18年にもなりますか

感じた事、出来事、いろんなこと書き綴ってます。

船場吉兆物語 ~”のれんにあぐら”さえ聞いて呆れる~

2008-05-31 17:39:31 | ニュース
 「のれんにあぐらをかいていた」とは女将の言葉だが、違うと思うなそれって。そもそも食べ物商売をやる資格を無くしていたのだ。サービス業をやっている自覚も何も無かったということだ。

 日本全国あちこちで起こる「食」に関する問題。原材料の偽装、賞味期限の改ざんなど、まったくもって本末転倒な事になっている。

 船場吉兆も「もったいない」が発端だったというが、「吉兆」という贅沢の為に高額な料金を支払っている裏でお客様を裏切っては何にもならない。もったいないを追求したいなら予約客だけ受け入れて、予約客の分のみ作ればいい。

 それが積極的なもったいない対策だろう。


 食品の賞味期限偽装はつまり、「たくさん作ったけど売れなかった、まだ食べられるのだから、そのまま捨てるのは勿体ない。」から来ている。だったら売り切れるだけしか作らなければいい。

 たしかに消費者は贅沢だし文句も言う。けど本当にそうなのか?デパチカでは売り切れがたくさんでるし、限定100個なんてザラにある。それでいいじゃないか。

 「のれんにあぐら」というのは、いつも限定100個でも、構わないじゃないかという横柄な態度を言う。努力して努力して100個を110個とか120個にするのが本当にやるべき事で、200個も300個も作って、あまったら翌日に回すというのは本来やるべきことではない。

 船場吉兆で働いていた料理長を始め調理場の面々もみんな同罪。調理の技能は高かったかも知れないが、サービス業に携わる人間としてのモラルは無かった。

 モラルを無くしても、プライドを無くしても売れりゃいいという価値観がいかに反社会的な行為であるかということを今回の事件は証明しているが、まだまだモラル違反はある。企業ではコンプライアンスなどが叫ばれているが、これはつまり社員や役員の幼稚化の証明である。

 コンプライアンスは「自律」できない企業に「主審」がチェックを入れるぞという事だと考えれば、これまでの企業がいかに「ひどい」ことを平気でやってきたかという事の証明であることが分る。「儲けたヤツが勝ち」「売ったヤツが勝ち」の企業ではその活動の前提である当たり前のルールを守るという参加条件が壊れたからだ。

 人間はいくつになっても弱いものだ。ついつい悪いことと知りつつそれに手を染める。若い人だけが弱いのではなく、会社に入った社会人は企業社会のなかでの悪いことに手を染める場合の知恵の使い方がうまいだけなのだ。

 変な仲間意識がそれを助長する。仲間だから裏切れないという意識が隠蔽体質を生む。若い頃はそういうことに真剣に悩む。でも大人になって会社にはいっても結局同じ事が起こる。ただ若い人と違うのは、会社に入るとそういうことに悩むこともなく企業とはそういう物だと、社会人らしく知恵を付けることで受け入れているだけなのだ。

 これが野放しになって、ルールを守ることよりも、勝つことが一方的に優先されて、ルール軽視に繋がり、最後にはルール無視となって来た。

 もちろん本当のビジネスの世界は、ズルもあるし、ぎりぎり悪いこともある、サッカーの試合を見ていても分るとおり、ぎりぎりなところでぎりぎりのことをやる。主審がイエローカードを出すときもある。そういう中で戦うものだ。

 しかし、この戦いはそういう暗黙のルールを分っている企業間での話である。

 だからまかりまちがっても消費者をだましては行けない。ルールを知らない人を相手にはたらくそれらの行為は詐欺という。


 

 船場吉兆は、「のれんにあぐらをかいた」のではない。そんな立派な物ではなく、単なる“詐欺料亭”なのだ。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする