18年にもなりますか

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時効ってなんだろうか?

2006-09-26 19:59:52 | ノンジャンル
目の前に犯人がいるのに、何もできない。これが時効の正体。

このことが裁判で争われた。YAHOOのニュースによると、26年前の殺人で、刑法上も民法上も時効が成立している犯人が殺人を告白。遺族は1億6千万円の損害賠償を請求した裁判を起こした。

男はすでに年齢も70歳に達している。時効だから殺人を告白した。何の罪のない小学校の女性教諭が誰かに殺され埋められた事実を、26年後に明らかにされたのだ。

犯人を憎んでも憎んでも殺された家族は帰ってこない、せめて犯人に名乗り出て罪を償って欲しいという願いさえ、”時効”の前に実現できずにいる。

どんな無念な思いだろうか?殺人犯人が罪を償わずに、刑務所にも入らずに、生きているのだ。法律は時にこういうおかしなことを認めてしまう。殺人という罪
がそんな簡単に洗われてしまっていいのだろうか?時効後の犯人の遺族に対する謝罪の念やその行動などは一切報じられていないが、仮に、殺人を告白した犯人が、逮捕されなかったことをいいことに、例えば、どんな殺し方をしただとか、どんな風に苦しんだのだとかを、その遺族に対して直接、あるいは間接的にでも伝えようものなら、遺族の感情は一体どこまで嬲られなければならないのだろう?それでも”法律的には事件”ではない。何回でも書くが、事件の被害者が受けた心の傷は、加害者がどれほどの罪を償っても一生涯消えないのだ。しかし法律には時効が存在している。心情的におかしくないか?人間は弱いもの、間違いを犯すものなんていう人道主義的な言葉だけで、法律論を片手に犯罪者を守る弁護士の存在は、果たして純粋に法律が人の処罰に対してキチンと執行されているかを見ているだけなのだろうか?権利があるからという論理だけではないだろうか?さまざまな例を見ていても、弁護士は罪を犯した人を守るというよりも、「弁護士の仕事をする為に」つまり有益かどうかよりも「法律と戯れ、法律を盾に」上告したり、犯罪被害者よりも犯罪者を守っていたりしているように思えてならない。「法律があるから、法律にのっとって」というのは大切だけども、一方で、「時効」という法律が存在したおかげで、謝罪せずにのうのうとお天道様の下を大手をふって歩ける殺人犯人を認めざるを得ないというのはどういうものなのか?弁護士という職業は、確かに高度な法律知識が必要なので、頭脳明晰でないといけないし、専門職であるから高い報酬を手にするが、でも所詮「法律」がありきの商売。偉くもなにもない。

この裁判は、東京地裁では、330万円の賠償を認めたが、今後どのように展開するのか見続いていたい。


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