今月2日夜に北海道厚沢部町で乳幼児4人が死亡した車両火災は、5日までの北海道警江差署の検証で、車内に残されていたライターが何らかの原因で発火した可能性が高まっている。
幼い子供達のご冥福を、心よりお祈り申し上げます。
このような、悲惨な事件が何故頻発するのだろうか。
マッチやライターが火元となったケースは、08年で全国191件(09年は調査中)だそうである。
4日に宮城県柴田町のスーパー駐車場で3歳と1歳の姉妹が乗った車が全焼したケースでも、車内にライターがあった。
押すだけで着火する電子式ライターがドアなどに挟まって火が出ることもあり、08年は約3割の61件が意図しないライターの出火だった。
事は、<ライター>だけの事なのだろうか?
というのも、ここに来て、『消費者団体』を中心に、ライターへの一種の<安全装置>の設置を義務づけよう、と言う動きが高まって居るらしい事に、やや違和感を覚えるのです。
シートに挟まっていて、シートを動かした際に<自動着火>してしまった、と言う様なケースは除いても。
小さな子供にも簡単に<操作出来ない様な>ライターを造る、と言う事も良い事には違いない。
しかしその前に、車内にライターを置きっぱなしにしておく事の方が、親としておかしいのではないのだろうか?
よしんば<喫煙者>であってみれば、よけいに<喫煙環境>への配慮を十分にする事は、義務なのではなかろうか、と思うのです。
何かあるとすぐに<規制>を求め、器具のメーカーに<改善>を求める風潮に、違和感を抱く。
数年前の、東京六本木のビルに置ける<回転ドア>による少年の死亡事故に際しても、回転ドアメーカーと、ビル管理会社への責任がずいぶんと取りざたされた物でした。
その際にも、拙ブログで書いたのですが、あれは<親>の責任です。
かわいい我が子を亡くして、哀しみに打ちひしがれている筈の母親に、鞭打つ様で可哀想ではあるが、あの様なケースに<ビル管理会社>の責任を問う、まして<メーカー>の責任まで問う、と言う事は考え方の軸がずれている、としか言いようが無い。
子供は、突然駆け出す物です。
そんな際、目前に危険が存在する様な場合には、付き添っている大人(大多数の場合その子の親の筈)が<制止>する義務がある。
言い換えると、<呼び止めれば聞き分けて止まる>様に、躾けておかねばならない。
それが、親の義務です。
その点がなされていなくて、事故にあった。
その責任は、可哀想だが<親>が追わねばならない。
機械は決して<万能>ではないのは当たり前。
(万能では無い筈の)機械に囲まれて生活する現代の人間に取って、それらの機械がもたらすであろう危機に際して、自己の責任において、事故を防ぐのが当然であります。
あらゆるケースを想定しての機械<設計>等あり得ないのです。
それを、機械メーカーを責め、ビル管理会社を責める。
これは<本末転倒>でありましょう。
今回の<ライター>によるらしい(まだ断定はなされていないらしい物の)車両火災事故に関しても、ルーツは同じ事だと思うのです。
もちろん<危険の少ない>ライターを製造販売出来るのであれば、それにこした事は無い。
しかし、それと<消費者団体>が全メーカーに対して「<安全装置付き>のライターだけの製造を求める事」、とは次元が違う事では無いか、と思うのです。
何かが起こるたびに<製造者責任>だけを声高に問い続ける風潮は、日本の社会を増々<幼児化>して行くだけである。
「電車が参ります。白線の外側にお下がりください。」
「車内は込み合っております。順に奥へお進みください。」
「エスカレーターにお乗りの際は、手すりにおつかまりください。」
「滑りやすくなっておりますので、お気をつけ下さい。」
・
・
・
「明日の為にもう寝て下さい。」
「食べて下さい。」
「かんでください。」
「飲み込んで下さい。」
「呼吸して下さい。」
「・・・して下さい。」
20××年。
かくして日本人は<一億総白痴>となったのでした。
幼い子供達のご冥福を、心よりお祈り申し上げます。
このような、悲惨な事件が何故頻発するのだろうか。
マッチやライターが火元となったケースは、08年で全国191件(09年は調査中)だそうである。
4日に宮城県柴田町のスーパー駐車場で3歳と1歳の姉妹が乗った車が全焼したケースでも、車内にライターがあった。
押すだけで着火する電子式ライターがドアなどに挟まって火が出ることもあり、08年は約3割の61件が意図しないライターの出火だった。
事は、<ライター>だけの事なのだろうか?
というのも、ここに来て、『消費者団体』を中心に、ライターへの一種の<安全装置>の設置を義務づけよう、と言う動きが高まって居るらしい事に、やや違和感を覚えるのです。
シートに挟まっていて、シートを動かした際に<自動着火>してしまった、と言う様なケースは除いても。
小さな子供にも簡単に<操作出来ない様な>ライターを造る、と言う事も良い事には違いない。
しかしその前に、車内にライターを置きっぱなしにしておく事の方が、親としておかしいのではないのだろうか?
よしんば<喫煙者>であってみれば、よけいに<喫煙環境>への配慮を十分にする事は、義務なのではなかろうか、と思うのです。
何かあるとすぐに<規制>を求め、器具のメーカーに<改善>を求める風潮に、違和感を抱く。
数年前の、東京六本木のビルに置ける<回転ドア>による少年の死亡事故に際しても、回転ドアメーカーと、ビル管理会社への責任がずいぶんと取りざたされた物でした。
その際にも、拙ブログで書いたのですが、あれは<親>の責任です。
かわいい我が子を亡くして、哀しみに打ちひしがれている筈の母親に、鞭打つ様で可哀想ではあるが、あの様なケースに<ビル管理会社>の責任を問う、まして<メーカー>の責任まで問う、と言う事は考え方の軸がずれている、としか言いようが無い。
子供は、突然駆け出す物です。
そんな際、目前に危険が存在する様な場合には、付き添っている大人(大多数の場合その子の親の筈)が<制止>する義務がある。
言い換えると、<呼び止めれば聞き分けて止まる>様に、躾けておかねばならない。
それが、親の義務です。
その点がなされていなくて、事故にあった。
その責任は、可哀想だが<親>が追わねばならない。
機械は決して<万能>ではないのは当たり前。
(万能では無い筈の)機械に囲まれて生活する現代の人間に取って、それらの機械がもたらすであろう危機に際して、自己の責任において、事故を防ぐのが当然であります。
あらゆるケースを想定しての機械<設計>等あり得ないのです。
それを、機械メーカーを責め、ビル管理会社を責める。
これは<本末転倒>でありましょう。
今回の<ライター>によるらしい(まだ断定はなされていないらしい物の)車両火災事故に関しても、ルーツは同じ事だと思うのです。
もちろん<危険の少ない>ライターを製造販売出来るのであれば、それにこした事は無い。
しかし、それと<消費者団体>が全メーカーに対して「<安全装置付き>のライターだけの製造を求める事」、とは次元が違う事では無いか、と思うのです。
何かが起こるたびに<製造者責任>だけを声高に問い続ける風潮は、日本の社会を増々<幼児化>して行くだけである。
「電車が参ります。白線の外側にお下がりください。」
「車内は込み合っております。順に奥へお進みください。」
「エスカレーターにお乗りの際は、手すりにおつかまりください。」
「滑りやすくなっておりますので、お気をつけ下さい。」
・
・
・
「明日の為にもう寝て下さい。」
「食べて下さい。」
「かんでください。」
「飲み込んで下さい。」
「呼吸して下さい。」
「・・・して下さい。」
20××年。
かくして日本人は<一億総白痴>となったのでした。