Don't Let Me Down

日々の雑感、引用。
言葉とイメージと音から喚起されるもの。

ハードボイルドな黄昏;真夜中へもう一歩

2009-03-26 22:25:58 | 日記
今日の天声人語が、生意気にもハードボイルドについて書いている(笑)
レイモンド・チャンドラーが没して、きょうで50年だそうだ。
しかし、天声人語氏が知っている“ハードボイルド”は、チャンドラー=マーロウと例のセリフだけである(”タフでなければ生きていけない……“)

ぼくも昔のブログでハードボイルドについて書いたことがあったので再録しようかと思ったが、その必要はない、矢作俊彦を読めばいいのである;


★ 私はベッドにねそべり、部屋の中をながめていた。ときおり、自分がどこにいるのかさえ、忘れてしまいそうだった。
コーヒーの罐は空っぽになっていたし、シャワーはバルブが壊れ、水一滴出ようとしない。おまけに、今日は新聞も来ていない。だから、部屋をながめているのだ。
腕を枕にすると、海岸通りを駆け抜けていった風が、税関の尖塔にまっぷたつにされる鋭い悲鳴に、じっと耳をすました。大桟橋の方から、家族連れのにぎわいが漂って来る。雀が、日本大通りの銀杏の新芽をついばんでいた。四月ともなれば、あのいかつい銀杏だって花をつける。外は上天気なのだ。風にしても、すでに冷たいということはあるまい。
<矢作俊彦1978年、『リンゴォ・キッッドの休日』における二村永爾刑事のデビューである>


★たそがれ鳥の声で目を醒ました。シャワーを浴びてから、いやしくもたそがれ鳥と呼ばれる鳥が朝の7時から鳴くだろうか、と思った。野鳥の中には、他人の声で鳴く奴もいるのだ。人間の中にもそんな奴は大勢いて、警官に、人間に区別をつけるのは血液型と指紋しかないぞ、と教えてくれる。
服を着て、部屋でコーヒーを飲むころには、窓の外は蝉と鳥の声にあふれ、どれが何の声か、さっぱり区別がつかなくなっていた。
コーヒーを2杯飲むと、そのうち半分は自分の頭の中で鳴いていたことに気付いた。頭の芯に音があり、痛みがあった。”
<『真夜中へもう一歩』>


★ 雲は箒で掃いたようにきれいさっぱり吹き消され、台風を予感させる香ばしい空気が海上にはりつめていた。夜はどこまでも遠く、透きとおっていた。
しかし、彼女の唇ほど冷たくはなかった。
<“陽のあたる大通り”>


★ 広い駐車場の中、そこだけが日陰になっていたせいで、諒も礼子も、はじめはそれがいったい何なのか、さっぱり判らなかった。
他のすべてには、夏の日が洪水のようにあふれていたのだ。
ただでさえ遮るものは何もない場所だった。舗装などはもちろん、整地さえしていない。砂利敷きをブロックで仕切ったところがあるかと思えば、むき出しの赤土に石灰で線を引いただけのところもある。そのいたる所で雑草が背比べをしている。鉄条網で囲われたただの空き地だ。雨が降れば水たまりがタイアをすくい、しばらく降らなければ埃で目を開けていられない。
その片隅に、壊れかけた映画の広告塔が建っている。手前には錆だらけの巨大なレッカー車が止まっていて、そのふたつを覆うように、トタン囲いの残骸と、伸びるにまかせたカイヅカイブキの茂みがある。
8月第1週の日差しに炙り出され、その日陰は、コールタールの底無し沼のように黒い。二人が目を細めていると、そこから作業衣姿の男が現われ、こっちへ歩いてくるのが見えた。
<“白昼のジャンク”― 『夏のエンジン』所収>


★彼は、車から降りようとしなかった。またマントをひきよせ、それにくるまってしまった。額には汗がわきだし、それが厭な色に光っていた。
彼女が呼ぶと、運転席に身をかがめ、
「俺はイナフだ」と言った。
「1日に、陽に当たれる量は決まってるんだ。屋根のない車に乗ってたから、もうそれを使い切っちまったよ。俺はしばらくここにいる」
「そんなこと言って、ハワイなんか行ったらどうするのよ。太陽だらけよ、あそこはきっと」
「あそこのは、いいんだ。だって、おまえ、あそこには蛇がいないんだぞ。アフリカから来たやつは何もいないんだ」
礼子はそのとき、すでに階段の裏側で、港の向こう岸の軍用埠頭に錨を降ろした巨大な上陸用舟艇を見ていた。そこから、次々と降りてくる戦車の行列に見とれていた。
だから、大きな水音があたりまで轟くまで、小さなホンダが海に向かってゆっくり走って行ったことには気がつかなかった。
「ハワイへ行こうとしたんです」と、彼女は最初に飛んできた荷役業者に言った。
「本当なのよ、ハワイへ行こうとしただけなの」
どこへ行ったかは別として、そのときはもう、車も彼も泡さえも、海には何も見えなかった。
<“夏のエンジン”>


★ 坂は、タライに立てかけられた洗濯板みたいに港に向かって下っていた。見上げれば、そのうえに空がやたらと巨きく、見おろせば、町がちまちまと息苦しく海に入り混じっていた。
朝、坂は、小学校までの最後の数10メートルを永遠の道のりにして、彼をうんざりさせた。帰りは校門からそこまで一気に走り、立ち止まって息をつくのが新入生の始業式から3ヶ月以上、彼の日課になっていた。
朝、えいやっと気合を入れて格闘しなければならない高い塀のような坂は、午後も同じように彼を押し止めたが、決して通せんぼするわけではなかった。
そこからは、左右の防波堤と、それぞれの端に立つ赤と白の灯台まで見ることができた。ことに天気のよい夕暮れ時は、湾の向こう岸にいくつもの煙突が揺れて見えた。
そんなときは決まって、ランドセルがとても重く感じられ、その場で何度も背負いなおし、しまいにはため息をつくのが習わしだった。
<“ボーイ・ミーツ・ガール”―『夏のエンジン』所収>


★ 「パパとママがこの車を好きになった時の話をしたね」
「うん。何とかいう人が乗ってたんでしょう。それを映画でみつけたんだ」
「みつけたのか」
言って、スズキさんはニュース映画のその一シーンをありありと思い浮かべた。パリの街灯り、夜に浮かびあがったパンテオンのドーム。路上に並べられた椅子、机、卓子。そして人、人、人。笑顔、歓声、拍手、高笑。自治を、と書かれた2CV(ドーシーボー)に赤毛の青年。
★ 映画館の闇の匂い、10代だった妻の甘いローションの匂い、自分自身の匂い。ありようもないリラの花咲く匂いさえ。― その瞬間のありとあらゆるものすべてをいっぺんに洪水のように思い出した。そう!映画とは見るものでなく、見つけるものだったあの頃を。
<『スズキさんの休息と遍歴』>


★ そのとき、匂いが蘇った。新しい紙と印刷インクの匂いだ。それが彼を取り巻いていた。30年暮らした中国の村では、活字はどれも黄ばんだ紙に印刷されていた。
もう一度、思い切りその匂いをかいだ。そのとたん、胸がつかえた。胃が暴れ、何かが喉にこみ上げてきた。歯を食いしばってそれを止めると、涙がわっと溢れでた。
<『ららら科学の子』2003>


★テレビのアトムは、黒点異常のために地球を焼き尽くそうとする太陽に、核融合制御爆弾を抱えて突入し、そのまま還らなかった。
人類はとっくのとうに地球を捨て、ロケットで宇宙の彼方に逃げ去った。アトムが救った地球はロボットの天下だった。しかし、太陽の暴走が収束するやいなや、人類はまた戻って来る。アトム、ありがとう。おまえは人類の恩人だ。そのラストが気に入らなかった。
これでは涙もろい10万馬力のカミカゼ特攻機ではないか。
★最終回のはるか以前、アトムは人類に楯突き、ロボット法を犯していた。海のカモメに、あの向こうにはどんな国があるのかと尋ねたロボット少年は、ガラス瓶に入れられ流れ着いた手紙に誘われるまま、海の彼方を目指した。悪漢に捕えられ、はるか南方の海底で奴隷労働を強いられている少女を救うために。
空を超え、星の彼方へ飛んで行けるジェットエンジンは、そのとき、たったひとりの人間のために法を犯し、海を越えた。
★彼は目をつぶった。
電車は空高く舞い上がり、真っ白い吊り橋を伝い、数十万の街明かり、数百万の窓明かりが瞬く夜の中へ駆け下っていった。星はなく、雲がぼんやり浮かんで見えた。東京タワーが、赤々と燃え立つ蝋燭のように光ってそれを貫いていた。
「そんなものは、ありゃあしないんだ」と、彼は小さくつぶやいた。ヘッドフォンをした若者が身じろぎして、こちらを見た。
<『ららら科学の子』>


★だれもかれも他人の人生を生きているみたいだ。<“THE WRONG GOODBYE”>


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