国語読解攻略法の本を読むと、
「国語は、文章を味わう科目ではありません。論理的に正解を導き出すことが可能な科目です」
と書かれてあります。
これは間違いではないけど、完全に正しい言い方ではありません。
正確にはこう言います。
「国語は、論理的に正解だと説明できるものだけを正解とすることによって、点数をつける科目として成り立ちます。論理的には説明できない部分まで重視してしまうと、○×をつけられないし、点数化できないのです」
では、なぜ国語に論理的な読解が必要なのか?
まぁ、ここからは多くの人にとってなじみのある議論になります。
論理的に文章を理解し、説明できなければ、社会の成員同士の共通了解が成立しないからですね。
しかし、物語や随筆について共通了解などというものが必要かというと、そういうことはないでしょう。
「国語は、文章を味わう科目ではありません。論理的に正解を導き出すことが可能な科目です」
と書かれてあります。
これは間違いではないけど、完全に正しい言い方ではありません。
正確にはこう言います。
「国語は、論理的に正解だと説明できるものだけを正解とすることによって、点数をつける科目として成り立ちます。論理的には説明できない部分まで重視してしまうと、○×をつけられないし、点数化できないのです」
では、なぜ国語に論理的な読解が必要なのか?
まぁ、ここからは多くの人にとってなじみのある議論になります。
論理的に文章を理解し、説明できなければ、社会の成員同士の共通了解が成立しないからですね。
しかし、物語や随筆について共通了解などというものが必要かというと、そういうことはないでしょう。
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