★ 中山唯生という虚構の存在。ここであきらかにしておかなければならないことがひとつできた。この場で語られる唯生がもはや虚構の存在にほかならず、しかもその幻の姿や内面を「正確」に言葉であらわす自信がないと述べられたいま、語り手である私は、あるひとつのことをあきらかにしなければならない。それはことさら、あきらかにしなければならないなどと、切羽詰っていう必要もないような、すでにだれもが見抜いていたであろう他愛もない仕掛けの「種明かし」である。それは中山唯生という名のもとにこれまで語られて男とは、私自身なのであるということだ。
<阿部和重『アメリカの夜』(講談社文庫2001)>
★ ――「雨の木(レイン・ツリー)」というのは、夜なかに驟雨があると、翌日は昼すぎまでその茂りの全体から滴をしたたらせて、雨を降らせるようだから。他の木はすぐ乾いてしまうのに、指の腹くらいの小さな葉をびっしりとつけているので、その葉に水滴をためこんでいられるのよ。頭がいい木でしょう。
嵐模様のこの日の夕暮れにも、驟雨がすぎた。したがっていま暗闇から匂ってくる水の匂いは、その雨滴を、びっしりついた指の腹ほどの葉が、あらためて地上に雨と降らせているものなのだ。パーティがおこなわれている斜め背後の部屋の喧騒にもかかわらず、前方に意識を集中すると、確かにその樹木が降らせている、かなり広い規模の細雨の音が聞こえてくるようなのでもあった。そのうち眼の前の闇の壁に、暗黒の二種の色とでもいうものがあるようにも、僕は感じた。
★一年ほど前、僕は十数年も書くことのなかった短篇を、ひとつ発表した。このように永くそのジャンルから遠ざかっていたことにも、そしていま自分があらためてその分野で仕事をしようとしていることにも、つまり僕の作家としての生き方が、内部から新しく動きはじめているらしいのに、これから書く物語は関係があろう。結局僕は、人が死にむけて年をとる、ということをいっているのだが――ともかくも久しぶりの短篇の主題は、「雨の木」であった。
<大江健三郎『「雨の木」を聴く女たち』(新潮文庫1986)>
★ (浅田彰×ジジェク1993)
浅田:実際、数百年来の民族抗争などと言いますが、昔は多少の摩擦はあれ諸民族が混在して共存していたわけで、近代の民族国家の理念が持ち込まれてはじめてナショナリズムに基づく民族抗争が激しくなったことを、つねに思い起こさなければなりません。ここでもまた、一見プレモダンなものは、実はモダンなものとの関係で新たに生み出されているわけです。
ジジェク:まさにその通りです。さっき言ったように、最後の砦としてのわれわれこそが、境界線の向こうの<他者>の閉じたナショナリズムの社会に対して、開かれた自由民主主義の社会を守っているのだという論理、ナショナリズムや原理主義を<他者>に属するものとし、その<他者>を排除するこの論理こそが、ある種の自己言及を通じて、もっとも暴力的なナショナリズムを生み出し、旧ユーゴスラヴィアにおける紛争の将棋倒しとエスカレーションを招いたのです。
★ (浅田彰×サイード 1993)
浅田:とすれば、私たちは、そうやって捏造された歴史ではなく、別の歴史を思い起こす必要がある。それは、民族的・宗教的・文化的アイデンティティのルーツといったものではなく、むしろ、アラブ世界について見たような多様なものの共存の記憶でしょう。実際、そういう多様性をはらんだ地中海世界は歴史上もっとも豊かな可能性を秘めていたのであり、近代ヨーロッパもその遺産なしにはありえなかった。ヨーロッパの中に古代ギリシア・ローマの遺産が眠っており、それがルネサンス時代に突如めざめたなどということは在り得ないので、実は、ヨーロッパは12世紀頃にアラブ世界から古代ギリシア・ローマの遺産や新たな知識を学ぶことで初めて文化的な飛躍を遂げたわけですね。
サイード:まさにその通りです。今から5百年前の1492年は、コロンブスがアメリカに到達した年であるとともに、かれらが出発したイベリア半島からアラブ人とユダヤ人が追放された年でもある。アンダルシアをはじめとする地方では、それまでアラブ文化やユダヤ文化が多様な発展を見せ、それがヨーロッパに大きな影響を与えることにもなった。その文化が、キリスト教徒によるスペインの「国土回復」によって根こそぎにされてしまったのです。(略)
ここで私の想起するのは、「支配ぬきの差異」というアドルノの言葉です。これこそ私の考えるモデルなのです。その点からも、あなたが地中海世界における多様性の共存と相互交通について語られたことをうれしく思います。実際、私や他の何人かの論者たちは、19世紀型の主権国家と帝国に代わるものは、地中海世界にあったような多様な人々や文化の相互交流という、もっと深い安定した現実である、と主張してきたのです。こうした地中海的スタイルこそ、未来において大きな役割を演じることになると思います。
<浅田彰『「歴史の終わり」を越えて』(中公文庫1999)>
★ 要するに、命名においては、どうしても「これ」とか「それ」といって、指示語による直示が必要になるのだ。それらは、対象を、発話する私との関係において指示することである。要するに、名前で指示するためには、名指す私を中心=原点とする宇宙の内部における要素として、その個体を指示することなのであり、対象とともに宇宙そのものを同時的に指示することなのである。そうであるとすれば、今や、こう言うことができるだろう。名前が、個体の性質の記述に還元できないのは、この私が、記述に還元できないからである、と。名前は、私の記述の還元不可能性を委譲されているのである。
★ 愛とは、私であるということと、他者(あなた)であるということとが、同じことになってしまうような体験なのだ、と。愛とは、私であるという同一性が、他者であるという差異性と完全に等値されている関係なのだ。
★ 私であるということ、私が空想や幻想を帰属させうる最小限の同一性を有するということ、このことが、すでに、私の固有性に還元できない外部性を帯びており、差異性=他者性としてあるということ。愛とは、こうしたことを私に対して告げ知らせる体験なのである。
★ だから、逆説的なことだが、愛においては、私がすでに他者=差異性であるがゆえに、かえって、他者は私に対する絶対的な差異であって、私がそこに自己の性質や空想を投影することができない絶対の距離として顕現するのである。
★ だから、愛は、関係の中で最も純粋な関係についての、つまり差異についての体験である。そして、その最も単純な関係とは、それ自身、関係の不可能性――相互に架橋しうる場をもたない絶対の差異――なのである。要するに、恋愛は、自らの不可能性というかたちでしか存在しえないのだ。愛が憎悪と同じものになりうるのもこのためであろう。
<大澤真幸 “これは愛じゃない”―『恋愛の不可能性について』序章(ちくま学芸文庫2005)>
*写真は、Sally Mann
<阿部和重『アメリカの夜』(講談社文庫2001)>
★ ――「雨の木(レイン・ツリー)」というのは、夜なかに驟雨があると、翌日は昼すぎまでその茂りの全体から滴をしたたらせて、雨を降らせるようだから。他の木はすぐ乾いてしまうのに、指の腹くらいの小さな葉をびっしりとつけているので、その葉に水滴をためこんでいられるのよ。頭がいい木でしょう。
嵐模様のこの日の夕暮れにも、驟雨がすぎた。したがっていま暗闇から匂ってくる水の匂いは、その雨滴を、びっしりついた指の腹ほどの葉が、あらためて地上に雨と降らせているものなのだ。パーティがおこなわれている斜め背後の部屋の喧騒にもかかわらず、前方に意識を集中すると、確かにその樹木が降らせている、かなり広い規模の細雨の音が聞こえてくるようなのでもあった。そのうち眼の前の闇の壁に、暗黒の二種の色とでもいうものがあるようにも、僕は感じた。
★一年ほど前、僕は十数年も書くことのなかった短篇を、ひとつ発表した。このように永くそのジャンルから遠ざかっていたことにも、そしていま自分があらためてその分野で仕事をしようとしていることにも、つまり僕の作家としての生き方が、内部から新しく動きはじめているらしいのに、これから書く物語は関係があろう。結局僕は、人が死にむけて年をとる、ということをいっているのだが――ともかくも久しぶりの短篇の主題は、「雨の木」であった。
<大江健三郎『「雨の木」を聴く女たち』(新潮文庫1986)>
★ (浅田彰×ジジェク1993)
浅田:実際、数百年来の民族抗争などと言いますが、昔は多少の摩擦はあれ諸民族が混在して共存していたわけで、近代の民族国家の理念が持ち込まれてはじめてナショナリズムに基づく民族抗争が激しくなったことを、つねに思い起こさなければなりません。ここでもまた、一見プレモダンなものは、実はモダンなものとの関係で新たに生み出されているわけです。
ジジェク:まさにその通りです。さっき言ったように、最後の砦としてのわれわれこそが、境界線の向こうの<他者>の閉じたナショナリズムの社会に対して、開かれた自由民主主義の社会を守っているのだという論理、ナショナリズムや原理主義を<他者>に属するものとし、その<他者>を排除するこの論理こそが、ある種の自己言及を通じて、もっとも暴力的なナショナリズムを生み出し、旧ユーゴスラヴィアにおける紛争の将棋倒しとエスカレーションを招いたのです。
★ (浅田彰×サイード 1993)
浅田:とすれば、私たちは、そうやって捏造された歴史ではなく、別の歴史を思い起こす必要がある。それは、民族的・宗教的・文化的アイデンティティのルーツといったものではなく、むしろ、アラブ世界について見たような多様なものの共存の記憶でしょう。実際、そういう多様性をはらんだ地中海世界は歴史上もっとも豊かな可能性を秘めていたのであり、近代ヨーロッパもその遺産なしにはありえなかった。ヨーロッパの中に古代ギリシア・ローマの遺産が眠っており、それがルネサンス時代に突如めざめたなどということは在り得ないので、実は、ヨーロッパは12世紀頃にアラブ世界から古代ギリシア・ローマの遺産や新たな知識を学ぶことで初めて文化的な飛躍を遂げたわけですね。
サイード:まさにその通りです。今から5百年前の1492年は、コロンブスがアメリカに到達した年であるとともに、かれらが出発したイベリア半島からアラブ人とユダヤ人が追放された年でもある。アンダルシアをはじめとする地方では、それまでアラブ文化やユダヤ文化が多様な発展を見せ、それがヨーロッパに大きな影響を与えることにもなった。その文化が、キリスト教徒によるスペインの「国土回復」によって根こそぎにされてしまったのです。(略)
ここで私の想起するのは、「支配ぬきの差異」というアドルノの言葉です。これこそ私の考えるモデルなのです。その点からも、あなたが地中海世界における多様性の共存と相互交通について語られたことをうれしく思います。実際、私や他の何人かの論者たちは、19世紀型の主権国家と帝国に代わるものは、地中海世界にあったような多様な人々や文化の相互交流という、もっと深い安定した現実である、と主張してきたのです。こうした地中海的スタイルこそ、未来において大きな役割を演じることになると思います。
<浅田彰『「歴史の終わり」を越えて』(中公文庫1999)>
★ 要するに、命名においては、どうしても「これ」とか「それ」といって、指示語による直示が必要になるのだ。それらは、対象を、発話する私との関係において指示することである。要するに、名前で指示するためには、名指す私を中心=原点とする宇宙の内部における要素として、その個体を指示することなのであり、対象とともに宇宙そのものを同時的に指示することなのである。そうであるとすれば、今や、こう言うことができるだろう。名前が、個体の性質の記述に還元できないのは、この私が、記述に還元できないからである、と。名前は、私の記述の還元不可能性を委譲されているのである。
★ 愛とは、私であるということと、他者(あなた)であるということとが、同じことになってしまうような体験なのだ、と。愛とは、私であるという同一性が、他者であるという差異性と完全に等値されている関係なのだ。
★ 私であるということ、私が空想や幻想を帰属させうる最小限の同一性を有するということ、このことが、すでに、私の固有性に還元できない外部性を帯びており、差異性=他者性としてあるということ。愛とは、こうしたことを私に対して告げ知らせる体験なのである。
★ だから、逆説的なことだが、愛においては、私がすでに他者=差異性であるがゆえに、かえって、他者は私に対する絶対的な差異であって、私がそこに自己の性質や空想を投影することができない絶対の距離として顕現するのである。
★ だから、愛は、関係の中で最も純粋な関係についての、つまり差異についての体験である。そして、その最も単純な関係とは、それ自身、関係の不可能性――相互に架橋しうる場をもたない絶対の差異――なのである。要するに、恋愛は、自らの不可能性というかたちでしか存在しえないのだ。愛が憎悪と同じものになりうるのもこのためであろう。
<大澤真幸 “これは愛じゃない”―『恋愛の不可能性について』序章(ちくま学芸文庫2005)>
*写真は、Sally Mann
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