政府は、放射線汚染の実体を、始めからずっと隠蔽して来た。
政府は、放射線汚染の現実を、今でも変わらず隠蔽している。
菅直人、野田佳彦と続いた、その任に有らざる無能な宰相による、的確な手が打てない現実は、そのような人間を総理に戴いた国民の「宿業」とでも言えば良いのか。
勿論、二人の器量の無さだけが原因では無い。
政府としての、組織的欠陥も大きい。
担当官庁から、正確な情報が上がらない、政府の間抜けさもある。
担当官庁が、正確な情報を政府に上げない、官僚達の不遜な習慣も唾棄すべきものである。
その担当官庁と政府とに、正確な情報を出さない東京電力の体質が、もっとも責められるべき物である。
そして、かろうじて伝わって来る現状が、実は既に方向性を決められて「取捨選択」されている情報しか伝えられて居ないないと言う、日本の報道機関の使命感の無さが、もっとも大きな罪を負うべきである。
その様な『複合汚染』の結果として、国民の側にも現実に対する受け止め方に、多きな差が生まれてしまっている。
放射能被害を、深刻に受け止めている人々。
これらの人々は、与えられる情報の、少なさや信憑性の無さに不安を覚え、自ら積極的に「より多く」「より性格」あお情報を求めて、努力している人々が多い。
その、情報収集と交換とに、ネットが根本的に不可欠の役割を果たしている。
10年前までならば、これらの人々の層は、生まれにくかったに違いない。
よしんば、そう言う意識の目覚めた人々が居たとしても、その実行には困難を極めたに違いない。
しかし、自ら「求め」「判断し」「決断出来る」人達は、まだ幸せであると、敢えて言おう。
その、受けた被害の深刻さや、受けつつ有る被害の重篤さにも関わらず、まだ恵まれていると、敢えて言おう。
もう一つ、別の集団に属する人々も、居る。
つまり、「与えられる」情報だけしか知識の基がなく、それだけを頼って行動するしか無い人々である。
この層には、また二種類が考えられる。
与えられる情報以外を、絶対信じようとしない、頑な人々。
それから。
与えられた情報しか、信じる者が無い故に、それを信じている人々で有る。
そして、人間には自分の家族、自分の人生、自分の歴史には、執着が有って当たり前である。
避け様の無い、自分に責任の無い「別の力」によって、ある日突然それら<歴史>と<人生>とを継続出来なくなったら、人はどうするのか。
『放射能』と言う、あくまで<観念的>な知識でしか知らなかった、見えない暴力の前に発たされた人々は、どう行動するのか。
福島の人達が、放射能汚染の実体を、どこまで正確に「想像」し、「把握」しているのか…。
勿論、事は「福島」だけに留まる物では無い。
しかし、取り敢えず「事故原発」直近に暮らしていらっしゃった方々の、心の内が知りたいと、常に思っている。
「汚染している」事を理解していない人は、居ない筈だ。
問題は、その汚染の程度をどこまで「深刻に」受け止めているのか。
深刻に受け止めていて、その事実を受け入れたうえで、どうしたいのか。
『警戒区域』
『避難区域』
「帰還困難区域」
「避難指示解除準備区域」
「居住制限区域」
何と呼んでも構わない。
要するに、事を最小限に閉じ込めて責任逃れしたい政府ですら、<危ない>と認めざるを得なかった地区から、強制避難させられている人々の、「自分達の村や町」への帰郷願望が、どこから埋めれて来たものなのか。
汚染の実体は避け様がない現実として、存在している。
しかし、一日も早く帰りたい…。
気持ちは分る。
痛い程に。
しかし。
汚染を承知で、帰りたい、その「気持ち」が、単に人間の精神が持つ帰巣本能だけなのか。
他の土地に移り住む可能性や手段が、もしも存在するのならば、移住する気持ちがあるのか。
可能性はあっても、そのような気持ちにならないのか。
他に選択が無いから、受け入れるのか。
諦めているのか。
余りにも辛い、そのような分析をする「不遜な気持ち」を抱く事すら、不謹慎なのだろう。
だが、しかし。。。
▶警戒区域再編 住民「一歩だけ前に」(讀賣/見出し)
>原発事故による警戒区域などの再編が一部自治体で決まり、住民からは「一歩前進」と歓迎の声が上がった。だが、除染やインフラ復旧などはこれから。再編が先送りとなった住民からは、先が見えない現状にため息が漏れる。
>4月1日に区域が見直される川内村。「出入りが自由になることは、一歩だけ前に進んだということ」。自宅が「避難指示解除準備区域」に指定される見通しの小林信一さん(66)は一定の評価をした。
>郡山市に移転していた村役場が26日に戻り、4月には学校なども再開する。だが、小林さんの自宅がある地域は放射線量が高い。国は今夏から除染を始め、年内に終了する方針だが、小林さんは「すぐにでも帰りたい。スピード感をもって対応してほしい」と話す。
>南相馬市では4月16日に区域が再編される。帰還が5年以上難しいとされる「帰還困難区域」は1世帯2人にとどまり、大半が「避難指示解除準備区域」と「居住制限区域」になる。
>市職員らは警戒区域になった小高区の状況を確認して回ったが、地震で損壊した住宅が多く、道路もいたるところで波打ったままだ。同区産業課の槙弘道さん(57)は「除染やインフラ復旧に時間がかかり、元の生活に戻るには相当時間がかかりそうだ」とする。
>他の町村では調整が難航し、再編が見送られた。二本松市の仮設住宅で暮らす浪江町の柴田輝男さん(79)は「指定が遅れれば、それだけ帰還が先延ばしされる。いつ帰れるのか」といらだちを見せた。
【讀賣新聞/2012年3月31日】
哀しくも、不思議で、理解に苦しむ、住民達の反応に戸惑うばかりである。
現実に「汚染している」土地へ、帰還させる方針を「一歩前進」と捉える不思議。
「出入りが自由になることは、一歩だけ前に進んだということ。」
確かに、それは理解出来る。
ある日突然、訳も分らないうちに「着の身着のまま」家を立ち退かされて、<仮設住宅>で暮らさせられるハメになった「不便さ」と「腹立たしさ」に、取り敢えず我が家に戻れる様になる事は、喜ばしい事では有ろう。
しかし、今夏から始める除染が年内に終了すると言われて、「すぐにでも帰りたい。スピード感をもって対応してほしい」と言う住民の感情に、複雑な感情を越えて、「無知」を感じる事は『不遜』な事なのだろうか…。
『除染』と言う言葉が先行している。
しかし、「放射能が取り除ける」と、皆<本気>で考えているのだろうか。
理解出来ない。
そこに、政府や官僚達およびマスコミの「作戦勝ち」を見てしまうのだ。
直接被害を被っている、現地住民ですら「そこまで洗脳されている」のか、と。
「それほど、意識誘導されているのか」と。
心底、心寒い気持ちに落ち入ってしまう。
その根底に、「権力側」の作為の酷薄さを、はっきりと見て取る事が出来るのだ。
住民の「心情」に付け入って、と言うか。
住民の感情を利用して、と言うか。
そこまで思い込ませる程、<放射能>に対する「恐怖感」を取り除いてしまった事への、怒りが沸き起こる。
>再編が見送られた、二本松市の仮設住宅で暮らす浪江町の柴田輝男さん(79)は「指定が遅れれば、それだけ帰還が先延ばしされる。いつ帰れるのか」といらだちを見せた。
ここまで「帰郷願望」が「汚染への恐怖」を大きく上回ってしまっている、そんな「精神状態」を造り上げられてしまった、日本人全体の悲劇である。
事は、『警戒区域』に留まる物では無い。
千葉県の広範囲な地域に於ける、高濃度の汚染の実体が判明している。
神奈川県でも然り。
という事は、東京に有っても、状況は同じ様な物だ、という事だろう。
その都度、地上からの高さその他、目的別に「汚染測定」のやり方を変える。
しかも、決して正確な数値の発表は、為されていない事は、国民は気づいている。
農作物も、水産物も、かなりの被曝が検出されている。
にも拘らず、産地偽造だ、出荷地変更だ、数値基準の変更だ、そのほか思いつく限りの姑息な手段を弄して、流通させている。
そのような実体を、知って知らずか。
人々は、大した自己防御もとらずに、平然と普通に暮らしている。
顕著な民即大移動も起こる事無く、日常生活が平穏に続けられて行く。
汚染は事実である。
しかし、だからと言って避ける手段も、格別に存在しない。
そこが、自分達の国である以上、そこで暮らして行くしかない。
仕方が無いじゃ無いか…。
生活が有る。
他県への移住等と言っても、手段も可能性も無い。
そんな、諦めの心理が働いているようだ。
そして、根本原因を造り出した「東京電力」への「怒りの行動」は、格別に見られない。
故郷への愛着。
それまでの自分史。
社会的経済的しがらみ。
あらゆる要素を鑑みても、そこに「放射能への恐怖」を、格別強くは感じ取れない。
「避難地で就職する事は、故郷への帰郷を諦める事。それは帰りたいですよ。ただ、帰郷しても人の居ない所では生活出来ないし…」
避難先で就職を決めた、ある被災者の声である。
そこに感じ取れるのは、実際的不便さに対する不安であって、現実問題での感覚である。
放射能は危険である。
病院での「放射線技師」が、エックス線撮影の度に「防護壁」の後ろに隠れる事実一つを見ても、その事は用意に理解出来る筈である。
「自然界にも放射線は存在する」
こう言い張る人達もいる。
しかし、自然界に存在する放射線と、人工的に産み出された放射線とでは、性質が違うと言う。
しかも、「セシウム」の数値のことしか語られない、不自然さ。
「ストロンチウム」その他、強毒性の放射線の測定や、対策は全く話題にすらされていない。
こんな事で良い筈が無い。
東電という「一企業」の、しかし政府すら温存を前提に優遇する程の「強大な」企業の問題だけででは無い。
「電力事業者」という企業集団を中心に、建設業界、各種機械産業、研究機関その他、産み出されて来た「天文学的」利権の周りに集う『原子力ムラ』と、そこに絡む官僚組織、はてはアメリカその他の国際的関わりの、複雑怪奇なる『原子力マフィア』の問題でもない。
人間の。
日本国民の。
翻って、世界中に影響が及ぶであろう事を考慮すれば、人類全体の「生存」への危機なのだ。
生命の問題なのだ。
政府や東電等と言う、極めて「卑小な世界」に蠢く輩に、人類の存続にすら関わる一大事を、軽んじる権利等絶対にない。
まだ遅すぎる事は無い。
少しでも「汚染地域」から遠ざかる様に。
少しでも「汚染食品」を摂取しない様に。
周りに居る人々を、啓蒙しなければならない。
少しでも情報を持っている者が。
僅かでも危険に気づいている者が。
それを、まだ気づかずに居る人々に、伝えなければならない。
それと同時に、政府に向かって、マスコミに向かって、声を上げて行かねばならない。
日本人の一人として、一人でも多くの日本人を救う努力を、しなければならない。
人間として、地球上に住む総ての人類の明日を救う為に、声を上げ続けなければならない。
身近な所からで良い。
やれる事だけで良い。
黙って居る事は、同胞に対する罪である。
今まで以上に、声をからして、訴え続けよう。
放射能の危険を伝えよう。
政府は、放射線汚染の現実を、今でも変わらず隠蔽している。
菅直人、野田佳彦と続いた、その任に有らざる無能な宰相による、的確な手が打てない現実は、そのような人間を総理に戴いた国民の「宿業」とでも言えば良いのか。
勿論、二人の器量の無さだけが原因では無い。
政府としての、組織的欠陥も大きい。
担当官庁から、正確な情報が上がらない、政府の間抜けさもある。
担当官庁が、正確な情報を政府に上げない、官僚達の不遜な習慣も唾棄すべきものである。
その担当官庁と政府とに、正確な情報を出さない東京電力の体質が、もっとも責められるべき物である。
そして、かろうじて伝わって来る現状が、実は既に方向性を決められて「取捨選択」されている情報しか伝えられて居ないないと言う、日本の報道機関の使命感の無さが、もっとも大きな罪を負うべきである。
その様な『複合汚染』の結果として、国民の側にも現実に対する受け止め方に、多きな差が生まれてしまっている。
放射能被害を、深刻に受け止めている人々。
これらの人々は、与えられる情報の、少なさや信憑性の無さに不安を覚え、自ら積極的に「より多く」「より性格」あお情報を求めて、努力している人々が多い。
その、情報収集と交換とに、ネットが根本的に不可欠の役割を果たしている。
10年前までならば、これらの人々の層は、生まれにくかったに違いない。
よしんば、そう言う意識の目覚めた人々が居たとしても、その実行には困難を極めたに違いない。
しかし、自ら「求め」「判断し」「決断出来る」人達は、まだ幸せであると、敢えて言おう。
その、受けた被害の深刻さや、受けつつ有る被害の重篤さにも関わらず、まだ恵まれていると、敢えて言おう。
もう一つ、別の集団に属する人々も、居る。
つまり、「与えられる」情報だけしか知識の基がなく、それだけを頼って行動するしか無い人々である。
この層には、また二種類が考えられる。
与えられる情報以外を、絶対信じようとしない、頑な人々。
それから。
与えられた情報しか、信じる者が無い故に、それを信じている人々で有る。
そして、人間には自分の家族、自分の人生、自分の歴史には、執着が有って当たり前である。
避け様の無い、自分に責任の無い「別の力」によって、ある日突然それら<歴史>と<人生>とを継続出来なくなったら、人はどうするのか。
『放射能』と言う、あくまで<観念的>な知識でしか知らなかった、見えない暴力の前に発たされた人々は、どう行動するのか。
福島の人達が、放射能汚染の実体を、どこまで正確に「想像」し、「把握」しているのか…。
勿論、事は「福島」だけに留まる物では無い。
しかし、取り敢えず「事故原発」直近に暮らしていらっしゃった方々の、心の内が知りたいと、常に思っている。
「汚染している」事を理解していない人は、居ない筈だ。
問題は、その汚染の程度をどこまで「深刻に」受け止めているのか。
深刻に受け止めていて、その事実を受け入れたうえで、どうしたいのか。
『警戒区域』
『避難区域』
「帰還困難区域」
「避難指示解除準備区域」
「居住制限区域」
何と呼んでも構わない。
要するに、事を最小限に閉じ込めて責任逃れしたい政府ですら、<危ない>と認めざるを得なかった地区から、強制避難させられている人々の、「自分達の村や町」への帰郷願望が、どこから埋めれて来たものなのか。
汚染の実体は避け様がない現実として、存在している。
しかし、一日も早く帰りたい…。
気持ちは分る。
痛い程に。
しかし。
汚染を承知で、帰りたい、その「気持ち」が、単に人間の精神が持つ帰巣本能だけなのか。
他の土地に移り住む可能性や手段が、もしも存在するのならば、移住する気持ちがあるのか。
可能性はあっても、そのような気持ちにならないのか。
他に選択が無いから、受け入れるのか。
諦めているのか。
余りにも辛い、そのような分析をする「不遜な気持ち」を抱く事すら、不謹慎なのだろう。
だが、しかし。。。
▶警戒区域再編 住民「一歩だけ前に」(讀賣/見出し)
>原発事故による警戒区域などの再編が一部自治体で決まり、住民からは「一歩前進」と歓迎の声が上がった。だが、除染やインフラ復旧などはこれから。再編が先送りとなった住民からは、先が見えない現状にため息が漏れる。
>4月1日に区域が見直される川内村。「出入りが自由になることは、一歩だけ前に進んだということ」。自宅が「避難指示解除準備区域」に指定される見通しの小林信一さん(66)は一定の評価をした。
>郡山市に移転していた村役場が26日に戻り、4月には学校なども再開する。だが、小林さんの自宅がある地域は放射線量が高い。国は今夏から除染を始め、年内に終了する方針だが、小林さんは「すぐにでも帰りたい。スピード感をもって対応してほしい」と話す。
>南相馬市では4月16日に区域が再編される。帰還が5年以上難しいとされる「帰還困難区域」は1世帯2人にとどまり、大半が「避難指示解除準備区域」と「居住制限区域」になる。
>市職員らは警戒区域になった小高区の状況を確認して回ったが、地震で損壊した住宅が多く、道路もいたるところで波打ったままだ。同区産業課の槙弘道さん(57)は「除染やインフラ復旧に時間がかかり、元の生活に戻るには相当時間がかかりそうだ」とする。
>他の町村では調整が難航し、再編が見送られた。二本松市の仮設住宅で暮らす浪江町の柴田輝男さん(79)は「指定が遅れれば、それだけ帰還が先延ばしされる。いつ帰れるのか」といらだちを見せた。
【讀賣新聞/2012年3月31日】
哀しくも、不思議で、理解に苦しむ、住民達の反応に戸惑うばかりである。
現実に「汚染している」土地へ、帰還させる方針を「一歩前進」と捉える不思議。
「出入りが自由になることは、一歩だけ前に進んだということ。」
確かに、それは理解出来る。
ある日突然、訳も分らないうちに「着の身着のまま」家を立ち退かされて、<仮設住宅>で暮らさせられるハメになった「不便さ」と「腹立たしさ」に、取り敢えず我が家に戻れる様になる事は、喜ばしい事では有ろう。
しかし、今夏から始める除染が年内に終了すると言われて、「すぐにでも帰りたい。スピード感をもって対応してほしい」と言う住民の感情に、複雑な感情を越えて、「無知」を感じる事は『不遜』な事なのだろうか…。
『除染』と言う言葉が先行している。
しかし、「放射能が取り除ける」と、皆<本気>で考えているのだろうか。
理解出来ない。
そこに、政府や官僚達およびマスコミの「作戦勝ち」を見てしまうのだ。
直接被害を被っている、現地住民ですら「そこまで洗脳されている」のか、と。
「それほど、意識誘導されているのか」と。
心底、心寒い気持ちに落ち入ってしまう。
その根底に、「権力側」の作為の酷薄さを、はっきりと見て取る事が出来るのだ。
住民の「心情」に付け入って、と言うか。
住民の感情を利用して、と言うか。
そこまで思い込ませる程、<放射能>に対する「恐怖感」を取り除いてしまった事への、怒りが沸き起こる。
>再編が見送られた、二本松市の仮設住宅で暮らす浪江町の柴田輝男さん(79)は「指定が遅れれば、それだけ帰還が先延ばしされる。いつ帰れるのか」といらだちを見せた。
ここまで「帰郷願望」が「汚染への恐怖」を大きく上回ってしまっている、そんな「精神状態」を造り上げられてしまった、日本人全体の悲劇である。
事は、『警戒区域』に留まる物では無い。
千葉県の広範囲な地域に於ける、高濃度の汚染の実体が判明している。
神奈川県でも然り。
という事は、東京に有っても、状況は同じ様な物だ、という事だろう。
その都度、地上からの高さその他、目的別に「汚染測定」のやり方を変える。
しかも、決して正確な数値の発表は、為されていない事は、国民は気づいている。
農作物も、水産物も、かなりの被曝が検出されている。
にも拘らず、産地偽造だ、出荷地変更だ、数値基準の変更だ、そのほか思いつく限りの姑息な手段を弄して、流通させている。
そのような実体を、知って知らずか。
人々は、大した自己防御もとらずに、平然と普通に暮らしている。
顕著な民即大移動も起こる事無く、日常生活が平穏に続けられて行く。
汚染は事実である。
しかし、だからと言って避ける手段も、格別に存在しない。
そこが、自分達の国である以上、そこで暮らして行くしかない。
仕方が無いじゃ無いか…。
生活が有る。
他県への移住等と言っても、手段も可能性も無い。
そんな、諦めの心理が働いているようだ。
そして、根本原因を造り出した「東京電力」への「怒りの行動」は、格別に見られない。
故郷への愛着。
それまでの自分史。
社会的経済的しがらみ。
あらゆる要素を鑑みても、そこに「放射能への恐怖」を、格別強くは感じ取れない。
「避難地で就職する事は、故郷への帰郷を諦める事。それは帰りたいですよ。ただ、帰郷しても人の居ない所では生活出来ないし…」
避難先で就職を決めた、ある被災者の声である。
そこに感じ取れるのは、実際的不便さに対する不安であって、現実問題での感覚である。
放射能は危険である。
病院での「放射線技師」が、エックス線撮影の度に「防護壁」の後ろに隠れる事実一つを見ても、その事は用意に理解出来る筈である。
「自然界にも放射線は存在する」
こう言い張る人達もいる。
しかし、自然界に存在する放射線と、人工的に産み出された放射線とでは、性質が違うと言う。
しかも、「セシウム」の数値のことしか語られない、不自然さ。
「ストロンチウム」その他、強毒性の放射線の測定や、対策は全く話題にすらされていない。
こんな事で良い筈が無い。
東電という「一企業」の、しかし政府すら温存を前提に優遇する程の「強大な」企業の問題だけででは無い。
「電力事業者」という企業集団を中心に、建設業界、各種機械産業、研究機関その他、産み出されて来た「天文学的」利権の周りに集う『原子力ムラ』と、そこに絡む官僚組織、はてはアメリカその他の国際的関わりの、複雑怪奇なる『原子力マフィア』の問題でもない。
人間の。
日本国民の。
翻って、世界中に影響が及ぶであろう事を考慮すれば、人類全体の「生存」への危機なのだ。
生命の問題なのだ。
政府や東電等と言う、極めて「卑小な世界」に蠢く輩に、人類の存続にすら関わる一大事を、軽んじる権利等絶対にない。
まだ遅すぎる事は無い。
少しでも「汚染地域」から遠ざかる様に。
少しでも「汚染食品」を摂取しない様に。
周りに居る人々を、啓蒙しなければならない。
少しでも情報を持っている者が。
僅かでも危険に気づいている者が。
それを、まだ気づかずに居る人々に、伝えなければならない。
それと同時に、政府に向かって、マスコミに向かって、声を上げて行かねばならない。
日本人の一人として、一人でも多くの日本人を救う努力を、しなければならない。
人間として、地球上に住む総ての人類の明日を救う為に、声を上げ続けなければならない。
身近な所からで良い。
やれる事だけで良い。
黙って居る事は、同胞に対する罪である。
今まで以上に、声をからして、訴え続けよう。
放射能の危険を伝えよう。
コメントありがとうございました。
目に見えない、体で感知しない危険という者は、怖いですね。
何となくなれて来て、注意しなくなって、感覚が麻痺してしまいますから。
しかし、結果は何年も後になって現れて来ます。
今、注意してし過ぎる事は無い筈です。
大切な人達には、余計目を開かせてあげる必要が有りますね。
それにしても、親子で、夫婦で、いがみ合う結果になっている事が有る様で、「責める相手が違うでしょう」と言いたいです。
戦時中の、「無理矢理苦しい生活を強要する」社会の空気が、現代も日本人の行動様式の中にしっかり残っている事に、がっかりさせられます。
DNAなのでしょう。
しっかりして、頑張りましょう。
放射能に対する大衆日本人の感性ついてはずっと疑問でしたが、日本人が「自分の頭を使って考える」訓練を殺がれて育った結果なのでしょう。
当方も仏在住ですが、先日東京に滞在し唖然としました。誰も放射能なんて気にしていないのです!東電が槍玉にあがるわけでもなく、前社長は2億の退職金を懐に悠々引退、今も役員連中は法外な賃金を貰っているのですから呆れてモノも言えません。原発反対デモは大手マスゴミは無視するし。そして「批判する」ことを「はしたない」とする勘違いした平和なニッポン人は、世界のガラパゴスとなって静かに絶滅に向かっているのでは?と怒りを通り越して絶望を感じている次第です。
絶筆宣言されたお気持ち、お察しします。私自身、日本を心配するが故にもう心配しても仕方ないのでは、と思うようになってきました。
後は少数の意識の高い文民日本人だけが生き残って、新たな国を築いて欲しいものです。
しかしここまで洗脳されやすい国民も世界広しといえ日本くらいでしょうね。
今後ともご活躍を楽しみにしております。
大谷口