広島と長崎との『原爆忌』。
そして、『韓国併合100周年』。
数日後には、『敗戦記念日』。
さらには、昨今立て続けに起こる、地震や大洪水、山火事に地滑りなど。
これだけ続けば、普段気にかかってはいても、敢えて立ち止まって深く考えてみる事の少ない、人間に取っての生存、未来、共存、争い、などについて考えざるを得なくなってしまう。
しかし、余り<間口>を広げすぎると、このような日記に毛の生えた様なブログなんぞには、荷が重過ぎて、収拾が付かなくなりそうで、やはり躊躇してしまった。
ただ、先日来綴って来た『原爆』に関するアメリカへの心の有り様に対して、数は多くない物の非常に深いコメントが寄せられた事も有って、その<コメント>を主題にしなければならない気持ちに、させられたのです。
以前、『憲法九条』に関する拙ブログにも、濃いコメントが続き、そのコメントを主題に記事にした事も有ったし、わが敬愛する『木霊の宿る町』ブログでも、おのま@カナダ様が、同じ様に「コメ@コメ」をエントリーされていたので、お許しいただけるで有りましょう。
私が、最も心惹かれたコメントは、以下でありました。
(一部引用開始)
>亡父は8月10日に広島入りした調査団の一員でしたが、生涯目にした惨状を口にすることはありませんでした。たった一度、「あんな状況の中でも、人間慣れれば飯が食えるものだ。」とぽつんといった言葉が忘れられません。
また、平和式典で『過ちは繰り返しません。』と繰り返し言われることをとても嫌い「過ちを繰り返えさせません。」と何故言わぬのかと怒りを顕にしていました。「アメリカを許してもいい。但しアメリカ本土に2発原爆を落としてから。」というのが口癖でした。
(引用終わり)
投稿者はK.T.様。
この方のお父上に、私の(実際には未経験ながら)原爆と戦争とへの思いが重なってしまうのです。
しかも、<経験談>のインパクトは、逆い様の無い吸引力に溢れています。
更には、「逝きし世の面影」様の長文のコメント。
(一部引用開始)
>怒りの不在は 、広島・長崎の被爆者の証言にもうかがえる。赦しを美徳とする、日本人の特質に由来するのだろうか。
怒りだけからでは 平和はつくれない。だが悲惨な体験を『風化させず、次の世代に伝える』だけでは、よりよい未来が築けないことも確かだ。
悲劇の本質を明らかにし、それに対して、正当に憤ることが私たちには必要ではないだろうか。
戦争は何故起きるのか、過去の戦争は 何故起きたのか、 軍需と正義の危うい交差点、色々な角度から 戦争を論じ、明らかにしてしていく行為が 大切なのだと思う。
そして、原爆を投下して国にたいしてもっと憤慨すべきなのだと思う。
憤慨するには 勇気がいる。
闘い抜くには 勇気と 覇気がいる。
そして、正当に憤りを表明することから、加害者はいずれ、その罪を知るかもしれないのだ。
>理不尽な出来事、悲惨な出来事に 正当に憤ることはとても大事なことだろう。
そして、そのためには、まず、経験者の方々が そのご経験を語られることから始まるのだと思う。
そして、二度と 悲劇や理不尽な出来事が 起こらないように、と努めることこそ人間の知恵だろうと思うのだ。
(引用終わり)
そして、ここから<やや変則的な>意見の交錯が始まりました。
きっかけは、これ又私が愛読するブログ『反戦塾』のましま様からのTBでした。
↓
原爆=「反米」は駄目
ともに、思いは同じであり、互いに反論する様な食い違いは実在しないにも関わらず、何となく<変則的に>コメントのやり取りが続きます。
再びK.T.様。
拙ブログと『反戦塾』様両方への投稿でした。
(引用開始)
>時々パリ様のコメント欄に投稿したK.T.です。
>言葉足らずで誤解を招いた点があるかと思いこちらへ投稿させていただきます。
亡父の基本的な考えは、「仲良くすることと、仲直りは違う」と言うことでした。
昭和30年代の我が田舎町にも、交流事業や伝統工芸品のバイヤーとしてアメリカ人が訪れることもあり、拙宅に滞在された方もありました。その多くは古き良きアメリカ人そのもので、我々の貧しい生活を馬鹿にすることも無く、節度と敬意をもって接してくれたことは子供心にも良く覚えています。そうした方々には、父も最大限の好意と尊敬を抱いて、長く交流を続けた方もありました。
>国家間の関係から、田舎の庶民の交流まで様々なレベルで、150年程度とはいえ長い歴史の中で、互いに恩義があったり、お客だったり、切っても切れない複雑な関係が形成されていて、単純に100%敵味方と割り切ることなど出来様はずもありません。出来れば仲良くすに越したことは無いのです。
しかし、根本的な謝罪や許しを伴うものとしての「仲直り」を強制するのは如何なものかということです。戦争であるからには互にどうしても許せぬ「一分」が在ります。それを無理に許そう、あるいは謝罪させようとすることは反って相手の「人格」を否定する行為ではありますまいか。
「仲直り」はしないで、許せぬことは許せぬとあくまでも主張する、だが、それはそれとして日常仲良くしていくことに何の不都合も無いではありませんか。
日本人には何か100%の「仲直り」をしなければならないという強迫観念があるように思えてならないのです。
また、決して揚げ足を取るつもりはないのですが、「日本語に主語が無い」という御主張には、異議があります。確かに欧米語における主語は日本語には存在しませんが、言語学には素人の考えですが、日本語は述語が主語を包括する、あるいは規定する言語だと考えています。ですから行動や形容の主体を明らかにするために複雑な敬語体系が必要なのです。
この点を念頭に置くと、「過ちを~」の主体に関する真島様の解釈には失礼ながら少々無理があるように思われます。
若し、真島様の言のように全人類が誓うと言いたいのなら、自然な日本語としては、例えば「諸共に繰り返すまじ、過ちを」といった言い方になると思います。
また、他の方も述べられていますが、私が第三者的な国の人間なら、「全人類が」と言われても、「なんで私があんたに強制されなくちゃならないの。失礼ね。自分で考えてから決めるわよ。」と言いたくなるでしょう。
「全人類が過ちを繰り返さないと誓う」という解釈で、自我と他者との境界をズカズカと踏み越えてしまうという、あまりに日本的な過ちを繰り返したくはありません。
(引用終わり)
やはり、この方のおっしゃっている中身に、私は惹かれました。
私の思っていた通りだったのです。
私の<コメ返>です。
>まさしく私の感じていた通りのお考えであった事に、安心致しました。
「仲良くする事」と「許す」事とは違う。
その通りです。
アメリカ人達は、もめ事の際「握手をして仲直り」する週間が有る様です。
しかしそのやり方は、当事者双方の比重の軽重が判断しにくい場合に有効な手続きに過ぎません。
考えられない程に<異様な>人体実験の実験台に、<一方的に>されてしまった日本人の立場では、このような非人道的暴挙は、人類全体の為にも<糾弾>し続けなければならないと思います。
このような<決定>をした、当時のアメリカ首脳は、許すべきでは有りません。
あたかも「自分のせいでこうなった」という立場を取る事で為される、丸く納める為の自己反省は、日本人の優しさ故に、よく見られる事で、美徳の如くに受け取られがちですが、原爆の碑文には、相応しくないと感じます。
究極の意見を述べれば、歴史的検証云々以前に、許して良い事と、許されるべきでは無い事とが有る、と言う事に尽きると思います。
そして、ここからが今日私が言いたかった事なのですが、日本人の<奥ゆかしさ>や<反省する心>は、他の人種にはなかなか見られない、大きな美徳であると、改めて確認出来た。
しかし、世界的に日本人の存在を確かな物にして行く為には、「仲良くしながら」同時に「相手の非は糾す」事を学ばなければならない、と言う事なのです。
「事を荒立てる」事を良しとしない、この日本人の特質は、狭い島国の中で多くの国民が共存して行く為の<知恵>であったのであろう。
しかし、我らが国境を越えてしまうと、この特質は<美徳>から、一転して<弱点>になってしまう、と言う事なのです。
恐らく『大乗仏教』の価値観の日本人は、「和を持って尊しとなす」なのですが、砂漠と過酷な大地で生まれた『旧約聖書』にルーツを同じくする、『ユダヤ教』と『キリスト教』と『イスラム教』との間では、生き抜く為には、戦わなけらばならなかった。
自分達の『神』だけに<帰依>し、他は一切認めない。
その結果として、「戦って、勝ち取る物が<和>」なのです。
「<和>を持って、戦いう避ける」立場と、完全に逆の哲学です。
ただでさえ、西欧人達に取って、東洋は「世界の果て」でしかなかった。
『世界』は<地中海>で誕生し、<大西洋>の両岸に依て成り立って来た。
<太平洋>はあくまで『新世界』なのです。
我々日本人は、一頃極東では無く『極西』などと勘違いしていた時代もあったものの、あくまで極東の<劣等>民族扱いされる存在なのです。
この様に書くと、誤解を受けそうですが、欧米人の<深層心理>には、意識しているか無意識かはともかく、その価値観が基礎として存在しているのです。
世界中、差別感情の無い民族など存在しません。
日本人も、何処やらの人達を<侮蔑的>に扱って顧みない事が、あり得る訳です。
そのような原点にたって、『原爆』問題は捉えて行く必要が有ると思うのです。
<ドイツ>には落とさず、<日本>に2発投下した。
しかも、一発はアトミック、もう一発はプルトニウム。
この事は、語らずとも物語っている、有る世界に於ける、<共通認識>が有ります。
その事に関して、許してはならない事なのです。
そして、人類5百万年の歴史の中で、人類は常に「戦い合って」生き抜いて来たのだと思います。
平和と非暴力とで生き抜いた例は、歴史的に存在していないのでは無いか。
実に寂しい事ながら、それが事実のようです。
しかし、永遠にそれで良いのだろうか、とふと考える必要が有るのでは無いか。
21世紀である。
「暴力が人間の生存を保証する」と言う価値観は、いくら何でも<時代錯誤>なのでは無かろうか。
未だに<銃社会>であるアメリカでの矛盾は、地球規模、全人類の歴史の問題点の、凝縮された<実例>でありましょう。
他に「共に生きながらえる」道はないものか。
尊敬する『志村建世のブログ』に、まさに正鵠を射た表現がなされています。
↓
核依存症の正体
(一部引用開始)
「核依存症」というものがあるとすれば、それは軍備依存症であり、暴力依存症に等しい。人間の生存競争の過程で暴力が物を言う時代があったことは否定しないが、今はそんな時代だろうか。弱者を殺さなければ強者も生き残れないほど、世界は貧しくなってきたのだろうか。そんなことはない。
暴力への信仰が武器の発達を促してここまで来た。核が教えているのは、暴力をどれほど強力にしても、私たちに安心はないということだ。人類の未来には、暴力によらない繁栄しか、ありえない。その文脈がわかっていれば、当面の目標は「核の傘からの離脱」が正しい。
(引用終わり)
これが、私が先に『憲法九条』にこだわった記事を書いた時に、繰り返した事なのであります。
「戦いを放棄する」
これは、人類の歴史の中に、存在した事の無い価値観です。
こんな<前代未聞>の拘束を、『憲法』と言う名の規制を自らに課した民族は、歴史に存在しない。
で有ればこそ。
たとえ「押し付けられた」憲法であろうと、今の今まで誰も持ち得なかった、『非戦』の姿勢で世界をリードしてみようでは無いか。
それだけの<矜持>を持って、世界の中で生き抜いて行ってやろうじゃないか。
この事を、<絶対に理解出来ない層>が有る事は、解っています。
戦う事こそが<生存の証>としか捉えられない人々は、<可哀想な人間>だと、敢えて言いたいのです。
「中国が」
「北朝鮮が」
「尖閣諸島を見ろ」
「竹島をみろ」
「チベットの二の舞だ」
「それでも戦いを放棄する?」
「お花畑!」
と散々の批判のコメントを、前回も沢山頂きました。
敢えて消去せずに残したコメントも、まだ多くあります。
(志村ブログ再引用)
>核兵器の威力は絶大だが、敵に打撃を与える武器という点では「通常兵器」と本質的に変るところはない。それを持っていれば安心だと思うのは、戦っても負けないから敵は攻めて来ないだろうと考えるからだ。それはつまり、互に銃を構えながら話し合いをするのと同じことになる。まだ銃がない時代なら、腕力の強さに頼って身を守ろうということだ。
(引用終わり)
兵器と言う名の、壮大な無駄を、人類は延々と垂れ流して来た。
それだけの<資源とエネルギー>を、もっと建設的な方向に使えていれば、もしかしたら、<地球の温暖化>も、<エネルギーの枯渇>も、起こら無かったかもしれない。
勿論、歴史に「もし」は無い。
しかし、返す返すも勿体ない事である。
もしも<人類>と言う<種>が、好戦的でなかったとしたら、地球は今と違う姿の存在であったことだろう。
戦が人を動かして来た。
戦が国を動かして来た。
戦争が、経済を回転させ、戦争が、技術革新を推進した。
しかし、戦争が人間を滅ぼす事も、出来るのだ。
暴力は、生産は生み出さない。
平和は、安定と発展を呼び起こす。
一瞬の「我を忘れた」憤怒が。
一瞬の「冷静を失った」判断が。
ボタン一つ押してしまう事で、世界中の核兵器が相互に飛び交う事だって、理論上はあり得るのだ。
だって、そこに『核兵器』が有るのだから。
そして、「相手を思いとどまらせる為に『最終兵器』を持つべきだ」と、全員が考えている。
そのように『抑止力』に捕われてしまった以上、『戦いの無い世界』などは想像の外の事だろう。
しかし、『戦いの無い世界』を獲得出来れば、少なくとも<消滅>の不安は<消滅>する。
そんな世界に住みたい。
そのためにも、許し難い「全人類に対する罪」を冒した相手には、その事を絶えず「訴え続けなけらば」ならない。
相手が、その意味を<理解>するまで。
怯んではならない。
諦めてもならない。
変に達観してもいけない。
自虐的になってもいけない。
自分達の間だけで、昇華させてしまってはいけない。
昇華させる事に酔ってしまってはいけない。
訴えよう。
核兵器と、あらゆる「大量破壊兵器」が、この世から無くなる様に。
無理であっても、その精神だけは、失わずに保ち続けて行こう。
少なくとも『自然淘汰』で人類が滅び去るまでは、人類が地球の主たる住人なのだから。
何も考えずに書きなぐってきたら、ものすごく冗長になってしまいました。
読了多謝。
そして、『韓国併合100周年』。
数日後には、『敗戦記念日』。
さらには、昨今立て続けに起こる、地震や大洪水、山火事に地滑りなど。
これだけ続けば、普段気にかかってはいても、敢えて立ち止まって深く考えてみる事の少ない、人間に取っての生存、未来、共存、争い、などについて考えざるを得なくなってしまう。
しかし、余り<間口>を広げすぎると、このような日記に毛の生えた様なブログなんぞには、荷が重過ぎて、収拾が付かなくなりそうで、やはり躊躇してしまった。
ただ、先日来綴って来た『原爆』に関するアメリカへの心の有り様に対して、数は多くない物の非常に深いコメントが寄せられた事も有って、その<コメント>を主題にしなければならない気持ちに、させられたのです。
以前、『憲法九条』に関する拙ブログにも、濃いコメントが続き、そのコメントを主題に記事にした事も有ったし、わが敬愛する『木霊の宿る町』ブログでも、おのま@カナダ様が、同じ様に「コメ@コメ」をエントリーされていたので、お許しいただけるで有りましょう。
私が、最も心惹かれたコメントは、以下でありました。
(一部引用開始)
>亡父は8月10日に広島入りした調査団の一員でしたが、生涯目にした惨状を口にすることはありませんでした。たった一度、「あんな状況の中でも、人間慣れれば飯が食えるものだ。」とぽつんといった言葉が忘れられません。
また、平和式典で『過ちは繰り返しません。』と繰り返し言われることをとても嫌い「過ちを繰り返えさせません。」と何故言わぬのかと怒りを顕にしていました。「アメリカを許してもいい。但しアメリカ本土に2発原爆を落としてから。」というのが口癖でした。
(引用終わり)
投稿者はK.T.様。
この方のお父上に、私の(実際には未経験ながら)原爆と戦争とへの思いが重なってしまうのです。
しかも、<経験談>のインパクトは、逆い様の無い吸引力に溢れています。
更には、「逝きし世の面影」様の長文のコメント。
(一部引用開始)
>怒りの不在は 、広島・長崎の被爆者の証言にもうかがえる。赦しを美徳とする、日本人の特質に由来するのだろうか。
怒りだけからでは 平和はつくれない。だが悲惨な体験を『風化させず、次の世代に伝える』だけでは、よりよい未来が築けないことも確かだ。
悲劇の本質を明らかにし、それに対して、正当に憤ることが私たちには必要ではないだろうか。
戦争は何故起きるのか、過去の戦争は 何故起きたのか、 軍需と正義の危うい交差点、色々な角度から 戦争を論じ、明らかにしてしていく行為が 大切なのだと思う。
そして、原爆を投下して国にたいしてもっと憤慨すべきなのだと思う。
憤慨するには 勇気がいる。
闘い抜くには 勇気と 覇気がいる。
そして、正当に憤りを表明することから、加害者はいずれ、その罪を知るかもしれないのだ。
>理不尽な出来事、悲惨な出来事に 正当に憤ることはとても大事なことだろう。
そして、そのためには、まず、経験者の方々が そのご経験を語られることから始まるのだと思う。
そして、二度と 悲劇や理不尽な出来事が 起こらないように、と努めることこそ人間の知恵だろうと思うのだ。
(引用終わり)
そして、ここから<やや変則的な>意見の交錯が始まりました。
きっかけは、これ又私が愛読するブログ『反戦塾』のましま様からのTBでした。
↓
原爆=「反米」は駄目
ともに、思いは同じであり、互いに反論する様な食い違いは実在しないにも関わらず、何となく<変則的に>コメントのやり取りが続きます。
再びK.T.様。
拙ブログと『反戦塾』様両方への投稿でした。
(引用開始)
>時々パリ様のコメント欄に投稿したK.T.です。
>言葉足らずで誤解を招いた点があるかと思いこちらへ投稿させていただきます。
亡父の基本的な考えは、「仲良くすることと、仲直りは違う」と言うことでした。
昭和30年代の我が田舎町にも、交流事業や伝統工芸品のバイヤーとしてアメリカ人が訪れることもあり、拙宅に滞在された方もありました。その多くは古き良きアメリカ人そのもので、我々の貧しい生活を馬鹿にすることも無く、節度と敬意をもって接してくれたことは子供心にも良く覚えています。そうした方々には、父も最大限の好意と尊敬を抱いて、長く交流を続けた方もありました。
>国家間の関係から、田舎の庶民の交流まで様々なレベルで、150年程度とはいえ長い歴史の中で、互いに恩義があったり、お客だったり、切っても切れない複雑な関係が形成されていて、単純に100%敵味方と割り切ることなど出来様はずもありません。出来れば仲良くすに越したことは無いのです。
しかし、根本的な謝罪や許しを伴うものとしての「仲直り」を強制するのは如何なものかということです。戦争であるからには互にどうしても許せぬ「一分」が在ります。それを無理に許そう、あるいは謝罪させようとすることは反って相手の「人格」を否定する行為ではありますまいか。
「仲直り」はしないで、許せぬことは許せぬとあくまでも主張する、だが、それはそれとして日常仲良くしていくことに何の不都合も無いではありませんか。
日本人には何か100%の「仲直り」をしなければならないという強迫観念があるように思えてならないのです。
また、決して揚げ足を取るつもりはないのですが、「日本語に主語が無い」という御主張には、異議があります。確かに欧米語における主語は日本語には存在しませんが、言語学には素人の考えですが、日本語は述語が主語を包括する、あるいは規定する言語だと考えています。ですから行動や形容の主体を明らかにするために複雑な敬語体系が必要なのです。
この点を念頭に置くと、「過ちを~」の主体に関する真島様の解釈には失礼ながら少々無理があるように思われます。
若し、真島様の言のように全人類が誓うと言いたいのなら、自然な日本語としては、例えば「諸共に繰り返すまじ、過ちを」といった言い方になると思います。
また、他の方も述べられていますが、私が第三者的な国の人間なら、「全人類が」と言われても、「なんで私があんたに強制されなくちゃならないの。失礼ね。自分で考えてから決めるわよ。」と言いたくなるでしょう。
「全人類が過ちを繰り返さないと誓う」という解釈で、自我と他者との境界をズカズカと踏み越えてしまうという、あまりに日本的な過ちを繰り返したくはありません。
(引用終わり)
やはり、この方のおっしゃっている中身に、私は惹かれました。
私の思っていた通りだったのです。
私の<コメ返>です。
>まさしく私の感じていた通りのお考えであった事に、安心致しました。
「仲良くする事」と「許す」事とは違う。
その通りです。
アメリカ人達は、もめ事の際「握手をして仲直り」する週間が有る様です。
しかしそのやり方は、当事者双方の比重の軽重が判断しにくい場合に有効な手続きに過ぎません。
考えられない程に<異様な>人体実験の実験台に、<一方的に>されてしまった日本人の立場では、このような非人道的暴挙は、人類全体の為にも<糾弾>し続けなければならないと思います。
このような<決定>をした、当時のアメリカ首脳は、許すべきでは有りません。
あたかも「自分のせいでこうなった」という立場を取る事で為される、丸く納める為の自己反省は、日本人の優しさ故に、よく見られる事で、美徳の如くに受け取られがちですが、原爆の碑文には、相応しくないと感じます。
究極の意見を述べれば、歴史的検証云々以前に、許して良い事と、許されるべきでは無い事とが有る、と言う事に尽きると思います。
そして、ここからが今日私が言いたかった事なのですが、日本人の<奥ゆかしさ>や<反省する心>は、他の人種にはなかなか見られない、大きな美徳であると、改めて確認出来た。
しかし、世界的に日本人の存在を確かな物にして行く為には、「仲良くしながら」同時に「相手の非は糾す」事を学ばなければならない、と言う事なのです。
「事を荒立てる」事を良しとしない、この日本人の特質は、狭い島国の中で多くの国民が共存して行く為の<知恵>であったのであろう。
しかし、我らが国境を越えてしまうと、この特質は<美徳>から、一転して<弱点>になってしまう、と言う事なのです。
恐らく『大乗仏教』の価値観の日本人は、「和を持って尊しとなす」なのですが、砂漠と過酷な大地で生まれた『旧約聖書』にルーツを同じくする、『ユダヤ教』と『キリスト教』と『イスラム教』との間では、生き抜く為には、戦わなけらばならなかった。
自分達の『神』だけに<帰依>し、他は一切認めない。
その結果として、「戦って、勝ち取る物が<和>」なのです。
「<和>を持って、戦いう避ける」立場と、完全に逆の哲学です。
ただでさえ、西欧人達に取って、東洋は「世界の果て」でしかなかった。
『世界』は<地中海>で誕生し、<大西洋>の両岸に依て成り立って来た。
<太平洋>はあくまで『新世界』なのです。
我々日本人は、一頃極東では無く『極西』などと勘違いしていた時代もあったものの、あくまで極東の<劣等>民族扱いされる存在なのです。
この様に書くと、誤解を受けそうですが、欧米人の<深層心理>には、意識しているか無意識かはともかく、その価値観が基礎として存在しているのです。
世界中、差別感情の無い民族など存在しません。
日本人も、何処やらの人達を<侮蔑的>に扱って顧みない事が、あり得る訳です。
そのような原点にたって、『原爆』問題は捉えて行く必要が有ると思うのです。
<ドイツ>には落とさず、<日本>に2発投下した。
しかも、一発はアトミック、もう一発はプルトニウム。
この事は、語らずとも物語っている、有る世界に於ける、<共通認識>が有ります。
その事に関して、許してはならない事なのです。
そして、人類5百万年の歴史の中で、人類は常に「戦い合って」生き抜いて来たのだと思います。
平和と非暴力とで生き抜いた例は、歴史的に存在していないのでは無いか。
実に寂しい事ながら、それが事実のようです。
しかし、永遠にそれで良いのだろうか、とふと考える必要が有るのでは無いか。
21世紀である。
「暴力が人間の生存を保証する」と言う価値観は、いくら何でも<時代錯誤>なのでは無かろうか。
未だに<銃社会>であるアメリカでの矛盾は、地球規模、全人類の歴史の問題点の、凝縮された<実例>でありましょう。
他に「共に生きながらえる」道はないものか。
尊敬する『志村建世のブログ』に、まさに正鵠を射た表現がなされています。
↓
核依存症の正体
(一部引用開始)
「核依存症」というものがあるとすれば、それは軍備依存症であり、暴力依存症に等しい。人間の生存競争の過程で暴力が物を言う時代があったことは否定しないが、今はそんな時代だろうか。弱者を殺さなければ強者も生き残れないほど、世界は貧しくなってきたのだろうか。そんなことはない。
暴力への信仰が武器の発達を促してここまで来た。核が教えているのは、暴力をどれほど強力にしても、私たちに安心はないということだ。人類の未来には、暴力によらない繁栄しか、ありえない。その文脈がわかっていれば、当面の目標は「核の傘からの離脱」が正しい。
(引用終わり)
これが、私が先に『憲法九条』にこだわった記事を書いた時に、繰り返した事なのであります。
「戦いを放棄する」
これは、人類の歴史の中に、存在した事の無い価値観です。
こんな<前代未聞>の拘束を、『憲法』と言う名の規制を自らに課した民族は、歴史に存在しない。
で有ればこそ。
たとえ「押し付けられた」憲法であろうと、今の今まで誰も持ち得なかった、『非戦』の姿勢で世界をリードしてみようでは無いか。
それだけの<矜持>を持って、世界の中で生き抜いて行ってやろうじゃないか。
この事を、<絶対に理解出来ない層>が有る事は、解っています。
戦う事こそが<生存の証>としか捉えられない人々は、<可哀想な人間>だと、敢えて言いたいのです。
「中国が」
「北朝鮮が」
「尖閣諸島を見ろ」
「竹島をみろ」
「チベットの二の舞だ」
「それでも戦いを放棄する?」
「お花畑!」
と散々の批判のコメントを、前回も沢山頂きました。
敢えて消去せずに残したコメントも、まだ多くあります。
(志村ブログ再引用)
>核兵器の威力は絶大だが、敵に打撃を与える武器という点では「通常兵器」と本質的に変るところはない。それを持っていれば安心だと思うのは、戦っても負けないから敵は攻めて来ないだろうと考えるからだ。それはつまり、互に銃を構えながら話し合いをするのと同じことになる。まだ銃がない時代なら、腕力の強さに頼って身を守ろうということだ。
(引用終わり)
兵器と言う名の、壮大な無駄を、人類は延々と垂れ流して来た。
それだけの<資源とエネルギー>を、もっと建設的な方向に使えていれば、もしかしたら、<地球の温暖化>も、<エネルギーの枯渇>も、起こら無かったかもしれない。
勿論、歴史に「もし」は無い。
しかし、返す返すも勿体ない事である。
もしも<人類>と言う<種>が、好戦的でなかったとしたら、地球は今と違う姿の存在であったことだろう。
戦が人を動かして来た。
戦が国を動かして来た。
戦争が、経済を回転させ、戦争が、技術革新を推進した。
しかし、戦争が人間を滅ぼす事も、出来るのだ。
暴力は、生産は生み出さない。
平和は、安定と発展を呼び起こす。
一瞬の「我を忘れた」憤怒が。
一瞬の「冷静を失った」判断が。
ボタン一つ押してしまう事で、世界中の核兵器が相互に飛び交う事だって、理論上はあり得るのだ。
だって、そこに『核兵器』が有るのだから。
そして、「相手を思いとどまらせる為に『最終兵器』を持つべきだ」と、全員が考えている。
そのように『抑止力』に捕われてしまった以上、『戦いの無い世界』などは想像の外の事だろう。
しかし、『戦いの無い世界』を獲得出来れば、少なくとも<消滅>の不安は<消滅>する。
そんな世界に住みたい。
そのためにも、許し難い「全人類に対する罪」を冒した相手には、その事を絶えず「訴え続けなけらば」ならない。
相手が、その意味を<理解>するまで。
怯んではならない。
諦めてもならない。
変に達観してもいけない。
自虐的になってもいけない。
自分達の間だけで、昇華させてしまってはいけない。
昇華させる事に酔ってしまってはいけない。
訴えよう。
核兵器と、あらゆる「大量破壊兵器」が、この世から無くなる様に。
無理であっても、その精神だけは、失わずに保ち続けて行こう。
少なくとも『自然淘汰』で人類が滅び去るまでは、人類が地球の主たる住人なのだから。
何も考えずに書きなぐってきたら、ものすごく冗長になってしまいました。
読了多謝。
近い将来、日本が3発目の核が落とされないことを祈っております。
日本がヨーロッパにでも引っ越せたらいいんですけどね(笑)
引っ越したいですねえ。
しかし、ヨーロッパにはヨーロッパなりの、緊張や問題も有るのです。
兵器の開発に取り憑かれていると、ゴールは存在しません。
常に「相手の上を行っていないと」安心出来なくなる。
有る意味、おしゃれと同じか。。。
個人的希望としては、地中海の中に引っ越したいですね。
(スペース的にどうか?)
それなら戦争は0.1%の例外的な話になります。
日本人のご先祖様の縄文人ですが3万年程前に故郷のバイカル湖が寒くなりすぎて陸続きなっていた日本列島に辿りついたらしい。
もう一方のご先祖の弥生人は中国の春秋戦国時代など中国国内の戦乱を避けて日本に来たらしいのですが、彼等は今までの『揉め事は話し合いで解決』する憲法9条の精神の縄文人とは大きく違い、『揉め事は武力で解決する』グローバルスタンダードのアメリカ型だったのですよ。
以来日本は戦争の時代になるのですが、65年の大失敗の結果元々のご先祖様の『武力を否定して話し合いで解決する』9条に精神を思い出したのですよ。(たぶん)
『残虐兵器』ですが、これが9条のある日本人の考え方と戦争を肯定するアメリカなどグローバルスタンダードでは、この『残虐』の言葉の意味が根本的に考え方が違うのです。
第一次世界大戦後に毒ガス兵器は禁止されたのですが、理由は何故だと思いますか。?
死に様が見苦しいとかより苦しむとかの理由ではないのですよ。
残酷な刑罰として誰でも思いつくのは火あぶりですが、火炎放射器で殺された人はこの範疇に入ります。弾丸のように簡単には死なず犠牲者は悶え苦しむのですが、火炎放射器を禁止する法案は誰も考えなかった。
毒ガスが禁止された理由は極簡単です。
どちらかが勝って戦争は集結するのですが、毒ガスでは後遺症でその後に死ぬ人が大勢でたのですよ。
今世界で禁止するべきだと問題になっているクラスター爆弾と同じです。
そして世界で最初に禁止された兵器とはダムダム弾なのですが、この理由も全く同じで戦争終結後に鉛中毒で死亡するのですよ。
これ等の残虐兵器は戦争を止めた平和の時代にまで死者がでるのです。
この事実は人々に『戦争の恐ろしさ』を実感させて『戦争を起こし難くある』作用があるのですよ。
原爆攻撃された日本人は今でも平和憲法を守っているが、同じような敗戦国でもドイツは残虐兵器の経験が無いので早々に憲法改正、再軍備から徴兵制、今ではアフガンにまで軍隊を送っている。
ですから残虐兵器の禁止の目的とは、『戦争のハードルを下げる』『戦争をやり易くする』隠された目的があるのです。
ですから真に反対するべきは殺し方が残虐であるなしなど関係なく殺すこと自体なのですね。
ブログと言う新しいツールのお蔭で、自分の考えを理解してくださる方を知ったり、啓発されたり、時には反発することで思考を深めたり出来る時代になったことはあり難い事と感じています。
>その結果として、「戦って、勝ち取る物が<和>」なのです。
「<和>を持って、戦いう避ける」立場と、完全に逆の哲学です。
なるほどそうか!頭の中でグルグル考えていたことに答えを戴いた思いです。
そうですね、新石器時代中期くらいまでは、<人口密度>も低く、互いに争い殺し合う程、夫々の<群れ>は接近していなかったでしょうね。
それに、残虐で有るか否かは関係なく、人が人を殺す、殺し合う環境は、定住が始まって、固有の財産(土地など)が成立して以後なのでしょうが、あくまで生き抜く事が前提で、以下により安楽に生き抜けるかで、より広大な領土を、より豊かな土地を求めて戦ってきたのでしょう。
現代においては、守るべき物、奪いたいもの、の関係性が太古の時代と異なり、生き抜く事に直接結びつかない、イデオロギーだの、宗教だの、国家の威信だのと言う、逆の意味での<付加価値>が絡む様になって、より<大量に>、より<残虐に>なって来たのだと思います。
どの国であれ、他国を壊滅させうる兵器を配備して、それが外交的勝利に結びつく、という発想は、すでに「ヒューマン・サイズ」を越えてしまっている様です。
かくも大量の<大量破壊兵器>を持って、人類は一体何処を目指すのでしょうか。
見知らぬ、敢えて「遭う機会も無い」かもしれない方々と、意見の交換が出来たり、共感し合ったり出来る、今日のインターネットという<道具>は、私たちの世界を、正しい方向へ導いてくれる限りにおいて、<心の糧>とも言いうるものでしょうね。
ご承諾を得ずに、勝手に本文に曝して、申し訳ありませんでした。
今後も、宜しくお願い申し上げます。