Don't Let Me Down

日々の雑感、引用。
言葉とイメージと音から喚起されるもの。

記憶よ、語れ

2009-10-02 00:04:49 | 日記

★ 市街電車の音や絨毯を叩く音の拍子が、私を揺すり、眠りに誘った。その拍子に包まれて、私の夢は結ばれたのだった。初めのうちは、まだかたちをなしていない夢、おそらくは、産湯の波のような感じやミルクの匂いが浸透していた夢。それから、長く紡ぎ出されていった夢。旅や雨の夢。春がくると中庭の木々が、裏正面の灰色の壁を背景にして、いっせいに芽を吹いた。そして季節が進み、屋根のように広がり埃をかぶった木の葉が、日に千回も建物の壁に触れるようになると、枝々のざわめきが私に何かを教え込もうとするだったが、私にはそれがまだ解読できなかった。つまり何もかもが、この中庭では、私に送られてくる合図になったのだ。緑のブラインドが巻き上げられる、その音のせめぎあいのなかに、なんと多くの知らせが秘められていたことか。夕暮れ時に鎧戸がガタガタと巻き下される、その騒がしい物音のなかに、賢明にも私なんと多くのヨブの知らせ(凶報)を、封じられたままにしておいたことか。

<ヴァルター・ベンヤミン“ロッジア”―『1900年頃のベルリンの幼年時代』(ちくま学芸文庫)>



★ しかし、1917年の運命の夏のある夕暮れのことは、胸がはり裂けるような鮮明さで、いまも憶えている。どういうわけか夏の間別れたきりだったが、その日偶然郊外電車のなかでタマーラに会った。私たちはひと駅区間、数分、きしんで揺れる連結部に並んで立った。私は当惑し、後悔の念にさいなまれていた。彼女は固い棒チョコをひっきりなしに少しずつかじりながら、勤めている役所の話をつづけた。電車の片側は青っぽい沼地で、その上空では、泥炭の燃える黒い煙が壮大な琥珀色の落日の前にたなびいた雲とまざり合っていた。(略)後年ある時期私は、ジャスミンの匂う、気がちがったようにこおろぎの鳴いている、夕暮れの小さな駅に降りる前デッキの上で私をふり返った最後の瞬間のタマーラの姿には、この風景がふさわしかったと思ったこともあった。だがこのときの純粋な苦痛は、その後いろいろなことはあっても、いまでもはっきり感覚に残っている。

<ウラジミール・ナボコフ『ナボコフ自伝-記憶よ、語れ』(晶文社1979)>