほんの1km程度だ。しかし何故かこの最後が一番きつかった。もの凄い向かい風が猛烈に襲いかかってきたのだ。参った。なんとか最後の力を振り絞ってゴールを目指した。<フィニッシュ:1時間51分31秒、159bpm>。ゴール後しなそばさんに再会。


 今回はガーミンで表示される心拍数を手がかりに走った。タイムはほとんど見ることなく走り終え、最初と最後に確認しただけであった。自分への負荷をほぼ一定にして走り続けることが、一番安定した走りが持続できるのかもしれない。レース前にはDNSも考えたが、かえってこうした悪条件の中でのレースも、もの凄い達成感が得られて良いものだな~と思うのであった。これで今年のレースは終了。


2009北海道マラソン

2009年08月31日 | 完走記

 結果:制限時間内になんとか完走なる!

 顛末:これまでになく受付は前夜に済ませた。当日はこむら返りに備えて、朝食前に芍薬甘草湯をお茶のように飲み干した。10時過ぎには中島公園入り。スタート地点を確認しながら会場を進み、更衣室脇に陣取って、ゆっくりと準備に取りかかる。予想していたとは言え、大勢のランナー達に圧倒され、しばし緊張感の中を漂う。予定の行動をこなすうちに緊張感は消腿した。スタート1時間前を過ぎたので、手荷物を預け、トイレの列に並んだ。しかしあまりの長蛇で遅々として進まず、30分前のアナウンスに諦めて、スタート地点へと向かう。黒山の人だかり。抵抗は無駄だと再確認。E地点の後方に整列した。目標はキロ6分で走り切ることだ。高層マンション群の谷間のせいかガーミンが衛星を捕捉できない。

 12時10分、定刻通りに号砲が鳴り、拍手と大歓声がわき起こる。歩いて前進し約2分後にスタートラインを超えた。最初は30m登ってその後60m下る。しかし登りは苦にならず、下りは自然にスピードが上がったので気がついた。自制を心がけた。第一関門は5km地点を40分以内に通過することだが、なんとかなりそう。5km地点が近づきトイレの表示を探した。<5km:30分58秒>

 5km地点の直後から給水テーブルが延々と続いた。これなら途中の給水は大丈夫と踏む。結局トイレ表示を発見することはできなかった。平岸を過ぎ、豊平川を渡り、創成トンネルをくぐり抜けた。ふだんは交通量の激しい創成川通りを、沿道の声援を受けて、大勢のランナー達が北上する。鮭の遡上を思い描いた。きっと凄い眺めだろう。後方からFやGやHのナンバーを付けたランナー達がどんどん追い越していく。<10km:28分58秒、59分57秒>

 10km地点で水分を補給した。なぜかここにもトイレ表示はなかった。途中で気がついたのだが、どうやらランナー達は沿道にあるコンビニで用を足しているようだった。私も北24条通りに左折する角のコンビニに駆け込んだ。3人ほどが並んでいた。パンパンにたまっていたせいか排出に時間がかかった。ここで3分はロスしたろうか。新川通に入って、なもなく右折。<15km:31分46秒、1時間31分43秒>

 その後新琴似1番通りに入る。おやぢさんを真似て、家族がこの辺りで応援している筈だ。ランナー達の中から私を見つけ出す家族も苦労だろうが、家族を探す私も大変だ。なんとかお互い発見でき、手を振る私を女房がデジカメに納めてくれた。その後まもなく優勝したダニエル・ジェンガ選手とすれ違った。あきれるほど速かった。一流選手は全く格が違う。新川通に戻ると途端に道が拡がった。<20km:29分08秒、2時間00分51秒>

 折り返してくる選手の数が俄然増えてきた。中間点を超え、ペースを維持して石狩浜を目指す。沿道にいろんなランニンググループの私設エイドが点在していた。単調なコースなので仲間の応援は嬉しいことだろう。途中で私も完走梅を一つ口にした。<25km:30分24秒、2時間31分16秒>

 折り返し地点を過ぎると早々と疲れがやってきた。3日前の20km走が災いしたかもしれない。27kmでザバスを1本補給した。反対車線を収容バスが通り過ぎた。道は広いがなにせ長かった。<30km:31分53秒、3時間03分10秒>

 あたりはなんとなく薄暗い。今年は曇天で本当に良かった。足が重くなってきていた。これが例年のような晴天だったらもうとっくにギブアップだったろう。32kmでもう1本のザバスを補給した。再び新琴似1番通りにもどった。ふと呼ぶ声が聞こえて横を振り向いた。女房だった。今はもうキョロキョロ探す余力が薄れていた。グリコーゲン切れかもしれなかった。<35km:32分51秒、3時間36分02秒>

 いつの頃からか給水のたびにアスリートソルトを1粒かじることにしていた。水だけを飲むと気持ち悪くなって、吐き気がくるようになっていた。脱水なのだろうが、その水が飲めない、スポドリも大して飲めなかった。完走梅を口にしたが、口が渇いていて収まりが悪かった。スピードが落ちているのが分かった。時々膝がガクッときた。北大が近づき、沿道から「あと5km」と声が飛ぶが、走っても走っても「あと5km」と聞こえるような気がした。北大構内に入ると、さらにスピードが落ちた。足がものすごく重く、吐き気がひどかった。しかし心肺機能はまだまだ大丈夫に思えた。意識はしっかりしていて、「まだまだ頑張れるだろう、怠けてるんじゃないのか」と言っていた。と、同時に「もういいよ」とも呟いていた。目の前に40kmの給水地点が見えてきた。…歩いていた。「もういい」という気分が勝っていた。<40km:37分48秒、4時間13分50秒>

 どれだけ歩いたのか…気持ちが弛緩していた。しかし、クラーク会館が近づくと、再び走り出していた。あとはもう惰性だった。正直35kmからは頑張れと言う声援がきつかった。だが、あれは大通りの手前だったと思う。一つの声援が耳に入ってきた。女性の声だった、「おつかれさま~」。…ホッとした。情けないが、なんとか頑張りを認めてもらえた気がした。本当に嬉しかった。フィニッシュ。<手元記録:19分12秒、4時間33分02秒>

 呆然として進み、ボーイスカウトの少年にメダルをかけてもらった。少年は心なしか気が進んでいないように見えた。キロ6分の目標ペースを守りきれず、たまらず途中で歩いてしまった。しかし、このレース、私にはこれが精一杯だった。メダルが私の頑張りの証拠に思えた。あの「おつかれさま~」が私を救ってくれたのだった。制限時間内になんとか完走を果たせたのだから、良いじゃないか。タイムは目標ではなかった筈だ。今の持てる力をすべて出し尽くしたんだから、それで良いじゃないか。走り出して初めて手にするメダルを見つめながら、手荷物回収所近くのベンチに腰掛け、私はそう自分を慰めていた。


第37回釧路湿原マラソン(30km)

2009年07月26日 | 完走記

 今年の7月は週末になると決まって雨…。朝4時45分起床。カーテンを開ける。曇り。雨ではない。朝食を摂り、犬の散歩を済ませて、昨夜の準備を確認し、5時40分過ぎに出発した。雲間に青空が少しのぞいて見えた。果たして釧路はどうか…。

 8時過ぎ、現地到着。今年も一番遠い駐車場に誘導されたが、多分丁度良い運動になるだろう。釧路は曇り空の下であったが、雨の予感はしなかった。なんとかもちそう。

 受付で大事なゼッケンを受け取り、クルマに戻って着替えた。1時間前にエネルギージェル、45分前にバナナ1本を食べた。競技場に向かう途中の30分前にベスパを摂取。味?ちょっと酸味のあるさらさらの液体だ。とても旨いと言えるようなものではない!これ、ローヤルゼリーが含まれてるの?いや、余計なことは考えまい。これは今に体内の脂肪代謝をびんびんに活性化してくれる筈なのだから。

 競技場を見回すとスタンドに楽走の旗が見えたので行ってみたが、ほとんどアップに出払っていた。残っていたおやぢさんと久しぶりの再会。開陽台マラソンの話などあれこれ。雨は降らなさそうだが、湿度が問題と指摘される。ごもっとも!丁度そこにかなださんが現れ、ご挨拶。

 スタートラインの後方部に移動。今日はアップはしない。距離が長いので無駄なエネルギーは消費はしないことにした。その代わりガーミンが地点を探索している間に、軽く屈伸を繰り返した。

 列に加わるとすぐ前にかくてさんが並んでいた。男同士のツーショット。「あとで送りますね」と言ったもののメルアドどうだったっけ…。っと、まだ確認できていない。

 感動的なことだが、なんと定刻スタート!初めは流れに逆らわずゆっくりとついて行く作戦。先は長いので、とにかく自重。5kmでラップを取り損ね、給水の後で気がついてガーミンを押した。タイミングがちょっとずれたが体制に差はないだろう。キロ6分ペースで通過。<5km:30分17秒>

 街中から新釧路川の河川敷に出る。川上に向かっている筈だから少しは登りなんだと思うが、ほとんど気づかない。約8kmの地点でichanさんとnaojiさんに追いつき、先に出た。湿原道路の長い道を、大体キロ5分50秒ペースで進む。帰途の20km地点でスイカを用意しているのが見えた。たしろさん情報のとおりだ。立ち止まって食べるのだろうかと、少し気になった。<10km:57分15秒(26分57秒)>

 12kmを過ぎるあたりから、折り返しランナーがたくさんやってきた。まずはおやぢさん、とっても元気だ。両手を挙げて元気づけられた。その後まもなくトモさんに追いつきご挨拶。続いてカッチさんが通過、声をかけたが必死に前を向いて走り去った。そう言えば最近ご無沙汰しているな~。そしてかくてさんがきた。アイコンタクトの後小さく声を発して過ぎて行った。練習不足の筈なのにさすが実力者だ。そのうちに折り返し地点の15km地点に到着。この区間は頑張ってキロ5分40秒ペースとなった。<15km:1時間23分51秒(26分35秒)>

 半分が終わった。次はいよいよスイカだスイカ。単調な湿原道路を進みながら、スイカをどうやって食べるかを考える。あるいはその後のエネルギー補給のタイミングを考える。食べ物のことを考えているせいか、走りにばらつきが生じる。やはりラン中の雑念は禁物だ。ラン中は走りに全神経を傾注し余念なく走らなければならない!すっかり忘れていたが、これが私のモットーだった。危ね~というか、気づくのが遅かった。キロ5分35秒ペースでちょっと速い。<20km:1時間52分05秒(28分13秒)>

 スイカの食べ方なんて考えるまでもなかった。どうしてって、さくさくさくっと食べるのに丁度良い大きさに切ってあったのだから。家で食べるほどに大きなサイズではなかったのだ。だよな~。でもボランティアの方の一言が良かった、「大きいのあげるね!」。いや~元気が出ました。そしてバナナも半分。その後の足取りの軽いこと。だがスイカ効果もそんなに長く続くはずがない。橋を渡って河川敷を下る途中で、用意してきたザバスを1本摂取。う~ん、これはカーボショッツやパワージェルほど甘ったるさがない、性状もいくらかサラ気味で飲みやすい。気持ち悪くはならなかった!そこでまたがんばりが戻った。その後しばしの間は、今までこんな経験がないと言うほど、どんどん抜けた。この辺はなんとかキロ5分40秒ペース。<25km:2時間17分32秒(25分27秒)>

 25km地点、なんと私の予想に反してここでもスイカとバナナが提供された。後でチェックしたらちゃんと給食の文字が入っていた!ここでもう一発、と踏ん張ろうと思ったが、市街地に入ってからは、このペースを維持するのがだんだんきつくなってきた。あと4kmの表示地点でもう1本のザバスを飲み干した。徐々にペースが落ちてきているのは分かっていたが、まだ28kmまではキロ5分45秒を維持できていた。しかしその後足が固まってしまった。足底の筋肉がガシッと硬直したようになり少しでもその形体を変化させると激痛が走るようで、こわばった足をだましだまし前に出すようにして歯を食いしばってゴールを目指した。変な走り方をしているせいか、そのうちに足全体が硬直している感じになってきて、余計な動きをせずにただ単純に足を前後させるだけのたらたら走りとなった。「これが足が攣ると言うことなのか…」。初めての体験であった。なにせゴールが遠かった。どんどん抜かれた。早く終わってほしかった。最終的にはキロ6分ペース。<30km:2時間49分17秒(31分45秒)>

 ゴール後はしばらく足がばんばんに硬くなっていた。バナナを1本もらい、ドリンクを補給しながら、ながらく休憩。動けなかった。筋肉が攣るってことはこういうことだったんだ。ふと思いだし、筋肉修復のためにアミノバイタルを摂取。

 休憩のあと、シャワーを浴びて着替え、お楽しみ抽選会に参加したが、いつものことながら残念な結果であった。

 収穫・反省・感想・謝辞

 (1)「初めチョロチョロ、中イーブン」のペース感覚は何となく理解できた。しかしイーブンペースでペースを上げすぎたり、ペースを細かく上下させたりすると、後で響いてくるようだ。スピードを上げる時にブドウ糖が消費されるわけだから、無駄なエネルギー消費を避けるには本当に一定のペースで走りきることが重要なのだろう。

 (2)ベスパやアミノバイタルについては何とも言えないが、ザバスに関しては従来のものに比較してかなり飲みやすい。即効性には劣るかもしれないが、気持ち悪くならずに確実にエネルギーを補給できる点は評価できる。◎を付けておく。

 (3)筋肉の攣りに関しては調査・研究のテーマとして残しておくことにする。夏のランは汗がたんまり出るからかな~。湿度が高いのも影響あるのかな~。それとも準備運動をまともにしなかったのがいけなかったのかな~。

 (4)今日は至る所に釧路北陽高校の生徒さんたちが立って、マラソンの運営に携わってくれていた。多分ボランティアだと思うが、本当に助かった。こころからお礼を申し上げたい。それに比べて、やはりマナーの悪いランナーも大勢いる。カップを平気で遠くから投げ捨てて、当然箱には入らず散乱させても知らん顔で通り過ぎていく。自分が出たい大会ならそれが継続されるように、運営の立場に立ってできる限りの協力をするのが当たり前のことなんだろうと思った。

 (5)今日一日付き合ってくれた女房にこの場を借りて感謝する次第です。ありがとう、次のレースの時もよろしく。