Don't Let Me Down

日々の雑感、引用。
言葉とイメージと音から喚起されるもの。

宇宙を漂う声

2009-10-10 12:16:52 | 日記
今日は、下記ブログを読んでほしいので、次のブログを書く気はなかった。
しかし各メディアの社説・コラムが、一斉に“オバマ・ノーベル平和賞”について書いているのを見て、ブログを書く必要が生じた(天木直人ブログ、不破利晴ブログもこのニュースを扱っている)

メディアの“意見”のサンプルとしては、読売・編集手帳と天声人語を最後に掲げるので読んでないひとは、ぼくのこのブログが“なにを批判しているのか”のサンプルとして参照してほしい。

まずぼくの立場をいっておくが、ぼくは“あらゆる核兵器”の廃絶を望む。
そうでない立場など、まったく認めない。

だから、ぼくの“オバマ・ノーベル平和賞”に対する評価は、“あらゆる核兵器の廃絶”にとってこのノーベル賞の決定が、意味があるか否かである。

ぼくの感想はシンプルである。
この決定は意味がないし、こういう“パーフォーマンス”に頼る世界であるかぎり“あらゆる核兵器の廃絶”は不可能であると考える。

またしても、ぼくらは“強いアメリカの強い指導者”が“世界をたばねる”ことに期待するのであろうか。

読売は言う;
《唯一の被爆国である日本には、白いキャンバスの前で大統領と一緒に悩む使命があるだろう。悩むだけの価値がある「絵」である》

しかし《大統領と一緒に悩む使命》とは、いったいどのような“使命”であり、ぼくたちは、その“使命”をどのように実行すればよいのだろうか。
なぜアメリカの大統領と“一緒に”悩まなければならないのだろうか。

ぼくは“ただひとり”でも悩むし、“あなた”と“一緒”なら悩んでもいい。
もちろん、オバマのノーベル平和賞に“浮かれる”ような人々は、“ただひとりで悩むし、あなたと一緒に悩む”ような<実存(現実存在)>は、この“駆け引きとしての世界では無効である”と“信じて”いるのだ。

ぼくは“駆け引きとしての国際政治”を認めるなら、“核兵器の廃絶”など未来永劫不可能だと確信している。
もちろん“ノーベル賞”自体が、“政治的駆け引き”の場ではないか。

《おそらくは今も宇宙を走りゆく二つの光 水ヲ下サイ》

天声人語氏を感動させた一首である。
ぼくもこれがきらいではない。
しかし、“宇宙を走りゆく光と声”は、ヒロシマ、ナガサキのみではない。
もしこの“歌”を、自然科学的に考えるなら、“あらゆる人類史”は、宇宙をさまよっているはずだ。
あらゆる光と声が、である。

“原爆”はこの人類史的悲惨と愚劣の<象徴>である。
ならば<アウシュビッツ>も<パレスチナ>もそういう象徴である。

“アメリカUSA”も、現在世界の象徴であり、“オバマ”はその世界の指導者として“象徴で”あり、その“世界の指導者”にノーベル平和賞を授与することが、世界平和の“象徴”なのである(ついでに“日本国”の象徴が誰であるかを知らない人はいない)

ぼくは、こういう“象徴”の連鎖にウンザリする。

このことこそが、“戦争のない世界の実現”を阻害しているのではないかと、考える。
“象徴”によって支配される世界は、魔術的世界ではないのかと、疑うのである。

ぼくが理解する<近代>における新しい認識というのは、魔術的世界を脱する“理性的な認識=言葉”の世界であるはずだった。

それはまず、魔術的世界を脱するのがいかに困難か、という“認識”によって開かれる。

つまり、いつもぼくがこのブログで言おうとしていることは(うまく言えていないことは)、現在、”現実“とか、”リアル“とか、”具体的“とか、”実証的“とか、”実効的“とか言われていること(言葉)が、まったく反対の”魔術的言葉“ではないのかという”疑い“なのだ。

“観念的でない”生活者こそ、魔術的な言葉に対する“免疫”を持ち得ないのではないかという“疑い”なのだ。

まさに“世界の指導者”と、その言葉を撒き散らすためだけに存在しているマスメディアは、永久に魔術的言語による、魔術的世界支配を継続せんとしている。

その魔術的世界では、“戦争の具体性”は消滅しないし、“核兵器”も消滅しようがない。



たしかにぼくのこのブログも充分ではない。
しかし“誤解”しないでいただきたいのは、ぼくが、ペシミストでもニヒリストでも皮肉屋でも、アイロニー好きでも、レトリック好きでも“ない”ということだ。

もしそういう“気分”でしかなくなったら、ぼくは自分のブログを全消去する。
ぼくが書き続けるのは、ぼくが読みうる言葉を検討することである。
自分の言葉を検討するためである。

この人生と世界が、“言葉のみ”で成り立っているか否かはさだかでないが、“ブログ”は、言葉のみで成り立っている。




<参考>

 描きたい風景は頭のなかにあり、絵筆も握ってはいるが、キャンバスはまだ真っ白のままである。そのキャンバスが名画として激賞され、権威ある美術賞に選ばれたとしたら、画家は喜ぶよりも先に悩み、苦しむだろう◆脳裏の構図を絵の具と筆でいかにして形にし、賞の重みに堪える絵に仕上げていくか…。今年のノーベル平和賞に選ばれた米国のオバマ大統領はいま、作品があまりに早く絶賛されてしまった画家の心境かも知れない◆大統領の打ち出した〈核兵器なき世界〉はまだ構想の手前、願望に近い手つかずの絵である。「称賛とは借金のようなもの」と、褒められることの重圧を語ったのは英国の詩人サミュエル・ジョンソンだが、その重圧を梃子にして「絵」の完成を迫るのがノーベル賞委員会の意思であったろう◆「核廃絶」の理想と「核の抑止力」という現実をどういう線で結ぶのか――賞をいわば“前借り”してしまった大統領の筆遣いを世界の目が見つめている◆唯一の被爆国である日本には、白いキャンバスの前で大統領と一緒に悩む使命があるだろう。悩むだけの価値がある「絵」である。<読売・編集手帳>

 一読したとたんに胸に突き刺さり、ノートに書き取っておいた一首がある。〈おそらくは今も宇宙を走りゆく二つの光 水ヲ下サイ〉。岩井謙一さんという戦後生まれの歌人が詠んだ。二つの光とは広島と長崎に投下された原子爆弾のことだという▼「水ヲ下サイ」はあの日、地の底からわくようにして空へのぼっていった、瀕死(ひんし)の声、声、声だろう。光も声も、消えてはいない。いまも暗黒の空間を飛び続けている。歌人の想像力は、原爆の「原罪性」を、読む者に突きつけてくる▼罪深い兵器を廃絶して、「核なき世界」をめざそうと唱えるアメリカのオバマ大統領が、今年のノーベル平和賞に決まった。現職の国家首脳の受賞は、9年前に韓国大統領だった故金大中氏が、南北和解への貢献を理由に受賞して以来になる▼オバマ氏は、何かをなしての受賞ではない。だが歴史的とされるプラハ演説を源に、核軍縮の川は流れ出した。国連安保理も巻き込んで川幅は広がっている。それを涸(か)らしてはならないという、ノーベル賞委員会の意思表明でもあろう▼長崎で被爆した作家の林京子さんが、この夏、小紙に語っていた。「人間らしい形を残さない姿で死ぬ人たちを見ました。人間がこんなにおとしめられていいのか、という思いが私の原点です」。同じ思いを、オバマ氏の原点にもしてほしいと願う▼〈燃え残り原爆ドームと呼ばれるもの残らなかった数多(あまた)を見せる〉谷村はるか。聡明(そうめい)な大統領のこと、被爆地訪問がかなうなら、必ずさまざまな真実を「見る」はずである。<朝日・天声人語>







Ah, because the world is round
it turns me on
Because the world is round

Ah, because the wind is high
it blows my mind
Because the wind is high

Ah, love is old,
love is new
Love is all,
love is you

Because the sky is blue
it makes me cry
Because the sky is blue

Ah, ah, ah, ah



彼女の犬と熊語

2009-10-10 07:45:19 | 日記
ぼくにはノーベル賞というと、いつも思い出すひとがいる。
そのひとは、ノーベル賞に決まったとき、“賞と名がつくものは、ジャガイモの一袋だろうと受けとらない”と言った。
もちろんこの人が別の賞を“受賞”したので、皮肉られたこともあったようだ。

こういう“賞と名がつくものは、ジャガイモの一袋だろうと受けとらない”というような発言をしてみせることも、“パフォーマティブ”だったのである。

この“パフォーマティブ”という概念をふくむ佐々木敦『ニッポの思想』について書くはずであった。

まず『ニッポンの思想』という本を論じるなら、ふたつのことが“問題”となる。
“ニッポン”と“思想”である。
この本にはちゃんとこの二つのことが書いてあると思う。

“ニッポン”というのは、“悪い場所”なのである(笑)

そこで“思想”するひとというのは、“頭の良い人”なのである。

まずいっておきたいが、ぼくは“頭の良い人”をバッシングするのは、良くないと思う。
たしかに頭の良い人(自分より頭の良い人)というのは、不快である(笑)
しかし、自分より頭の良い人をけなしてばかりいては、“向上”しないのである。

頭の良い人は、現代最先端“思想”を、チャート式にまとめて解説してくれる(浅田彰のこと)
頭の良い人は、《瞬間解答マシーンのようなクレヴァーぶりを露骨なまでに誇示します。「それは簡単に説明できます」「それはすべてわかっています」「それは最初から織り込み済みです」といった意味の台詞が、彼の発言には頻出します。》(宮台真司のこと)

しかしこういう“イヤミ”な人々は、ぼくたちに、“海外思想”をわかるように、解説してくれるのだ。
だいいち、彼らより、“頭の悪いこと=もう1億年前から繰り返し言われてきたこと”を得意そうに書いている“ブログ論客”の発言を読んでいてもしょうもないではないか。

“生活の中に思想はある”のだろうか。
もしそうであるなら、ぼくは心からシアワセである。

そういう人々は、“思想とはなにか?”とか“ニッポンとは何か”とか、“自分がニッポンジンであることはどういう条件か”などという愚問を、考えないで済むらしい。

つまり“彼ら”には、<本>など不要であり、<テレビ>で笑っていればよいのである(笑)

しかし、ぼくが“彼ら”に聞きたいのは、彼らは世界に<本>がなくなり、くだらない思想や、くだらない思想家が、まったくいなくなった事態を想定しているのか?ということである。

やっぱ、自分はそうゆーことに係わらないが、“ほかのひとがやってくれる”と他者に依存しているのではないか。

もちろん、“ニッポンの思想家も”、他人(ガイジン!)に依存しているではないかというのは、“別の批判”である。

ぼくが何度も指摘しているように、シンドイことに、“現在”は民主主義なのである。
民主主義=愚民政治であってはならないのではないだろうか。

ぼくたちが、“生活者として考える”ということは、目先の“情報”に振り回されることではない。
あなたの日々の体験、それこそがあなたの“感性と意見”、すなわち“思想”を形成するなら、その体験のレインジ(範囲)を、“世界へ、抽象的な言葉へ”どうして拡張していけないのだろうか。

“ニッポンの思想家”が解説している言葉が、“空語”でしかないなら、“それを”批判し、自分の体験に発する言葉で、それらを粉砕すべきだ。
その“体験”が、半径1.5mである必要はない。

この本においても、ニッポンという悪い場所では、すべてが“自然状態の空無”におちいっていくのだ。

それに対抗するのは、<言葉>である。
<あなたの言葉>である。

最近も“ぱきぱきブログ”コメントで、“ケニヤの母”の素晴しい“言葉”を読んだ。
私信であるので全文引用できないが;

《幼稚園なんかで教育講演会とかあってな、子供の虐待やら家庭生活、愛情深く育てろなどと説きまくる講演者の経歴みたらだいたい、小学校から私立だったり、留学経験豊富でなんとも自分は恵まれた環境で、教育や愛について長い時間考えれたんやろなと思うこと多いわ。ケニアの支援学校のシングルマザーのお母さんたちの環境の悲惨さを考えたりするとほんま、君に何がわかるんか?と質疑応答の時間にたって質問したくなるわ。》

《この寝たきりぼくちゃんを介護して八年。哲学的な考察は日々やってきた。たぶん、障害を持った人、またはそれを介護する人はほかの健常な人より、幸せであってはならない、または不幸であって当然という観念が多くの人にあるということがわかったわ。その人たちに罪はないわな。経験してないからね。ただ、もう八年たってんのに数年ぶりの保健婦をしてる知人から子供の障害の受容はなかなか難しいから大変ねなどと言われ、多くのケースをみてるだろう人さえ、そんなレベルだから。マンションの隣の奥さんが、道であって、「どこいってたん?」と聞かれたから「英語教室」というと驚愕の顔されたからな。不幸な家庭のはずやのに習い事か!!!!みたいな。人間誰しもだれかと優劣つけながら幸せ、不幸せを測るところあるからな。この介護人になってから、自分が幸せを感じるなら他の人がどうおもっても関係ないとおもうようにんったね。年のせいもあるな。たとえば「他の人がどう見てようが、おいしいもの食って太ってもえいわ」とか「ガードルはかんでも楽かったらえい」とか。。あ、ちょっと本論からそれた?》

なのである。


さて、ぼくとしては、かつてDoblogに書いた、ひとつの引用とひとつのブログを貼り付けたい。
村上春樹の引用文は、彼の初期の有名でない短篇からの引用である。
これをここで引用するのは、最近の村上の“メタボ体質”と比較してほしいから。

長いブログになったので、ここで休憩してください。


<インターミッション>


「ひとつだけお願いがあるんです」と僕は思い切って口に出した。「もし気を悪くしたとしたら謝ります。忘れて下さい。でもなんだか・・・・・・そうした方がいいんじゃないかって気がするんです。どうもうまく言えないけれど」
彼女は頬杖をついたまま僕の方を見た。「いいわよ。言ってみて。もしそれが気に入らなかったとしてもすぐに忘れることにするわ。あなたの方もすぐに忘れる―それでいいでしょう?」
ぼくは肯いた。「あなたの手の匂いをかがせてくれませんか?」
彼女はぼんやりした眼で僕を見ていた。頬杖はついたままだった。それから何秒か目を閉じ、瞼を指でこすった。
「いいわよ」と彼女は言った。「どうぞ」、そして頬杖をついていた手をはずして、僕の前にさしだした。
僕は彼女の手をとり、ちょうど手相を見る時のように、手のひらを僕の方に向けた。彼女は手からすっかり力を抜いていた。長い指はごく自然に心もち内側に曲げられていた。彼女の手に手をかさねていると、僕は自分が16か17だった頃のことを思いだした。それから僕は身をかがめて、彼女の手のひらにほんの少しだけ鼻先をつけた。ホテルの備えつけの石鹸の匂いがした。僕はしばらく彼女の手の重みをたしかめてから、そっとそれをワンピースの膝の上に戻した。
「どうだった?」彼女が尋ねた。
「石鹸の匂いだけです」と僕は言った。
     *
彼女と別れたあとで僕は部屋に戻り、ガール・フレンドにもう一度電話をかけてみた。彼女は出なかった。信号音だけが、ぼくの手の中で何度も何度も鳴りつづけた。これまでと同じだった。しかしそれでもかまわなかった。僕は何百キロか先の電話のベルを何度も何度も何度も鳴らしつづけた。彼女がその電話の前にいることを、僕は今ははっきりと感じることができた。彼女はたしかにそこにいるのだ。
僕は25回ベルを鳴らしてから受話器を置いた。夜の風が窓際の薄いカーテンを揺らしていた。波の音も聞こえた。それから僕は受話器をとって、もう一度ゆっくりとダイアルを回した。
<村上春樹“土の中の彼女の小さな犬”>



もし賢治が、

もし宮沢賢治が《このからだそらのみぢんにちらばれ》と書いただけの人だったら、美しいが“それまで”だった。

小森陽一氏は『最新宮沢賢治講義』の最初の章で、「鹿踊りのはじまり」を分析している。

ここにおいて主人公の嘉十が、“鹿語”を理解する瞬間の認識について。

それは嘉十が鹿たちに置いてきた“栃の団子”の脇に彼が忘れた“手拭(てぬぐい)”をめぐる鹿たちの怖れから認識にいたる“会話”を理解したからであった。

つまりここでは、“認識”は同時に(二重に)進行している。

ぼくは前に千葉一幹『賢治を探せ』においても、「なめとこ山の熊」において、やはり主人公が熊の母子の“会話”に立ち会うことによって“熊語”を理解する瞬間の記述を引用したと思う。


ぼくは“本”のことばかり書いている。
しかし“認識”は本のなかにばかりあるのではない。

ぼくは“風の音”のなかにも認識の声を聴くであろう。

そこには“情感”もあるだろう(認識は“理知的に”あるばかりではない)
しかし、それは漠然と“千の風になる”ことを詠嘆することとはちがっている。

賢治は認識のプロセス(鹿とひとの、熊とひとの)を描くことで、自らの認識のプロセスを形成したのだ。

そのプロセスが、鹿同士の認識、母熊と小熊の認識の現場に立ち会うことであったのは、偶然ではない。

また、ぼくたちは、“この認識”を宮沢賢治の“本”で読み、その本に取組んだ、見田宗介、小森陽一、千葉一幹の“本”で認識する。
<過去ログ>




<参照>

★ 小森陽一:『最新宮沢賢治講義』(朝日選書1996)
★ 千葉一幹:『賢治を探せ』(講談社選書メチエ2003)
★ 見田宗介:『宮沢賢治 存在の祭りの中へ』(岩波現代文庫2001)
★ 真木悠介:“性現象と宗教現象”―『自我の起源』(岩波現代文庫2008)補論2 






Ah, because the world is round
it turns me on
Because the world is round

Ah, because the wind is high
it blows my mind
Because the wind is high

Ah, love is old,
love is new
Love is all,
love is you

Because the sky is blue
it makes me cry
Because the sky is blue

Ah, ah, ah, ah