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学歴

2016-12-30 11:56:00 | ノンジャンル
Yahoo!の記事で、学歴に触れたものがあったので、思うところを一つ。

いわゆる学歴は、中卒、高卒、大卒といわれる、卒業実績によってその本人の就学歴をいうものと、大学卒ならば、どの大学なのかという学校歴を言うものとがあるらしい。

ところで大学とは何を学ぶところなのか?

タイトルは覚えていないが、ある本に「大学は普遍性について学ぶところ」であると書いてあった。つまり学問的なアプローチから、ある特定の物事や思想といったテーマについて「普通」だとか「一般」だとかというものは何なのかを学び探求するものだそうだ。

それまでは、大学に行くと専門知識が身につく、専門家になり研究家になり博士になるといったようなイメージを持っていた。

きわめて高潔で純粋でそのテーマについて極めに極める為に大学に行くのだと思っていた。なので自分自身でも進学を考えたときに、何について極めたいかを考えて大学を調べていた記憶がある。


さて、話はそれたが、現代の大学進学事情はどうやら違うようだ。


就職のしやすさ、生涯所得、早い出世といった、就職の手段に成り下がっている。
人によっては、高卒と大卒じゃ人生が大きく違うなどという価値観を持っていたりする。


これらは現実


でも、これらはすべてではない


高卒でソニーに入社して、有名なコンサルタントとして活躍して年収数千万円という人もいるし、有名国立大学を卒業しても年収数百万の人もいるというのも事実だ。


多くの人は「それって少数でしょ?」
というが、なぜ少数なのかという問いには答えられないでいる。
その人たちには特別な能力があったから?その人たちは性格に問題があったから?


果たしてそうか?


少なくとも、高卒で成功している人は、目の前の事について全力で挑む。挑めるようなメンタリティを持っている。そのメンタリティとは"挑むことを楽しむ”というもの。


このメンタリティはいわゆる学歴には全く関係ない。


目の前の事を「くだらない」「俺のやることじゃない」「私がこんなことやるべきじゃない」というメンタリティだとまず、うまくいかないし、そういう人は、周囲から見抜かれているから、まあ適当な仕事しか回ってこない。本人は楽かもしれないが、研鑽を積むべき時に詰めないまま就社年数だけ重なっていると、権限をふりかざすだけの先輩になるのがおち。



また、もう一つあるのは「他人のせいにする」「言い訳する」というのもダメなパターン。これもやはり学歴には全く関係ない。任された仕事は自分が責任をもってやるという責任感とは、もちろんきちんと仕事を全うするという事なのだけども、そこには少々の予期しない事情があっても言い訳せずに仕事をやり遂げるという意味での責任感もある。



仕事がうまくいかないときに誰かのせいにした瞬間、周囲からは「仕方ないな、でもそれくらい気が付かないかな」と思われる。仕事がうまくいかず、叱られるのを覚悟のうえで自分が至らなかった部分を謝ると、「仕方ないな、今回のことで注意すべき事がわかっただろう」と思われる。



この差、実はとても大きい。これができるかできないかって学歴よりも自分自身というものに対する厳しさやプライドの問題なのだ。




学歴を価値観としてとらえ、その上に乗っかるという意味でのプライドではなく、仕事をやるにあたっての自分自身の覚悟、プライドである。




こう考えれば、学歴と仕事の間にはさして違いが無いように思える、一方で学歴が仕事に影響する場合もある。



例えば、入社選考では「少なくともこのランクの大学に入るための勉強はしたのだ」というものだ。同じ年齢で同じ条件を与えられながら、身体能力に違いがない前提で、マラソンを5時間かかっても走った人と、完走できなかった人を見たときには、事実はともあれ、少なくとも完走した人は練習はしたんだろう」と考えるのが普通だ。


これを単純理解してしまうと、大学受験しなかった人がまるで勉強しなかった様に聞こえるから、注意しなければならない。ある人の事が白じゃなきゃ黒だねと考えるのはあまりに単純すぎる。世の中も人間もそんな単純にできていないはずなのに、往々にしてそういう理解をする人にである。残念だが、そういうロジックを持っている人が人事には多いし、選考担当者に多い。深く考えない、採用を選考をまるで作業であるかのように考えている。こういう現実を考えると、やっぱり大学受験しておかなきゃ、大学でもより良いと言われる大学に進まなきゃと思うだろう。それも一つの解。でも、人の幸せはそれだけじゃないのも事実。


さて、話はそれにそれまくっているが、さらに大学進学、それもそこそこいい大学に進んでかつ卒業した場合のメリットがもう一つある。これは大学時代にどれだけ友人関係を構築するかによるが、やはり人脈づくりに大きく影響がでる。


いわゆる有名大学出身者は、いわゆる一流企業に進む。そこで5年、10年して順調に出世していれば、社会人としても優秀な働きをしているのだろう。そういう人たちの相互のコネクションは10年を過ぎ、20年、30年の間で公私に役に立つ場合がある。互いに状況を理解して人をつなげたり、情報を共有したりなどがかなり深部にわたって可能だったりする。


これも、単純に高卒だったら人的コネクションがつながらないかといえばそうとも言えない。ただ、そういうケースが多いか少ないかである。毎年大卒者が300人なり400人なり入社する企業でも、いわゆる部長クラスと言われる肩書がつくのは1%程度と言われているのだから、あなたが築いてきた友人関係が必ずしも、コネづくりに役立つとも言えない。


むしろ、早くに社会にでてより広く人的コネクションを構築する事が出来る高卒の方が、確率的に考えれば、小さな会社の役員だったり、世話役だったりするわけだから、案外いろんな人とつながりやすいかも知れない。



さて、ここまで両論併記のように書いてきたが、学歴についていえば、少なくとも就職に有利だとかというこざかしい理由で進むのはやめた方がいい。私学なら毎年100万円以上かかるわけだから、それ相応の事を身につけられないのならもったいないだけである。人生のなかで500万円ほどをかけた差が、どれだけ人生そのものに差をつけるかなど気にしていること自体が間違いである。



データ的にいえば、高卒者の生涯賃金と、大卒者の生涯賃金では1億ほど違ってくるらしいが、それがどうした。人間の幸福はそれこそお金だけではない。お金があれば幸せを感じる事が多いかも知れないが、それは限界を知らない無限の欲望を満たしてくれるという面である。お金がないから不幸かといえば、確かに我慢が多い人生となるだろうが、絶望するほどかといえばそうでもない。



要は、自分の人生をどんなふうに使うつもりかという事に尽きる。

朝から夜まで、何しろ働くことに人生を使うか、

湯水のようにお金を使う生活に人生を使うか、

さぼって、やるきなく、毎日すごす人生を選ぶか、



その為に、今何が必要か? その一つが学歴なり大学卒業という肩書ならそれを選べばいい。

自分自身の人生において、学歴よりも大切だと思うことがあるのなら、学歴ごときに時間を浪費するよりも、ほかの事に時間を使えばいい。




社会のなかで生きることにおいて、必要なのは、当たり前のコミュニケーションと相手への気配り、思いやりである。あなたが、周囲から気配りができる信頼できる人物だと評されることが人生でなにより大切なのだ。なぜかと言えば、それは間違いなくあなたを救うことになるから。



長々と書いたが、間違いなく言えるのは結局「人は人を見る」という事である。
入社選考で学歴はたしかにみられるが結局は人は人を見る。

人を磨かないまま有名大学に入学して、犯罪を犯して人生を棒にふっては意味がない。
人を磨かないまま、社会にでて、うまくいかず、自暴自棄になって人を騙したり刺したりする人生に何の意味がある。


人の人生は、人の生き方と書くとおり、問われているのは生き方なのだ。



より良い生き方の為に、必要なことをやればいい。