晴れのち曇り、時々パリ

もう、これ以上、黙っていられない! 人が、社会が、日本全体が、壊れかかっている。

『韓国併合』という「十字架の道行き」を永遠に続ける「殉教者?」ニッポン。

2010-08-12 07:04:48 | 国際関係
白状すれば、かなり<鬱陶しい>話題には、言及したくなかったのですが。



本当は無視したかったのだが、そう言う訳にも行かないんだろうなあ。

と言う事で、昨日朝、つい産経の記事の一部をTwitterに転載してしまったのでした。

◆「その通りなので言葉も無い。『韓国にはいまなお、日本に「謝罪と反省」を求め続けることによる民族的、国家的な“優越感”がある。日本に対するこの心理がある限り“謝罪ゲーム”は終わらない。インドやベトナムなど他の旧植民地国にはない特異な歴史感覚だ。』(産経新聞)」


何とも「厄介な」民族を、併合してしまったものだ。


例に依って、『ル・モンド』は、淡々と報じた。

▶「東京(の政府)は、ソウル(韓国政府)に対して、植民地時代の謝罪をした。」(ル・モンド見出し)

>菅直人日本国首相は、この8月10日、サウス・コリア(韓国のフランス負ぉ表記)に対して、朝鮮半島植民時代に行われた<暴虐>に対して、謝罪した。

>日本の国会議員の多くが、該当国の被害者、及びその子孫に、大戦中の被害に対する補償要求が広がる事を危惧して、このような「公式謝罪」には慎重に望む様にもとめたが、政府は近年の両国の関係性の改善状況と、より緊密になる経済交流とに鑑みて、これらの慎重論を押さえ込んだ。

>謝罪内容は、先の「社会党委員長であった村山首相が、太平洋戦争終結50周年に出した物と、殆ど変わりはない物であった。

>小泉政権の5年間の<緊張関係>が高めた、「民族主義」感情が、改善されて来ている。

>韓国は、2009年度に於いて、日本に取っての第3位の貿易相手国であり、世界同時不況に、緊密な協調関係で対処して来た。



まあこれだけでは、有る一つの事実の報道、に過ぎないし、彼我の複雑な関係は少しも述べられていないが、むしろそれだから、出来事の(粉飾の無い)事実を伝えている。

よけいな<装飾音符>がくっつく程、中身はややこしく、ヒステリックになって行く。


▶日本の首相談話発表、韓国政府も水面下で努力(聯合ニュース見出し)

>この首相談話発表に至るまで、韓国政府も水面下で努力を傾けてきたと、政府関係者らは伝えている。

>日本政府は先月末まで、「朝鮮王室儀軌」の返還は検討していないと公式に否定していたが、今月初め、韓国の立場を受け入れる姿勢を取った。日本側が文化財返還問題をあいまいにしようとするのを韓国政府当局者らが見抜き、説得に当たり、成功したものだ。政府当局者らは、9日に共同通信など日本メディアが「朝鮮王室儀軌」返還を報じたことを受け、初めて安堵(あんど)の息をつくことができた。

>日本の首相談話発表に対し、韓国政府は論評を通じ、ひとまず「歓迎」の意を表明した。外交通商部の日本担当職員らは、韓国内の世論がどのように形成されるかに神経をとがらせながら、メディアの動向をチェックしている。
【聯合ニュース/8月10日17時45分配信】



「ひとまず」歓迎。
「メディアの動向をチェック」

やれやれ。


▶「36回なぜ謝罪」菅首相に申す 櫻井よしこ(産経見出し)

>歴史に関して日本国政府がどれほど謝罪を重ねてきたかを調べてみると、その夥(おびただ)しさに愕然とする。ざっと見て、日中国交正常化当時の田中角栄以来、菅直人首相の談話まで、実に36回に上る。

>歴代の首相、官房長官、昭和天皇および今上天皇の発言の一覧表を前にして、なにゆえにわが国はこれほど心からの反省を誓い続けるのかと暗澹(あんたん)たる思いである。

>日清戦争も韓国併合も日本にだけ責任を負わせる人が多いのは残念で、韓国自身の責任を取り上げないのは、韓国のためにならないと、日韓の歴史研究に心血を注いだ名越氏は指摘している。

「アメリカの鏡・日本」の著者、ヘレン・ミアーズ氏は、「一九一〇年、日本が韓国を併合したのは、新皇帝が請願したからだった」と書いた。日本が悪と見なされた敗戦直後に、日本を公平な目で観察し、静かに真実を積み重ねて著した同書に、マッカーサーは激怒した。日本での出版を禁じられた同書が日の目を見たのは占領終了後の1953(昭和28)年だった。

>ミアーズ氏は日韓併合について、日本は一つひとつ手続きを外交的に正しく積み上げていた、そして宣言ではなく条約で、最終的な併合を達成した、と書き、「列強の帝国建設はほとんどの場合、日本の韓国併合ほど合法的な手続きを踏んでいなかった」と記した。

>韓国は長年、日本人が土地を奪った、実に全国土の四割を奪ったと教科書に記述し、教えてきた。だが2006年2月、この説はソウル大教授の李榮薫(イヨンフン)氏らの研究で全面否定された。李教授はじめ一群の研究者らの調査で、日本総督府が土地を奪って日本人に与えた事例は皆無だったこと、総督府は土地紛争をめぐる審査においては「公正であった」ことが発表された。
【産經新聞/8月12日0時8分配信】


櫻井のオバさんの文章なので、かなり<胡椒>が効いているけれども、まあ、このような背景もあり得ました。

ちなみに、この見出しだと『菅直人』が36回謝った様に取れますが。
これは『産経』サンの意向?
それとも『櫻井』サンの技?


いずれにせよ、日本に『謝罪』を求める事は「民族的、国家的優越感」が原因で有るらしい、トンデモない人々を併合してしまったものだ。


1910年であったから、まずかったのか?

西郷隆盛が唱えた『征韓論』を、あのとき実行していたら、一体どうなっていたのだろうか。


一体どちらが<被害者>なんだか。。。
(ものすごくおしかりを受けそうな発言ですが)


いずれにせよ、他人を支配するなんて行為自体が、正常では有りません。
アメリカも、トットと気がつけば良いのに。


後悔先に立たず。


支離滅裂な一文。
とにかく、この話題は「鬱陶しい」。
ご容赦ください。


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2 コメント

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本当に鬱陶しい問題ではあります。 (K.T.)
2010-08-13 10:22:54
東アジアの宗主国である中国に対して最も忠実な冊封国であり続けた朝鮮から見ると、唐の衰退後朝貢外交を止めてしまった日本は、格下の蕃夷と思えていたのでしょう。
秀吉の朝鮮出兵による断絶を回復しようとして、徳川幕府がかなり丁重な扱いをしたことにより、李氏朝鮮から通信使を迎え対馬貿易を復活できたわけですが、その時点で既に両国の意識には大きなずれがあったようです。
朝鮮は、自らを中国に替わって日本の国王を認可する冊封使に擬していたと思われます。実際、明との国交が途絶えていた江戸初期には朝鮮を通じてしか大陸の情報、学術文化を得ることはできなかったわけですし、陶芸などの分野でもまだ日本より技術的優位にありました。その日本が、明治政府に変わるとズカズカ入り込んできたのですから、実質的な被害以上にプライドが傷ついたということでしょう。
他方日本側は、少なくとも大衆レベルでは将軍に貢物を持って挨拶に来たと見做したがりました。通信使の中には少なからず尊大な態度がみられたようですし、幕府側はあくまで丁重にもてなしたものの、大人数長期の滞在移動にともなう巨大出費が幕府財政を圧迫し、饗応役を仰せ付かった藩は青息吐息になったので、何と無くウザッタイ感を醸成していったことは想像に難くないと思います。しかも、次第に中国朝鮮の文化的優位性は低下し、新奇な西洋文明に接するようになると、増々朝鮮軽視になっていったでしょう。
幕末期に、清国の没落を目の当たりにして、日本が簡単に東アジアの宗主国に取って代われると思い上がってしまったのだと思います。
冗漫に書いてしまいましたが、要するに歴史的に見て中国を巡る周辺国の関係性(時に、中国のサブステチュートとして、ソ連やアメリカ)の文脈の中でしか、日韓関係は改善できないというのが私の考えです。
K.T.様。 (時々パリ)
2010-08-13 18:52:40
コメントありがとう御座いました。
朝鮮通信使は、まさにその通りでしたね。
壱岐藩の苦心の寝技が、ここまでの影響を引きずるとは、誰も想像出来なかったでしょうね。 
結果論でしかないと言う物の、やらなくても良かった事をやってしまった。
『朝鮮通信使』も『日韓併合』も。

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