ブログ雑記帳

日々の雑記帳です。オストメイトに関することや、パソコン、散歩など、日々の出来事について気が向いた時に書いています。

沖縄に旅行

2014-01-30 17:12:59 | 旅行
1月21日から24日まで沖縄に旅行。
21日の午前に中野を出発し、JRやモノレールを乗り継いで羽田に。
搭乗手続きを済ませ昼食を取ってからスカイマークで那覇空港に。
スカイマークは大抵遅延するが、ANAやJALより安いので、最近はいつも利用している。
今回も30分程度遅れ。
那覇空港ではレンタカー会社に送迎車に来てもらって営業所にいき、
レンタカーを借りて高速道路を通って北部の恩納村に向かう。
このレンタカー会社は比較的安いのだが、カーナビの地図に新しいバイパスが載っていないのが残念。

恩納村のヤマト運輸の営業所で先に送っておいた荷物を受け取って、
1日目に宿泊する恩納村希望ヶ丘のペンション・ウィークエンドに。
ペンション・ウィークエンドは海が見える好位置にある。


荷物を置いてから万座ビーチ近くの「あぐーの隠れ家」なるしゃぶしゃぶ料理の店で夕食をとり
ペンション・ウィークエンドで宿泊。

22日はペンション・ウィークエンドを朝出発。
万座ビーチ近くのANAインターコンチネンタル 万座ビーチリゾートで朝食を取ってから
希望ヶ丘にもどりペンション・スターリーハウスへ。

ここは、前は親戚の別荘だったが今は地元の人を管理者にして貸別荘として使用している。
夏場は結構繁盛しているが冬はほとんど客がいない。


庭はきれいに掃除している。玄関のベンガルカズラの花が美しい。辛うじて海も見える。


野良猫がうろついていた。去年来た時と同じ猫かもしれない。l

近所の家の彼岸桜が満開。

近くのりゾートホテル「かりよしビーチリゾート・オーシャンスパで昼食。
ここは丘の上にあるが海もよく見える。


午後はスターリーハウスの管理者と打ち合わせ。
希望ヶ丘の貸別荘を今までの2軒を4軒に増やしたとのこと。
増やした1軒(Fiore)はスターリーハウスの前にあるがもう1軒の貸別荘KARINの場所が判らないので探索した。
表札はないがそれらしい建物が見つかった。新築でしゃれた感じ。

夕食は名護の海岸近くのRyukyu Dining 家守家YAMORIYAに。
名護近辺の人が利用する少ししゃれたダイニングというところか。

スターリーハウスにもどりパソコンで「飢餓海峡」という日本映画を観てから就眠。
「飢餓海峡」はシリアスで重たい。

23日の朝食は近くのリゾートホテル ザ・プセナハウスに。
ここは海岸にあり海が美しい。

冬なので野外プールは休業だったが、客の一人が足を踏み外したのか
プールの中に落ちたのにはびっくり。
幸い直ぐに救助されたが服は濡れたと思う。

午前はうるま市の知人宅を訪問。

沖縄市のプラザハウスショッピングセンタ^にある中華料理屋で昼食。
プラザハウスは今では小規模だが1954年開業の日本で初めてのショッピングセンターとのことだ。

プラザハウス近くの比屋根にある土地に。雑草だらけで入れないところが多い。
陳情のおかげで、県への売却地との境に金網を設けてあった。
この土地は海が見えて眺望は良いが周りにラブホテルがあるのが難点。


琉球大学近くの南上原の土地を観る。ここも背丈を超える雑草だらけだが一部は刈ってある。

このあたりは区画整理され公園も整備されている。海も見えるところも。

帰りは恩納村の南の端にあるルネッサンスリゾート沖縄でコーヒーを飲んでからスターリーハウスに帰る。ルネッサンスリゾート沖縄は駐車場が不便なのが難点。

夜は恩納村の沖縄料理の店ル・ソレイユで夕食。

スターリーハウスにもどりパソコンで「浮雲」という日本映画を観てから就眠。

24日は最終日。食事はスターリーハウスで。9時半に清掃業者が来たので指示をして、
荷物を近くのローソンから宅配便で送って帰路に。
高速道路で首里城近くの識名園近くの墓地に。家内の祖先の墓がある。
この墓地は小さな家の形の墓が多いが岩窪に造られている。
最近手入れしたようで雑草が刈られていた。

昼飯を取ろうとして首里城近くのガイドブックで見つけた首里そばという琉球そばの店に行ってみたものの、人気店らしく行列ができていて待たされた。
味はまあまあ。

レンタカーのガソリンを満タンにしてレンタカー会社の営業所に返却し、送迎車で那覇空港に。

時間が余ったので空港ビルの滑走路の見える喫茶店でコーヒーを飲む。。
軍用機を含め多数の飛行機が発着していた。
那覇空港は全国有数の繁忙空港のようだ。

空港は修学旅行生が多い。
冬の閑散期なので、航空会社やホテルが格安で修学旅行を誘致しているのかもしれない。

スカイマークに搭乗。予定通り17時に出発。ただし偏西風の追い風が予想以下だったということで
いつもどおり30分程度遅れ、19時半ごろ羽田に到着。
空港で夕食を取って中野に帰った。


両国の江戸東京博物館で大浮世絵展を観る

2014-01-19 11:29:05 | 散歩
両国の江戸東京博物館で大浮世絵展を観る

1月16日の木曜日に両国の江戸東京博物館へ。
JR中野駅から中央線快速と総武線を乗り継ぎ両国駅で下車。
江戸東京博物館は徒歩3分。

大浮世絵展が開催されている。

日本国内および世界各地から有名作品を集めた展覧会とのこと。
大英博物館、ベルリン国立アジア美術館、ホノルル美術館、シカゴ美術館などの作品も。
確かに有名な絵が目白押しですごい。

江戸前期の浮世絵以前の肉筆画では風俗画の箱根屏風など

浮世絵初期では菱川師宣の「見返り美人図」や勝川春草役者絵(シカゴ美術館)など


浮世絵全盛期では写楽の役者絵、歌麿の美人画、北斎の富士山の絵、広重の橋に夕立の絵など有名な浮世絵がそろっている。




明治になってからの橋口五葉の浮世絵も見られた。


常設展に回る。
巨大な江戸や東京の建物が再現されている。


だんじりや菱垣廻船の模型も。


女乗物は将軍家で使われた本物。

江戸の街並みの模型も面白い。

指物屋の家の実物大の模型も。

江戸名所案内など大きなな屏風も展示されている。

オランダ正月の絵は有名。

草紙などの庶民的な本も展示されていた。


別室では東海道五十三次の特集。

安藤広重の浮世絵が中心。

日本橋の朝立ちの絵、蒲原の冬の雪、庄野白雨、京都三條大橋など五十三次がすべてそろっていた。




東海道膝栗毛を参考に描いたらしい。

東京コーナーでもニコライ堂や銀座、浅草十二階の模型。



戦争で落とされた不発弾の模型も展示されていた。

奈良佐保路から京都建仁寺に

2014-01-11 19:16:55 | 旅行
1月3日は奈良の新大宮のビジネスホテルを出て近くの佐保路に。
新大宮駅のコインロッカーに荷物を預けて佐保路の海龍王寺に。
徒歩で約20分。交通量が多い路を通ったため遠く感じる。

入口の山門は室町時代の築とのことだが台風の被害にあい修理中だった。

山門から両側を築地塀に囲まれた参道。

境内には本堂、西金堂、経蔵の建造物。
本堂は江戸時代だが西金堂は奈良時代の建物。経蔵は鎌倉時代。




西金堂には高さ4メートルの五重小塔が安置されている。奈良時代のもの。


隣の法華寺へ。
法華寺は奈良時代には日本の総国分尼寺とされた尼寺で光明皇后が開祖。
本堂は江戸初期に再建されたもので本尊の十一面観音像を安置する。

鐘楼は江戸時代初期の建造。

横笛堂は鎌倉時代の建物で平家物語に登場する横笛に縁があるお堂。

裏手の光月亭は江戸中期の茅葺の建物。

東側には多数の柿や草花が植えられた華楽園がある。

やや疲れたので新大宮駅までタクシーで戻り、コインロッカーの荷物を受け取ってから近鉄急行で京都駅へ。

JR京都駅の新回線改札口に人が群れていたが帰省帰りの混雑と気に留めずに通り過ぎ、
コインロッカーで荷物を預けてからバスで建仁寺に向かう。
建仁寺は臨済宗建仁寺派大本山の総本山、開基(創立者)は源頼家、開山は栄西。
境内は非常に広い。
北から入ったのだが、南の端には勅使門があり正式にはこちらから入るようだ。

南北に三門、法堂、本堂などが並んでいる。



東西にも栄西の墓所がある開山堂など多数の建物がある。


方丈に入る。
方丈の前は枯山水の庭がある。


いずれも複製だが、有名な風神雷神図や雲竜図、竹林七賢図、花鳥図、琴棋書画図、などの屏風画、障子画も見ることができる。
風神雷神図

雲竜図

竹林七賢図

花鳥図

琴棋書画図

東陽坊などの茶席もある。

裏には○△□乃庭なる庭も。

法堂の天井には双龍の絵が描かれていた。

祇園にから四条通りを歩き四条河原町に。
どこも異常に混んでいる。

バス停も以降に混んでいたので。阪急で四条烏丸まで行き地下鉄に乗り換え京都駅へ。
京都駅地下で夕食を取って新幹線に乗ろうとしたら。
東京の火災の影響で大幅遅れ。

幸運にも予約していた列車は1時間遅れ程度で京都駅を発車したが、途中で遅れがさらにひどくなった。
品川で下車して新宿経由で中野に帰ったのは夜中の0時半ごろだった。

法隆寺から慈光院を廻る

2014-01-10 12:43:10 | 散歩
1月2日は法隆寺から慈光院を廻る。

前日の夜、奈良のビジネスホテルで宿泊したが、早朝3時ごろに一騒動があった。
夜中にふと気がつくと、寝ているベッドの布団の窓際近くがかなり濡れている。
どうやら窓の上の梁から、水滴が布団の上に垂れているようだ。
風呂の戸をあけていたため、部屋に湯気が入り、
窓ガラス近くの冷気に冷やされて結露したのが原因らしい。
梁だけでなく窓自体や周りの壁も水で濡れていた。
必死にタオルで梁についた水をふき取り何とか一夜を過ごしたが、やや寝不足。

このホテルも近鉄の線路の直ぐ脇に位置しているので窓から近鉄の電車がよく見える。


ビジネスホテルの朝食は文字通りのコンチネンタル・ブレックファストでパンとコーヒーだけ。
安いので文句は言えないが。

JR奈良駅までタクシー。徒歩15分なので歩いても良い距離。
JR大和路線にのり法隆寺駅で下車。バスで法隆寺へ。
南大門から入る。

法隆寺の境内は広い。
中門は飛鳥時代のもの。左右の金剛力士像は奈良時代のものだが日本最古。

中門の中が西院伽藍。
西に五重塔、東に金堂。いずれも飛鳥時代のもの。


金堂の中には飛鳥時代などの古い仏様が安置されている。

奥の大講堂は平安時代に落雷で焼失して再建されたもの。

金堂や五重塔に延焼しなかったのが不幸中の幸いかもしれない。
平安時代の薬師三尊像や四天王像が安置されている。
西院伽藍の回廊は大部分奈良時代のもの。


西院伽藍の東の大宝蔵院は平成に建てられたもので有名な百済観音や夢違観音、玉虫厨子、橘夫人厨子など多数の社宝を公開している。


いったん南大門から境内の外に出て昼食をとってから、再び境内に入り、
東大門から東院伽藍へ。


八角形の夢殿は飛鳥時代の建物。
秘仏の救世観音などが安置されている。

隣の中宮寺に回る。
本堂は1968年に建てられた和風の現代建築。

本尊は飛鳥時代の木造菩薩半跏像。天寿国繍帳の残闕も貴重なものとのこと。


法輪寺は中宮寺から徒歩15分。

ここも飛鳥時代に創建された寺とのこと。
三重塔は日本最古だったが1944年の落雷で焼失して再建されたもの。

金堂は江戸時代の再建。

講堂も江戸時代の再建。講堂には飛鳥時代の薬師如来などの仏様が安置されている。


徒歩10分で法起寺。

三重塔は706年建立で現存最古のもの。本堂は江戸時代再建。


収蔵庫には平安時代の十一面観音菩薩立像が安置されている。

法起寺から慈光院に向かう。徒歩で20分以上。
慈光院は江戸時代の大名で茶人の片桐石州が創立した禅宗の寺。
寺としてよりも境内全体が一つの茶席として造られている。

坂道を上がって一之門をはいる。
茨木門までの暗い参道は印象的。

茨木門は慈光院の山門で茅葺き。

重文の書院は農家風。入母屋造の茅葺屋根。

書院で抹茶をいただく。

書院からの奈良盆地の眺望が素晴らしい。

庭園は白砂の中にツツジなどの大刈込があり、その向こうには奈良盆地が広がる。

茶室も重文。

本堂内の天井には墨絵の龍が描かれていた。鳴き竜をやってみた。

帰りはJR大和小泉駅までバス。JR大和路線にのりJR奈良駅で下車。
三条通りで夕食を取り近鉄奈良駅から近鉄で新大宮駅まで戻り、元のビジネスホテルに帰る。

大和の三輪明神と室生寺に初詣

2014-01-08 15:59:39 | 旅行
1月1日の元旦の大和八木のビジネスホテルで朝を迎える。
近鉄の橿原線が側を走っているので電車の音が頻繁。

部屋に朝食を運んでもらうスタイル。
やはり元はラブホテルなので食堂がないようだが、安いのでぜいたくは言えない。

最初に三輪明神(大神神社)に向かう。

大和八木駅まで歩き、荷物をコインロッカーに預けて近鉄大阪線で桜井駅に。
桜井駅では三輪明神(大神神社)行きのバスが頻発していた。

バス停からの参道は人が多い。
露店も結構出ている。


三輪神社の参道の両側には緑が多い。

しめ縄のような鳥居が珍しい。奥には三つの鳥居をくみあわせたような三つ鳥居もある。


三輪明神は日本最古の神社ということだ。
大和朝廷の成立期、このあたりを本拠地としたときに、この地に土着していた神を祀ったとのこと。
御神体は三輪山そのものとのこと。

「なでうさぎ」には人が群がっていた。

近くに狭井神社に。ここもしめ縄のような鳥居がある。

檜皮葺きの拝殿が美しい。

三輪明神の御神体の三輪山の登り口がある。正月は登山禁止。普段は登れるが飲食、喫煙、写真撮影とのこと。


バスで桜井駅に戻り、室生寺に向かう。近鉄大阪線に乗り室生口大野駅で下車。バスは40分後というので
奮発してタクシーに乗り室生寺に向かう。
途中の大野寺の対岸に大岩壁に刻まれている弥勒磨崖仏を観ることができた。


寺前で山菜定食を食べてから室生寺に。
やはり不便なので境内に人は少ない。
仁王門を通り、急な階段を上がる。

右に金堂。屋根は柿葺。釈迦如来像や十一面観音像など平安初期の国宝・重文の仏様を観ることができた。
あるいは正月の特別公開かもしれない。柿葺の建物も国宝。

左の弥勒堂も柿葺きで重文。国宝の釈迦如来などの公開されている。


さらに階段を登り本堂に。本堂は檜皮葺き。灌頂という儀式を行うための堂とのこと。

さらに奥には有名な五重塔がある。法隆寺に次ぎ2番目に古い五重塔だが非常に小さい。

奥の院に行くのは階段が急なためあきらめて境内から出て寺前でコーヒーを飲んでからバスで室生口大野駅へ。
近鉄大阪線で大和八木駅へ。いったん駅の構外に出てロッカーから荷物を取り、近鉄橿原線で大和西大寺駅へ。
近鉄奈良線に乗り換え隣の新大宮駅で下車してビジネスホテルへ。

夕食は新大宮駅近くの居酒屋で取った。

京都の鷹峯を廻る

2014-01-06 20:41:55 | 旅行
年末の12月31日、関西の実家に行く途中、京都で下車して洛北の鷹峯を廻る。

31日の朝早くJR中野駅から東京駅に出て新幹線に乗る。
新幹線から富士山がよく見える。京都駅で下車。
JR京都駅から鷹峯に直行するバスはないので四条大宮経由のバスに乗り、
四条大宮で下車して玄琢行きのバスに乗り鷹峯行きにバスに乗り鷹峯の源光庵前で下車。
四条大宮でのバスの乗換え時間は比較的短かくて済んだが、洛北までバスのみで行くのは結構時間がかかる。
鷹峯は昔、母方の祖父・祖母が一時住んでいたところだが、良く覚えていない。

鷹峯では最初に源光庵を見学。

源光庵は大昔、学生時代に友人に誘われて1回だけ座禅をするために来たお寺だと思うが、定かではない。
ここは曹洞宗の禅寺で本堂は江戸時代の建築。

丸窓と角窓がありそれぞれ悟りの窓、迷いの窓と呼ばれているとのこt。

天井の血天井は伏見城の遺構で、関ヶ原の戦いの直前、徳川家の家臣の鳥居元忠らが
石田三成に破れ自刃したときの血の跡が残っている。

血染めの足跡や手形もある。

亡くなった鳥居元忠一党の魂を冥福するため、血痕の残された床板が源光庵にも奉納されて天井に使われたとのことだが私にはやや悪趣味にも思える。
襖の絵も美しい。

枯山水の庭もある。


近くの光悦寺に。
光悦寺は江戸初期の芸術家である本阿弥光悦の屋敷跡を寺としたもの。
本阿弥光悦は書、陶芸、漆芸、出版、茶の湯などにも携わった日本では珍しいマルチアーティストで
鷹峯に芸術家村を築いた。又琳派の創始者の一人として後世に大きな影響を与えているとのこと。

光悦寺の境内には茶室が7つもある。

徐々に高さが変わる光悦垣は有名。

光悦の墓所もある。

最後に常照寺に。

ここは江戸時代の京都・島原の名妓の二代目吉野大夫が寄進した吉野門や吉野大夫の墓があった。


バスで地下鉄北大路駅に出て、駅の近くで昼食を採ってから、地下鉄でJR京都駅に出てJR新快速で大阪に。
大阪梅田から阪急電車で今津線の門戸厄神駅近くの実家を訪問して夕食を食べ、夜、大阪梅田に戻り、
JR環状線で鶴橋に出て近鉄大阪線で大和八木駅に。近くのビジネスホテルで宿泊。
ラブホテルを改造したホテルだが部屋が広いので文句を言ってはいられない。