Don't Let Me Down

日々の雑感、引用。
言葉とイメージと音から喚起されるもの。

VOID;虚空

2009-03-16 12:12:52 | 日記
ありふれたシチュエーションだろうか。

未来。
タウ・ケチ惑星に植民する人々(凍眠している)を載せた卵のような宇宙船。
コンピューター完全制御の中枢にあるのは人間の脳からつくられた“オーガニック・メンタル・コア(OMC;有機知能核)。
起きている“人間=乗組員”(クローンである)は、4名。

その宇宙船のOMCが原因不明のトラブルに陥り、乗組員はOMCを停止し、それに代替する“人工知能-意識”をみずから作り出さねばならない。

乗組員4人は、それぞれ物理学、化学、生物学、生理学・心理学、コンピューター・テクノロジーなどの専門家であり、“宗教”のスペシャリストもいる。

はたして、彼ら4人は、“人工知能”を作り出すことができ、この宇宙船と植民者を壊滅的な危機から救い出すことができるか?


フランク・ハーバート『ボイド-星の方舟』(1966、翻訳小学館1995)である。
“ボイドVOID”とは、“空(くう)の、空虚な、無駄な、無効な・・・・・・”などを意味する、“宇宙空間、虚空”を意味する。

フランク・ハーバート(1920-1986)は、SF史上の傑作『デユーン砂の惑星』の著者である。<注>


この物語は、この4人の科学者の会話と意識の声と危機に対応する行為のみから成り立っている。
ゆえに、“科学用語(概念)”が頻出し、それには”注“がつけられている。
しかし、ぼくはその注を読むのを途中でやめてしまった。
それを読まなくても(理解しなくても)面白い(理解できる)からである。
逆にここで使われている“科学用語”は、“ギミック”である。
そもそも“SF=サイエンス・フィクション”における“科学”というのは、ギミックであった。

ならば、この“科学を偽装した物語”は、科学ではない何を語ろうとしているのか。

まさにこれが、この小説(サイエンス・フィックション)のスリルである。


この物語の核心は、どうやったら“人間と同じ知性態”をつくりだせるかという問題なのだ。
この“人工知能”の定義は、指示がなくても自ら考え判断するということである。

そのためには、“人間とは何か”がわからなければならない。
しかも“完全に”わからなければ、それを“つくる”ことはできない。

これがどんなに困難な<難問>であるかが、この物語の展開なのだ。

これを説明していると長くなるので、要点をピックアップしよう(細部はあなたがこの本を買って読んでください;笑)

★ 完全なものには愛がない(完全なものには、不完全なものを認識することができない)→いかにして“欠点(欠陥)”をインプットできるか?

★ この“欠点”の重要な要素は、“殺戮本能(暴力)”である。

★ “意識”とは、“自己についての意識”とは?→《ぼくたちが自分たちのことで、真に客観的になれることなど、肉体の反応以外、何も存在しない》

★ 《鏡はそれ自体を映すことはできない》

★ 《次ぎの行動が過去の行動の結果からの絶対的、直接的因果関係を続けてゆくのなら、行為に意識の影響力などあり得なくなってしまう》(因果律は意識と適合しない)

★ “死”が地(背景)となっていなければ、そもそも“生”が描けない→“生”という認識(自分と他者とその関係を知るという知)が成り立たない。



この『ボイド』は普通の長さの小説である。
そこでの“思考”は、ある宇宙船内部での4人の科学者の“対話”と“内面の声”に限定されている(外からの声は、指令基地からのボイスだけである)

ハーバートは『デユーン砂の惑星』においては、長大な物語を展開していた。
しかし、その“スペース・オペラ”の設定においても、サイエンス(テクノロジー)と宗教(こころ)がテーマとなっていた。
これが、<環境>という問題にフォーカスされていたのだ。

すなわち、“人間のこころ”が、いかなる“未知の環境”において生存できるか(生きることができるか)が、問われていた。

未知の環境!

それは、“近未来”であり、“未来”であり、砂丘の連なる未知の惑星での生存である。
“砂虫(SAND WORM)“の棲息する世界。
そこには、圧倒的に<水>が欠乏し、その惑星を含む未来の世界系は、“カネ”よりも“麻薬(メランジ)”が流通、支配する世界であった(メランジは“意識”を拡張する!)

つまりこの世界、未知の世界は、“この世界”のアレゴリーであった。

だから、砂漠の民=フレーメン=テロリストも“予知”されていたのだ。

SFは、未来を読んだのである。
『デューン砂の惑星』は、1965年という過去において、2009年という“この未来”を読んでいたのだ。
すぐれたSFは、みな、未来を読んでいる。
それが、固定観念を“空想”するファンタジーとの差異である(つまりたとえばブラッドベリや「ソラリス」や「スカイ・クロラ」はSFであるが、「スター・ウォーズ」はSFではない)

“ボイド=虚空”とは、砂丘の連なる土地のように、ぼくたちの<環境>なのだ。
<水>は欠乏している。

ラクダにのって、卵形の宇宙船にのって、ぼくたちはこの旅にのりだす。

つまり、もう旅ははじまっている。



<注>
この物語を思い出すときに、スティングがでたデヴィット・リンチのバカげた映画を想起しないでほしい、原作を読むべきである。



(今、書いた)



コミュニケーションについて

2009-03-16 09:04:09 | 日記


ぼくたちは、ひとりでは生きられない。
“ぼく”は、まず自分と関係している。
ゆえに“自分”もまた他者である。

また当然、自分以外の他者がいる。
最初の他者は、“母”である。

最初の“家族”という他者との関係の“なかから”、ぼくたちはその外の他者との関係に出て行く。

他者と関係する状態を、“社会”とか“世界”という。
ぼくたちを取り囲む、“自然”や“街”も他者であり、そこでの関係を“環境”という。

もし“環境破壊”ということがいわれるのなら、その“関係”の総体が破壊されているのだ。


辺見庸がX線治療の待合室での体験を語った;

《右隣に大きな男、まんなかに私、左隣に頭の小さな女というあのころの日々の位置関係ほど私を落ち着かせたものはない》


この文章、“ミルバーグ公園の赤いベンチで”(『たんば色の覚書』所収)について、“感動的”などという形容詞はふさわしくない。

ここにはぼくたちが体験しうる、この現在の日常のある極限が描かれている。
“日常”というのは、ぼくたちが劣化ウラン弾で死ぬよりも、なんらかの病気でX線治療や困難な手術を受ける可能性は少なくはないからである。

自分がまだ体験していないことを、他者の文章で“読む”こと、それに“共感”することは、ほんとうは驚くべき(稀な)体験なのだ。

まさに、ぼくたちは、“本”で他者の体験を読むばかりではない。
自分でない他者と関係することは、他者独自の体験を“読み”それを想像することである。

しかし、この辺見氏の文章(体験)は、むしろ、“言葉を必要としない”体験について語る。
言葉はなく、“ほんの少しの動作”と互いの“孤独の波動”があった。

それは“青灰色のぶ厚い金属扉の前の安物ソファー”に坐る、3人の患者によって共有された時間(体験)だった。

あるいは、この文章が全体として、その構造を明らかにしているように、ここに書かれた“すべて”が辺見氏の“幻想”であるかもしれなかった。

この文章の最後で、辺見氏は、言葉をかわすことがなかった両側に座る二人を、それまで誰にも明かしたことがない“自分の場所=ミルバーグ公園”に招待するのである。

《ただ低く在ること》

と辺見氏は書いた。

《ここに何気なく<ただ低く在ること>こそ、よしんば世界が滅びるその瞬間にあってさえ、最小にして最大の事実であると私には思えた》

(2/17記)



この世界の-なかの-私

2009-03-16 08:56:11 | 日記
今日(2/14)朝日新聞は社説および天声人語で“小泉発言”批判を行なっている。
けっこうなことであるが、これらの批判に欠けているのは、自らに対する批判である。

小泉の“劇場政治”をもたらし、意味なき“言葉”の支配を政治の領域のみでなく、この社会の全域にもたらし、現在の“政局の危機”のみではなく、全社会的危機をもたらしたのが、“マスメディアによる小泉政治から”であったことを、忘れたかのように語る。

このような、“批判”こそ、卑怯者の批判なのだ。

たまたま昨夜、久しぶりで辺見庸氏の文章を読んだ。
2006年に東京新聞に掲載された“気がつけば危険水域にいた”である(『記憶と沈黙』毎日新聞社2007)<注1>

現在のぼくたちは、“近い過去健忘症”におちいっている。
この記事が書かれた2006年の状況がどうだったか、もうぼくたちには定かではない。

2001年に何があったか、2003年3月に何があったかを、もうぼくたちは即答できないのではないか。
ぼくがこのブログを始めたのは2004年の12月であったはずである(そういうことも考えないとわからない)
その頃、ぼくは辺見庸の文章をよく読んだ。
そして2004年の春、辺見氏は脳出血でたおれ、2005年には大腸ガンの手術を行った。
ぼくは辺見氏の病で倒れる前の文章と、病から復帰したあとの文章をランダムに読むことになった。
それもぼくの悪いくせで、ある本を一気に読了するのではなく、数冊の辺見氏の本を行ったり来たりしながら読んできた。
昨年、辺見氏の死刑廃止に関する講演会で、はじめて彼の肉声を聞いた。

それでなんとなく安心してこの1年は、辺見氏の著書をほとんど読まなかった。
けれども、ここにきて、切実に“辺見庸の文章が読みたい”という気持が訪れた。
また辺見氏の本を取り出したのだ。

“マスメディアの言葉”が徹底的に空虚になればなるほど、辺見庸の言葉が立ち上がる。<注2>

なんども言っているように“マスメディアの言葉”とは、テレビ、新聞、雑誌の言葉のみではない。
“このブログ”にも、そのような言葉があふれているのだ。

もちろんぼくたちが読みうる言葉は、辺見氏の言葉だけではない。
“日本人の言葉”のみでもなかった。

ぼくは辺見氏より“抽象的な言葉”も読んでいる。
たとえば見田宗介や柄谷行人である。
あるいは“解説書”のレベルであっても、カントやマルクスやハイデガーやウィトゲンシュタインやフーコー等の言葉も何とか理解しようとしている。

ぼくは“抽象的な言葉”と“肉体的な言葉”のどちらがすぐれているかといったことに興味があるわけではない。
それらが“激突する”のを読むのだ。
厳密に言えば、辺見庸の言葉と柄谷行人の言葉のどちらが“抽象的か”(肉体的でないか)などという区別も成り立たない。

もちろん、ぼくは辺見庸のいくつかの言葉に“肉体をもった言葉”を見出すのだ。
また、中上健次の言葉が、ぼくには圧倒的に肉体をもった言葉として見出された。

その言葉が、“肉体を持つ”のはなぜか。

それは、当然、“政治状況を語るか否か”ではない。
しかし、ぼくたちは、自分が生きている世界に無関心であることだけはできない。

しかしそれは“時事的発言”をするか否かでもない。
辺見氏はなんども、自分はそのような発言をしているのではないと書いている。

しかしぼくらは、記憶喪失症になるわけにも、カネの亡者になるわけにもいかない。
まさに現在の“金融危機”をもたらした、かの“アメリカ金融帝国”のカネの亡者どもの破綻以後にも自己利益に執着する姿を見ればいいのだ。
そしてこのレベルでも“アメリカ”のマネッコを続ける、“この国”のもっと小粒の“カネの亡者たち”のけち臭いが粘着的なしたたかさを見ればいいのだ。

“9.11”、“アフガン-イラク”、“ガザ”。

2001年以後の世界を、端的に表現する。
その間、日本の“親分”は、小泉-安倍-福田-麻生と推移し、その間“自公民”政権が居座った。

“9.11”、“アフガン-イラク”、“ガザ”。
という<世界>に対して、この“日本国”と“日本社会”はどう対応してきたのか。
それは“政局”や“経済”や“景気”のレベルにある話だけではない。

ぼくは、辺見庸や柄谷行人やもっと若手の少数の人々の言説を参照しながら、それを“言葉の死”として提起した。

ある“事件”が、ある“個人”に決定的なのは、客観情勢によってではない。
もちろんぼくたちの生涯に決定的なのは、“私的な事件”である。
しかし、ぼくたちは、私的にだけ、自分の半径10mにだけ生きているのではない。

たとえば今年初めの“ガザ”は、ぼくにとって衝撃だった。
それはぼくにとっては、この“事件”が客観的・歴史的・世界的に重要であるということ“だけ”ではなかった。

まさにぼくのこれまでの生涯の、“自分の外の世界”とのかかわりの想像力において重要だった。
そしてぼくは“サイード”という“固有名”を見出した。

パレスチナ出身のサイードにとっては、かれがアメリカに居住していても“パレスチナ問題”は、自己固有の問題であった。
そのようには“パレスチナ問題”が、ぼく自身の問題ではありえない。

しかし(まだ少し読んだだけだが)サイードは“パレスチナ問題”を自分の民族に固有なだけの問題として語ってはいない。
かれは“知識人”として“普遍的な問題”を提起している(“文化と抵抗”である)

まさに“知識人”とか“普遍性”という概念が、正統な論議においても、シニック(冷笑的な)論議においても疑問に付され、消滅しようとしている時にである。

まさに“パレスチナ人”としての虐殺と殲滅の危機を、アメリカという“外国”から見つめる“人間”として、彼は自らの“思想”を鍛え、発言し続けたのだ。

またこの“パレスチナ問題”は、アウシュビッツ等の虐殺収容所において殲滅の危機を体験した“ユダヤ人”によって“繰り返されている”(ガザ虐殺収容所)ことによって、“本質的な”危機なのである(“アウシュビッツ”から“パレスチナ”へ)

しかし、くりかえすが、“歴史的な、客観的な危機(不正)がそこにある”から、ぼくは反応しているのではない。
また“危機”がパレスチナ以外(イラク、アフガン、インド、パキスタン、チベット、北朝鮮、アジア、チェチェン、南米、アフリカなどなど)にも“ある”のに、“パレスチナ”を特権化するのでもない。

だから、まさに、“抽象化”も必要である。

また中上健次が“文学”として表出した、この国の内部の“被差別”、“差別の構造”があり、それは“象徴天皇制”と密接に関係している。
それはいわゆる“政治-経済的次元”にのみあるのではない。

見えないものを見る、モノのように特定できない“出来事”に迫りうるのは、“文学の言葉”のみである。

もし“政治的-経済的-法的な言葉”が、すべてを“モノの関係”にしてしまうなら、それに抵抗し、それを阻止しうる言葉のみが“文学の言葉”である。

“文学の言葉”は、自分の身の回りの不快や情緒や自意識をしゃべり続けるためにあるのではない。

たしかにこの“ぼく”が、個的にかかわることの核心が自分の性と死であるにしてもだ。

むしろこの<性と死>からこそ、考えたい。
自己固有の<性と死>は、この世界のなかで、生成しているのだ。<注3>


ぼくはまだサイードの発言をちくま学芸文庫で翻訳出版された2冊のインタビュー集で読みかけたばかりである。

その最近の方のインタビュー集(『文化と抵抗』2008)の最後のインタビューは、2003年2月、サイードの死の7ヶ月前に行なわれた。

その最後ちかくでサイードは以下のように語った;

《わたしは自分のことを、首尾一貫したまとまりのある単一の人間とは思ってはいません。わたしは多くの異なるものです。そうした異なる部分のあいだでバランスをとろうともしていません。自分のことを、こうした差異を縫い合わせてひとつにまとめようとする人間だとはみていません。わたしは差異のなかで生きようとしています》



<注1>

“気がつけば危険水域にいた”から引用する;

★ 小泉時代は第一に、ものごとを生真面目に考えること、深く思惟することの無力感、不正にどこまでも異議を唱えることの徒労感を蔓延させた。すなわち、シニシズム(冷笑主義)のかつてない伝播である。首相自身低俗なシニク(冷笑家)の一面があるが、若き“小さなコイズミ”が昨今やたらに増えたことときたら驚くばかりだ。第二に、小泉時代は<パブリック>というものの性質を変えた。往時は政治としばしば対峙し緊張関係をもったパブリックなものは、公共的、公衆的というよりは、政治権力によって容易に操作可能な<つくられた公共>といった怪しげなかげりを帯びるにいたっている。

★加えて、マスメディアと政治権力の臆面もない連携と協調も小泉時代にきわめて特徴的な風景であった。結果、危うい気運がいま、政治権力だけでなく社会の基層部からもせりあがってきている。その気運をネオ・ファシズムと呼ぶか新国家主義と名づけるかはこの際さして重要でない。おもむくところがかつてなく危機的なのである。


<注2>

たとえば『単独発言-私はブッシュの敵である』(角川文庫2003)解説で姜尚中氏は書いている;

★ なぜこれほどまでに言葉は、敗退し続けるのか。言葉は、突如として腐り果てたのか。そうではない。言葉は少しずつ「死に至る病」に冒されていたのだ。言葉が、それを発する主体の身体感覚から遊離し、血の気の失せた記号としての商品と化したときから、言葉の敗北は始まっていた。言葉が身体のリアリティを失ったとき、同時にイマジネーションも失ってしまったのである。

★ 身体から切り離されたイマジネーションなど、それがどんなにリアルに思えても、所詮は、虚構のファンタジーにすぎない。言葉が、その身体性を奪還し、リアルなものを通じてイマジネーションを回復することはどうしたら可能なのか。本書の著者、辺見氏は、一貫してそこにこだわり続けてきた戦闘的な言葉の遊撃手である。


<注3>

ぼくがここで<生>ではなく、<性>という言葉を使ったのは、意識的である。


(2/14記)