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社会の崩壊、モンスターペアレンツと材料偽装

2007-12-06 23:16:49 | 風景
 ひどい事件が多い背景には、その中心世代の教育があるとずっと思ってきた。子どもの陰湿ないじめが相変わらず横行している背景はその親の世代に問題があるとずっと思っていた。

 その実例が、モンスターペアレンツという、むちゃくちゃな権利主張をする親の存在だ。

 これについて書かれた記事がここにある。

 見境の無い横暴。単なるいじめだなと思う。人間関係が単純なものではないことはわかっている世代が、やれ先生が悪いだの、うちの子以外がやめれば良いだのとむちゃくちゃな事を言い出すのは、本当に開いた口がふさがらないぐらい“幼稚”さを感じる。


 子どもが学校の備品で怪我をしたから、その備品を撤去せよなどという主張は、昔で言えば、「何にも考えようとしない、幼稚な子どもの主張」だと考えられていた。大人なら、どうすればそんな怪我をしないで済むかを、関係する人みんなの利害を考えて検討した。
  
 だから話し合いというものが大切で。その中で相互理解が生まれていた。


 ところがどうだろう。備品撤去を主張する親には、単なる浅はかさしか見えない。目先の自分の利益のみ考えてそれが正しいとなんの疑問もなく主張する。そこまで主張する背景に、しっかりとした論理的かつ客観的な姿勢があれば別だが、モンスターペアレンツの現実は全く違う。

 自分や自分の子さえよければという域を出ない。

 こんな姿勢でよく社会生活を営んでいると言えるなぁとほとほと呆れてしまう。

 そういう人達によって構成される社会がどんなふうになるのか、今の都会を観ていれば少しその兆候が現れている。

 好き勝手な権利の主張、法で罰されないことはやっていいこと、見つからないならやっても構わない。気に入らないなら人を殺しても良い。好奇心や欲求を満たすために暴力で人を監禁したりする。



 以前にも書いたが、法が多いほどその社会は未熟である。


 みんなが社会性を持って物事に対処できれば、法なんていうものは必要なかった。


 昔なら、町内にご意見番という人がいて、町内の人間関係を上手く取りなす役目をしていたものだ。


 多くの大人は、当然のようにみんなにとって快適な社会を望んでいる。それをゆがんで解釈すれば、みんなにとっての快適という社会全般の視点を欠いて、快適な社会=自分にとってだけの快適である社会という図式になる。そういう理解をする大人が、年齢だけかさねた、社会性を持たない大人が増えている。そういう大人が育てる子どもってどうなるのだろうか?


 まじめにやることはバカだ。うまく世の中を渡れない奴はバカだ。要領よくやらないとバカだ。世の中金だ。金があればなんでも出来る。

 
 ということを本心で言っている大人がいるとしたら、それは大人の年齢である子どもだ。それで仮に大もうけしていても、やっぱり子どもだ。結局社会からは評価されないし、相手にされない。



 賞味期限ラベルの貼り替え、原材料の偽装なども、バレなきゃわからないをやった結果だ。まじめにやるよりも儲かる。まじめに廃棄しているやつはバカだと言うのがなんとなく正しく聞こえなくもない。



 でも、そういう人を本当に信頼できるだろうか? 心の底から一転の疑心暗鬼もなくつきあえる人間関係が作られるだろうか?そんな風に儲けている人、つまりそういう風にしてお金持ちになった人とつきあう為に、自分も同じような価値観でいなければならないとして、居心地がよいものだろうか?


 偽装は知っていたが、言えなかった従業員は、居心地が良かったのだろうか? 儲ける為には、どんなことをしてもいいのだろうか?


 そんな企業やお店ばかりの世の中で、安心して生きていけるのだろうか?


 CO2排出を気にしているよりも、ウソで固めた社会になりかけていることに警鐘をならさなければならなくは無いか?


 
コメント (2)
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