18年にもなりますか

感じた事、出来事、いろんなこと書き綴ってます。

和田秀樹はなぜ噛みついたか 怖いゆがんだ価値観

2008-05-24 23:44:29 | テレビ
 精神科医でテレビなどに出ていることで有名な和田秀樹がテレビドラマ「ごくせん」に噛みついた。

 どうやら、「成績優秀な生徒が、影で世直しと称して覆面をかぶって夜な夜な暴行事件を働いていた話」が気に入らなかったらしい。

 ドラマのあり方をきちんと理解していればわざわざ噛みつくようなことをしなくてもいいものをと思うのだが、よほど気に入らなかったのでしょう・・・というか、素人心理分析をすると、和田秀樹本人に思い当たる節があったからなのではないかとも思う。



 これまで彼がテレビで話をしているのを何度も聞いたことがあるが、説得力として欠ける部分も散見されるのも事実だ。たとえば和田氏は今回、進学校生徒の犯罪発生率などのデータを示し、勉強をしている子の方が、不良よりはるかに安全だとしているが、“犯罪”未満まではどうなっているのかについては言及していない。もちろん言及できるものではない。なぜなら数字がないからだ。学校という特殊な閉鎖社会の中では少々の事では犯罪として取り扱われない。敢えて“犯罪”として扱われたデータだけを取り上げて持論が正しいとするのには大いに違和感がある。数字になっていないことを使っていては論理的に自分の正しさを訴えられないからこういう論法になるのだが、現実の正しさという面と乖離していると言っても良いだろう。

 彼の持論の正当化のプロセスはいつもこのパターンである。「持論の正しさ」を訴えるのならこの手法で構わない。どうぞ勝手にしてください。しかしテレビで持論について納得してもらえても、現実が和田氏の通りであるという証明にはならない。現実はそんな簡単な物ではない。つまり現実がその通りかどうかの証明は、その程度のデータを持ち出したところで何の役に立たないことを知るべきだ。だから和田氏の話は、ある程度以上信用していない。彼の話を注意深く聞いていれば分るし分っている人も多い筈である。


 ドラマ「ごくせん」で言いたいのは、個性の大切さ、希望を自ら捨てては行けないということ、そして仲間、家族が何故大事なのかということであって、成績が良い生徒は性格が悪くて、成績が悪い奴らが性格はいいというステレオタイプで語っているものではない。




 ところで、人間というのはどんな大人だってどうしても自分に思い当たる節がある時に反応心が働くものだ。

 分りやすく言えば、ズバリ指摘された自分の間違いやミス、欠点は素直に聞けない心理が働く。ついつい言い訳したくなるし、素直に認めつつも、心の中では何とも言えない苦々しい思いが生まれる。これはある種の“心理的な防御”をする心であり自然な反応だが、“防御”しなければ行けないという事はすなわち、“認めたく無い反応”が起こっている証拠に他ならない。


 「自分はそんな人間ではない」という自分がありたい理想とのギャップに反応したのである。つまり自分に「思い当たる節」があることに反応しているのである。


つまり、和田秀樹は精神科の医師としてそれまでしっかり勉強してきたはずである。また多くの著作物やマスコミの露出で目立っている。きっと著作物、テレビ出演に加えて有名人になったぶん講演依頼も多く収入もたくさんあるはずである。つまり、いわゆる“成績優秀”で“金持ち”なのだ。その本人が自分自身の「性格」に思い当たる節がなければ、わざわざドラマにこんな風に噛みつく必要はない。

 しかし、噛みついた。本人に自覚があるのかどうか分らないが、きっと彼の過去にそういう経験があったのだろうという予測ができる。つい反応してしまったのである。大人の目で見ればごくせんというドラマは噛みつく必要などないドラマで、単純にみていればいいはずのもの。和田氏の今回の噛みつき騒動について、素人がそう思うだけで本当のところは分らないが、多少なりとも当たっているのではないかと思う。



 

 改めて言いたいのは、まちがっても、成績優秀だとかお金持ちだとか、暴力で勝るとか劣るとかという事で、人間の価値は計れないものであるという事。


 成績優秀だとかお金持ちだとかという尺度が、あたかも“人間としての価値”の尺度であると勘違いしている事を分っていなければならない。