ザ・名も無きランナー

50才から始めたマラソン。こころと身体が一つになって燃焼している感じが好きです。楽しんで走っていきたいと思っています。

回顧と展望

2007年12月16日 | 自己分析

 とうとう、と言うか、ようやく、と言うか、今年の年間走行距離が2000kmを突破した。思い返しても人生でこんなに走った1年は無い。冬の晴れた日には外ランで雪道のLSDをこなし、夜は常夏コースで汗だくになりながらペース走をこなした。早春のグリーンパークでは4時間耐久走で足慣らし。夏には市内1周コースを開拓し、酷暑の中で危うく熱中症になりかけた。例年だったら早々に店じまいする10月にも、とかちeRCでエントリーしたオクトーバーランで距離を踏んだ。とにかく時間を見つけては、機会を見つけては、全てに優先して走りに走った。こんなことはふつうの家庭生活ではあり得ないだろう。本当に家族の理解と応援が無ければ実現し得なかったことだと思う。広いこころで見守ってくれた女房には心の底から感謝である。

 

 

 これだけ走ったのはただひとえに、自分で勝手に宣言した「フルマラソンでサブ4」という今年の大目標を達成するためであった。誰に約束したわけでもないのに、である。冬の走り込みの成果を過信し満を持して臨んだ春の洞爺湖は、終盤失速し惨敗に終わった。その2週後の千歳では、前半の抑え過ぎを後半挽回できず残念ながら目標には届かなかった。本当のところ、春の2レースでサブ4を達成できなかったことは、私にとってはかなりのダメージであった。そして、夏の猛暑は私の練習意欲を大いに失わせたし、秋口からの気候の変化は私の体調を大いに攪乱させた。しかしそれでもなんとか私が軌道を修復できたのは、ジョグメイトの皆さんの暖かい励ましがあったからである。あらためてこの場でお礼を申し上げます。

 

 

 

 

 秋、練習不足から弱気な気持ちで突入した別海は、後半の伸びが見られず全くの期待はずれに終わった。それでも毎回少しずつではあるが、記録が更新されているのは救いであった。そして今期最後の苫小牧、周回コースの3周まではなんとかサブ4ペースで進んでいた。が、最後の周回で苦しくなり、力を抜こうと思った矢先、また辛い1年が始まるというイメージが急激に沸き起こり、知らぬ間に激走してゴールラインを超えていた。あっけないサブ4達成の瞬間であった。ふだんから「根性なし」を自認し、スポーツでの精神力を横目で見ていた自分が、最後の最後に気づくまもなく「根性」でサブ4を達成していたのは、なんとも皮肉なことだった。

 

 

 あれからもう1ヶ月以上が過ぎた。今日は今期初の雪道外ランでスノーランナーを履き下ろし、2000kmを達成させた。しかしあの苫小牧の後からは、何故か腑抜けのような毎日が続いている。これが「燃え尽き」というものなのだろうか。この1年を経験してみて、今年のように走りに徹する日々は今後もうやってこないだろうと思える。自分の走りの能力の全てがこの1年間で展開され尽くしたように思える。もうこれ以上、少なくともタイムを目標にした自分の走りの展望が見えてこないのである。走るとしたらもうイベントや観光目的の「ファンラン」でしかないのだろうか。

 

 

 そう思うと、そこから照り返されるように私の心にハッキリと見えてくることがある。マラソンはよく人生に喩えられる。それはマラソンが短距離走に比して長丁場であることや、平坦で単調なトラック競技に比べてコースが変化に富んでおり、他のランナーとのいろんなかけひきがあることなどが理由なのかもしれない。しかし私にとってのマラソンとは、タイムなりペースなり心拍数なり、とにかく自分で設定した自分の極限目標に、心身一如となって、前傾姿勢で向かっていくことであり、その投企的態度故に人生に喩えられるのではないかと思うのだ。だから私が「ファンラン」に向かうとしたら、その時そうした態度を維持していけるのかどうかとても心許ない。おそらくその時はもはや自分の中でマラソンランナーであることを降りている時なのではないかと想像している。