Don't Let Me Down

日々の雑感、引用。
言葉とイメージと音から喚起されるもの。

絵葉書

2013-07-15 13:24:44 | 日記

★ 美しい絵葉書に
書くことがない
私はいま ここにいる

冷たいコーヒーがおいしい
苺のはいった菓子がおいしい
町を流れる河の名は何だったろう
あんなにゆるやかに

ここにいま 私はいる
ほんとうにここにいるから
ここにいるような気がしないだけ

記憶の中でなら
話すこともできるのに
いまはただここに
私はいる

<谷川俊太郎“旅1”―『旅』(思潮社1995)>


★ 何ひとつ書く事はない
私の肉体は陽にさらされている
私の妻は美しい
私の子どもたちは健康だ

本当の事を言おうか
詩人のふりはしているが
私は詩人ではない

私は造られそしてここに放置されている
岩の間にほら太陽があんなに落ちて
海はかえって昏い

この白昼の静寂のほかに
君に告げたい事はない
たとえ君がその国で血を流していようと
ああこの不変の眩しさ!

<谷川俊太郎“鳥羽1”―『旅』(思潮社1995)>


★ 黙っているのなら
黙っていると言わねばならない
書けないのなら
書けないと書かねばならない

そこにしか精神はない
たとえどんなに疲れていようと
一本の樹によらず 一羽の鳥によらず
一語によって私は人

君に答えて貰おうとは思わない
君はただ椅子に凭れ
君はただ衆を恃め

けれど私は答えるだろう
いま雑木林に消えてゆく光に
聞き得ぬ悲鳴 その静けさに

<谷川俊太郎“anonym1”―『旅』(思潮社1995)>


★ からまつの変わらない実直と
しらかばの若い思想と
浅間の美しいわがままと
そしてそれらすべての歌の中を
僕の感傷が跳ねてゆく
(その時突然の驟雨だ)
なつかしい道は遠く牧場から雲へ続き
積乱雲は世界を内蔵している
(変わらないものはなかつた
そして
変わつてしまつたものもなかつた)

去つてしまつたシルエツトにも
駆けてくる幼い友だちにも
遠い山の背景がある

堆積と褶曲の圧力のためだろうか
いつか時間は静かに空間と重なってしまい
僕は今新しい次元を海のように俯瞰している
(また輝き出した太陽に
僕はしたしい挨拶をした)

<谷川俊太郎“山荘だより3”―『谷川俊太郎詩集』(思潮社1965)>