ザ・名も無きランナー

50才から始めたマラソン。こころと身体が一つになって燃焼している感じが好きです。楽しんで走っていきたいと思っています。

走ることについて語る

2011年09月15日 | 自己分析

 走り出して数年になる。なにゆえ走るようになったかはもう忘れてしまった。しかしいつしかフルマラソンで4時間を切ることが目標になっていた。それが一般市民ランナーの条件のように言われていたからだろう。今考えれば特にこだわる必要もなかったのだが、私も一度だけなんとかその目標を達成した。そして達成できたからこそ言えるのかもしれないが、私にとって走ることの目標はどうやら記録ではなかった。結論から言えば、私にとっては、精神と肉体がただ走ることのためだけに機能している状態、まるで自分が走る内燃機関と化しているような状態こそが、とてつもない快であり、求めていることなのだった。私には、距離やタイムがどうだとか、誰かに勝ったとか負けたとかは、それほど大きな意味のあることではなかった。走っているうちにいつしか心身が一体となって燃焼し、快感に浸れること、それが得られれば私は満足なのである。


エネルギー効率の良い走りとは…

2009年09月23日 | 自己分析
(1)走るというのはどんな動作か?
 →下図のように、走るという行為は、我々が足で地面を押し、その反作用として受ける力の進行方向へのベクトルを推進力として得て進んでいく行為、と考えられる(①改変)。



(2)効率の良い走りとはどんな走り方か?
 →上図でαが90°の場合は、その場での足踏みジャンプとなる。前方に進む力を大きくしようとするならば、できるだけαを小さくする必要がある。つまり速く走るためにはできるだけ重心を前に置くことが推奨されるだろう。しかしあまり前方に重心を置いてしまうと当然のことながらたおれてしまう。どの位が適切なのかは私には分からない。

 そこでランニングをしながら色々と工夫してみた。重心を前方に移すために自助努力としてできるのは、腰を少し突き出すように意識しながら走るやり方である。重心を前にかけるためには背筋を強化して後方から身体を支える必要もありそうだ。

 調べてみたら、あった。「…身体にしっかりとした軸を作り、大腿部前面の筋肉だけでなく、お尻の筋肉や腹筋など、体幹部の大きな筋肉を瞬間的に収縮させることで、地面からの力を受け止めます。このとき、適度に骨盤が前傾していれば、地面からの力をうまく推進力として利用することができます(②)」。…ひょっとして以前これを読んだことが私の記憶に残っていたのかもしれないな~。

<参考資料>
①仕事(物理学)-Wikipedia:http://ja.wikipedia.org/wiki/仕事_(物理学)#.E7.89.A9.E4.BD.93.E3.81.8C.E3.81.99.E3.82.8B.E4.BB.95.E4.BA.8B.E3.81.AE.E8.A8.88.E7.AE.97
②金コーチが指導する確実に速くなる走り方:金哲彦、ランナーズ、2003.


限界を超えてゆくために…

2009年09月22日 | 自己分析
 いつも同じような楽な練習ばかりしていては自己の限界を超えられない。それを越えてゆくためには、日々の鍛錬の方向を改める必要がありそうだ。

(1)フルの後半に足が上がらなくなり吐き気が出てくるのはどうしてか?
 →それはアシドーシスによるのだろう(乳酸・覚え書き(Ⅰ)を参照のこと)。つまり、強度の運動をし続けると身体が必要とするエネルギーの総量は高まる。そこでヒトはブドウ糖の分解や脂肪酸を分解してエネルギー源であるATPを大量に増産し続けなければならない。ATPは加水分解されてエネルギーを放出するが、この過程で必然的にH+も大量に発生する。これが時間の経過とともに蓄積してくると徐々に血液が酸性化(アシドーシス)し、その結果嘔気、脱力といった症状が発現する。

(2)フルの後半に脱力や嘔気が生じなくするためにはどうしたらよいか?
 →ひとつは、アシドーシスが生じる前にフィニッシュすること。つまり、エネルギー効率の良い走りをして、なるべく早くゴールすること。もう一つは、アシドーシスになる時期を遅らせること。つまりアシドーシスになる手前の速度で走りきること、あるいはアシドーシスの閾値を鍛錬によって上げていくこと。

(3)アシドーシスになる時期を遅らせるにはどうしたら良いか?
 →下図は私のフルマラソンでの心拍数の推移を描いたもの。上は今回の道マラ時で記録はほぼ4時間半、下は2年前の苫小牧挑戦会時のもので記録はほぼ3時間50分。時間軸を合わせて並べてみた。心拍数が運動の強度の反映、あるいはまた運動による身体への負荷の反映だとすると、走り出して4時間近くになると私の身体は運動負荷に耐えきれなくなってくるのかもしれない。

 

 ということは、フルで4時間以内に帰ってこられるような身体を作る鍛錬が必要だということ(回りくどく言うと、単位時間当たりの運動負荷を上げた走り、あるいは乳酸閾値という指標もあるが、アシドーシスになる手前位の運動負荷で走る練習を重ねてゆく必要があるということ)。
 まあ簡単に言うと、もっと速度を上げて走る練習が必要だということ。これまでのように楽に距離だけ増やしていく練習ではこれが限界なのかもしれない。ふだんの練習に心拍数を運動の強度の指標として積極的に活用し、ビルドアップやインターバルをもっと採り入れるべきなのであろう。なんかあまりにも順当な結論だな~。

3つの疑問(カーボローディング、給食、給水)

2008年10月12日 | 自己分析
★別海パイロットマラソンでの、カーボローディング、給食、給水について

 今年は昨年に比べて走れていない。理由はいくつかあるが、言い訳にはならない。そんな明らかな練習不足の中で臨んだ別海パイロットマラソン。なんとかしなければと思って、今回もまた懲りずに姑息的なことを考えてしまった。それはカーボローディングである。だがそのための食事の準備は自分ではできない。そこでいつものように女房に協力を依頼した。あとは食事量をどれだけ管理できるのかという自分の意思次第となった。

★自験例呈示

 1週前の日曜日に26kmのLSDをこなしてからご飯を少なくして肉類を多くする食事内容に替えてもらった。月・火・水曜日とランはお休み、というか時間の都合がつかなかった。これで前半は体重56kg台をキープ。身体はなんとなく皮膚がつっぱり、動作が硬くてぎこちない感じがした。思考もなめらかさを失い、どこか根気がなく「まあいいかっ」というような調子であった。一番の大きな変化は便が柔らかくなって毎日出づらくなったことであった。
 木曜日の朝に20kmのLSDを済ませてからは、ご飯を多めにして肉類よりも野菜を摂るようにした。ランはせず休養に努めた。思考には柔軟性が戻ってきたように感じた。しかし身体は重く、お腹がもたれる感じが続き、明らかに便秘となった。レース前夜には体重が+3kgとなっていた。これは食べ過ぎの結果と言って良いのかどうか分からず終いであった。排便は無く、非常に気がかりであった。
レース当日の朝、朝食にご飯を2膳、大福を1個食べた。他にサプリメントとしてL-カルニチン(170mg×)3錠、コエンザイムQ10(30mg×)2カプセルを服用。時間をかけてポカリスエット500mlを1本飲む。念じた甲斐あって、レース前に排便有りホッとした。
 レース最中の給食は、パワーバーのジェル(120kcal×)3本、サプリメントとしてアミノバリューBCAA200mg(12.9kcal)1本、シトリックアミノ(23.5kcal)1本、そして途中でバナナ1本分(110kcal)をいただいた。給水は、各ポイントで水ないしスポーツドリンクをコップ2杯分程度いただいた。
 レース中の走りとしては、30km地点までは平均5分30秒/kmのペースで進むことができたが、その後徐々に足が重くなり、ゴール手前では7分/kmにまで減速した。一番困ったのは、35km地点あたりからお腹に水が溜まったように気持ちが悪くなり、吐きそうな気配が続いたことであった。スタート時には丁度良かった、ウエストポーチの締まり具合が最後にはとてもきつく感じられるようになっていた。吐かずに済んだのが何よりの幸いであった。
 レース後、自然排尿があり、心配していた血尿はなく安心した。なお便の性状がふつうに戻ったのは2日後であった。身体のむくみがひけたと感じたのは4,5日後、体重が56kg台に戻ったのは1週間後であった。

★カーボローディングについての疑問

 一番大変だったのは、私のわがままに付き合って食事の準備を担当してくれた女房だったと思われる。まず女房に心からの感謝を申し上げておきたい。次に体験として最も難儀したのは、便の性状が軟らかくなり、毎日スッキリと出なくなったことだ。レース前日に排便が無かった時は心配したが、当日のレース前になって排便がありようやく安心できた。カーボローディングの後半、ご飯中心の食事になってからは、十分に気をつけていたはずなのだが、リバウンドが生じて知らず知らずのうちに食べ過ぎていたのかもしれない。レース前夜にふだんより+3kgも増加していたのにはビックリした。結果的に体重管理の面では逆の効果が出てしまったようだ。レースに対しての影響という点からは、客観的な評価尺度が無いのでなんとも言えない。主観的にはレース終了後にはいつもと同じように強烈な疲労がやってきた。レース中にハンガーノックを経験しないで済んだのは良かったが、実は一度も体験したことがないので、ハンガーノックがどんなものかが分からないというのが正しいところだ。
 今回のカーボローディングは正式・確実なものではなかったが、実際に体験してみて、途中から排便に難儀を感じたこと、レース前夜にかえって体重増加を招いたこと、レースでこれぞという効果を実感できなかったことなどを考えると、果たしてカーボローディングにはそれほどの価値があるのか、私には疑問である。

★給食についての疑問

 今回のフルマラソンで消費したエネルギーはFR301の計測によれば約3000kcalであった。エイドでの給食および携帯食は、レース途中でのエネルギー枯渇(ハンガーノック)への予防対策と考えられる。
 今回のレースでは、私は携帯したパワーバーのジェルを計3本(360kcal)、25km、30km、35kmの各地点で摂取した。また35km地点でバナナを1本(110kcal)いただき、さらに途中でサプリメントから合計36.4kcalのエネルギーを得た。またレース前のカーボローディングで約2000kcalのグリコーゲンを体内に蓄えていたと推測されるので、ブドウ糖に変換されたエネルギーは合計約2500kcalだったと推測される。
 以上を勘案すると今回のレースでは約500kcalの不足となるが、途中で特に空腹を感じたとか、急激に足が動かなくなるとか、意識が遠のくような感じになったということはなかった。
 別海のレースには約1000人のランナーが参加したということであるが、見たところ補食を携帯していると思われるランナーの数は非常に少なかった。先にも述べたが、私自身ハンガーノックというものを経験したことがないので、それがどういうものか分からないが、果たして現実にハンガーノックで倒れる人はどのくらいいるのだろうか。人はランで使用するエネルギーを全てブドウ糖で賄っているわけではなく、有酸素運動で脂肪を分解することによって大量のエネルギーを得ているわけだから、途中でブドウ糖エネルギーを補給する必要が本当にあるのか、私にはちょっと疑問に思えてきた。
 ところでハンガーノック(hunger knock)という言葉だが、和製英語だという説がある。英語ではhit the wall、またはbonkingと言うらしい。

★給水について疑問

 これまでのレースで私は終了後に血尿が出たことが2回ある。今回は各ポイントで毎回コップ1,2杯の給水を意識的に摂った。そのせいか途中でひどい口渇に見舞われることはなかったし、給水が十分であったことの証拠としてレース後に自然排尿が生じ、また幸い血尿も見ずに済んだ。しかしそれ以上に困ったのは、レース終盤にお腹に水が溜まったように苦しくなり、吐き気が続いたことである。ウエストポーチがきつく感じられるほどお腹のあたりが張っていたのは確かだ。このことは給水が過剰だったことを示しているのか、それとも何か他に理由があるのか、分からない。気象条件にもよるのだろうが、フルマラソンの間に果たしてどの程度の給水が望ましいのか、私には疑問となって残った。

回顧と展望

2007年12月16日 | 自己分析

 とうとう、と言うか、ようやく、と言うか、今年の年間走行距離が2000kmを突破した。思い返しても人生でこんなに走った1年は無い。冬の晴れた日には外ランで雪道のLSDをこなし、夜は常夏コースで汗だくになりながらペース走をこなした。早春のグリーンパークでは4時間耐久走で足慣らし。夏には市内1周コースを開拓し、酷暑の中で危うく熱中症になりかけた。例年だったら早々に店じまいする10月にも、とかちeRCでエントリーしたオクトーバーランで距離を踏んだ。とにかく時間を見つけては、機会を見つけては、全てに優先して走りに走った。こんなことはふつうの家庭生活ではあり得ないだろう。本当に家族の理解と応援が無ければ実現し得なかったことだと思う。広いこころで見守ってくれた女房には心の底から感謝である。

 

 

 これだけ走ったのはただひとえに、自分で勝手に宣言した「フルマラソンでサブ4」という今年の大目標を達成するためであった。誰に約束したわけでもないのに、である。冬の走り込みの成果を過信し満を持して臨んだ春の洞爺湖は、終盤失速し惨敗に終わった。その2週後の千歳では、前半の抑え過ぎを後半挽回できず残念ながら目標には届かなかった。本当のところ、春の2レースでサブ4を達成できなかったことは、私にとってはかなりのダメージであった。そして、夏の猛暑は私の練習意欲を大いに失わせたし、秋口からの気候の変化は私の体調を大いに攪乱させた。しかしそれでもなんとか私が軌道を修復できたのは、ジョグメイトの皆さんの暖かい励ましがあったからである。あらためてこの場でお礼を申し上げます。

 

 

 

 

 秋、練習不足から弱気な気持ちで突入した別海は、後半の伸びが見られず全くの期待はずれに終わった。それでも毎回少しずつではあるが、記録が更新されているのは救いであった。そして今期最後の苫小牧、周回コースの3周まではなんとかサブ4ペースで進んでいた。が、最後の周回で苦しくなり、力を抜こうと思った矢先、また辛い1年が始まるというイメージが急激に沸き起こり、知らぬ間に激走してゴールラインを超えていた。あっけないサブ4達成の瞬間であった。ふだんから「根性なし」を自認し、スポーツでの精神力を横目で見ていた自分が、最後の最後に気づくまもなく「根性」でサブ4を達成していたのは、なんとも皮肉なことだった。

 

 

 あれからもう1ヶ月以上が過ぎた。今日は今期初の雪道外ランでスノーランナーを履き下ろし、2000kmを達成させた。しかしあの苫小牧の後からは、何故か腑抜けのような毎日が続いている。これが「燃え尽き」というものなのだろうか。この1年を経験してみて、今年のように走りに徹する日々は今後もうやってこないだろうと思える。自分の走りの能力の全てがこの1年間で展開され尽くしたように思える。もうこれ以上、少なくともタイムを目標にした自分の走りの展望が見えてこないのである。走るとしたらもうイベントや観光目的の「ファンラン」でしかないのだろうか。

 

 

 そう思うと、そこから照り返されるように私の心にハッキリと見えてくることがある。マラソンはよく人生に喩えられる。それはマラソンが短距離走に比して長丁場であることや、平坦で単調なトラック競技に比べてコースが変化に富んでおり、他のランナーとのいろんなかけひきがあることなどが理由なのかもしれない。しかし私にとってのマラソンとは、タイムなりペースなり心拍数なり、とにかく自分で設定した自分の極限目標に、心身一如となって、前傾姿勢で向かっていくことであり、その投企的態度故に人生に喩えられるのではないかと思うのだ。だから私が「ファンラン」に向かうとしたら、その時そうした態度を維持していけるのかどうかとても心許ない。おそらくその時はもはや自分の中でマラソンランナーであることを降りている時なのではないかと想像している。