Don't Let Me Down

日々の雑感、引用。
言葉とイメージと音から喚起されるもの。

女たち

2013-07-02 13:07:15 | 日記

★ よく知られるように、ウーマン・リブは学生運動に巣くうセクシズム――高らかに世界革命を叫びながら女性を銃後のハウスキーパーとしてしかみなしていない新左翼の欺瞞、男女の権力の非対称性を二次的な問題としてしか認識することのできない自称ラディカルたちの能天気ぶり――を徹底的に暴き出した。「新左翼の極まった現実の中で、女は殺されてゆくのだ。どの党派も、その本質に変わりはない」という新左翼への絶望と、女性であることの肯定から、リブという思想-実践は立ち上がった。

★ 田中(美津)の議論も、そうしたリブ的な思考空間のなかから「自己否定の論理」が隠し持つマスキュリニズム(男性中心主義)を問題化したものといえるだろう。しかし注意すべきは、それがたんにエリート学生のセクシズムを指弾しただけのものではないということだ。田中は、《自己のポジショニングに向かい合い、自らの欺瞞を真摯に反省する》という自己否定の素振りそのものが持つ暴力性、つまり「60年代的なるもの」が内包する暴力性を根底から批判しているのである。「ああ、東大生というのは、自己肯定しえるものをもっていたから、あんなにラディカルに、「自己否定の論理」を打ち出せたのだなあ、と今さらながらに思い当たったというわけだ」(田中美津『いのちの女たちへ』)。リブは、たんなる「新左翼の女性部門」だったのではない。それは、新左翼によって体現されるような反省の思想、連合赤軍の総括によってグロテスクな形で純化されていくような思想の脱構築を図る、きわめつきにラディカルな思想実践だったのである。

★ 田中は、永田洋子に誘われて山岳ベースにまで足を運んだことがあるらしい。それは「60年代的なるもの」の鬼っ子と、「60年代的なるもの」の解体者が邂逅した奇跡的な一瞬であったといえるだろう。先にも述べたように、永田は革命左派の実践のなかに「婦人解放」の契機を見いだそうとしていた。しかし、彼女の性や恋愛に対する古風な感覚は、不幸にも森恒夫の女性恐怖症――性愛を抑圧することによって、革命戦士の身体性の獲得を目指す――と共振し、自己否定すべきものを持たないという田中=リブの「便所からの解放」思想とすれ違ってしまう。女性解放を目指した二人の「同志」は、自己否定の極限化/自己否定の拒絶というまったく異なった道筋をたどり、70年代初頭を迎えることとなったのだ。

★ 「60年代的なるもの」の極点と限界が一挙に現われた1971、1972年。このあたりを境に学生運動は退潮し、団塊世代は日常へと帰還していく。しかし、と同時に、連赤事件以降の70年代は、60年代的な反省の形式をリブとは異なる形で批判していくこととなる。「自己否定」的な反省の形式に対する「抵抗としての無反省」である。永田や坂口が事件の総括に勤み、中核派と革マル派の内ゲバがエスカレートするなか、後に「シラケ世代」と呼ばれることとなるポスト団塊の若者たちは、あたかも連赤事件などなかったかのように世界を相対化し、80年代を用意していく。

<北田暁大『嗤う日本のナショナリズム』(NHKブックス2005)>








文脈を理解する

2013-07-02 12:08:30 | 日記

★ 現象それ自体に密着した記述が「薄い記述」なのですから、フィールドワーカーがまず行うべきことは、その「薄い記述」で言い表されるふるまいを、その記述のままにとどめておかないで、「によって関連」の階梯を上位にのぼった記述に書き換えてゆくことです。「話している」ではなく、話すことによって「教えている」ということ。「牛を叩いている」ではなく、叩くことによって「牛を眠らせている」ということ。「片方のまぶたを動かしている」ではなく、そうすることによって「ウィンクをしている」ということ。いずれの記述も、「によって関連」の階梯をのぼり、包括度の高いものにするためには、そうした記述に何らかの意味を与えている文化的背景に習熟する必要があります。

★ さらにそれに加えて、例えば「教えている」と記述できそうなあるふるまいが、果たして文字通りに「教えている」ふるまいなのか、それとも「教えるふりをしている」のか、あるいは「教える練習をしている」のか、などなど、ということを把握できなければなりません。それができるためには、「教える」という記述が当該文化でもつ意味の把握に加えて、そのふるまいがなされた現場において、誰が誰に対して、どのような意図でどのようなふるまいをどのように行っているのかという状況を把握することが必要であり、その誰と誰とがどのような関係を築いているかについての知識が必要です。

★ 文化人類学においてフィールドワークという経験は避けて通ることのできないものですが、それは実際に現地に赴いて現地の人々と生活をともにすることによって、その人々のふるまいを幾重にも取り巻いている重層的な文化的・社会的な文脈にアプローチし、それを解きほぐすことができるからです。それによって、包括度の低い記述は包括度の高い記述へと書き換えられ、「薄い記述」は「厚い記述」へと書き換えられてゆくのです。そのためには、あるふるまいを現象に密着したかたちで、見えたままに記述していたのではいけないということに気づかなくてはなりません。そして、ひとたび自分が与えた記述よりも、より包括度の高い記述や、より「厚い」記述がその場のふるまいの記述としては妥当性をもつという可能性に、常に自分自身を開いていなくてはなりません。

<森山工“ふるまいと記述―文化人類学の異文化理解”―『高校生のための東大授業ライブ』>