ザ・名も無きランナー

50才から始めたマラソン。こころと身体が一つになって燃焼している感じが好きです。楽しんで走っていきたいと思っています。

2011函館ハーフマラソン(9/25)

2011年09月29日 | 完走記

 何十年ぶりかでチンチン電車に乗って千代台の電停に降り立った。丁度娘達も到着し、家族全員で陸上競技場に集合した。私が高校生だった40年ほど前は、周囲が板塀に囲まれた土のトラックだったと記憶しているが、今や立派な競技場に生まれ変わっていた。今回は長男と次女と私の3人でエントリーしており、妻と長女と三女は応援だ。記念にお揃いのTシャツを新調した。背には今春17才で逝った我が家の愛犬ブラボーの絵柄を入れた。

 次女は初めてのマラソン参加で緊張気味。フルでサブ4経験済みの長男は余裕たっぷりだ。私は娘に伴走することにした。秋の日差しが燦々と降り注ぎ、それでいて風はさわやかで、マラソンには絶好の条件だ。家族がスタンドから見守る中、談笑しながらスタートを待つ。

 9時50分スタート。トラックを1周しロードに出た。いつもながら最初は団子状態だが、3人一緒に進んだ。ほぼ6分/kmのペース。娘には少し速いのではないかと思っていたが、着いてきている。電車通りに出る頃には周囲がばらけて走りやすくなった。松風町の信号を過ぎ立待岬方向にコースを進む。折り返してきたトップランナー達とすれ違うようになると、5kmの給水所が見えてきた。娘には全ての給水所で給水することを指示。青柳町から谷地頭への道はこのコース唯一の起伏があるが、娘はあまりスピードを落とすことなく進んだので、後半が少し心配になった。最初の折り返しは応援も多く賑やかだ。東雲町あたりは街路樹の日陰もあり静かに淡々と進んだ。

 松風町の交差点を大森浜の方へ曲がったところで妻達の姿が見えた。やはり千代台からの電車が遅れたようで、反対側の歩道から手を振って応援していた。おかげで発見しやすかったので、こちらも手を振って元気よく先に向かった。大森浜ではもうトップランナー達が折り返してきてゴールの方向へターンしていく姿が見えた。こちらはなお6分/kmペースを維持している。10kmの給水所が見えてきて、しっかり給水(10km:1時間00分18秒)

 ここで息子が我慢できなくなったようで、私たちから離れて先に向かった。娘のペースが若干落ちた。身体に痛みが出てきたようだが、息はあがっていない。苦しくなったら言うように伝えたが、もうダメだと言ってくることは最後までなかった。13km付近で折り返してきた息子とすれ違い、この先に私の母達が応援していることを知らせてくれた。そして間もなく母と妹と姪の姿を発見。携帯したカメラで写真を撮った。やはり知り合いがいるとマラソンも走り甲斐があるものだ。少し行って第二の折り返しとなった。

 再び母達の前を通過し、漁り火通りを引き返した。15kmの給水地点を過ぎると、娘が足にきたというので少しペースを落とし、塩飴をなめることにした。このあたりにくると正直言って走りに飽きがくるようになる。長い距離を走ったことのない娘には辛い時期かもしれない。収容バスとすれ違い、函太郎の前を通り過ぎ、新川手前で右折すると20kmの給水地点だった(20km:2時間06分13秒)

 もう息子はゴールしているだろう。再び応援も多くなりゴールが近いことを知らせてくる。娘も黙々と走り続けており、完走は大丈夫そうだ。競技場が見えてきていよいよトラックに入った。正面に先着した息子の姿を発見しカメラを手渡した。あと1km程なのでラストスパートしてみるよう指示。しかしこれがいけなかったかもしれない。妻達がスタンドで見守っているとは思うが、なかなかそちらを見ている余裕がない。頑張ってフィニッシュ(記録:2時間13分38秒)

 最後に負荷をかけてしまったようで、ゴール後娘は消耗しきって倒れ込んだ。済まないことをしてしまった。ゆっくりスタンドを見回しながらゴールすべきであったと反省。それにしても娘は初めてのレースを最後まで弱音を吐かずによく走りとおしたもので、感心した。息子にとっては十分に走りきれずに満足感の足りないレースだったかもしれないが、よく付き合ってくれた。妻も長女も三女もサポートと応援に徹し、みな快く協力してくれた。この秋晴れの清々しい一日を、子どもたちと一緒にランニングし、家族と楽しい時間を共有でき、本当に思い出に残る素晴らしいひとときであった。感謝である。みんな、ありがとう!



走ることについて語る

2011年09月15日 | 自己分析

 走り出して数年になる。なにゆえ走るようになったかはもう忘れてしまった。しかしいつしかフルマラソンで4時間を切ることが目標になっていた。それが一般市民ランナーの条件のように言われていたからだろう。今考えれば特にこだわる必要もなかったのだが、私も一度だけなんとかその目標を達成した。そして達成できたからこそ言えるのかもしれないが、私にとって走ることの目標はどうやら記録ではなかった。結論から言えば、私にとっては、精神と肉体がただ走ることのためだけに機能している状態、まるで自分が走る内燃機関と化しているような状態こそが、とてつもない快であり、求めていることなのだった。私には、距離やタイムがどうだとか、誰かに勝ったとか負けたとかは、それほど大きな意味のあることではなかった。走っているうちにいつしか心身が一体となって燃焼し、快感に浸れること、それが得られれば私は満足なのである。