Don't Let Me Down

日々の雑感、引用。
言葉とイメージと音から喚起されるもの。

伝達不能

2013-07-07 14:00:21 | 日記

★ 本当に存在するものは何だろうか?
私の「今・ここでの体験」だろうか?それとも、他人からみた「物質としての脳」だろうか?もちろん、両方だろう。ところが、そう言った瞬間、「私の」体験と「他人からみた」脳を結ぶメカニズムが知りたくなる。しかし、他人からみた世界、三人称で語られる客観的物理的世界では、脳は複雑な回路にすぎない。そこに一人称の世界、「私」に体験できる質(クオリア)を「生み出す」機構は今のところ見つからず、今後も分からない。

★ 「脳」というのは、三人称的世界、つまり、誰でもその内容に同意できるとされる客観的世界にある。一方、クオリアや私的体験は、伝えられない・その手触りを伝達不能という意味で、基本的に一人称的、主観的なものだ。「痛い」と言うことは簡単だ。が、「私の痛み」というクオリアを伝える方法はない。だから、クオリアというのは極度に一人称的で、秘密の世界を含意してしまう。また、今のような例示以外で、「クオリア」という言葉の「使い方」を教えるのは難しいだろう。

★ そして、いわゆる「心身問題」が、この二つの世界、「三人称的世界=脳」と「一人称的世界=クオリア」の間に現われる。つまり、(物質としての)脳は、いかに(体験としての)クオリアを生み出すのか?という疑問だ。恐らく、非常に素朴な意味での「心身問題」は、このような流れで出てくる。

<西川アサキ『魂と体、脳 計算機とドゥルーズで考える心身問題』(講談社選書メチエ2011)>