妻は介護5で68才の寝たきり老人だ。
言葉は発せられるので矢継ぎ早の要求にてんてこ舞いする。
私は辛くて言葉が荒くなることもある。
そんな時、泣くこともある。
『速く死にたい』と涙を流す。
何でこんな難病になつたのかとも嘆く。
周りに迷惑をかけるのが辛いらしい。
毒を飲むことも刃物で手首を切ることも出来ない。
唯一自殺する手段は、食べないことだ。
私の母親も食べないで自殺同然の死だった。
ある日、栄養士が町田市から派遣されて、母親の好きなものを殆ど禁じた。
当時、75才で色々病気があった。
下の階で自分で食事を作っていた。
あれも、これもいかんで食事を作れなくなり、食べない事にしたらしい。
急速に病状が悪化して、あっという間に死亡した。
私は訪問栄養士を恨んだ。
好きなものを食べていても後、2,3年は生きていただろうと。
目の前で『死にたい』と言い、口を開けない妻にお願いを続ける。
昨年の正月は、死の淵をさ迷った。
肺炎から、血晶急上昇で植物人間に限りなく近ずいた。
両手の指が左は全然動かない。右も不自由になる。
医師は血管に傘のようなものを入れて血晶が脳に入らないように検討し始める。
食事は流動食で他人が流し込む。
私は妻の死を覚悟した。
それでも三週間で自宅に連れ帰った。
今では2ヶ月に一回の病院診察で、担当医は毎回、『良くなっている』と喜んでいる。
訪問ハビリ師の腰のポケットに指を入れて、つたい歩きいている。
熟柿が好きだ、実だけを取り分けても、わざと種を混ぜる。
上手に口から種を取りだし、チッシュに包む。
私が捨てようとすると妻は怒る。
庭に種を植えて、実をならすと言う。
8年後だ。しまかも接ぎ木をしないのだ。
大事に種を隠す妻に、目が潤む。
そんなこんなで、食べないで自殺するからは遠ざかりつつある。
歩行器具で自力で歩けるか、来年は勝負の年だ。
介護3になってもかまわない。
このような介護には私のボイストレーニングの考えが大変役にたっている。
恐らく医師も舌を巻いているだろう。