ザ・名も無きランナー

50才から始めたマラソン。こころと身体が一つになって燃焼している感じが好きです。楽しんで走っていきたいと思っています。

2010(8.29)北海道マラソン

2010年09月01日 | 完走記

 記録:5時間00分27秒。タイムは自慢できるものではなかったけれど、スタート時点の天候曇り、気温27℃、湿度70%、無風、その後場所によっては30℃を超えた地点もある、という気象条件の中で、なんとか歩かず完走できたことは、自分でも意外だったし、また十分に満足できる結果でもあった。なお完走率は71%。

 前夜は眠剤を服用して、たっぷりと睡眠をとった。朝7時半起床。まず、こむら返り予防に芍薬甘草湯を湯に溶かして飲む。朝食は炭水化物を中心に少し多めに摂取した。9時半、ホテルを出て得意の本屋に向かう。探していた本を見つけて即購入。その後地下鉄で会場に向かった。中島公園駅の出口が以前と変わり、会場へのアクセスが超便利になっていた。Fブロックの傍に陣取る。更衣室で着替え、ガーミンを装着し、荷物を預けた。この間にペットボトル1本のスポーツドリンクをほぼ飲み干し、最後に小用を済ませた。今回は女房と一緒なのであらゆる面で余裕があった。20分ほど前に整列し、スタート時間を待った。

 知事の挨拶の後、スタート。大きな拍手の中でゆっくりと動き出す。スタートラインを超えるまで2分45秒経過。8000人を超えるランナーの人波がうねり出した。

(高低差約60m)

 最初は先が詰まってスローな展開。進路が開くとついつい前に出てしまいそうになるが、極力ペースを守ることとする。今回の目標は1kmを6分20秒のペース、平均心拍数は148bpm前後を維持すること。流れの中で右側から左端へと徐々に位置を移動させた。最初の5kmはアップダウンがあるが、上りはゆっくり、下りは小走りを心がけた。<5km:32分06秒、6分25秒/km>

  今回はかなりの高温多湿なので、すべてのポイントで給水することに決めた。スポーツドリンクはpH4位らしいので水の摂取を主とし、その際忘れずにアスリートソルトを一粒かじることにした。平岸では先回りしていた女房と声を交わす。豊平川を渡り創成トンネルに入ると、大勢の人間の駆ける音が鳴り続き、気が遠くなるような快感に襲われる。<10km:1時間03分33秒、31分27秒、6分18秒/km>

 創成川沿いを北上。女房が待機している北24条へと入り、観客の中にその姿を発見。給水地点だけでなく、スポンジエイドでも首すじ、大腿に水をかけて身体冷却を続けることにした。<15km:1時間35分28秒、31分54秒、6分23秒/km>

 折り返してきたトップランナーとすれ違う。黒人選手が3人相次いで通過していった。昨年よりすれ違うポイントが早い。自分のペースが昨年よりも遅いことを確認させられた。さすがトップアスリートは高温多湿もものともしないようだ。新川通の直線に入る。<20km:2時間08分10秒、32分41秒、6分32秒/km>

 左上方から強い陽光が射してくる。少年たちの勢いのある太鼓の演奏に勇気づけられた。冷却を怠らないようにした。直線コースが延々と続く。折り返しランナーがどんどん数を増してくるが、観察している余裕はない。ペースが落ちてきているのを感じる。<25km:2時間43分20秒、35分10秒、7分02秒/km>

 塩羊羹を1つ取り出し食べた。実にうまい。折り返し地点を過ぎると、再び前方に長い直線距離が広がった。沿道に私設エイドが点在して並ぶ。これは競技規則に抵触しないのだろうか?応援の垂れ幕に時々目をやりながら進む。折れない心、って言うか、折れない足だよな~と思う。走路脇にダウンして寝そべり介抱されているランナーがいた。熱中症だろうか?給食地点にたどり着いたが、もはや何も残ってはいなかった。<30km:3時間22分25秒、39分05秒、7分49秒/km>

 ザバスピットインリキッドを1本飲んだ。すぐにエネルギーに利用出来るのはよいのだが、甘ったるさはどうにも受け入れがたいものがある。水で口中を潤す。30km以降がマラソンの本番だ。気合いを入れ直すが、自重を続ける。新琴似1番通りではなおも沿道からの声援が続く。人々の長時間にわたる応援に頭が下がる。給水地点で立ち止まると、次に走り出すの時に足全体にきしみを感じる。<35km:4時間01分50秒、39分24秒、7分53秒/km>

 かなりペースが落ちた。心拍数は150/分台から140/分台に落ちていた。しかし昨年よりはまだ余力があった。塩羊羹をゆっくりと味わい、しっかりと給水した。その後尿意があり途中でガソリンスタンドのトイレで小用を足した。透明尿であった。前のランナーに歩道から伴走していた男性がしきりに「凄い、凄い、感動するわ」と声を掛けている。ランナーにとっては労に報いる嬉しい言葉だと感心した。いよいよ北大構内に入る。どこかに女房の姿があるはずなので必死にそれを探す。右にカーブしているところで姿を発見。声を掛けられたが手を挙げるだけで精一杯だった。昨年はここを情けなく歩いていたことを思い出す。だが今年はちゃんと走っていた。40kmの打ち切りポイントがあと数分と迫っていた。<40km:4時間39分06秒、37分15秒、7分27秒/km>

 危ういところで打ち切りを免れた。最後のザバスリキッドを吸い尽くし、道庁の前を通過して大通りを目指した。沿道に「お帰りなさ~い」という声をみんなに掛けてくれている女性がいた。長い距離を走ってきた選手の労をねぎらう温かい言葉であった。時刻は制限時間を若干超えていたが、今年は満足した気分でゴールラインを超えることが出来た。途中で水をたっぷりとかけまくったので、帽子のてっぺんから靴のつま先まで全身ビショ濡れであった。<記録:5時間00分27秒、21分20秒、7分04秒/km>

 (日除け帽子とサングラス)

 私にとってのマラソンは決して誰かとの戦いではない。あくまでも自己との対話である。今回もいろんな面で得ることがあった。それらを思いつくままにここで整理しておく。

①<直前練習>練習不足ではあったが、炎天下における、10日前の30km走、1週間前の4時間走、3日前の20kmペース走が、超回復に効果的だったのではないだろうか。

②<食事>1週間前からタンパク質を多めにし、3日前からは炭水化物を多めにする食事の工夫を女房に頼んでいたことが、カーボローディング効果を生んだかもしれない。

③<睡眠>前日に眠剤を使用してたっぷり眠ったことが疲労回復に役立ったと思われる。

④<サポート>当日一人ではなく女房に付き添ってもらったことで、レース前にかなりの精神的な余裕がもたらされた。

⑤<給水>すべてのエイドで給水に努め、スポーツドリンクではなく主に水を補給したこと、そしてこれにアスリートソルトを追加したことが、体液のバランス維持に役だったかもしれない。また、終盤に尿意があり透明尿が出たことは、レース中に十分に水分を補給することが身体機能を維持するのに必要なことを意味しているのだろう。レース後の血尿は決してストイックさを示す勲章ではなく、単に水分不足を示す危険信号と考えたほうが良さそうだ。

⑥<身体冷却>すべてのエイドで水をとり、首、大腿を十分に冷却したことが、身体機能を低下を最低限に食い止めた可能性が高いだろう。おかげでフィニッシュ時には全身ビショ濡れ状態であった。

⑦<給食>エネルギー補給には、妙に甘ったるいジェル系のスポーツ飲料よりも塩羊羹の方が味覚的にも食感的にも勝ることが分かった。カロリー的にも大して差はないようだ。

⑧<ペース配分>途中で身体負荷を上げたり下げたりせずに、ほぼ一定のペース・心拍数を維持することが、エネルギーの温存に有効であることを再確認した。今回はペースが終盤に若干だが上がっていたのは、先行逃げ切り(後半バテバテ)型の私にとっては驚くべき出来事であった。

(平均心拍数149bpm)

(平均ペース7分03秒/km)

⑨<帽子とサングラス>暑さ対策に女房の勧めで日除け付きのキャップを着用。レース途中から日差しが強くなったが、ほとんど気にならなかったのは、この帽子とサングラスが効果を発揮した証拠だろう。これらは必需品だと心得た。

⑩<こむら返り>対策としては、当日朝起床後の空腹時に芍薬甘草湯を飲んだこと、出走前にサロメチール軟膏を膝から足底まで全体に塗りこんだこと、レース中の水分補給の際に必ずアスリートソルトを1粒かじったこと、が挙げられる。結果的に筋肉のつりは全く生じなかった。

⑪<意識集中>レース中は余計なことは考えず、常に冷静に自分の体調を監視し、事前に決めたレース計画を忠実に実行することが重要だ。

⑫<声援>相変わらず「頑張れ」の声援が圧倒的に多かった。昨年の終盤は限界に達していたのでこの言葉がとてもキツク感じられたが、今年は余裕があったせいかほとんど気にならなかった。それよりも、「凄い、凄い」という感嘆、「お帰りなさい」という声が、心に沁み入るように有難く感じられた。みなさん応援ありがとう!