ザ・名も無きランナー

50才から始めたマラソン。こころと身体が一つになって燃焼している感じが好きです。楽しんで走っていきたいと思っています。

マラソン・血尿・酸化ストレス

2007年11月21日 | 参考資料

 マラソンを走った後に血尿を見る人は少なくないらしい。ネットで「マラソン、血尿」で検索してみたところ、相当な数の該当サイトが見つかった。自分のことでもあり気になったので調べてみた。

 資料(1)によれば、マラソンでの血尿の頻度は50~70%と報告されており、原因としては、ランニングによる腎臓の激しい上下動、赤血球の糸球体透過の亢進、膀胱への反復する衝撃、下肢の血管内での溶血(=ヘモグロビン尿)、下肢の横紋筋挫滅(=ミオグロビン尿)などと考えられている。多くは自然に48時間以内に消失する良性の血尿で、通称スポーツ血尿と言われ、なかにはストイックな走りの象徴と考える向きもあるらしい。しかし時には重篤な横紋筋融解症の兆候であったり、潜在する尿路系疾患の初期症状であったりする場合もあり、注意が必要だ。

 私はこれまでマラソンに限らず運動の前にはしっかりと排尿し膀胱の尿をすべて出し切ろうと考えてきたが、資料(2)によれば、膀胱への衝撃による膀胱内部での出血を防ぐためには、走る前に膀胱を空にしない方が良いのだという。もちろん脱水予防のためにも十分な飲水が必要なことは言うまでもない。

 さらに先日、私が趣味で走っていることを知っている内科の先生の医院に、インフルエンザの予防注射を受けに行った際、上記のマラソン後の血尿について話したところ、貴重な資料(3)を渡されあまり無理しないようやんわり注意された。簡単に説明すると次のようになる。

 私たちは生きている限り、肺から酸素を取り入れ、心臓のポンプ作用により血液を介して酸素を全身の組織に送り込み、各組織はその酸素を利用してエネルギーを産生し生命活動に使用している。このとき酸素の数%は活性酸素になっている。活性酸素とは空気中の酸素とは異なり非常に反応性に富む酸素であり、過剰になると組織損傷を引き起こし、それが疾患、老化、発癌の原因となる。運動時には呼吸による酸素摂取は通常の10~15倍に増え、筋組織への酸素流量は安静時の100倍にも達するので、組織での活性酸素発生も増量していると考えられることから、組織損傷の危険性も高まっていると想定される。しかし生体には活性酸素を消去・不活化してしまう機構が備わっているから、急激に大きな組織損傷が生じることはないものの、このバランスが崩れた時には組織への損傷が生じてくると考えられる。そうした状況に傾いた状態のことを酸化ストレスと呼ぶ。しかしそのバランスの崩れがどのような状況で生じてくるのかはまだ完全には分かっていない。

 ただ少なくとも運動時には全身が酸素過剰の状態にあり酸化ストレスに晒されている危険性があるわけだから、「抗酸化物質を摂取しておくこと、あるいは自分の能力を超えた運動はしないようにするのが望ましい」というのが先生の私に対するご意見と思われた。ちなみに抗酸化物質とはビタミンE、ビタミンC、そしてユビキノンなどである。また調べたところによると、動物実験ではあるが酸化ストレスによる腎障害を示唆する恐ろし気な研究報告(4)もあった。最後に資料(5)には極めつけの言葉が書いてあった。「人間の身体はノンストップでフルマラソンを走れるようにはできていない」のだと…そうかしらん?。


(1)スポーツ血尿に潜在する横紋筋融解症の遺伝要因とそのマススクリーニングhttp://www.adm.fukuoka-u.ac.jp/fu844/home2/Ronso/Igakubu/v34-3/v34-3-06.pdf#search='marathon%20hematuria'

(2)Exercise induced macroscopic haematuria:run for a diagnosis? http://ndt.oxfordjournals.org/cgi/content/full/14/8/2030

(3)運動と酸化ストレスと健康 http://www.taiiku.tsukuba.ac.jp/inst-hss/bulletin_pdf/25/1-11.pdf

(4)アルドステロンによって生じる腎糸球体病変と酸化ストレスを介したmitogen-activated proteinキナーゼの活性化 http://wwwsoc.nii.ac.jp/jacp3/13kai/13kai-program/Li_Yao_doc.pdf#search='%E9%85%B8%E5%8C%96%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AC%E3%82%B9%20%E8%85%8E%E9%9A%9C%E5%AE%B3'

(5)Marathons http://lammd.com/opinion/marathon.cfm

 



 


コンコーニ・テスト

2007年11月10日 | 参考資料

 たしろさんのブログ「燃え尽きるまで」の記事(噴出する妄想あれこれ)で紹介されたコンコーニ・テストについて、下記のホームページを参考に簡易な解説を試みる。


<1> Conconi Test:http://www.brianmac.co.uk/coni.htm
<2> THE CONCONI TEST:GENERAL INTRODUCTION:
http://web.inter.nl.net/hcc/j.vd.bosch/congeneral.html


1.基礎となる理論仮説について
 筋肉はふつう炭水化物(グリコーゲン)と脂肪(脂肪酸)を燃焼(酸化)し水と二酸化炭素にまで分解する過程で得られたエネルギーを運動エネルギーとして利用している(=酸素性運動)。運動負荷が高くないこの酸素性運動の範囲内では、運動強度と心拍数との間には直線的な関係がある。
 しかし運動強度が大きくなると酸素を必要としないエネルギー産生(=無酸素性運動)、つまりATPの分解やブドウ糖から乳酸への代謝が高まり、運動強度と心拍数との関係に変化が生じ、直線的関係からのズレが生じてくる。
 そこで一定の距離ごとに少しずつ速度をあげて走り、その時の平均心拍数をグラフ上にプロットすると、酸素性運動から無酸素性運動に変換するあたりで直線が屈曲し平坦化してくる。このポイントを無酸素性運動閾値とする、というのがコンコーニ(フランチェスコ・コンコーニ、イタリアの生化学者)の考えである。
 
2.無酸素性運動閾値の意義
 今日、無酸素性運動閾値のおおよその指標として次のものが知られている。
 ① 210-年齢(ただし十分にトレーニングを積んだ人の場合)
 ② 15km走での平均心拍数
 ③ PIAT-TEST
 ④ 乳酸濃度の測定
 ⑤ コンコーニ・テスト
 無酸素性運動閾値は持久系競技のアスリートにとってトレーニングでの運動強度の限界を決める指標となるだけでなく、心拍数を利用したトレーニングの有用な目安ともなりうる。一般的には「無酸素性運動閾値-20」が酸素性運動閾値の良い指標とされている。

3.実際のテスト方法
 A.トラックでの場合
 ① 5~10分のウォーミングアップ
 ② ハートレートモニター(HRM)を5秒ごとに記録するようにセット
 ③ HRMの計時を開始
 ④ 200m毎にタイムと心拍数を記録する
 ⑤ 200m毎にスピードを上げる
 ⑥ それ以上そのスピードで走れなくなったら終了
 ⑦ HRMを止める
 ⑧ 10分間のクーリングダウン

 B.トレッドミルの場合
 ① 5~10分のウォーミングアップ
 ② HRMを5秒ごとに記録するようにセット
 ③ 適当なスピードでトレッドミルをスタートさせる
 ④ HRMの計時を開始
 ⑤ 200m毎にタイムと心拍数を記録する
 ⑥ 200m毎に0.5km/hずつスピードアップさせる
 ⑦ 最大心拍数に達したか、それ以上走り続けられなくなったら終了
 ⑧ HRMを止める
 ⑨ 10分間のクーリングダウン

4.データの分析
 縦軸に心拍数、横軸にスピードを目盛り、200m毎のデータをプロットする。グラフ上で直線が平坦になって移行しているあたりが閾値である。

=参考HP<2>の図より=

ichanさんのコンコーニテストのデータを拝借>


5.コンコーニ・テストの問題点
 ① 言うは易く行うは難し!
  200mごとにスピードアップさせるのは可能としても、一律に0.5km/hずつアップさせ、なおかつそれを次の200mの間一定に維持し、それを次々と繰り返していくというのは、一人で実施するにはあまりにも難しい。そうしたペース配分の設定可能なトレッドミルがあれば理想的だが、そのようなものが果たしてあるのかどうかは私は知らない。一定時間毎に頻度が上昇していく音源をウォークマンなどに録音して取り込み、その音信号に合わせてピッチを刻んで走る、という方法も考案されているようだ。

 ② 背景となる理論仮説は本当に正しいのか?
 筋肉のエネルギー代謝については以前のブログ(修正:運動時のエネルギー代謝について(11))でも紹介したが、運動負荷が高まるにつれて最初は酸素性運動であるものが、ある一定レベルを超えると急に無酸素性運動に切り替わる、というような単純なものではないらしい。そうだとすると、かつてのエネルギー代謝仮説に基づいたコンコーニ・テストの妥当性が疑わしくなる。このテストで示される変換点がいったい何を意味しているのか、再考の余地があるのではないかと思う。


第19回フルマラソン挑戦会

2007年11月04日 | 完走記

 ビジネスホテルに前泊した。朝6時に起床。背中に背負って走る給水用のスペシャルドリンクを作りplatypusに詰める。おにぎり二個とパンを二つ、簡素な食事を摂る。入念にトイレを済ませ、部屋の床でいつものストレッチを実施。7時半、ホテルを出る。晴れだ、寒い。路線バスも通っていない初めての場所なのでタクシーを探すが、休日の朝は車通りが少ない。向かいの大層立派なホテルの前に待機中のタクシーが1台いた。ラッキー、これで荷物を背負って駅まで10分歩かずに済んだ。

 約10分で現地到着。地元の運転手さんも知らない大会だったが、会場の駐車場には自家用車が集合し、人もずいぶん集まっていた。運転手さんも驚いていた。受付でナンバーカードをもらった。見たことのあるナンバーだった。184、「いやよ」と読める、携帯の非通知設定の番号だ。縁起も何も考える必要はないと、クールに割り切る。ジンギスカン小屋に陣取り、ゼッケンをピンで留め、命綱のバックパックを準備し、靴を履き替え、周辺を7分ほど大股で散策。下草は露に濡れ、吐息が白かった。8時10分、予定通り説明会が始まる。最初に人工池を2周し2.195キロを走ってから、10キロの周回コースに出て行き、これを4周してゴールとのこと。周回コースでは5キロごとに本部前を通過することになるようだ。地図を見てもさっぱり分からなかったが、どのみち付いて行くだけだから心配は無用。注意事項等の説明が終わると、10分後にスタートとの案内、ひえ~っ。トイレに急行し、ウィンブレを脱いで、ガーミンセンサーを胸に着け、バックパックとウエストポーチを装着。ガーミンのスイッチを入れるが、初めての場所なので探知に時間がかかる。そのうちに8時30分の出発時刻となる。出走地点は池の対岸だ。まだそちらに走って向かっている人がたくさんいる。私もその後に続いた。申し訳なく後方横の外れに並んで遅まきながら屈伸を繰り返す。参加者は200人くらいだろうか、スタート時のタイムロスはほとんど無いと思われた。

 と突然なんの前ぶれもなく号砲、8時33分過ぎだった。いつものように暫くは団子状態が続くが、それほどペースが遅いわけではないので、少しずつ前に出ながら流れに沿っていく。しかし周回コースに出ると完全なる一本道となり、強制的に1列縦隊をとらされる。これには度肝を抜かれた。それでも前のランナーのペースが遅いと見るや抜きに出て、後ろの速いランナーには抜かされた。それを次から次と繰り返すのである。途中折り返し地点が2カ所ある。その後池の外周に戻って、本部前を通過した。ここが7キロ過ぎ地点と思われ、ラップを確認した。<7キロ:38分30秒、5分23秒/km、154bpm>

 時間の感覚がいつもと違うので分からないが、ペースも心拍数もまあまあと判断。次の5キロは公園内の歩道であった。こちらは前半よりもいくらか歩道の幅が広い。ここでも順位の入れ替わりはあったが、ランナーはだんだんとばらけていた。ここでも折り返し地点が2カ所あった。最後に土の路面のコースがあってゴール地点となる本部前にさしかかった。どうやらこれを繰り返すようだ。<12キロ:1時間04分02秒、25分32秒、5分18秒/km、157bpm>

 スタート時にはロンタイに長袖Tシャツに半袖Tシャツを重ね着していたが、朝の説明会で最高気温13℃の予報と聞いたとおり日向はかなり暑く、たまらず袖をまくった。よく見ると最初からランパン、ランシャツの強者もいる。朝には霜が降りて真っ白だった芝生のコースは踏みしめられてすっかり濡れていた。給水対策は万全であったが、レースとなるとなかなか補給のタイミングがつかめなかった。というか私のようなバックパックを背負って走っている人は他にいなかった(ので、多少気恥ずかしい思いもあったのかもしれない)。<17キロ:1時間30分42秒、26分39秒、5分23秒/km、156bpm>

 練習の時はこの位の距離の時が一番気持ちよく走れていた。しかし今日はそんな軽快な感じが無かった。なんか重い体を移動させている感じであった。ペースが速いのかもしれない…という気がした。でも洞爺湖の時ほどには飛ばしている実感はなかったし、心拍数もそれほど高くはないようだったので、そのまま行くことにした。途中、マウス部分を落下させ、ちょっと戻って拾うという失態を演じた。20キロすぎと思われるあたりで、アスリートソルトを1粒口に含んだ。<22キロ:1時間56分14秒、25分32秒、5分20秒/km、159bpm>

 約半分経過した。体は重く、いつまでもつのか不安になる。ここでパワージェルでエネルギーを補充した。今回は少しずつゆっくりと味わうように摂取した。だんだんと折り返し地点での折り返しが負担になってくる。ほとんど一直線でコーンの周りをUターンしてくるというのは、スピードをいったん緩め急なターンの後でまたすぐにスピードを上げるという作業の繰り返しになり、なかなかきついものである。<27キロ:2時間23分02秒、26分48秒、5分27秒/km、158bpm>

 いよいよ第一の壁、30キロがやってきた。ここまでくると流石に体は疲れていた。これからが勝負の時となる。前から落ちてくるランナーが次々と現れてきた。いつ私の番になるのか分からなかったが、重い体をなんとか引きずって走った。向かい風がだんだんときつく感じられた。思い出したようにアスリートソルトを1粒噛んでたっぷりと水を補給した。<32キロ:2時間49分39秒、26分36秒、5分35秒/km、159bpm>

 あと1周だ。時間的にはなんとかなりそうに思えたが、洞爺湖の時もそうだったから、結果については何も考えないようにした。第二の壁35キロがやってきた。きつかった。そろそろエンストだと気づいてパワージェルを1本摂った。股関節が軋んできていた。思うように足があがらない。本当に折り返しがきつく、ターンしたら前のランナーとの差が広がっていた。ペースが落ちてきているのが分かった。ただただ自動機械のように走るしかなかった。<37キロ:3時間19分49秒、30分09秒、6分10秒/km、156bpm>

 前のランナーとの差が開くだけでなく、後ろからのランナーにも抜かれるようになってきた。いよいよ私の番がやってきたのだ。ガーミンをチラッと見たとき、ペースが7分を示していた。「ああ~駄目だ」、と力を抜いてしまいたい衝動に駆られた。「力を抜いたら楽になる」。その瞬間「また辛い1年が始まる」との思いが頭の中を突っ切った。途端に私は必死になっていた。確かに足は十分に上がってはいなかったと思う。なぜならやはり何人かのランナーに抜かされたから。でも気持ちは前に向いていた。スピードが続かなくても何度も諦めずにスパート繰り返し、決して自らスピードを緩めようとはせずに走り続けた。最後の土のコースでは歯を食い縛り、くしゃくしゃの顔でスパートした。心不全で倒れそうだと頭が感じていた。後で確認したらこのレースで最速のスピード3分26秒/kmを記録していた。そのままゴールを通過。係員に「ここでゴールですからもう走らなくていいですよ~」と声をかけられた。<ネット記録:3時間50分14秒、30分25秒、6分21秒/km、154bpm>

 ジンギスカン小屋に戻ってしばらく休憩した。寒くて体がブルブルと震え、気持ちが悪かった。本当に必死でがんばるというのはこういうことだったのかと思った。これまではずいぶん簡単に諦めていたのかもしれない、とかちeRCで取り組んだオクトーバーランが効果的だったのかもしれない。主催者側が用意してくれた温かいココアを飲みパンをゆっくりと食べながら、呆然とあたりを眺めながら、とりとめなく考えていた。後でチェックしたらバックパックの水は半分しか減っていなかった。そのせいか案の上、レース後の排尿は赤みを帯びていた。飲水の要領は最後まで掴めなかったということだ。

 ネットで見る限りこのレースの距離はいくらか短いのではないかという噂がある。確かに私のガーミンのGPSによる計測では約1キロ少なかった。しかしこのコース、折り返し地点が4カ所ある(うち1カ所は信号機の真下)。だから完走までに16回の折り返しを行うのである。経験的にGPS計測は折り返しの距離測定に弱くて短く出る。そして信号機の近くで飛んで短縮する。ガーミンで距離が短く計測されのは仕方のないことだと思う。実際の距離に関して異議を唱えるのは、主催してくれた苫小牧トライアスロン協会に対して失礼に当たるので、私にはこれ以上のことは何ともコメントのしようがない。しかし距離に多少の誤差があったとしても、この時期にこうした大会を主催してくれた苫小牧トライアスロン協会の皆様方の努力にはこころから敬意と感謝の意を表したい。そしてこのフルマラソン挑戦会は、これからも私にとっては忘れられない大会となった。何故ならそれは私が初めてそして唯一サブ4を達成できた大会だから。苫小牧トライアスロン協会の皆様方、大会を主催してくださって本当にありがとう。