Don't Let Me Down

日々の雑感、引用。
言葉とイメージと音から喚起されるもの。

突如として始まる

2013-07-24 11:54:06 | 日記

★ 突如として、古代ギリシアのときに西洋では、学問的研究が始まったといってよろしいと思います。物にはすべて始まりがあるというのが、第一の命題でした。たしかに古代ギリシア以前にも、エジプトの文明やイスラエルの文化などが、ギリシア人たちがまだ文字を知らないころから、文字で書かれた文化財を形成し、独特の宗教的神話を伝承としてもち、見上げるようなピラミッドや、神殿を築いたりしておりました。

★ こういうことは、何らかの意味の知識がなければできないことであります。しかし、なぜそれらの国には厳密な意味での哲学というものがなく、古代ギリシアから学の名に値する哲学が始まるのか、これは大きな問題として、私どもが考えなければならないことであります。

★ 物事をただ記述するだけではなく、物事を説明することは、文化の始まりであるといってよろしゅうございましょう。かりに言葉で記述することはできなくても、犬は自分の前に起きている現象をみて、それなりにそれに応じた行動をとる。ということは、自分の目の前に起きていることを記述する、そしてその記述に対応して行動するということであります。ところが、人間は記述から行動に移るほかに、記述したような事態が、なぜ起きるのであろうかということを問い、これを説明することを求めますが、これが人間の文化の始まりになってまいります。ここで記述とは、事態の状況を知覚することを含みます。

★ 説明は、しかし神話によっても可能ですし、思い込みや、想像でもできなくはないのです。海が荒れれば、海のなかの竜神が怒ったのであるという考え方は、神話的な説明でもありますし、同時に想像によるものであります。およそ、すぐれた文化といわれるもののなかには、こういう、すばらしい想像の力による神話的な説明が含まれていて、そういうものによって人間が現象を説明し、それですませられたということも、時代として、また場所として歴史のなかにあったことでした。ギリシアにも、そういう神話はありました。

★ ところが、ギリシア人たちのなかから、それはもちろんわずかの数の人ではございましたが、物事をたんに説明するだけでは飽き足らずに、物事をその根底から徹底的に考え直そうとして、つまり経過の記述的な説明ではなく、原理の探究に徹しようとした人びとが出てまいりました。それがイオニアのギリシア植民地にあるミレートスという所に生じたミレートス学派といわれる一団であります。

★ この始祖と申しましょうか、ミレートスで最初に学問的な活動を始めた人がタレースという人であります。ふつう日本では「ターレス」と呼んでおりますが、ギリシアでは「タレース」というのです。タレースといえば平面幾何学、つまりユークリッド幾何学の基礎になるいろいろの原理を発見した人としても知られておりますが、哲学は、このタレースから始まるといわれております。タレースは、紀元前640年ころに生まれて、548年ごろ死にました。紀元前6世紀の人、孔子のころの人です。

<今道友信『西洋哲学史』(講談社学術文庫1987)>