年が明けた。
どんなに寒い夜でも。
どんなに辛い夜でも。
どんなに寂しい夜でも。
どんなに哀しい夜でも。
夜は、明ける。
必ず、夜は明けて、朝陽は昇る。
日本の社会と国民自体の、生き残りをかけた、新しい年が始まった。
昨夜の大晦日は、欧州では観劇で過ごす人々が多い。
ここパリでも、見逃すには忍びないオペラやバレー、舞踏の公演が、各劇場で繰り広げられた。
新年を迎える夜、人間の肉体を全部使って現わす「生への喜び」の表現を堪能して、精神の衣替えを待つのだ。
◇リヨンのオペラ座では、リヨン・オペラ座舞踏団による「シンデレラ」が公演された。
1985年、リヨン・オペラ座バレー団の「マニー・マラン」の振り付けの再演であった。
◇パリ新オペラ座「オペラ・バスティーユ」では「ドン・キホーテ」
ルドルフ・ヌレエフの振り付け、ミンクス管弦楽団、リュドミラ・パッリエーロとカール・パケット主演。
◇パリ「パレ・デ・コングレ劇場」では、アントニオ・ガデス一座に夜「カルメン」のフラメンコ公演。
◇「シャンゼリゼ劇場」では、サラ・バラス一座による「ラ・ペーパ」。
二百年祭を迎えた「スペイン憲法」の」精神に触発された舞踏劇。
◇「パリ市立劇場」では、アクラム・カーンのリサイタル「デッシュ」。
在ロンドンの、バングラデシュ人舞踏家アクラム・カーンは、インド古典劇『カサック』を現代的アレンジで好演。
◇「パリ・オペラ座(オペラ・ガルニエ)」では、ウイリアム・フォーサイスのバレー三部作「ワウンド・ワーク1」「イン・ザ・ミドル サムホワット・エレヴェイテッド」「パス/パーツ」を一挙に。
◇「ラ・ヴィレット大ホール」で「ヴンデルカンメル」。
オーストリアのサーカス団シルカ一座によるアクロバット体技。
◇「ロン・ポワン・デ・シャン・ゼリゼ劇場」は「オーレリアン・ボリーとフィル・ソルタノフによる「プランB」の上演。
演出家オーレリアン・ボリーの2003年作品は彼の代表作品となった。
人間の肉体は、美しい。
その、肉体の美しさの極限の追求の表現が、バレーである。
官僚達よ!
政治家達よ!
経団連の老害どもよ!
自分達だけの、飽くなき金銭欲を満たす為に、他人の肉体を、地球上の人間達の、この美しき肉体を「放射線」に晒して、良いと思うのか。
観劇が終わると、自宅へ帰って年越しの晩餐も良し、表に繰り出して新年のカウント・ダウンもまた良し。
雨の中で新年を迎えたパリの人々
そして、世界各地で新年を祝った。
ピョン・ヤン
シドニー
香港
北京
ドヴァイ
ベルリン
ロンドン
ニュー・ヨーク
リオ
例外も有った。
インドでは、女子学生への集団暴行事件による全国的「追悼」の雰囲気により、新年を迎える派手なイヴェンとは、一切行われなかった。
ニュー・デリー
騒いでいても。
黙っていても。
泣いていても、笑っていても。
闘っていても、愛し合っていても。
時間はその歩みを止めない。
夜が過ぎ行く先には、夜明けがやって来る。
湖にも。
山の頂きにも。
木立の間からも。
国境も峯にも。
渚にも。
砂漠にも。
そして。
夜明けは、パリにも訪れた。
「今年こそ」
人々は、毎年新年になると心に思う。
今年こそ。
思うのは容易い。
思うのは自由だ。
何を思おうが。
新年にかけて、思いを新たに、再び日常が繰り返される。
年頭にあたって思って事が、これから365日かけて実行されるかどうか、「時」のみぞ知る。
皆様、明けまして、お目出度うございます。
今年も、どうかよろしく、お願い申し上げます。
どんなに寒い夜でも。
どんなに辛い夜でも。
どんなに寂しい夜でも。
どんなに哀しい夜でも。
夜は、明ける。
必ず、夜は明けて、朝陽は昇る。
日本の社会と国民自体の、生き残りをかけた、新しい年が始まった。
昨夜の大晦日は、欧州では観劇で過ごす人々が多い。
ここパリでも、見逃すには忍びないオペラやバレー、舞踏の公演が、各劇場で繰り広げられた。
新年を迎える夜、人間の肉体を全部使って現わす「生への喜び」の表現を堪能して、精神の衣替えを待つのだ。
◇リヨンのオペラ座では、リヨン・オペラ座舞踏団による「シンデレラ」が公演された。
1985年、リヨン・オペラ座バレー団の「マニー・マラン」の振り付けの再演であった。
◇パリ新オペラ座「オペラ・バスティーユ」では「ドン・キホーテ」
ルドルフ・ヌレエフの振り付け、ミンクス管弦楽団、リュドミラ・パッリエーロとカール・パケット主演。
◇パリ「パレ・デ・コングレ劇場」では、アントニオ・ガデス一座に夜「カルメン」のフラメンコ公演。
◇「シャンゼリゼ劇場」では、サラ・バラス一座による「ラ・ペーパ」。
二百年祭を迎えた「スペイン憲法」の」精神に触発された舞踏劇。
◇「パリ市立劇場」では、アクラム・カーンのリサイタル「デッシュ」。
在ロンドンの、バングラデシュ人舞踏家アクラム・カーンは、インド古典劇『カサック』を現代的アレンジで好演。
◇「パリ・オペラ座(オペラ・ガルニエ)」では、ウイリアム・フォーサイスのバレー三部作「ワウンド・ワーク1」「イン・ザ・ミドル サムホワット・エレヴェイテッド」「パス/パーツ」を一挙に。
◇「ラ・ヴィレット大ホール」で「ヴンデルカンメル」。
オーストリアのサーカス団シルカ一座によるアクロバット体技。
◇「ロン・ポワン・デ・シャン・ゼリゼ劇場」は「オーレリアン・ボリーとフィル・ソルタノフによる「プランB」の上演。
演出家オーレリアン・ボリーの2003年作品は彼の代表作品となった。
人間の肉体は、美しい。
その、肉体の美しさの極限の追求の表現が、バレーである。
官僚達よ!
政治家達よ!
経団連の老害どもよ!
自分達だけの、飽くなき金銭欲を満たす為に、他人の肉体を、地球上の人間達の、この美しき肉体を「放射線」に晒して、良いと思うのか。
観劇が終わると、自宅へ帰って年越しの晩餐も良し、表に繰り出して新年のカウント・ダウンもまた良し。
雨の中で新年を迎えたパリの人々
そして、世界各地で新年を祝った。
ピョン・ヤン
シドニー
香港
北京
ドヴァイ
ベルリン
ロンドン
ニュー・ヨーク
リオ
例外も有った。
インドでは、女子学生への集団暴行事件による全国的「追悼」の雰囲気により、新年を迎える派手なイヴェンとは、一切行われなかった。
ニュー・デリー
騒いでいても。
黙っていても。
泣いていても、笑っていても。
闘っていても、愛し合っていても。
時間はその歩みを止めない。
夜が過ぎ行く先には、夜明けがやって来る。
湖にも。
山の頂きにも。
木立の間からも。
国境も峯にも。
渚にも。
砂漠にも。
そして。
夜明けは、パリにも訪れた。
「今年こそ」
人々は、毎年新年になると心に思う。
今年こそ。
思うのは容易い。
思うのは自由だ。
何を思おうが。
新年にかけて、思いを新たに、再び日常が繰り返される。
年頭にあたって思って事が、これから365日かけて実行されるかどうか、「時」のみぞ知る。
皆様、明けまして、お目出度うございます。
今年も、どうかよろしく、お願い申し上げます。
明けましておめでとうございます。
本年も宜しくお願いします。
前の年の日本国内の政治は、何となく前進が見られない年でした。
衆院は民主党から自民党へ大幅な政権移行となりましたが、参院では従来のままで「ねじれている状態」にあります。
自民党は安定与党として参院選でも勝利を狙っている状態です。
最近、第三政党が、雨後のタケノコのごとく、数多く出てきましたが、今回の選挙では「準備不足」と言う状態に見えました。
第三政党から、第二政党になるのは、「大変な努力」と「そのアピール」が必要だと思います。
現状は正月と言う事で、与党以外は「休んでいるのか?」、「メディアでも、ほとんど見られなくなりました」。
彼ら野党議員は、「これが致命傷になる」と言う認識が足りないと思います。
テレビや新聞などのメディアに出てこなくなれば、それだけ「人々の記憶から消え去って行く」のである。
但し、「福島みずほ」氏のように「二人政党」のような状態でも、存在している事を認識出来る議員は、まだ「ラッキー」と言えるでしょう。
ここ最近、個人的なブログでは「原発関連」に集中して投稿していました。
しかし、それだけ個人的には問題だと認識していたからであり、今後も「再稼働し始めた場合」、再び福島のような状況が発生する可能性が高い、と言う事が言えます。
巨大地震や、それよりも大きい超巨大地震は「10年に一回」日本の何処かで発生しているのです。
そこに原発があり、電源喪失や、原子炉が傾き原子炉が冷却出来なくなったら、又その原発周辺は「福島のようになってしまうのです」。
これ以上、このような状態は作ってはならないと言う事です。
今後もこのテーマについては投稿し続けざろうえません。
又、当然、近隣諸国の諸問題についても、投稿して行こうと思います。
それでは、そろそろ、自分のサイトに、戻らせていただきす。
http://blog.goo.ne.jp/torl_001/
パリさんの御健康と御多幸をお祈りしております。
今年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。
パリさまのご多幸とご健勝を心よりお祈り申し上げます。
今年は、今迄以上に、子や孫達の将来を決めるのに、現在のゆがんだ社会を真面にする為に行動出来るラストチャンス?の年になるような気がします。
あらゆる面でのツケを残さないことを元旦に誓う。
パリ殿のキレと冴えわたるコメントを楽しみに・・・。